つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

唯一の方便、愛情

2021-11-26 | Weblog
現地上の混乱は、人間の進化が悪のエネルギー進化となっているために、
滅亡への進化となっている。これは、エネルギーの法則が浄化の法則であるのに反しているために起こる
出来事である。法則の道理であるために、絶対となっている。
地上の変化は、過去にも何度か起こっており、その証は海底に沈んでいる。
その都度物質的な肉体は滅んでも、それに宿っていた意識、つまり魂はなくなってはいない。
魂の記憶が一旦リセットされてしまっただけである。魂いわゆる意識は連綿であるために、
もし意識に死は無いと自覚できるなら、記憶は呼び起こすことができる。
死んだら(肉体が亡くなったら)すべてが終わりと思い込んでいる人(意識)には、到底理解できないことであり、
記憶を呼び戻すことなどできない。肉体が生命そのものと思い込んでいる人には、理解されないために、
救われることはない。思考を改めない限り無理となっている。
だから、何度も輪廻転生していても、赤ん坊の仕草となって何もわからない。過去世を思い出すことはできない。
また一から人生を送る。生まれれば絶対に死ぬ運命を持ちながら、そこに疑問を持つこともなく、
ただ生まれては死んでいく人生を送るだけ。無駄を繰り返すだけ。それは、一切が苦のみである。
だから人生は、苦しみが多くこの世が地獄であるにもかかわらず、僅かな喜びに騙されて、幸せだと錯覚したりする。
意識に全く無知であるために、苦しむことによって楽が生まれるという相対性を当然とする。
人生、幸せを数えれば片手にさえ余るのに、不幸せを数えれば両手があっても足りないくらい多い。でも、
これが当たり前で、苦しむことに何の違和感も覚えることがない。
この無知を克服し、間違った思考を浄化するために、意識は肉体に宿って人生を送る。
僅か80年余りの間で、法則に気づき、正しい行為としていかねばならない。だから、
気づいて改められた人は、あまりにも少ない。
地獄の世界の人口密度が高くなる一方である。

人の目的は、どう生きるか?である。

死ぬために生まれるということが分からないために、どのように生きていいのか分からず、間違った人生を送る。
人は、死ぬために生まれるのである。なぜ、死んでしまうのに生まれるのかというのは、肉体という物質的存在の中に
宿す魂、つまり意識の浄化のためである。意識というのは生命エネルギーである。
エネルギーは円運動の自由であるために、無くなることがない。そのために意識には死というものはない。
意識は、物質的肉体を持たなければ向上することができない。
肉体をどう動かしていくかによって、さまざまを経験し知識を得る。
その知を正しく識して、善悪を知る。知った悪は浄化する。これがエネルギーの浄化の法則であるために、
意識は法則にかなって極楽を得る。
この道理を知らなければ、間違った運命となり、ただ苦しみの世界を彷徨うだけ。
エネルギーの法則には時間も空間もないために、永遠となってしまう。
だから、生きている間に気が付いて、意識を浄化せよ。
その一番簡単な方法は、愛情、の行為である。
これが永遠の魂である自分という生命を、極楽へ導く唯一の方法である。
人は(生命)、一番自分が愛しい。自分が悲しむのを嫌う。
そのために、自分が愛しむものを大事にする。

さぁ、悪の進化となった人類の滅亡まで時間がないぞ。
今すぐ、愛に気づけ!正しい行いをしろ!
慈しみをもって暮らせ!そうすれば少なくとも地獄には落ちない。








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