つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

約千年目の調律

2021-10-30 | Weblog
世の中には優れた人がいる。
大半はそうではない。
が、
それはエネルギーの法則に無知なだけで、もし、少しでも
エネルギーの法則に気づくことができれば、自身も優れた人に近づいていく。
それは、すべてにおいてではなく、何かに長けているが、一方では冴えないものでもあるという形で。
長短具有の意識である。それには優劣などなく、一つ一つが互いを補う形にしてあるために、
何かに劣等性を持っていても悲観することはない。
もし他より劣るとする部分があるとするなら、他に学べばよい。
他を尊び学ぶのである。その気持ちが大事である。
波長が違えばということを念頭において、すれ違いを合わせる意識で、見るもの聞くものが見聞きされてくる。
この世の中に完ぺきという物事はないと知ることである。
絶対という言葉は、人の思いのおごり。そういうことを思わずに、
ただ誠意を尽くす、生きていることにである。
観音の意識というのは、瞬時心に描いた思いを可能にする。
それこそ摩訶不思議なのであるが、摩訶不思議を念じ、想念に自由を持つことである。
想念は、自身の経験によって統一された生命エネルギーの動きである。
よく道理に学び、それで得た知恵によって、正しい心の判断ができていく。
その判断は、道理の判断であるために、誤りのない判断となっている。
もし、日常が何かおかしい?人情に反していることが多いのではと直感するなら、
その感覚は善の正義である。
何か不意なことが起こっても、瞬時避けられていく。
今この世の中がこんなにも科学が発達し、道徳を知るにしても、
ほとんどが生き苦しいと思っている社会は、その波長の狂いを、浄化の律動に合わせる時期に来ている。
宇宙の存在は浄化の法則、意識エネルギーである。生き苦しさは解消されていく。
人々が、何か変だと気が付き始めたために起こる意識波動である。
どうか一つ、あれこれ思い議論することのいらない(不)心の言葉(訶)をみがいて(摩)生きていくことです。
コメント
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