つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

欲の克服

2021-10-31 | Weblog
どんなに良いものでも高価であったら、
本当に求めている人にはいきわたらない。
善いものイコール高価、これを疑う人はいない。
まったく当たり前の洗脳コントロールに侵されているために、
与えたいのだけれど、お金がないのだから仕方がない。与えられないというのが、
人間の経済である。病気になったのに、多額の費用が掛かるために治療することができない。
お金がないばっかりに命を落とす。周りは、それを知ってもほぼ仕方ないで終わる。そこに、偽という愛でなり立たせている。
本当に、大富豪で慈悲深い人に見つけられれば助かるのだが、まずそこまで愛情深い人はいないのが世の中である。
ま、いるにはいるが、まず稀である。世俗は経済という欲に縛られている。人間の哀しい部分でもある。

何かを作り上げる。
職人(プロ)というのは、高度な技術を要する。
自分の腕前に納得いくまでその仕事をする。
そしてその腕前に称賛を浴びてこそ納得する。満足を得る。
そのとき、職人は金ではない。金なんかどうでもよい、ただ称賛を求めるために仕事をする。
腕を磨くき満足する。それは自他ともにであるために続ける。
すべての仕事に、互いの称賛を求めて、ただやり取りをする。

称賛のやり取りは無償にしてある。
称賛が人の意識の求めであるために、称賛されるまで切磋琢磨し、技術の絶大な向上をもたらす。
お金という障壁がなければ、どれほど人間は進歩していたか。
天空より舞い降りし神々は、経済というものを克服し、お互いの称賛を得るためだけに、
愛情をもって著しく進化することを知った。
意識という量子物理学を、宇宙という道理から学んだ。
また、天空より舞い降りし神々は、自分たちの通ってきた過去をを見て、
人間の欲に働きかけて、邪悪をどこまで克服できるのか、進化の度合いを見たかった。
さて、自由自在は意識である。どこにも障壁はない。障壁を作るのは自由である意識が
自在を忘れたためである。
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