38歳からの百姓志願~実践編。

霊峰・石鎚を仰ぎ、瀬戸内の陽光を望む愛媛県西条市、「有機菜園 藤田家族」無農薬・無化学肥料の野菜と暮らし。

初売り、そして新年会。

2011年01月02日 | 農と暮らしの日記
薫の実家から歩いて15分ほど、靴の量販店。
シューズ愛ランド。名前がすごい。渚と一緒にランニングを兼ねて。僕は普段ばきの靴が欲しくて、本当は大阪に履いて帰るのがなくて西条で買うつもりだったのに時間切れ、やむなく大阪には適当なのを履いて帰り、初売りで買うことにした次第。前のニューバランスが履きやすかったので同じメーカーのを探し、5475円のを購入。帰りも渚はノンストップで走り、僕は息が切れた。例年はこの近くのユニクロでも買い物するのだけど、今年はとくに買うものがなくパス。

正月2日、気温は上がり、天気もいい。
朝:ごはんのあと、ちょっと寒いので銭湯に行くのはあっさりやめて家で初風呂。
午前:テレビは箱根駅伝。往路は5区の登りで柏原が執念の走りを見せて東洋大が制覇。今季3冠を狙う早稲田は2位。
午後:薫と真は浜寺公園。渚と僕は上記の靴屋さん買い物ランニング。
夕方:16時頃から、これも毎年恒例の新年会。薫の母方の姉妹弟家族(おじさんおばさんがた、薫の従弟妹たち、その子どもら)がおばあちゃんを囲んで、鍋も囲んで。最近は毎年しゃぶしゃぶ。白菜、水菜、大根などの野菜は藤田家族の菜園から。薫の従妹の旦那さん(板前さん)が今年は風邪でダウン、一緒に飲めなかったのが残念。渚も真もここに来るとお姉ちゃん、お兄ちゃん。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

卯年元日、銭湯歴を思う。

2011年01月01日 | 農と暮らしの日記
薫の実家近くの銭湯、年末年始の営業予定。
元日は家の風呂を沸かすのを休むから初湯は2日、そこで銭湯に来ようかと予定を見に行った。

子どもの頃、うちは正月どうしてたかな。忘れてしまった。
我が家はずっと借家で風呂がなく、僕が中1のときまで銭湯だった。高校を出て東京でアパート暮らしするようになって再び銭湯通い。25歳で結婚するまで風呂なしアパートを渡り歩いたから、12年+7年=19年の銭湯歴がある。

いい機会なので(?)振り返ってみると。
子どもの頃は北ノ丁の福長湯。自転車で数分。ほぼ一日おきに通っていた。子どもは40円だったかな。夕方に行くときは父と、晩ごはんのあとは母と。日曜にこれも北ノ丁、踏切際の散髪屋さん「たまだ」に行ったあとは昼の2時か3時頃に営業開始を待ち兼ねるように(というか暖簾がかかる前に中に入れてもらって)一番の湯を使わせてもらったものだ。この頃、シャンプーというものを使うようになった。というのはたぶん、サンスターの「トニックシャンプー」に当時大流行した「スーパーカー」のポスターがおまけについたから。いや、その前にウルトラセブンのフィギュアに入ったシャンプーがあったかな。

東京に出てからも銭湯通い。
最初の府中市白糸台ではたしか「玉の湯」。洗い場のお湯が熱くて熱湯消毒してるみたいだったのも懐かしい。1年で引っ越した渋谷区笹塚では観音通り商店街を過ぎて世田谷区に入ったところの銭湯、名前は忘れた。コインランドリーに洗濯ものを入れて回し、時間に合わせて急いでお湯を出てきたものだ。帰りに道すがらのお弁当屋さんに寄り、コロッケ弁当みたいなのを詰めてもらうことも多く、ここでは、巻きずし1パックなんかをそっと一緒に袋に入れてくれたことがたまにあった。なんだか昔の「貧乏学生」みたいだけど。「昭和」の最後だ。

20歳を過ぎ、2年住んだその時のアパートは取り壊された。
それで同じ渋谷区の富ヶ谷に移った。最寄りは小田急線の代々木八幡または地下鉄の代々木公園、6畳ひと間はひとり暮らし史上最も狭い部屋だったけれど、魅力は「銭湯つき」で、つまり路地を挟んだ向かいの大家さんが風呂屋さんだった。大学を卒業し、千代田線や銀座線で会社勤めをするようになってからもそのまま住んで通算4年。終電近くで帰って来てすべり込んでも、明かりが消えて掃除が始まるのを横目に使わせてもらったのも有り難い思い出。この「小泉湯」もいまはもうなく、マンションになった。

アパート遍歴も、不動産屋さん、大家さんも含めて振り返るとおもしろそう。
またの機会に。



2011年、元日。新年おめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
朝:7時頃かな、起床。8時頃から年始の朝の食卓。お屠蘇、お雑煮、おせちを頂く。
午前:年賀状を書きながらテレビで実業団駅伝を少し見てから、毎年恒例、近所の助松神社で初詣。
午後:真と近くの公園に行き、だけどボールがないから手袋を丸めてキャッチボール。
そのあと、どこかにボールが落ちてないかなぁと探しながら小さな川沿いを歩いて帰る。年ごとに田んぼがますます減り、住宅が増えている。

夕方:今度は渚と出て、近所の散歩。
家電量販店(デジカメの電池購入)、さらにTSUTAYAと歩く。渚は嵐やKARAとかのCDを見て、僕は「お父さんも6年生くらいの時からラジオで音楽聴き始めたんよ。渚も大人になったら子どもに、お母さんの6年生の頃は嵐とかKARAとか少女時代とか……」とか言ってたらちょうど、店のBGMでその頃の雅夢「愛はかげろう」とか八神純子「水色の雨」とかがかかって「おー、これこれ」とひとり盛り上がったけど渚は「あ、そ」って感じでとっとと歩いてった。

晩ごはんはこれも恒例、手巻き寿司。
食後はまたテレビで、今夜は渚の希望で嵐のSP、ゲストにネプチューン。家族みんなこんなの見るのは年に一度きり。ばかばかしいけど、嵐もネプチューンもやっぱり売れてるだけある。プロですね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする