唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

第三能変 煩悩の心所 諸門分別 (75) 第七、三界分別門 (12)

2015-03-29 22:48:05 | 第三能変 諸門分別第七 三界分別門
 4月8日は灌仏会(降誕会・誕生会)
  「4月には灌仏会があります。灌仏会というと、耳慣れない言葉だなあと思われる方もおられるでしょうが、花まつりというと、なんだそのことかということになると思います。
 今から約2500年前の4月8日に北インドのルンビニーの花園でかわいい赤ちゃんが生まれました。その赤ちゃんがのちのお釈迦さまです。お釈迦さまの誕生のとき、様々な珍しいことが起こったそうです。花園の花は、かぐわしい香りを放ち、甘く心地よい雨が降り注いだそうです。
 そして、生まれてすぐに7歩歩んで、天と地を指差して、
 「天上天下唯我独尊」
 と言われました。このお話を元にして、毎年4月には、お釈迦さまのお誕生仏に甘茶をかけたり、白い像に花御堂をつけて町の中を行進したり、各地で花まつりの行事が行われます。
 しかし、そのような行事をしていても、不思議なことに浄土真宗のお寺の本堂にはお釈迦さまのお姿が見当たりません。皆様方のお仏壇にも見当たらないと思います。
 それでは、浄土真宗では仏教を説いて下さったお釈迦さまをないがしろにしているのかというと、そうではありません。お正信偈をいただきますと
 「如来世に興出したまう所以は、ただ弥陀の本願海を説かんとなり」 とうたわれております。
 この如来というのは、お釈迦さまのことです。お釈迦さまがこの世にお出まし下さったのは、阿弥陀如来さまの御本願を私に知らせようとして下さったからなのです。
 それは、私からすると、なんとしてでもあなたを救うという阿弥陀如来さまが、そのことを知らさんがために、お釈迦さまになられて、御本願を説いて下さったということなのです。ということは、お釈迦さまとは、阿弥陀如来さまがこの私にわかるように姿を表して下さった仏さまなのです。
 ですから、阿弥陀如来さまと別にお釈迦さまを拝むことはいらないのです。しかし、お釈迦さまがこの世にお出まし下さったから、今私は、お念仏に出遇うことが出来ました。お誕生ありがとうございますとお勤めするのが灌仏会です。
    聞法(1991(平成3)年7月13日発行)』(著者 : 義本 弘導)より」


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 「下地の煩悩は亦上地をも縁ず」という一段ですが、『瑜伽論』巻第六十二の所論から、『論』のいは「欲界繋の貪いい上地の生を求めて、上定を味(ミ)すと説けるが故に」
 『述記』によりますと、①に、勝定を味するに由る。 ②に、(上地の)生を求めるに由る。という二つの理由を挙げています。
 上定(ジョウジョウ)は勝定(ショウジョウ)と同じ意味になります。色界と無色界での汚れのない禅定のこと。等持(トウジ)・等至(トウシ)のこと。等は等しいということ、平等を表しますから、そこに至る、定の力に依って身心が等しく安和な状態に至ることを指します。また等持は、平等摂持と意訳され、三摩地という心一境性ですが、簡単に言えば「定」のことです。
 味は、「著」とも書かれていますから、執着すること、染著・貪著することを意味します。つまり、むさぼりのことですね。下地の煩悩が、上地の生を求めてむさぼることは、下地の貪が上地を認識する根拠になると云うのですね。
 『瑜伽論』には、五種の上地を愛味することが説かれていますが、列挙しますと、
 「五種の愛の上に縁ずることを説くは、謂ゆる」
 ① 「或は等至を証得して、出已って計して清浄にして、可欣(カゴン・望ましいこと)・可楽(カギョウ・望ましいこと)なり。可愛(カアイ・愛すべきこと・可意(カイ・如意のことなりと随念し愛味し)」(等至を証得し、そこから出終わって、清浄である、可欣だる、可楽である、可愛である、可意であると随念して愛味(執着・貪著)を起こす。)
 ② 「或は未だ証得せず、未来の愛味の増上力の故に追及欣楽(ツイグゴンギョウ)して愛味を生じ」(いまだ等至を証得していないが、未来の愛味の増上力によって追い求め欣楽(求めること)して愛味を生じる。)
 ③ 「或は已に証得し、未来の愛味の増上力の故に追及欣楽(ツイグゴンギョウ)して愛味を生じ」(すでに等至を証得して、未来の愛味の増上力によって追い求め欣楽(求めること)して愛味を生じる。) 
 ④ 「或は已に証得し、計して清浄なり、可欣なりと為し、乃至広説するは現に愛味を行ず。(等至を既に証得して、これに対して清浄である、可欣である、と考えて、愛味を現行させる。
 ⑤ 「若し、定より出て愛味を生ずべし。」(定より出て愛味を生じる。)
 法相唯識では、本科段の分科を、「欲界繋の貪は上地の生を求めて」と「欲界繋の貪は上地を味する」という二つの意味があるとし、広く「生を求める」惣縁と、「上地を味する」という、狭義の意味での別縁となるとし。、惣縁の貪と、別縁の貪があるという解釈をしています。

大坂坊主BAR staff 日誌 (8)

2015-03-29 20:34:03 | 大坂坊主BAR staff 日誌

        
 時の移ろいは早いものですね。暑さ寒さも彼岸まで、と詠われていますが、お彼岸を過ぎると一気に桜の開花となりました。今週一週間どうかなと思いますが、桜を過ぎた頃に、お釈迦様の誕生会を迎えます。「天上天下唯我独尊」と、自分一人が尊いというのではなく、お一人お一人が尊いいのちを授かって生まれてきたということですね。それを独尊子と云われているのでしょう。
 昨日は、お釈迦様の誕生会(降誕会・灌仏会)の意味についてお話をさせていただきました。その前に医大生が見えておられましたので、仏教と医療の関わりについて、これは五明処の中で明らかにされていることなのですが、菩薩が正しい教えを求める時に、修めなければならないとされた学道なんですね。それには五つの領域があって、内明処(仏教)・因明処(論理学)・声明処(文法学)・医方明処(医学)・工業明処(世間の営み)という人間の営みにとっての重要課題を担って菩薩は修行に勤められたのですね。人々の病苦を治することも菩薩の大きな課題でした。現在で云えば、ターミナルケア&グリーフケアについて話させていただいている中で、老・病・死を受け入れていく医療の在り方が現在問われていることではないのでしょうか、ということを問題提起させていただきました。
 唐招提寺を開かれた律僧の鑑真和上は渡来の際には何百種類という薬草をもたらされたと云われています。当然、病気を治することも大事であったでしょうが、病に伴う苦の除去が最大の目的ではなかったのでしょうか。
 (歴史的には、医療施設として、聖徳太子が隋にならい、大阪の四天王寺に四箇院の一つとして建てられたのが日本での最初とする伝承があります。(四箇院とは悲田院に敬田院・施薬院・療病院を合せたものである)。中国では唐代に設置されたものが、日本同様に社会福祉のはしりとして紹介される場合がある(収容型施設のはしりであることには間違いない)。日本では養老7年(723年)、皇太子妃時代の光明皇后が興福寺に施薬院と悲田院を設置したとの記録があり(『扶桑略記』同年条)、これが記録上最古のものである。医療ボランテイア・社会福祉施設・ビハーラはもともと仏教の慈悲の精神から生まれたもので、菩薩(僧侶)は当然関わっていかなければならない重要課題であった事には間違いありませんね。)

 追記
 「云何が医方明処なる、まさに知るべし、此の明に略して四種ありと、謂く病相に於いて善巧なり、病因に於いて善巧なり、已生の病断滅するに於いて善巧なり、已断の病後に更に生ぜざる方便において善巧なるなり。是の如きの善巧、疲労義を分別すること経の如く応に知るべし。」(『瑜伽論』巻第十五)
 「「医者がまず最初に病気の治療に入ったなら,病気自体が何であるかを考える.その後に
食べ物など,病気の原因が何から生じたかという病気の基体を考える.それから,その病
気は治療してよいものなのか,しなくてもよいものなのか,また病気がない[状態はもと
もとどうだったのか]を考える.そのあとにその病気[に効く]薬は何かと薬について考
える.・・・引き続いて医者を医王に譬え,仏陀もまた無上の医者であることを説く.
「たとえば,四支分をそなえた医者は一切の痛みを除く王にふさわしく,王の名誉をそな
えており,医王に数えられるものである.四支分とは何かといえば,疾病(gnod)に対し
て精通していること(mkhas pa),疾病の原因に対して精通していること,疾病が断じら
れている[状態]に対して精通していること,疾病を断じてからあとにもう生じないとい
うことに対して精通していることである.以上のような四支分をそなえた如来・阿羅漢・
正等覚の仏陀もまた,無上の医者であり,一切の痛みを除くものといわれる」(76b1-4)
ここに見られる四支分は,『喩伽論』十五「医方明処を釈す」で,医学とは何か
について説く際の,四種の定義に基づいていると考えられる。」(「印度仏教学研究第49巻第2号。」『義決択註』より引用)