様々に不祥事が露呈して、正義と思われていたところがひっくり返る。
世の中はまさに‘でたらめ‘だったことが明らかになっている。
たとえば、警察の不祥事、検察の不祥事、教育者の不祥事、政治家の不祥事・・・挙げれば数えきれないほどの乱れ様。
これからは、もっとすごい‘でたらめ‘が暴露されてくる。
本当に驚くと思われるが、これから起こる事象は真実である。隠しようのない事実となる。ここまでたどり着くのは奇跡と思われるほどである。なぜなら、
悪の権力にあるものの支配というのは、一筋縄ではいかないことであるためである。だがしかし、「存在する」というのは、秩序正しくあっての事、秩序乱れては、長くはもたないのが道理である。そのため、起伏激しく入れ替わる。それが、「栄枯盛衰」という形で表される。この世界の存在は、巡りゆくエネルギーの存在である。それには、「変化」を伴う。この変化は、地球の一日を通しても知る事ができる。一日という時間の流れは、必然「一旦」という間を置いて流れていく。一旦ゼロに戻り、ゼロからまた始まる。私達はこの流れに従っての存在である。動きの無い処には変化はない。ゼロは瞬時、ゼロの間である。空間の中に時間は無い。それをどう表現したらわかりやすいのかと言えば、例えば、テレビ画面の画像の流れが適当と思われる。次から次と入れ替わる。これは譬えの表現である。
生命エネルギーである私達は、この流れの存在であるが、根本精神エネルギーという存在エネルギー、そのため、無くなることの無いエネルギーとなっている。物理的存在から離れている。それを「魂」という。物理的存在に宿ることによってのみ、磨かれていくエネルギーである。
それを「精げる」という。だから「精神」として、物理的肉体の中に神経を隈なく張り巡らしてそれを通して、三次元(物理的)の感覚、感触を記憶とし
エネルギーとして成長する。
回る変化を正しく捉えて対応していけば、曇りのない澄んだきれいなエネルギーとなっていく。それが浄化である。円運動の法則というのは、動く事によって垢が付き、曇って輝きを失うために、一旦ゼロに戻しきれいにしていく。
浄化の法則でもある。繋がっていくために永遠となっている。無くなることの無い法則となっているのである。これが唯一無二たる法則である。これを、「百千万劫難遭遇」と言う。宇宙のすべての存在の法則である。
故に、「是諸法」と表す。
「是」とは、日が正しいと書いている。つまり、太陽の回りがこの宇宙のすべての動きを表しているのである。地球で言えば、特に日本で言えば、東から登り西に沈んでいく様が、絶対法則である。宇宙の隅々までこの法則で動いているのである。この絶対世界が魂の本当の世界となっている。だから、
あの世は、絶対世界であり、作られたら変わることの無い世界となっている。
一切反応を示さない世界である。この世は必然の世界であり、絶対と言うことは無い。そのため、この世で「絶対そんなことは無い」などと言っても、
絶対と言うほど外れてしまう。この世では「必然〇〇」と言う言い方で的を得ることになる。不思議なことである。