唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

随煩悩のまとめーその(8)界分別について・三界繋縛門

2010-03-08 23:51:17 | 心の構造について

 親鸞聖人は「信」の徳として「不断煩悩得涅槃」と示してくださいました。『註論』に曰わく、「荘厳清浄功徳成就」とは、「偈」に「観彼世界相 勝過三界道故」と言えり。これいかんが不思議なるや。凡夫人、煩悩成就せるありて、またかの浄土に生まるることを得んに、三界の繫業畢竟じて牽かず。すなわちこれ煩悩を断ぜずして涅槃分を得。いずくんぞ思議すべきや、と。(真聖P314「真仏土巻」)煩悩成就の凡夫が信心を獲得しますと、その生活は往生浄土の道に転じるわけです。「得涅槃」とですね。そうとしましたら涅槃の一分をいただいての生活はどのような生き様になるのでしょうか。このことに思いをはせますと『論』に「界分別」が説かれることにもう少し問いを深めていきたいと思いました。どうも昨日までの書き込みでは納得いかないものがありましので、「界分別」については『論』と『述記』により考察をしたいと思います。

 界門(三界分別門)

「小七・中ニ唯欲界摂。誑・諂。欲・色。余通三界」

 「述曰。第九界門。子門。有三。一界有摂。小七・中ニ如前。唯欲界摂。唯発悪行。唯麤鄙故。諂・誑欲色有。・・・余通三界謂憍及後八。唯縁自起等。遍諸染心」

 界門に三有りといわれます。(1)三界に摂む門。(2)上下相起門。(3)上下相縁門。

 三界分別門は随煩悩が(1)三界(欲界・色界・無色界)の何処に存在するのか、(2)三界の下地にいる者が上地の随煩悩を起こすことがあるのか、その反対もあります。(3)下地の随煩悩が上地の随煩悩を認識することがあるのか、どうか。その反対もあるわけです。

 ここはその(1)三界繋属門になります。

  • 小随煩悩の七とは忿・恨・覆・悩・嫉・慳・害です。そして中随煩悩のニ、即ち無慚愧です。この随煩悩はただ欲界にのみ有るといわれています。小随の諂・誑・憍と大随煩悩の八すべてが欲界と色界に存在するといわれます。その中、憍と大随煩悩の八すべてが三界に存在するというのですね。
  • 欲界ーすべての随煩悩が相応
  • 色界ー諂・誑・憍と大随煩悩の八すべてが相応
  • 無色界ー憍と大随煩悩の八すべてが相応
  • 色界とは欲界の上にある天界で、欲界の穢れを離れ、物質的なものがすべて清浄である世界。初禅・第ニ禅・第三禅・第四禅の四天に分かれているといわれ、諂・誑の小随は色界の初禅までといわれています。