晋ちゃんの気ままな散歩道

あっちこっち横道にそれたり休んだりしながら気ままに散歩しています。

美しく青きドナウの船旅(6)

2008-11-16 09:47:32 | 海外旅行
 
午後2時30分からは船内の娯楽室で各グループに分かれて自己紹介。
福岡から2組(大宰府、大野城)、名古屋から母子1組、阪神から2組(高槻、明石)、トイレがあればすぐ入り、椅子があればすぐ座る老女と全財産を持ち歩いている足の不自由な老女の1人旅2名。
私達を含めて関西から来たのはこの12名。
自己紹介が終わったあとドイツ語の勉強会の予定であったが水深が浅く船が出港できないので自由行動でエステルゴムの街の方へ行ってもよいことになったので地図を貰って3時過ぎから出かけた。


船が停泊しているすぐ前にあるマーリア・ヴァレーリア橋。
この橋を渡った向こうはスロバキア、チェコスロバキアから分離独立した当初はハンガリーからの行き来も厳しかったようだ。
地図を見るとこの橋を渡らないで反対側に行けばエステルゴムの街のようだ。

 
駐車場に沢山車が並んでいる綺麗な工場、ドナウ・キシュ(ドナウ運河の支流)の橋からは綺麗に紅葉した風景写真を撮ったりしながら市街地の方へ向かった。
思ったより遠く、とても4時半までに往復して帰れそうにない。


途中のバスターミナルにあるスーパーの入り口で買い物をして出てきた中澤さん夫妻に出会った。
中澤さん達を見送ってスーパーに入ったが日用品が殆どなので5分ほどで店を出て引き返すことにした。
中澤さんたちが戻っていった方向を見ていたので何も考えることなくその方へ向かって歩いた。
しばらく歩いていたらカミサンが来た時と景色が違うと言い出した。
確かに来る時に気が付きそうな、写真に撮りたくなるような景色があったが来る時とは逆の方向に歩いているのだから景色が違うのだとそのまま歩いていると前からスーパーの前で別れた中澤夫妻が急ぎ足で戻ってくるのが見えた。
何か忘れ物でもしたのかと思っていたら道を間違えたらしいという。
そばに買い物袋を提げた地元ハンガリーの婦人が付き添って道案内をしてくれていることが分った。
これは大変だと一緒について行くことにしたが細い裏道へ入って行くので4時半までに船に戻れるのか心配になって来た。



地元の人はハンガリー語を使い英語、ドイツ語、フランス語、ロシア語(どれも使えないが)どれも通じないと添乗員に聞いていたので地図を見せてついて行くしかない。
言葉にマーリア・ヴァレーリアと云うのが聞き取れるので方向は分っているとは思うのだが心配だ。
4時半に近づき焦りだした頃見覚えのある景色が出てきた。


その方向へ歩いて行くと、行く時写真に撮った運河(ドナウ・キシュ)に行き着いた。
運河を渡ってさらに進むと元の広い道に出てマーリア・ヴァレーリア橋が見えた。
これで大丈夫だ、買い物帰りに親切にここまで近道を通って送ってくれたハンガリーのお母さんに感謝、感謝、ありがとう、サンキュー、謝謝、メルシー、ダンケシェーンどれも通じないのかな。
中澤さんの奥さんがスーパーで買ったチョコレートと何かをお礼に渡そうとするが中々受け取ってくれなかったが最後に少し受け取ってくれたそうだ。
ヨーロッパでは郊外に出ると交差点は少なくロータリーになっている、信号機は無く車は右側通行で右折、右折で左折は無い。
私達が間違えたロータリーは6差路になっていて、初めての場所でロータリーに沿って横断歩道を渡っているうちに最初に自分が通って来た道がどれかわからなくなってしまったのだ。


時間ギリギリやっと船に戻れた。
後で判ったことだが船を下りて街中まで出かけたのは私達と中澤さん達だけで他の人たちはドイツ語の勉強をしていたそうだ。
18時30分から船長主催の歓迎パーティー、盛装して3階の展望ラウンジへ、そのあと19時から夕食、中澤さんと迷子になった話で終始する。


今日は私の誕生日、誕生祝のケーキとワインが来た。
ケーキとワインを隣のテーブルの人におすそ分けしようとしたが同じテーブルの人はいいが隣のテーブルの人にまで分けるのはだめだといわれた。
中澤さんの奥さんには今日の迷子事件が一生忘れることのない誕生日の最高の贈り物だといわれた。
部屋に戻り、写真を整理し、シャワーを浴びて10時過ぎ就寝。
船は17時にエステルゴムを出港、次の寄港地スロバキアのプラチスラバに向けて航行中。



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美しく青きドナウの船旅(7)

2008-11-16 09:47:14 | 海外旅行
11月13日(日)曇り
6時起床、船はまだ航行中、川幅が広くなって幾つもの大きな鉄橋の下を通過して行く、よく見ると橋の下に船舶用の信号灯が付いていて右側通行になっている。
6時30分プラチスラバに到着、7時15分上甲板でラジオ体操、ウォーキング。


朝食のあと9時過ぎから下船してプラチスラバ市内の観光に出発。
堤防を上がったすぐ前が町の中心部で大きな電車通りになっている。




昔からの住居地区旧市街と新市街の分かれ道。


この階段を上ると新市街の方へ行く。

 
私達はシットリと石畳の引かれた旧市街の方へ行く、両側は商店だが日曜日のため全てお休み。
ここでも建物に落書きがしてある。


 
                           むかし皇帝が歩く道を示した道標である。 

 
この建物はモーツアルトが6歳のとき始めてピアノコンサートをした場所。
中澤さんの奥さんが見ているのがこの案内板、2006年が生誕250年でこの時は生誕249年であった。

 
細い道を入って行くと大勢の人が集まっている。
日曜日なのでみなが教会へ礼拝に来ているのだ。
丁度礼拝が終わって教会から人が次々と出てきた、久し振りに会ったのか抱き合ったり、頬ずりをしている。
宗派によって礼拝に行く教会が違うらしい、礼拝が終わったら中へ入れるというので入ってみた。
教会横の小さな広場では大きなモミの木を植えて早くもクリスマスの準備が始まっている。

 
この建物はプラチスラヴァの市庁舎だそうだが今日は日曜日でお休み。
ここの建物には屋根の上にいろんな飾りが付いている。

 
すぐ近くに日本国大使館がある。
1階は商店で2階正面の壁にに菊の紋章が付いていて日の丸の旗が出ている。
隣がギリシャの大使館で、広場の向かい側にはフランスの大使館もある。

 
大使館前の広場ではクリスマスの準備が始まっている。  ラコステのお店。


商店が休みなので繁華街にあるスーパーへ買い物に行くことにした。
プラチスラヴァの路面電車の案内板が見える。




スーパーの前は路面電車が左右から曲がって来る。
いろんな電車が次々来るので楽しくなって線路をまたいで写真を撮っていたらうしろの方から曲がってきた電車に気付かず危うく轢死しそうになった。
これ以来添乗員は私から目を離さなくなった。
スーパーではたまねぎ、ジャガイモ、パプリカ、ズッキーニ、白菜、キャベツ、ニンジン、しいたけ、トマト、ザクロなどの野菜を見て廻ったが日本のと少しづつ違う。
クリスマスの飾り付けの商品が沢山あった。


       プラチスラヴァ広場

 
スロヴァキア博物館通り            スロヴァキア国立博物館


小さな町なので他に別に見るところもなく早めに船に戻る。
13時ウィーンに向けて出航。


船内では操舵室の見学や料理教室が催されていたが参加せずデッキから景色を眺めたり写真を撮ったりした。


途中、山の上に古城があるところを通過、この辺りは右岸がスロヴァキア、左岸がオーストリアになっている。
川の水量が少ないため水深を確かめながら航行しなければならず航海が遅れウィーン20時着の予定が2時間ほど遅れるらしい。
夕食は(前菜)ローストしたラムのカルパッチョ、グリンピースのスープ(ベーコンとクルトン入り)、(メイン料理)ハンガリーのグヤーシュ(ポークの煮込み)きゅうりのピクルス、ソーセージポテトを添え(デザート)シナモンのアイスクリーム、オレンジとリキュールソースを添えて、カミサンはアプリコットのロールケーキ、ホイップクリーム添え。
食事を終わって船の前後の景色を映しているテレビを見ていたら船が狭いトンネルのようなところに入って行って停まった。
水位を上げて水門を通過するというので3階の展望デッキの一番前まで見に行くとトンネルではなくドックのようなところに入っている。前方に水門が見え水量がドンドン増えてきて、やがて船が両側の壁の上まで浮き上がり前方の水門の向こうの水位と同じになり水門が開き、信号が青に変わり船が少しづつ前に進み水門を通過した。
船の到着が遅れたため今夜予定されていた”弦楽四重奏の夕べ”は明日に延期になった。
あとラウンジで焼酎を飲んでいると両側に高い建物が見えてきてやがて停船、ウィーンに着いたようだ。
部屋に戻って風呂に入って11時過ぎ就寝。
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美しく青きドナウの船旅(8)

2008-11-16 09:46:19 | 海外旅行
11月14日(月) 曇り
6時起床、いつもの通りラジオ体操。
9時過ぎからいよいよウイーン市内へバスで出発。
ウイーンの旧市内を廻るリングシュトラーゼ(環状道路)をほぼ一周し、映画「第三の男」で有名なプラターの観覧車、市立公園、毎年正月ウイーンフィルの新春コンサートが行われるウイーン楽友協会などを車内から観光し、まずはシェーンブルン宮殿へ。

正面入り口から見たシェーンブルン宮殿。


広いフランス式庭園を挟んで宮殿と向かい合う丘の上にグロリエッテという見晴台がある。


ここから見下ろせば宮殿の後ろに広がるウイーンの街が一望できる。

 
見晴台と向き合う宮殿。


クリスマスの準備が始まった宮殿正面。
シェーンブルン宮殿は18世紀ハプスブルグ家の女帝マリア・テレージアによって建造された。
バロック様式の華麗な装飾に飾られた宮殿の部屋数は1441室。
各部屋は中国、インド、ペルシャ、日本など世界中の風景を壁画に埋め尽くされ、テーブル、食器、屏風などを見て廻った。



マリア・テレージアは16人の王子・王女を生みヨーロッパ各国と姻戚関係を結び勢力を拡大していった。


1762年マリア・テレージアの娘マリー・アントワネットがここに滞在している時6歳の神童モーツアルトが招待された。
その時宮殿の中で転んだモーツアルトを助け起こしたマリー・アントワネットに「ボクと結婚して」と言ったとか。 


宮殿にはフランス革命で断頭台の露と消えた悲劇の王妃マリー・アントワネット、19世紀ヨーロッパ一の美貌を誇った皇妃エリザベートなど、ハプスブルグ王朝の歴史が残されています。

 
続いて歴代皇帝の心臓、内臓が安置されているカタコンベ(地下墓地)があるというシュテファン大寺院。
高さ137m、込み合う繁華街の中にあり見上げていると首が疲れてくる。


シュテファン大寺院前、観光客を待つ馬車、馬糞の匂いで臭い臭い。

 
ウイーン一の繁華街ケルントナー通り、観光客で一杯だ。


ケルントナー通り近くの日本料理店「天満屋」で刺身、天ぷら、煮物、焼き魚、ご飯、味噌汁の昼食。
ツアーのメンバー達は寒いといってビールを飲まなかったが私達だけビールを注文、ドイツビールが出てくると思っていたらキリン一番搾り、丸みがかった中ジョッキに入ってきた。もちろん自前(2杯でEUR6.8 円換算すると約¥952安い、日本だと¥1,000はするだろう)、レジではなくその場でキャッシュ払いだ。


昼食のあと2時過ぎから5時まで自由行動、4時、4時30分、5時のいずれかのバスで船に戻ればいい。
ケルントナー通りを散策するうち寒さとさっき飲んだビールの所為かトイレに行きたくなってきた。
トイレを探したがすぐに見付からないので急いで昼食をした天満屋に戻り店のトイレで用を足した。 


オペラ座の近くで楽器を象ったピンバッジを見つけ買う。
美味しいチョコレートケーキの店があると聞いたので探して買いに行った。
しばらく散策したあと地下鉄乗り場の案内が見えたので乗ってみたくなり地下街へ入った。


地下には店は殆どなく交差点の地下通路のようになっている。
あきらめかけた時エスカレーターが見つかった。
行ってみると長い、急なエスカレーターがさらに下に伸びている。
それに乗って降りたところが地下鉄のホーム、改札も切符売り場もなく、トンネルも電車も余り綺麗ではない。
ちょうど電車が入ってきたので乗ってみようかと思ったがどこへ行くのかも分らず、切符もどこで買えばいいのか分らず、しばらくウロウロしたが昨日の迷子の件で少し慎重になり電車の写真だけを撮って地上へ戻った。
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美しく青きドナウの船旅(9)

2008-11-16 09:45:58 | 海外旅行

地下鉄が無理なら路面電車に乗ってみよう。
路面電車にはルート1とルート2があり市内を環状に一周していると添乗員がいっていてのでそれなら乗っていれば元のところへ戻って来るだろうと思い、切符売り場で「ルート1」というと「あっち、あっち」と指をさすので切符を買って反対側に停まっている電車に乗った。


午前中バスで廻ったコースを走っているようだ。
寒くなって来た為か途中で運転手が座席の下のヒーターを入れに来た。


市役所前で下車してみた、切符はどこへ渡せばいいのか分らないのでそのまま握っていた。
市役所前のクリスマス市場の辺りはすでに暗くなって来ており正面の大きなクリスマスツリーは点灯寸前だ。


いろんな店も電気が点いて賑やかになっている



昨日から始まったようでこれからクリスマスまで1ケ月余り続くそうだ。
日本の屋台を少し大きくしたような露天で食べ物、装飾品、衣料品、おもちゃなどいろんな店が50店ほど出ている。
ここでピンバッジではないがピアノ、ベースなど楽器の形をした飾り物を買った。

      
降りるとき切符を渡さなかったのでそれを持ったまま市役所前から乗車し、元のケルントナー通り近くで降りた。
途中乗ってくる人が切符を買っている様子もないし、降りる時に切符を確認し、回収している人も居らず、私達もまた切符を持ったまま下車した。
不思議に思いあとで現地のガイドに尋ねたら基本的に改札口など無く、みな大人で無賃乗車など誰もしないと言う性善説の上に成り立っている。
時々検札が乗ってきたり、怪しいと思われたりすると目の前で扉がガシャンと閉まり切符の提示を求められたりすることがあるそうだ。
それでつかまると10万円以上の罰金を払わされるそうだ。
添乗員の話では以前イタリアで日本人の観光客が無賃乗車をして高額の罰金を払わされたことがあったそうだ。
電車の中にも切符の販売機があるそうだが買っている乗客も見なかったので全然気付かなかった。
私達も電車に乗って切符を買えばと思って乗車していたら結果的に無賃乗車していたかもしれない。
全て合理的な考えで余計な経費を節減している。

4時30分のバスで船に戻った。
途中お土産として買った生チョコは部屋備え付けの冷蔵庫に大事に仕舞った。

夕食のあとは8時45分からウイーンの若者による”弦楽四重奏の夕べ”が3階展望ラウンジであり聴きに行く、男性2人、女性2人で演奏曲は「ワルツウイーン気質」「アイネクライネナハトムジーク」「ワルツ観光列車」「ワルツ美しく青きドナウ」アンコールは「ラデッキーマーチ」。
9時過ぎ部屋に戻り旅日記の続きを書き12時に就寝。
船は演奏会が終わったあと10時にウイーンを出航、クレムスに向かう。




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美しく青きドナウの船旅(10)

2008-11-16 09:45:36 | 海外旅行
11月15日(火) 曇り午後から晴れ

船は世界遺産バッハウ渓谷沿いの可愛らしい街クレムス(オーストリア)に着いている。


7時15分からラジオ体操。
朝食は和食、昨日天満屋でも和食を食べたが朝からの和食はひときわ美味しい。
ご飯、味噌汁をお代わりし塩鮭、焼き海苔、生卵、梅干を食べた。
日本では黒田慶樹さんと紀宮様の結婚式が行われたそうだ。


9時に船を降りてバスでバッハウ渓谷東端の街クレムスへ向かう。
10分ほどでクレムスの街の入り口シュタイナー門に着いた。

            
歴史があり、きれいに整えられた旧市街へ入り散策する。
商店もオープンしたばかりで清清しい朝の街である。 
           
       
町の中にこんなトンネル(これは上から写した写真)があり中に階段がある。
ガイドがご希望の方はこのトンネル階段の上の高台にあるピアリステン教会や教区教会へ案内するというので付いて行った。


トンネルを上らないで住宅街の側の急な坂道を昇ると教会があり目の前にカラフルな可愛い街並みが見下ろせる。帰りはトンネルを通って下へ下りた。


こんな街へは船でなければ来られないだろうと思って散策する前に貰った街の地図を見るとすぐ近くに鉄道のクレムス駅がある。
電車に目がない私はこれは絶対に見に行かねばと石畳の市街地を抜け広い通りに出た、バスが走っているのでこっちの方だと決めて歩いていくと綺麗な運河に出合った。
しかしここからは商店街が終わって住宅地の方へ上っていく道になるので間違えたと気付き、ちょうど橋の袂の喫茶店から出てきた現地のおとうさんに道を訊いた。

  
少し戻ると駅前の道に出た。       駅に近づくと真っ赤な電車が見えてきた。

  
ここでもホームには切符無しで簡単に入れる。


ウイーンフランツ・ヨーゼフ駅からはドナウ川に沿って北側をトウルン、クレムス、デュルンシュタイン方面へ向かう鉄道があり、ウイーン西駅からはドナウ川を離れて南側をザンクト・ベルテン、メルク、ザルツブルク方面へ向かう列車がある。
そしてトウルン、クレムス、ザンクト・ベルテンを結ぶ支線がある。
駅の様子、時刻表、ホームに到着する列車、発車する列車の動画などを撮った。

     
集合時間が近づいたのでシュタイナー門の前にある公園へ引き返した。
ツアーのメンバーでそんなに遠くまで行った人はおらず殆ど商店街でブラブラし買い物をしていたようだ。
街の中は道路が狭く迎えに来るバスが道路に駐車していたトラックが邪魔になって迂回してきたため船に戻るのが少し遅れ12時になった。

  
12時30分船は次の観光地デュルスタインへ向けて出航。
昼食はヴァイキングだった。
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美しく青きドナウの船旅(11)

2008-11-16 09:45:13 | 海外旅行

クレムスの街を離れるセレナーデ号。


船はデュルンシュタインへ向けて滑るように走る。
この辺りからバッハウ渓谷が始まる。


部屋で一休みしている間に天気が急回復、快晴になって来た。
1時間30分ほどでデュルンシュタインの街が見えてきた。


2時15分デュルンシュタインに到着。


船着場のすぐ前、ますますいい天気になって来た。
ここでの観光は二手に分かれる。


「シッカリ観光」コースは英国リチャード獅子心王が幽閉されていたケーリンガー城址へ。
山道を頑張って登るとそこに絶景が・・・
ブドウ畑とかわいい街、悠々と流れるドナウ川、天気も良くなり素晴らしい眺めであったそうです。



「ゆったりコース」はブドウ畑の中をミニトラムで巡ります。
日本のブドウ畑とまったく違います。
この辺りはオーストリアでも良質のワインが作られることで有名なようです。

     


ミニトラムはブドウ畑を観光、広い畑の中に数軒づつ固まって家がある。
畑の中には葡萄の房が沢山ぶら下がっている。

   
街の中のワイナリーで試飲して白ワインを買った。
日本へ帰ってから飲んだが凄く美味しかった。
今は機内に液体を持ち込めないのでその場で飲んでしまうしかない。


空が晴れてケーリンガー城址が日の光を受けてきれいに見える。
最後はトラムに乗って城門をくぐり旧市街を通って船に戻る。


夕食までの一時、部屋の下の船べりに黒鳥、白鳥が寄ってくる。


甲板に出るときれいな夕焼け、明日も快晴間違い無しだ。


夕食後8時30分から街中のワイン酒場に試飲に出かけた。
デュルンシュタイン教会の尖塔からケーリンガー城址までの山道がライトアップされている。


船から下りて坂道を10分ぐらい歩いた所にパブがあり我々総勢20余名が入れる1室がある。
他のテーブルには5~6名の地元の家族連れ一組と若いアベックがいた。
1杯目は旅行会社のおごり、2杯目以降は自腹。
中沢さんと一緒の席で白ワインを飲む、添乗員も一緒になって二人の馴れ初めから性格までいろいろ聞いた。
1時間ほど飲んで船に戻った。
空にはお月様が煌々と輝き思ったほど寒くない、写真の整理をして11時就寝。
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美しく青きドナウの船旅(12)

2008-11-16 09:44:51 | 海外旅行
11月16日(水) 晴れたり曇ったり
6時30分起床、予定通りラジオ体操、7時30分朝食。


9時デュルンシュタイン出航。
いよいよメルク(オーストリア)までの約35km、ドナウの最も美しいところ、世界遺産バッハウ渓谷をめぐる3時間のクルージングの始まりだ。



デュルンシュタインの桟橋を離れる。


ケーリンガー城址を右に見て進むと一面のブドウ畑だ。


ワインで有名なヴァイセンキュルヘンの街。


コートを着てフードを立てているが上甲板は風が強く手が冷えてくる、ST.MICHAELの塔。


冬支度の薪が積まれている。



この辺りから太陽が顔を出し晴れてきた。


シュピッツの街を右に、ヨハン教会を左に見て快晴の中を進む。


交通手段の一つ貨物を牽引した船と行き交う。


右岸には貨物列車や昨日クレムス駅で見たのと同じ列車が走っている。
これはクレムス駅の時に説明した、ウイーンフランツ・ヨーゼフ駅からドナウ川の北側を走る列車で、メルクへは直接行けない。
ウイーンから準急で約1時間10分でいま私達が向かっているメルクに行けるがこれはウイーン西駅からドナウ川と離れて南側を走る列車で、線路が違う。
特急はメルクに停車しないので途中ザンクト・ベルテンで乗り換えなければならない。


この渓谷は軍事的にも重要な拠点が多く昔から多くの民族が激しく戦って占領したり撤退したりを繰り返したそうです。
悪魔がドナウの流れを遮ろうとして失敗したと言われる浅瀬を過ぎ、シュワレンバッハ、ヴィレンドルフと進み、左手に盗賊の騎士が捕虜を谷底へ突き落としたという伝説があるアックシュタイン、このあたりは景色も天気も最高に良い。
あとはユックリ景色を見てください。




アックシュタイン城。






シェーンビューヘル城を過ぎてメルクに向かう。
途中から2階の展望室に降りたが11時30分になったので部屋へ戻った。


12時メルク到着。




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美しく青きドナウの船旅(13)

2008-11-16 09:44:33 | 海外旅行
  
昼食はカレーライス、13時20分メルクの船着場で下船、市内観光へ。

  
バスに10分余り乗ってメルク修道院に到着。
11世紀、バーベンベルク家がメルクの城をベネディクト修道院に寄進。
1682年トルコ軍の侵入により修道院は焼け落ちてしまい、1702年当時流行のバロック式で再建された。
「横に伸びた摩天楼」とも呼ばれ、バロック様式の荘厳華麗な建物としてバッハウ渓谷のシンボルにもなっている。

  
さらにハクスブルグ家の所有になり400ほどある部屋はマリア・テレージャが住居,饗宴会場などとして使用、モーツアルトの演奏会なども行われその時弾いたパイプオルガンが残っている。
広い廊下には一族の大きな肖像画が掛かっている。
大きな図書館もあり修道女達が黙読、講読で勉強し、更に自分達が手書きで作った図書が残っている。
高い壁の両側には立派な蔵書がビッシリ詰まっている。

  


回廊を通って建物の上に上がるとメルクの町並みが見下ろせる。

  
聖堂も広くて立派、昨日サンクスギビングデーの祭礼が行われたそうだ。

  
修道院の出口の門を通って石畳の道を市街地へ行く。

  
街中を散策した、静かな落ち着いた街だ。
地図を見ると近くにメルク駅があるようなのでそっちへ向かった。


少し距離があったが駅はすぐに見付かった。


メルク駅に入るとすぐに電車が入って来た。


ウイーンから鉄道と船とを利用して「バッハウ渓谷」を日帰り旅行するには「バッハウコンビチケット」がある。
これは、まずウイーン西駅からメルクへ直行し、メルクで遊覧船に乗り換え船でクレムスまでドナウ川を下る(私達の船とは逆向きになる)。
メルク~クレムス間が世界遺産”バッハウ渓谷”になる。
クレムスで再び鉄道に乗り換えウイーンフランツ・ヨーゼル駅へ戻るコースになっている。
さらにメルク修道院の入場券も付いており割安である。


子供たちが大勢乗り込んで行く。


駅から街中へ引き返す途中で修道院の建物がよく見えた。


市街地を歩いてワインを売っている店を探した。
狭い抜け道の途中にWEINの看板が見えたので入ってみた。
ここでは白ワインしか売っていない、この辺りは白ワインの有名な産地だそうだ。
地下の酒蔵に入って少し説明を聞き10.5ユーロのワインを買った。
その時説明してくれたパンフレットを欲しいといったら50セントだというのでそれも買った。
バス乗り場まで歩き4時に船に戻った。
5時にメルク港を出航、10時30分グレイン(オーストリア)入港の予定。
夕食のあと8時30分からクイズとビンゴ大会があったが風呂に入ったら眠くなったので8時30分就寝。


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美しく青きドナウの船旅(14)

2008-11-16 09:44:17 | 海外旅行

11月17日(木)曇り時々雨
6時30分起床、上甲板でラジオ体操。
船はすでにグレインを出港してリンツに向かって航行している。
朝食は和食だ、ご飯は少々柔らかいが味噌汁が美味い、お代わりをした。

  
10時からは3階の展望ラウンジで”和菓子のティータイムと船や航路の話”があるので聞きに行く。
川の高低差はスタートしたブダペストで85m、我々が下船するパッサウで210mと130mもある。
川船は底が浅いがドナウ川で一番の浅瀬では川底と10cmぐらいしかないところもあるそうだ。
ドナウ川の船は水は多くても10万リットルぐらいしか積んでいないがセレナーデ号は25万リットルも積んでいる。
他の船にはシャワーはあるが風呂(バス)は無い、セレナーデ号は風呂がついているためそれだけの水を積んでいるのだそうだ。
途中で水門(堰)を通過するので写真を撮るため甲板に出た。
水門の中に入ったので船の後側の扉が閉まり始めた。

  



後ろ側の扉は完全に閉まってしまった。



  
今度は船の前方の写真だ。
水が徐々にドックの中に入ってきた。

  
やがて船はドックの上の方まで浮き上がって来て進行方向の水位と同じ高さになった。

  
水門が開き、信号機が青になったので前方に向かって推進し始めた。反対側のドックは水は空っぽのままだ。


ドックを出て前へ進む、今まで何度か水門を通過してきたが明るい時は初めてなのでよく見えた。


リンツの町が近づいてきたようだ。


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美しく青きドナウの船旅(15)

2008-11-16 09:43:25 | 海外旅行
   

  
昼食はヴァイキング、12時30分リンツに入港。目の前の橋の上をいろんなデザインのカラフルなトラムが走っている。


キャビンのすぐ前の道路には午後から観光に行くバスがすでに停まっている。
船でリンツに入って来た時は大きな工業都市だと思ったが奥へ入ってくると田園地帯も開け鉄道も縦横に走っている。
人口18万8千人、殆どの人はこの町で働いており、よそへ働きに出て行く人は滅多にいないそうだ。
リンツと言う名前はもともとローマ人が住んでいてローマリンティアと言っていたのが詰まってリンツになったそうだ。

      
昼食後リンツ生まれのオルガン奏者ブルックナーが眠るザンクト・フローリアン修道院観光に出かける。
消防の聖人フローリアンを守護聖人とする修道院で立派な図書館もあって13万5千冊の蔵書が壁の両面にビッシリと収まっている。
天井には絵の具で描かれたトルコとの戦いに勝利を収めた場面の絵があり、下から見ると天井が丸く湾曲しているように見えるが実際は平面に描かれているそうで、「騙し絵」という技法を使って描かれているらしい。


大聖堂で3時からパイプオルガンの演奏が30分あった、聖堂の中で反響して想像以上に荘厳で大きな音であった。
ツアーのメンバーの中にパイプオルガンが弾けるという人がいて上に上がって弾いたが中々上手く引けず途中で止めてしまった。


パイプオルガンの真下にアントン・ブルックナーの棺が安置されている。
また地下の墓所には沢山の骸骨がそのまま置かれていた。


18時から船長主催のさよならパーティーだ。


今日17日はボジョレーヌーボー、赤ワインで乾杯。
早いものでこの間歓迎パーティーがあったのにもうさよならパーティーだ。


さよなら夕食会のあと3階ラウンジでお楽しみ会。
お世話になった船員の紹介、カラオケ、シャンソン、ドイツ歌曲、ダンスなどお客さんの一芸大会。
最後は添乗員による歌と踊り、この2日間寝る間を惜しんで深夜まで練習したというピーナッツの「ユーホー」女装した島崎添乗員が最高に面白かった。
明日の朝はセレナーデ号ともお別れだ、部屋に戻って荷造り開始。
ロッカーのジャケット、パンツ、箪笥のシャツ、肌着などをカバンに詰め11時過ぎ就寝。



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