晋ちゃんの気ままな散歩道

あっちこっち横道にそれたり休んだりしながら気ままに散歩しています。

喜連環濠を歩く

2017-11-30 18:38:43 | 歴史
     
     先週「あの町この町再発見」で喜連環濠を歩きました。
     スタ-トはJR平野駅。


     
     平野郷環濠跡とある。
     喜連環濠は北は平等堤までと東は旧東除川、
     西は今川までの囲堤の中で喜連と喜連東に
     それぞれ環濠集落があった。
     村落は南北朝時代と大坂夏の陣の兵火により焼失したが、
     環濠は昭和30年ころまで現存していた。
     旧東除川は1704年の大和川付替えで分断され、現存しないが
     付替え直前の川幅は約40mあった。
     上流には狭山池(日本最古のダム式ため池)がある。

     

     
     喜連(きれ)の名は渡来人の里「伎人郷(くれひとのさと)」
     から転訛したと考えられています。
     その歴史は古墳時代まで遡るといわれています。
     環濠は村落の防衛のためだけではなく、
     狭山池を水源にする平野川に繋がって水運の利もあったと思われる。
 

     
     杭全神社の手前の横道に入ります。
     
     そこに先祖のお墓があります。
     征夷大将軍坂上田村麻呂の子広野麿が杭全荘を領地として賜り、
     その子当道が創建したのが杭全神社なのです。

     
     
     坂上田村麻呂の娘春子のお墓。
     桓武天皇の妃になり、春日内親王を生んだ。
     桓武天皇の没後、杭全神社に隣接地する尼寺長宝寺に寓した。
      

      
      
     
     杭全神社の鳥居の前。
     ここを渡って平野郷の古民家の方へ入ります。


    
          
          旧街道の道標と和菓子屋さんの福助人形。
          
          
          かたな博物館。

   
          
               京町筋。
          この界隈には「へっついさん博物館」「駄菓子屋さん博物館」など
          何でもかんでも博物館と名がついた店が並んでいます。

        
           
          食事処「六々々屋」(平野、食グランプリ1位)
           これにうどんが付いて¥800。
           お昼には常連さんで満杯になるので少し早い昼飯です。


     
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生野銀山と神子畑選鉱場跡(2)

2017-11-22 22:22:22 | 国内旅行
     
     2015年11月の新聞を見てここへ行ってみたいと思った。
     しかし行ってもどこまで観られるのか具体的なことが分からず
     そのままにしていた。


     
     先月ジパングクラブのツア-での企画を見て即申し込んだ。

     
     素晴らしい日本遺産だ。

     
     生野銀山からバスで約30分。
     山の斜面にむき出しのコンクリ-ト土台が十数段。
     操業時にはこの土台の上に東洋一と称された22段の階段状建物があり、
     昼夜24時間操業が続き「不夜城」と言われていた。
     しかし2004年老朽化で三菱マテリアルが建物を撤去してしまった。


     
     貨物や人を乗せて台車が上下したインクラインの線路跡。

     
     建物が撤去される前の写真。
     
     
     神子畑選鉱場は銀と銅を産出する鉱山として開拓されましたが
     次第に産出量が減り、大正6年に閉山。
     大正8年明延鉱山から運び込まれた鉱石を山の斜面を利用した
     選鉱場として生まれ変わりました。
     しかし昭和62年、明延鉱山も円高の進行で競争力を失い閉山。
     神子畑選鉱場も操業を終了しました。   
     

     
     神子畑選鉱場跡は、幅110m、高低差75mの巨大な廃墟のままです。

     
     「一円電車」。   
     明延鉱山で採掘された鉱石や人を運ぶために造られた電車。
     乗客数を把握するため一人一円にしていたことから
     「一円電車」と言われた。
     トンネルの中を通るため、男女は別々の車両に乗り、
     日本最初の女性専用車でした。

     
     
     鉱山で採掘された銅の原石。

     
     フランス人地質家ム-セの居宅。
     生野には、お雇い外国人官舎3棟、長屋2棟があった。


     
     液体に混じる個体粒子を分離する「シックナ-」という設備。
     直径30mのものは、百尺シックナ-と呼ばれていた。


     

     

     

     
     ここまでは今までも車で来て見学して帰ることが出来ました。
     私たちは今回JTBと朝来市の企画でマイクロバスに乗り換えて
     山の上に上ることが許されました。


     
     バスで山に上って行きます。
     この山の高さは同じ朝来市にある竹田城よりも高いそうです。


     

     

     

     
     フランス人技師、「ム-セの旧宅」が真下に見えます。
     
     百尺シックナ-。

     

     
     明延鉱山で採った鉱石を最上部で砕き、
     急斜面を生かした階段状の工場内を下りながら、すりつぶし、
     薬品での分離、重さによる選別などを経て選り分けられた。
     錫は生野へ送られ、銅は香川県の直島、亜鉛は秋田県で精錬した。
     初めてなのでガイドさんも居らず、現場で仕事に従事していた82歳の方が
     詳しく説明してくださった。


     

     

     

     

     
     さっき下から見上げたインクラインの山上からの眺め。
     
     インクラインの終点、操作室。
     
     周りの山々は紅葉が進んでいます。
     
     今回は初めてのことなので、朝来市の市役所の人も同道、
     竹田城とセットで観光地として売り出そうとしているのだろう。


     
     日もトップリと暮れた生野駅。
     18時17分発の「特急はまかぜ6号」に乗車、
     20時05分大阪駅に戻ってきた。
     長い充実した一日であった。
     
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生野銀山と神子畑選鉱所跡(1)

2017-11-21 22:00:13 | 国内旅行
     
     先日ジパングクラブの企画で生野銀山へ行った。
     大阪駅9時38分発特急「はまかぜ」、播但線経由で生野駅11時28分着。



     
     生野駅から全但バスで生野銀山へ。

     
     生野銀山入口
     
    この門柱には菊のご紋がついています。
     生野銀山は大同2年(807年)発見と伝えられている。
     戦国時代には近くの竹田城家老太田垣氏が支配していたが、
     その後織田信長、豊臣秀吉、徳川家康が支配した。
     明治に入って明治政府の官営鉱山になり、
     明治22年には皇室財産になった。
     そのため菊のご紋がつきました。
     その後明治28年三菱合資会社に払い下げられています。


     
     お昼はハヤシライスの昼食。
     このハヤシライスは鉱山職員の奥さんたちが作って
     社宅で食べられていたものだそうです。
     

     
     昼食後30分ほど銀山についての講義のあと山へ入ります。

     
     鉱道入口。

     
     鉱山内での作業の流れを説明する図模型。
     鉱脈にぶつかると熱と水と闘いながら縦に掘り下げて行きます。


     
     坑道の奥へ進みます。

      
     
       
    坑内での作業の様子が人形を使ってみられます。

     
     人が這って掘り進んだ江戸時代の坑道、
     タヌキ掘りと言われています。


     
     明治元年、フランス人技師が着任し、軌道や巻き上げ機の新設など
     数々の先進的施策により、目覚ましい近代化を成し遂げました。
     

     
     掘り進んだ坑道の総延長は350km以上。

     
          
     鉱員達が命を託し地中深く掘り進めていったエレべ-タ-立て坑と
     巨大な巻き上げドラム。
     深さは880mの深部にまで達しており、
     採掘した鉱石の種類は70種にも及んでいます。


     
     十分に堪能して坑外へ出た。
     以前佐渡の金山を見て廻ったがそれに比べるとはるかに
     近代化されていて深く深く掘り下げられているのには驚いた。
     
     
     但馬地方では明治維新後、生野鉱山が日本初の官営鉱山になり、
     開発は北西へ神子畑、明延へと延びた。
     群馬県の富岡製糸工場が軽工業の代表なら、
     この3工場は非鉄金属の代表だ。
     生野鉱山で勉強した後私たちは神子畑選鉱場跡へ向かった。

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11月10日(金) 葛飾北斎展

2017-11-11 22:11:11 | 美術
     
     北斎展を見るために初めてあべのハルカスへ行った。
     当日券のチケットを買うために30分、会場に入場するまで20分。
     会場内は人の頭、頭、頭。
     大きな絵はいいが、小さなものは覗き込まないと見えない。

 
     
     構成は6つの章に分かれている。
     大英博物館所蔵が圧倒的に多い。
     第1章では「潮干狩り図」大阪市立美術館所蔵(重要文化財)が目に留まった。
     第2章では「富嶽三十六景」は大英博物館、メトロポリタン美術館所蔵。
     1点だけ太田記念美術館があった。
     第3章では諸国滝巡り、諸国名橋奇覧など。
     あと6章まで、とにかく大きさに驚かされる。
     見上げる旅人の頭の上から落ちる滝。
     現実的ではないが滝がメインなのだから・・・
     昨年高島屋の「広重展」で見た「養老の滝」などは
     先輩北斎を頭に描いたものかもしれない。
     富嶽36景「神奈川沖波裏」なども現実的でない、奇抜な絵であるが素晴らしい。

     
     
     第5章、6章では版画から肉筆画、晩年は肉筆画が多い。
     皆小さいのでサッと見て流した。
     
     
     
     会場を出たのが4時過ぎ。
     16階の展望スぺ-スから景色を眺めて帰ってきた。
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とある喫茶店

2017-11-09 22:25:00 | 街の風景

         以前からニュウ-タウン内を散歩していてすごい豪邸だな
          どんな人が住んでいるのかなと興味を持っていたお家が
          喫茶店になっていると聞いたので友人と出掛けた。


          
          玄関で靴を脱いでスリッパに履き替え
           カ-ペットを敷いた部屋に上がったがそこが喫茶店。

          
         喫茶店になっているのは豪邸の一部、応接室だったと思われる部屋。
          すぐ横に2階へ上がる階段があるが閉鎖されている。
          喫茶室の隣には広い20畳ほどの和室があるが入れない。
          トイレは応接室からも和室からも入れる。
          

          
         他にお客さんもなかったので、コ-ヒ-と紅茶を飲んで
          1時間余り雑談をして帰ってきた。
          喫茶店というより友達の家の応接室という感じ。
          カレ-も食べられるそうだ。
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11月5日(日) 6年1組同窓会

2017-11-07 12:22:03 | 集まり、同窓会
     
     12時から何時もの天神さんで小学校の傘寿の同窓会があった。
     80歳を目前にしたこの1年間、いろいろ変化があった。
     昨年まで元気だった男性1名、女性1名が亡くなっていた。
     同じく男性1名がガンと闘病中。
     今回の出席者は9名。
     腰が悪く、歩いては行けない、と自分で車を運転して
     出席してくれた人。
     出席者9名のうち4名はガンを乗り越えてきた人。
     皆元気だ。
     私など足元にも及ばない。
     人数が少ないだけにみんなが会話に参加でき3時間余り
     の時間がアッという間に過ぎた。
     今年で最後かもしれない言っていたのに米寿を目指して
     毎年続けようと云うことになった。
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11月2日(木) 串柿の里(2)

2017-11-05 06:00:00 | ウオーキング
   
          おばさんが仕事をしている、柿のへたを取っているそうだ。
             
        ここではおばさんが柿の皮をむいている。
        丸い筒の中へ、ヘタを上にして柿を放りこめば筒がくるくる廻って
        アッという間に皮がむけて横のレ-ルを通って下へ落ちてくる。
 
             
             ここはくし柿作り、くしが沢山立っている。

             
             
             これはつるし柿作り。
            
              
            
             さらに上へ上ると眼下に今年4月に父鬼バイパスと
             鍋谷峠トンネルが開通して出来た道路が見える。
             平、急峻な山岳地帯で山の斜面のやや平らな土地に
             開けた地域で平と名がついた。
     
             さてここからどうするか?
             先へ進んでもどこへ出るかわからない。
             いま来た山道を引き返すしかない。


            
            
            さっき見た景色が戻ってきた。
            
            山は少しづつ色づいてきている。

            
            麓へ降りたところで、上るときは閉まっていた小屋で
             おばさんと娘さんがあんぽ柿作りの作業をしていた。

            
            ここはあんぽ柿の皮むき、筒の中に柿を入れると
             くるくるまわって裸になった柿が出てくる。

            
            
            あんぽ柿はでかい、お餅のようだ

            
            帰りのバスは13時発、今の時刻は11時30分。
             下り道なので途中まで歩くことにした。

            
            ところどころにお地蔵さまがあるだけで、途中何も見るものがない。              新しく出来た道路と四郷第一トンネル。
            
            広口の大宮神社。
            
            広口の集落。
             滝、東谷、平を流れる渓流が集まりここで一つの谷となり
             唯一の広地を形成し、里になったところから広口と呼ばれた。


            
            コミュニティ-バスの上広口停留所のすぐ近くに道の駅がある。
             笠田行きのバスの時間は13時7分。
             いま12時半、30分あるので道の駅へ行った。
 
            
            ここで持参した弁当を食べた。
             串柿はまだ売っていない、大きな富有柿を3個買った。


                              上広口のバス停に戻ると丁度バスがやってきたので
             笠田駅まで戻った。
             
             今日は串柿は買えず。
             今月中旬過ぎにもう一度来ることにした。
             3時に帰宅。


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11月2日(木) くし柿の里(1)

2017-11-04 00:05:07 | ウオーキング
   
         
         今日もいい天気だ。
          朝7時半の南海電車で橋本経由JR和歌山線の笠田まで来た。

   
     JR笠田駅9時発、
     一日1本しかない四郷・東谷行きのコミュニティ-バスに乗った。
     和歌山から来た10余名の団体と一緒になりバスは満員。

            
          終点東谷に着いた。
          案内所どころか人っ子一人いない。
          団体客などはそれぞれ目的地に向かって行ってしまった。
          バスの運転手に訊いても要領を得ない。
          仕方がないので毎年干し柿を送ってもらっている
          四郷のおばさんに電話して聞いてみた。
          「早いんよ、くし柿作りは始まったばかり、
          今くし柿つくりを見るなら、平(たいら)の村へ行けばいい」

   
         とうとう山を上ることになってしまった。

   
         道は舗装されており軽自動車で登って行けるようだ。

   
         30分以上急な坂道を上り続けた。ところどころに農家が点在する。 

   
          やっと見えた干し柿がぶら下がっている。

  
     
         なるほどまだ始まったばかりのようだ。
     
     
     
          ここなら空気もきれいだし、お天道様にも近い。
     
          見事に柿がぶら下がっている。
     
     
          干し柿作業も始まったばかり、
          たくさんの干し竿が柿を待っている。
          ここまで人っ子一人会わなかった。
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11月1日(水) 川柳の会

2017-11-01 23:59:29 | 集まり、同窓会
     
     今日から11月、毎月第1週は川柳を楽しむ会。
     河内長野のラブリ-ホ-ルで川柳の発表会があるので出かけた。


     
     ずらりと並んだ河内長野市文化祭参加、川柳展示作品。

     
     私たちメンバ-は8名(1名欠席)。
     自分では作らずに、人の作品に各々が解釈をし楽しんでいる。


     
     皆の話題になった作品。
     全員が理解できた作品、「あれこれとそれそれそれで会話する」
                「偕老のあれこれそれで暮らしおり」
                「我妻にぜひしてほしい忖度を」
          もめた作品 「三四回やっと振り向く母うれし」
          三と四の間にはコンマがいるのでは?
     私が面白いと思った作品は「カラスの声アツ忘れてたゴミ出し日」


     
     11時半、花の文化園の前に出来た道の駅の食堂へ行った。

     

     
     今日はバイキングだ。

     
     屋外で食事することにした。

     
     晴天の爽やかな屋外でのランチ。
     デザ-トまでしっかり食べ、全員食べ過ぎたようだ。
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