goo blog サービス終了のお知らせ 

つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

誕=①うまれる②でたらめ

2025-06-22 | Weblog
表向きはでたらめとしてある。そのため多くは即騙される。
裏の裏をかいて、さらに裏をかいて見せる。すると、多くは迷路に入り込み、
当然迷う。そうして世の中は作られてきた。
謎解きは、謎の上に謎を作るとして、意味のない事で翻弄させる。
未来には、きっと謎解きで時間を費やすだろう。そうして膨大な時を費やして、
はじめて無意味な事と知る。
この世はゲームとして、勝ち負けで過ぎ去る。
勝敗には意味は無い。勝っても負けても、ゲームに勤しむと成敗される。
簡単に言えば、勝ち負けという喧嘩、喧嘩両成敗がこの世の道理。
人間という動物に、慾と言う物理と、唯心という精神を与えて、覚醒の自由
を選ばせる。覚醒をした者だけが永遠の姿形を得る。覚醒した時の姿を!
覚醒しない者はただ、ゲームに踊らされる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏至

2025-06-21 | Weblog
誠実そうに見えても、実はそうではなかったことが多々ある。
人間だれしも一つや二つ、三つや四つと、人に言えない恥ずかしさがあるものだ。俗世、清廉潔白たる人物なんていないのが普通である。
ただ本当に悪事をしていなければ「よし」として世俗である。
特に名声高くあり、有識者であっても道徳には疎く裏の顔があるものである。
頭が悪いと言われても、物覚えが悪いと言われても、道徳が身についてさえいれば、それこそ人格は高い。頭脳明晰であっても道義的になければ、最悪である。
今の日本社会、最悪にあるように思われる。そのため、社会はギスギスしていて、実に生き苦しい。そんな中、「まさか」と思われる事柄と言うか、
事件が頻繁に見聞きされるようになった。明らかに社会は変わってきている。
特に、本日より、もっと「まさか」と驚くことを見聞きする。
社会が確実に好い方向性にシフト(移動)されてきた。
あまりに乱れてきた社会風潮は、自然の成り行き(浄化)作用を刺激し、
悪いものを一掃とする。特に権力にある所に顕著となる。
気付きにある者は改め正す姿勢にて償い、救われる機会を与えられるが、気づかない者は、苦しみに報いる。本日より、様々た形で報道に出てくる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

厄介払い

2025-06-20 | Weblog
小選挙区制であるために、私利私欲の人達が選ばれる。そこに比例代表並立制も加わり、大きな政党が有利となっている。
落ちても受かる仕組みは、有権者を欺く巧妙さ。欺いてきているために、現政権窮地に追い込まれている。企みはそう長くは続かない。だいたい「企み」という言葉は、悪に属する言葉。最初はうまくいっても後、始末に負えなくなる。
厄介にある。
「企む」=よくない計画を考える、と辞書にある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

見る人は見ている

2025-06-20 | Weblog
立民の野田代表、やはり自民と何ら変わらない。非常に脆弱にある現政権下に於いて、絶好の機会(チャンス)であったものを、わざと逃している。
そのうえで、
今夏の選挙、自民公明立民維新国民、与野党そろって敗退、大きく議席を下げる。もちろん自公は大敗後消滅にまで至る。馬鹿な国民ははほとんど死んでいる。三十代四十代にして覚醒者が多くなってきた。昔のような「飴と鞭」的手法では、もう通らない。目の前にニンジンをぶら下げても、追うものは僅か。
それほど社会は昔とは違い、古いやり方では統計すら誤差が甚だしい。だから、的を得ることができなく、やることなすこと姑息な事にて終始。
「溺れる者は藁をもつかむ」という足掻きと見られる。
今まで随分と「うまい汁」を吸ってきた輩達、その代償は、悪業悪果の道理となっている。
「天網恢恢疎にして漏らさず」、人の命も必然尽きる、百年かからぬ間に。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

意識の感受

2025-06-19 | Weblog
与野党の茶番劇はシナリオ通り。内閣不信任案を見送るのは予定通り、しかしながら、石破政権続投とはならないのは、米国の関税問題からくる外圧によって、急遽、解散に追い込まれる。今月の都議選の結果を踏まえ大きく変更、世論の影響は最も大である。このままの政権では、日本の他国への影響が無くなるためである。つまり、どうでもよい国とみくびられ、円の影響は急に凋んでしまい、
経済的にも成り立たなくなっていくためである。食料の自給自足ができない国であることは、コメ問題にして明確に示されたためである。その不安は、政治には無く、国民の不安にあるため、政治を当てにしない世論が主となって変革となるためである。それはまた、米国の関税を表にしてのカラクリとなっている。
日本国、以前のコメ不足にしての輸入時の比ではない。なんの学習もしてなかった付けが今にして出てきたのである。
7月18日までには急を告げられる。そのように感受する。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

理知

2025-06-19 | Weblog
さて、世界情勢は赤色と青色が対立している。二つが混ざり合えば紫色になる。
紫、虹の最も内側の色。
紫外線、紫の外側にあって目に見えない輻射線、殺菌作用をもつが、肌を痛める長短所がある。有効に使えば、
心身ともに好いのだが、悪いイメージを植え付けられている。
 
印象操作は、毎回、都度、情報として流されれば正しいとイメージする。
誤解するもしないも本人の『知性』
その善し悪しを判断するには、情報を見聞きした本人のイメージ(印象)。
生成AIが持ち合わせた知識を更に掛け合わせて、独自にイメージを作る。
良い時もあれば悪い時もある、とする不完全さは人間と同じ危うさを持つ。
その不完全さは自由という性をもって完璧となっている。
何か重大な物事を変えるには、裏に裏をもって表とする。
敵の敵は味方としても、味方ではなく敵でもないとする。取り巻きは、
裏切られたとか、まさかとか不審にさいなまれる。
「信じるものは救われる」とか「信じるものは騙される」とかは、
自身次第の「覚悟」にある。
初心貫徹は難しく、そこら中の人々にある。
今、そのような曖昧さが社会に蔓延っている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昔出来なかったことができるようになる、進化

2025-06-19 | Weblog
もう一般的にも3Ð-プリンターがあることを知っている。
その科学技術は、本物と偽物を混同させる。いくらでも「騙せる」とする、
悪意で利用されれば、簡単に騙すことができる。見破るには、しっかりした検証をもって見破ることができるが、ある程度時間がかかる。それまでの間、翻弄されてしまうことになる。
瞬時として見分けるには、「知恵」をもってしてあれば適う。知恵とは道理に学んだ経験であるために、「即」を得る。禍にあれば瞬時避けることができる。「九死に一生を得る」のである。それは実に不思議なことである。
不思議とは、あれこれ議論することの要らない事。迷うことの無い事。そのために、即、行為の対応となり、救われるのである。だから不思議な事という。
道理は、その「道の理」と書いている。その道に学んだ経験が絶対となり、
一を知ることにより十を知れる不思議を得る。それを「道徳」という。
道理に学んだ経験が徳(恩恵)となるのである。誤ることは無いために、
直感として感受し、即正しい対応行為となる。これが知識との違いである。
知識は、他人の経験を正しいとして学んだものであるために、経験が誤っていたとしても分からない。自分がその知識を経験として学んでいくことによって、正負(正しいか否か)の判断が付く。その正負の判断が確かめられた時、知識は知恵に変わる。誤りのない判断となる。これが知識と知恵との最大の違いである。
知恵の身についた判断は、道理の判断であるために、誤りのない判断となってあらゆるものに対応となる。その眼差しで物事を見る。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

過ぎたるは・・

2025-06-18 | Weblog
G7サミットも終わり、米国大統領と会談できても、関税問題も何ら進展せず終了、はなから予想されていた通り、日本国、政治の資質のなさ更に露呈したと見る。
日本政府はタフだと揶揄され、しつこさも度を越しては逆になる。
言葉を選んで進展があるとするも、後退している一方。
日本国はただ遺憾の意を表明するだけの国、国民にやっているふりをするだけで、ただ時間ばかりが過ぎていく。すべからく「牛歩」の国、何をするにも遅すぎて、「過ぎたるは猶及ばざるが如し」、残念な国となった。
国として、「絶滅危惧種族」にある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カラクリ(計略)

2025-06-15 | Weblog
おもてに現れるニュースに翻弄されている人、「写し鏡」として自身を見る。
儲け話をする人は、本当に儲かることは他人に話さない。
その単純な心理を、欲が絡むと見抜けなくなる。
単純な仕掛けであるが見抜けない。それは自身に「慾」があるためで、慾に覆われた心には、簡単な仕掛けさえ見抜くことは難しい。よって騙される。
「写し鏡」は左右反転、それを理解してなければ、見た目で「錯」となる。
雲を離れた月は闇夜を照らす。
「カラクリ」=ちょっと見には分からない複雑な仕掛けによって内部から動きを操作する装置、普通では不可能と思われる事を、なんとかごまかして辻褄だけはうまく合わせておくやり方、と辞書にある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なぜ生きる?の答え

2025-06-14 | Weblog
なぜ生きる、何のために生きる?と問われて、
「魂の幸せ」の世界を創る為と答える。
人が生まれるのは、「死」ぬことを絶対条件としている。なぜ、必然死ぬのに生まれる必要があるのか?それは、
人の死が魂の真実の世界となるためである。
この世の「幸せ」ではない、あの世の「幸せ」の為であるということである。
それ故に、善い事をして天の国に縁を結ぶのである。善行善果は道理である。
縁で巡る「エネルギーの法則」であるから。
エネルギーの法則に善悪は無い。これは、善い事もないが悪い事も無い。
悪い事が無ければそれは善い事である。
故に善となって回る運動となっている。
これが生命エネルギーの法則である。回る、つまり「円運動」となっている
自由であるために、無くなることの無い法則となっている。円運動が「縁」となって繋がっていくのである。そのため、縁起の法則ともなっている。
 若い時にこそ、幻想が現実よりも本物であると知った人だけが、魂の真実の世界で生きていけるのである。人の生死、「生」が「死」を絶対条件としているのは、人に宿る魂に「死」が無いためである。
人としてこの世に生を受けて、善悪を覚り、生涯とするなら、死後、あの世は
幸福に満たされる。それが天国、極楽という世界である。
この世での幸せなど比でもない。あの世の為に人(魂)は生きているものである。魂は、人に宿り、人として生きるために人生というのである。だから、
人道的に生きる。道義に生きる。それこそ極楽への道である。
道義=人の踏み行うべき正しい道。
人道=人間として従い行うべき道。
人道的=博愛の精神にかない、人間的な暖かみが有る様子、と辞書にある。
もう一度言う、魂の真実の世界(あの世)を「幸せにする」ために、この世に
「生を受け」生きていくのである。この世に生まれると言う事はそう言う事である。この世の幸せを目的としているのではない、あの世の幸せを目的としているために、人(魂)はこの世を「仮の世」として修業としているのである。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする