38歳からの百姓志願~実践編。

霊峰・石鎚を仰ぎ、瀬戸内の陽光を望む愛媛県西条市、「有機菜園 藤田家族」無農薬・無化学肥料の野菜と暮らし。

たぶん豊かな、菜園の食卓。

2010年11月27日 | 農と暮らしの日記
鋭意収穫中の秋じゃが、これはデジマ。
左の特大のは主に保育園の給食用に、右のは野菜セット用。これより小さいものは来春の種芋と、ときどき野菜セットに「コロコロ芋」で入れる用に。掘る時に誤って鍬で傷つけてしまったものは藤田家族の食卓に。青物の売れ残りやB品だけでも溢れかえっている台所に、この季節からは人参やじゃが芋も加わる。ま、こういうのが「豊か」ということですね。



土曜、気持ちよい晩秋の青空。
朝:保育園納品、スーパー出荷。
午前:昨日片付けた大豆の畑で枯れ葉・枯れ枝や草を焼く。薫はバレーの当番。
午後:昼食後に机しごとを少ししたあと、14時半から小松に用事があって出かけ、17時半頃戻り。納屋の片付けなどしてあがり。

晩ごはんはお好み焼き。
貴重なこの冬のキャベツを使用。この冬あと何度かお好み焼きをすると思うけど、あとはたぶんキャベツの代わりに白菜になる見込み。僕はこの「白菜焼き」も好き。白菜焼きそば、白菜スパゲティもいい。年末年始にひとりの時は、鍋のあとに白菜を残しておいて中華麺を投入。白菜はこの冬、たくさんあります。キムチ漬け用などに単品でもお分けします。200円/kg。お声かけください。



昨夜の小学校人権・同和教育学習会
そのなかで6年生の社会科の教科書に触れられ、「百姓」という言葉は差別用語ではなく、農だけでなくいろいろな仕事に携わりながら暮らすことの表現であるから「農民」という言葉に置き換えることはできないというような話があった。その通りだと思う。このことは、このあいだから頭を悩ませている「TPP」(環太平洋パートナーシップ)を考える際にも重要な視点だと考えている。なかなか考えをまとめて書くことができずにいるけれど、「農業を守る」とか「農業の再生」とかいう時に、イメージされる「農」の姿とかその方向性は国民一人一人で大きく異なる気がする。

いま思うのは、「農業を守る」という言葉の認識の「ずれ」だ。
農業を守るというのはけっして「農業に携わる者を守る」ことではなく、むしろ「農業に携わっていない人の、農に関する権利を守る」ものだということだ。農民作家?の山下惣一さんは、農業問題っていうけど、百姓は困ってないぞ、農業が廃れて困るのは都市生活者だ!というような趣旨のことを言っていたと思う。物事には両面あって、やっぱり農業者も困るとは思うが、少なくとも、商工業を重視して農業を軽視したら都市は栄えて農村は廃れる、というようなものではないだろうと、なんだかそんなことしか頭の中でまとまらない。
コメント
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