38歳からの百姓志願~実践編。

霊峰・石鎚を仰ぎ、瀬戸内の陽光を望む愛媛県西条市、「有機菜園 藤田家族」無農薬・無化学肥料の野菜と暮らし。

乾いた晴天、人参の草とり。

2011年09月07日 | 農と暮らしの日記
昨日の日記は今日の日記のあとで書いておきます。
まずは今日の記録から。

8月19日に播いた人参の最初の草取りを一気にやってしまった。
朝7時半過ぎから13時半過ぎまで6時間ぶっ続けで、途中3時間ほどは薫も参加、のべ200m分が済んで、写真の通りすっきり。ここの人参は主に年明けから収穫・出荷の予定だったけれど、その前の作付けが不調なので年内の小さめから前倒し出荷になりそう。



水曜、セット出荷のない曜日。乾いた晴天、30℃あったかどうか、湿度も30℃くらいとか。
午前:上記の人参草とり。
午後:遅昼のあと、胡瓜の支柱と網の片付け半分ほど。オクラの収穫、さつま芋の収穫、帰りに冒頭の畑に寄って、草とりの終わった畝に三角ホーを走らせて中耕・土寄せ。
夜:19時過ぎから晩ごはん。



畑しごとのイヤホンではたいていNHK第一放送のラジオ。
それでニュースを聞いていて気になったのが「おそれ」という言葉だ。東北の震災の報道の時からどうしても違和感があったのだけれど、このたびの台風被害でまたこれを聞いて、我慢ができない。というのは、死者・行方不明者の数が○○を超える「おそれ」が出てきた、あるいはその「おそれ」がなくなった、という表現。台風が上陸するおそれとか、今後ますます新たに被害が発生するおそれとかならわかるのだけれど、すでに起きてしまっていることについて、その数とか何とか明らかになっていないものが明らかになるというだけの時にこの「おそれ」を使われると、とても違和感がある。もう起きてしまったのだから、それを「おそれ」ているのは統計を取っている役所だけじゃないかと思う。「可能性」という言葉が脳天気な感じがするから否定的な文脈では「おそれ」に言い換えるという原稿作成のルールなのだろうけど。

それと違う話だけれど、やはりニュースのことだから書くと。
今日の愛媛県のニュースで、交通事故の死者数が今年60人になったということで。県警は今年の交通事故死者数を60人以下(か未満だったか)にする目標を立てていたらしく、そういう目標設定はよいことだと僕は思うけれど、今日起きた交通死亡事故のニュースの最後に、「これで県警が目標にしていた60人を超えてしまいました」という趣旨のことは、やはりその個別のニュースとは分けて、月末とか、別の機会に報じてほしかったと思う。これは去年だか一昨年だかの「80人」の時にも思ったことで、人の命は60人以下だろうが何だろうが、ひとりの命が失われたということについての思慮がなさすぎると思う。僕たちは警察の目標のために交通安全してるわけじゃないので。

いずれも、読んでいるアナウンサーの人はたぶん自分で気持ち悪い気がしているはずだ。
それを、原稿を作っている人に言わなければ。現場が言わなければ。
コメント (4)
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