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つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

腐敗社会

2025-06-01 | Weblog
自民党、どうしてもコメの値段を下げたくない。「国が儲けてどうする」と
発言した議員がいたが、その通り。自民党、国民を虐める党としか思えない。
本当のことを言っても批判される社会。狂ってきている。
「物は言いよう」として揶揄される、今の世の中、
悪い事は悪いと毅然としてあるべきと思われる。社会が狂ってきていることには確かにそう感じる。権力に忖度している事件が多くなっているのは、あきらかな浄化の現象である。巨大で有名な所が正しいとは限らない事の表れである。権力側が悪くあると正すのに時間がかかる。
法治国家である日本、名ばかりかと疑いたくなる事件が多い。検察、警察、
司法立法行政の乱れは、否応なく知れてくる今日この頃。
本日のテレビニュース、防犯カメラに映る泥棒行為、その犯行人物の映像をぼかしながら報道、おかしい?そのまま映せばすぐ捕まえることができるだろうに、と思うのだが、悪い事をしている人物に個人情報保護などいらないのではないのか?と思うのは私だけ?


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「無」、無いではない、無くならないとする「無」である

2025-06-01 | Weblog
神は完璧を作るが、作られた人間は「未完の大器」、大器晩成の性(さが)を有する。ある意味未完成の生成物、自由の性質である。
「未来」を未だ来ない、とするか未だ来るとするかは自分次第の自由。
現在は、常に「未だ来る」とする未来に変化している。だから、永遠である。
物理に縛られている我が身は、「未だ来ない」として現在に生きているために、
現在を幻想として生きる。事実が幻であるはずがない。だから幻想が本物であるとするなら、永遠の中に生きることになる。
人生100年として、ゴール(寿命)とするなら、その半分また半分としていつまで経っても半分のままで、ゴールにたどり着く事が無い。極めて0(ゴール)に近づくだけである。ゼロにはならない。円周率が果てしなく続くのとおなじように、「円」とは不思議なものである。ある時、自身の意識によって0を表す時がある。それを「自由」として完結するとき「真円」を見る。それは回転していながら、真円であるために静止状態となる。動きを感受するのは意識の自由度にある。
未完成であるとして生きる人生、生きがいは0「真円」で完結する。もう
輪廻する事が無い。

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思議の不要な事、必然

2025-06-01 | Weblog
自然の創造物、人間。つまり、人の創造主は自然である。
自然は、自らに然り(その通り)と示し申す。つまり人間の創造主、神である。
自然が神であり創造主であるために、生成された人間、それぞれを自分と言う。
自然から生まれ(分かれ)て、個となっての存在であるため、自分と言う。
だから、一人一人が創造主である。その意識によって、現象世界となっている。自分の意識の表れである。
自らその通りとしての世界が繰り広げられている。いや、
「私はそう思っていない」としているのは、意識の思い違いである。
不思議にも、深層心理の世界が繰り広げられるのは、自身の意識のそのものである。自分を自分が知らないように、不思議にも自身の意識の性質が現れている。
得てして、思うようにならないのは、心底思い違いの現象である。
意識を改めることである。
「倖せでありたい」と思うのなら、「慾」を捨て去ることにある。「慾」は煩悩、善いことは無い。欲望に「好い」は無い。煩悩であるために。それを心得て、「普通であればよい」とすることに倖せを感じるものである。
もし、幸せだけを享受したいと思うのは間違いである。なぜなら、この世は
相対しての存在であるためである。それは、幸せになりたければ、それ相応以上の不幸せも受けることになる。それが、山あり谷ありとしての波動となって自身に現れてくるのである。その覚悟があるなら望めばよい事、必然適うが、
どちらかに於いて死を受ける。それは不意に。
「極」と言うのは「対」してあるために一対と言う。極めて過酷にある。
喜びを極めても、苦しみを極めても、どちらにしても不意たる「死」を受ける。不思議なことである。


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情け無い国とは

2025-05-31 | Weblog
日本国、兵法を忘れ、兵糧攻め表面化、
農産物拡大輸入に見る招来。有事は起こらないとは限らないのが未来。
目先の利益に捉われて、隷属から奴隷になる危機を迎える。
「今だけ、金だけ、自分だけ」と言う拝金主義的政府、国民の生活が苦しくなっている元凶。
国民年金、40年払い続けて、受給額月にして6,9308円とあった。
これは生活保護費より低額とされる。その低年金者数、現在49万人ほどと推計されている。
決済は、ほぼ買い物は都度であり、水・光熱費など生活にかかる費用は月々である。そのほかに税金も取られる。にもかかわらず年金受給は偶数月ごとである。
日本国の生かさず殺さずの制度であり、して、生きていけずに死ぬ方が多いのは頷けることである。
制度があるだけでもありがたいと思えと言う上から目線。
生きているだけで金が掛かる。厭世観が募るのも分からないでもない。
なんとも、老いも若きも自殺者の多い国となっている。
総理と言う大臣、貴殿がその立場になったらどうでしょう?
人間何れは誰でも動けなくなっていく、その時の為として人道的に作られた制度、ほぼ意味をなさなくなっている。
世襲政治の闊歩の現れとも取れなくもない。



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違いの合わさり

2025-05-31 | Weblog
一月ほど話を飛ばす。
ロシアの口添えで拉致問題「風雲急を告げる」。
もちろん、現米国大統領も知る。時間は急ぎ足、命の終るまでにの道義的事象。
「世も捨てたものではない」と、存在するわけである。
これは、雄雌合わさって一つ、「対」となっている存在。
故に、生命は存続しているのである。
「違い」の合わさりである。
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この世に誕生

2025-05-31 | Weblog
知識は他人の経験に学んだこと。知恵は道理に学んだ自分の経験である。
それが‘コツ‘である。自身だけの‘コツ‘。この道理に学んだ経験は確かなものである。そのため、間違う事が無い。
1+1の計算が2となる体験を通じて、間違いの無い事と認識する。これが道理に学んだ経験である。自分の経験として知恵となっていく。
知の恵みとなるのである。
自転車を乗れるようになるには、体験しなければ乗れない。いくら頭で考えて理解しても乗れるものではない。体験(練習)してこそ乗れるようになる。そこに自身だけの‘コツ‘を覚えるためである。この‘コツ‘が知恵である。
知識は他人の経験であるために、教えられてもやがて忘れてしまう。自分の経験として学べば、一生涯忘れる事が無い。だから、長い間自転車に乗っていなくても、乗ればすぐに乗れるのである。
この経験は体験であるが、知恵となるために体験しない事でも理解できていく。だから、戦争を体験してなくても、戦争をしてはいけないと言う事が理解できていく。これは正しい理解であるために必然そうなる。
知恵は一を知ることにより十を知るに成る。
争う事はいけないことであるが、襲われたらどうか?矢庭に戦わなければならなくなる。それは正当な防衛である。
なにせ、この世は悪い奴もいるために、「でたらめな世」となっているのである。襲われたら戦う。抗う世(あらがうよ)として在る。
因みに、誕生の「誕」の文字、うまれる、でたらめ、と言う意味である。
 うまれる=誕生、降誕、生誕・でたらめ=虚誕、妄誕、荒誕、など。


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魂の世界、あの世

2025-05-31 | Weblog
世の中は悪い人もいれば善い人もいる。相対している世界である。
得てして悪いことは為し易く、善いことは為し難いのが人の世である。
だから、世の中、生き辛く、目を覆いたくなるような酷い事が起こる。
道理として、悪い事は悪い事に繋がり、悪い結果に落ち着く。
善い事は善いことに繋がり、善い結果に落ち着く。
見かけだけで判断すると騙される。悪い者は、善く見せて騙す。
一例、儲け話を持ち掛ける人がいる。心理として、本当に儲かることは他人には話さない。このことを肝に銘じておけば、うまい話には引っかからない。
上手い話には必ず裏がある、そう心得よ。心得ていても、慾があるため引っかかる。慾と言うのは煩悩である。戒めよ!騙されたなら、自身を悔やめ。
そのダメージから立ち直るには、自身が素直だったから、善き人だったからと思う事にある。この世では、善い人でも悪い事に出遭い、悪い人でも好い事に出会う。それでも、終には、善い者には好い事が、悪い者には悪い事が起こるのである。あの世と言う絶対世界で。魂には死が無いためである。
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手助け

2025-05-30 | Weblog
シナリオ=劇の筋書き、と辞書にある。
先進国のシナリオ(思惑)通りにいくかどうか?
全く、未来とは不定である。
未知たる世界にシナリオを描いても
はたして?
一私人となった安倍昭恵さん、
ロシアのプーチン大統領と昨日面会と報道された。
当然、手の込んだシナリオと見て取れる。
普通に報道されたと言う事の、裏と表のカラクリである。


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変わり時迫る

2025-05-30 | Weblog
石破政権、衆院解散の道を歩む。否応なくそうなっていく。が、ここで人気取りの策に出て、小泉氏を農相に起用、コメ高騰問題の終息を図る。も、古いコメが故に、味も香りも落ちる。なのに1800円代として出すのはやはり高過ぎる昨年コメ新米5キロは2,000円代、備蓄米は古古古米、これから出すのは更なる古米、それこそ飼料米に値する。いくら冷凍保存でも5年が限度である。在庫処分と言われても仕方ないのは当然である。動物の餌となると言って批判された議員がいたが、事実は事実。本当の事を知らせるに、叱られる世の中である。まぁ~オブラートに包んだ言い方をするのは忖度。
ともあれ各メデア、古米を美味しく食べるにはと、あれこれと指南、
何ともいたいけに擁護。
十人十色の世の中だから、どこかに線を引いても一長一短となる。厚顔でなければ政治家は務まらないと言われても、無知であってはそれこそ務まらない。
父方である小泉氏、以前「自民党をぶっ壊す」と言って総理になったが、
これから先、息子によって本当にその言葉通りになっていく。いっとき、好感度上がれど奈落の底に。
衆参同時選挙の結末、自民消滅、その現実ジリジリと近づく。
世界が揺るぎ変わる時、日本も変り時。








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自然の割合

2025-05-29 | Weblog
トランプ大統領、ビジネスマンとしても成功している人である。
馬鹿ではなれない。
人、10人いれば5人は好き、5人は嫌いと分かれる。
全員一致と言うのは難しくある。道理は中庸にあるが、均等割は必ずしも半々と言う事でもない。2対8が程度を保つ。正常(普通)は数字の在り方の傾きに由る。どちらに傾くか、である。右か左か、前か後か、上か下かのどちらに
2と8が現れるかである。因みに1と9,3と7,4と6では普通にはいかない。
「特に」と言う偏向となり、それなりの長短を表すに至る。
ただ、どちらにしても少数を侮ってはいけない。注意である。
批判するもの、多くは批判されるものにある。
「人間万事塞翁が馬」としてあれば、自身の善し悪しが知れてくる。
自分が、自身を知りたければ、「心得るべき」ことである。




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