晋ちゃんの気ままな散歩道

あっちこっち横道にそれたり休んだりしながら気ままに散歩しています。

12月31日 大晦日

2006-12-31 22:39:35 | 散歩道

今年も今日で終わり。
正月を迎える準備も全部終わり午後からはいいお天気になったので今年最後の散歩に出かけました。
散歩道の脇に1ケ月以上前から置かれていた柿、とうとう売れ残ったようです。
今年もいろいろなことがありました、しかし最後に飛び込んできたフセイン元イラク大統領死刑執行のニュースには驚きました。
判決確定から4日後しかも絞首刑とは。
判決が出るまでも早いと思ったが執行の早さには驚いた。



自由人となって2年半外へ出かけることも少なくなり話し相手も殆どなくなりました。
しかし新聞を読んだり、読書する時間が増え今までの会社中心の情報から国内、世界の情報に
接する機会が増えたにもかかわらず自分の考えを現す場がないということに寂しさを感じていました。
ふとしたことからブログを知り簡単に入って行けたこともありこの半年は楽しく過ごせました。
ブログを投稿することは自分を確認することでもありました。
頭の中で漠然と考えているだけでなく、文章にして表しそれを読んでくれる人がいてくれると言うことで自分自身の確認になりました。
文章にするためには自分の中で事象を正しく掌握することから始まり、自分の意見を如何に上手く表現出来るか推敲も重ねました。
あいまいなことも書けないのでGoogleで検索、勉強もしました。
今まで少しでも読んでくださった皆さんありがとうございました。
来年はまた新しい何かにチャレンジしたいと思っています。
どうぞ良いお年をお迎えください。
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12月28日 火の用心

2006-12-29 11:57:05 | 街の出来事

今日は風が強くて寒い。
庭の山茶花の花もだいぶ散っている。
昨日やっと最後の年賀状を書き終えて郵便局へ持っていった。
インクジェットの年賀状があと2~3枚足らないのでを買おうとしたが売り切れだと言う、他の郵便局へ行こうとしたが局員が「この辺の郵便局は全部売切れです、皆さんには普通の年賀状でお願いしています」と言う。
大阪市内まで行けばあるかもしれないと思い、携帯MEILで以前勤めていた会社の女の子に頼んだ。
折り返しMEILがあり「東郵便局にはどっさりありましたので買ってきておきました」と返事があった。
そんなにどっさりあるのなら売り切れている郵便局へ回してあげればいいのにと思った。
民営化といっても相変わらず縦割りとかノルマとかで自分たちの事で手が一杯、現場の職員はそれでいいと思うがその上のどうせ暇でブラブラしている管理職がそういう現状を把握して的確に流動的に連絡、指示が出来ないようでは形は変わっても中身は変わらないのではないだろうかと思った。

今夜は8時から町内の夜回り、お年寄りと孫も参加して100人ほどが町会館に集まった。
廻る地域を6ツの区画に分け各区画で2班に別れ7~8人のグループになった。
こんな時に限って風が強く、急に寒くなってとぶつぶつ言いながらスタートした。
火の用心の他に、電柱の蛍光灯の切れている箇所、コンビニや公園などに不審者がたむろしていないか、消防車や緊急車両が入れないような駐車や障害物がないか等をチェックしながら廻る。
歩いているうちに体は温まってきたが”火の用心、カチカチ”と拍子木を叩く手だけが冷たい。
クリスマスが終わってもまだ電飾がそのままの家も多く、ここが綺麗、あそこはもっと派手だなどと時々火の用心がお留守になってしまう。
暗い中を左へ曲がり、右へ曲がりしているうちにどこを廻っているのか分らなくなったがさすがにリーダーはよく分っていて約1時間ぐるっと廻って会館に戻った。
暖かいトン汁とビールを飲んでしばらく温まって我が家へ帰った。
今年もあと4日、家にいると年末などと感じることがあまりない、テレビだけがやれ”紅白だ””年末特番”だと年末ムードを盛り上げてくれる。
私も少しづつ浮世離れしてきたのかと喜んでいいのか悲しんでいいのか・・・
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12月24日 第51回有馬記念

2006-12-24 19:22:04 | 遊び
 やっぱり強かったディープインパクト!

 中段の馬群から抜け出す

 一気にトップに躍り出る

 トップでゴール

有馬記念は1956年当時日本中央競馬会(JRA)理事長有馬頼寧の発案で世界でもはじめてのファン投票によって出走馬を選ぶ方式で「中山グランプリ」として始まった。
レースの17日後に有馬理事長が急逝、翌年から「有馬記念」と改称された。
ディープインパクトのルーツを辿れば社台ファームを作った初代リーディングブリ-ダー吉田善哉氏に行きつく。
(その辺の話は元NHKワシントン支局長、手嶋龍一著「ライオンと蜘蛛の巣」に詳しい)
ディープインパクトの父親はサンデーサイレンス(1986~2002年)である。
サンデーサイレンスはアメリカ合衆国の競走馬で、生まれた時は足が外側に曲がっていて競走馬としては致命的な欠陥を持っていた。
1歳時のセリで売れ残り厩舎へ戻る途中にトラックが事故を起こし他の馬は全部死んだがサンデーだけは生き残り生産者アーサー・ハンコックの所有馬となった。
しかし3歳時にケンタッキーダービーなどで勝ち最優秀3歳牡馬のタイトルを獲得、4歳時に右前靭帯を痛めて引退した。
サンデーは母方の血統が悪かったためアメリカでは種牡馬として人気がなかった。
そこでアーサー・ハンコック氏から一部所有権を取得していた吉田善哉氏が一千百万ドル(当時で16億五千万円)で100%買取り日本に輸入し幾多の名馬を産出したが2002年蹄葉炎で死んだ。
そのため2003年の産駒が最後の世代になる。
引退を有終の美で飾った2002年産駒ディープインパクトの子供に期待したい。
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12月22日 心斎橋

2006-12-24 13:58:01 | 音楽

大阪淀屋橋、役人天国大阪市役所前の電飾
昨日21日は以前勤めていた会社の忘年会で心斎橋まで「うどんすき」を食べに来たが
今日もまた心斎橋へ来た


心斎橋大丸百貨店


大丸の隣に今年再建なったそごう百貨店(手前は御堂筋)


そごう百貨店14階のそごう劇場でかみさんがオペラに初出演するので観に来た。
第1部は「アマールと夜の訪問者」、足の悪い羊飼いの少年と母親の住む貧しい
家に3人の王様が立ち寄り奇跡が起きると言う子供向けのオペラ。
少年と母親は関西二期会の若いソプラノ歌手、3人の王様と従者も関西二期会の
若手テノール、バリトン歌手。
そこに村人、羊飼い達の役でレディースコーラスのメンバーとして参加。
第2部は若手歌手の歌うクリスマス音楽のバックコーラス。
お客さんは三百人ほど、入場料四千円、かみさん達は無料奉仕、今月になってから
は手弁当で練習に出かけていたが終わってみて楽しかった、あっという間だったと
満足の様子。
良い経験をした一年だったようだ。
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11月20日 クリスマスコンサート

2006-12-24 11:04:18 | 音楽

今夜は我が家から車で5分ほどのところにあるSAYAKAホールへ
サンクスペテルブルグ室内合奏団のクリスマスコンサートを聴きに行った。
十数人の弦楽奏者(ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、ハープ)
の演奏で「G線上のアリア」「マドンナの宝石」「タイスの瞑想曲」etc.
二人の女性ソプラノ歌手による3大アヴェマリア(バッハーグノー編曲、
カッチーニ、シューベルト)などなど殆どが知っている曲ばかりで楽しい
コンサートだった。
一階だけで一千人入るホールは70%程の入り、子供も多かった。
サンクトペテルブルグといえば以前のレニングラード旧ロシアの首都
であったところだ。
そんなところからこんな田舎まで演奏に来てくれるとはありがたいことだ。
先週大阪のフェスティバルホールでも同じ演奏会があったがそこまで
わざわざ電車賃千数百円を払ってまで聴きに行く気はしなかった。
しかも入場料がこちらの方が5百円安い。
田舎も捨てたものではないと実感した。





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12月18日~19日 越前海岸カニ忘年会

2006-12-22 11:20:45 | 国内旅行

先週14日の「フグを食する忘年会」に続いて今週18日~19日は
若手3人と福井県の越前海岸へ「カニ食い忘年会」に出かけた。


10時30分大阪天王寺をスタート、名神高速から北陸道を通って敦賀まで行く
途中京都東を過ぎたあたりのドライブインで休憩、缶コーヒーを探していたら
「叶匠寿庵」の店があった。
そこで何気なく試食したのが「ごんぼうせんべい」。
4人全員「これは美味い」と意見が一致、確かにごぼうの香りがよく
塩加減もグー、歯ごたえバッチリ、お土産用と車内おやつ用とを買った。


敦賀で高速道を下りて8号線を北上、さらに海岸線を走る305号線
途中から河野海岸有料道路に入り¥890とられた。
昼食を食べる店を探したがこの辺りの店はすべて日帰り観光客用の
店で値段も2千~3千円以上のカニ定食や刺身定食ばかり。
今夜ご馳走を食べる我々は昼食は粗食でいい。
あきらめてコンビニでパンかおにぎりを買って食べることにしたが
そのコンビニがなかなか見つからない。
7時に朝飯を食べてから「ごんぼうせんべい」以外殆ど何も食べて
おらず空腹状態も絶頂に近い。


3時前この港の側でファミリーマートを見つけた。
私はおにぎり2ツとお茶を飲んで人心地ついた。




波の荒い越前岬、日本海の荒波と風の浸蝕作用で造られた巨大岩石の自然トンネル呼鳥門、
水仙の里公園を過ぎしばらく走った所で急な坂道を右折して山道へ入った。


坂道を500m程上ったところが今夜の宿泊所、4時前に到着し宿泊の手続きをした。

この建物はホテルだがこの下に広がる敷地にスペイン風、スイス風、中国風など
30軒ほどのコテージがありすべて会員制になっている。
我々が宿泊するのはログハウスで一泊メンバー1千円、ビジター2千円である。


ログハウスの1階は20坪ほどありバス、トイレ、キッチン、冷蔵庫、電気レンジ
などが備え付けであり、すべて食材を持ち込んで自炊することになる。
フロアはL字になっていて6人掛けのテーブルと電気炬燵がありその後ろに階段が
あり2階へ。


階段の上は右側にシングルベッドが2ツあり、左側は広い畳の部屋で押入れには
4人分の布団が入っている。
ログハウスから眺める日本海も素晴らしい。
すぐ側に露天風呂がありそこからの見下ろす日本海も素晴らしかった。


予定通り6時にカニ料理が届いた。
料理はこの山を下りた近くのカニ料理店からの出前である。
刺身の盛り合わせ、カニ酢、カニ刺し、焼きガニ、カニ味噌、カニ鍋セット(コンロ付き)
それに1人1匹づつの越前ガニ。
昼食をおにぎり2ツにしておいて正解だった。


今夜のメインはなんと言ってもこの地元で獲れた越前ガニ(タッグ付)だ!
蒸篭に入れて運んできたので蓋を開けた時はモウモウと蒸気が立ち込め熱かった。
料理が持ち込まれた時、これ1人1匹は多すぎて食べきれないと思ったが酒があれば
いくらでも食べられるものだ。
9時過ぎにはビール1ダース、一升瓶1本、焼酎1本(720ml)と共にきれいに
4人のお腹の中に納まってしまった。
その後11時近くまでウイスキーを飲んで寝た。


12月19日 今日は福井の名門「芦原ゴルフクラブ」でゴルフ。
日の出時間は7時頃なのでまだ薄暗いが雨は降っていないようだ。
ゴルフのスタートが9時なので7時過ぎに出発する予定であったが管理人が8時出勤のため清算がスムーズに出来ず7時半過ぎの出発になってしまった。
出発前にナビを入れて距離数と所要時間を確認したら「法定速度で計算すると目的地への到着時間は9時15分になります」と出た。
ゴルフのスタート時間に間に合わないではないか、さらにここでは食事が出来ないのでゴルフ場で朝食を摂る予定にしていたがそれどころではない。
急いで出発した、しばらく海岸沿いの道を走るが前を走る車もスピードを出して走っているのでそれについて順調に走行できた。
三国港の近くになると少しずつ車が入り込んできてスピードも落ちてきた。
特に軽自動車が前を走っているとイライラしてくる。
追い越し禁止区間が終わると折を見て一気に2台抜きを掛ける。
運転手は関西学院大学経済学部自動車学科の卒業なので安全運転は折り紙つき。
途中黄色信号になると必ず停車する、私のように黄色信号でアクセルを踏むようなことはしない。
途中から雨が激しく降り出し「こんな雨ならキャンセルだ」と言うと「北陸では雪以外ではキャンセルできません」と言われた。
ナビが目的地に8時45分に到着すると言ったのでホッとしたがそれでも朝食を食べる時間が無い。
急遽コンビニを探し私はまたおにぎり2ツとお茶の朝食にした。
スタート時間ぎりぎりに到着したが雨は止んでおりそのままスタートした。
各ホールは松の木で仕切られており距離は短いがグリーンの前後左右にはガードバンカーがある。
途中で雨が降り出したりしてラウンドに時間が掛かったので休憩をとらずにスルーでラウンドすることにしあわてて売店でパンと缶コーヒーを買って食べた。
2時半ホールアウト、風呂に入ったあと昼食はドライブインで食べることにして3時過ぎゴルフ場をあとにした。
5キロほどで北陸道加賀の入り口、あとは順調に走り、適当に休んで8時過ぎに帰宅した。
今回の旅行は名付けて「一点豪華食事旅行」であった。
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12月13日 柊の花

2006-12-13 11:34:36 | 集まり、同窓会


我が家の庭では今柊の花が満開だ。
植えてから15年ほどになるがこんなに咲いたのは初めてである。
南南西の角に大きいのが一本、北北東の角に魔除けとして小さいのが一本ある。
柊はモクセイ科モクセイ属で金木犀に近い種類だそうだ。
金木犀と同じように沢山の花が一気に咲き乱れている。
しかし葉はトゲトゲであまり香りもせず庭掃除の時には痛い葉っぱにいつも悩まされる。
お正月も近いのでお天気のよかった月曜日に葉刈りをした。
落とした葉っぱを片付けているとトゲのある葉っぱとツルツとしたトゲのない葉っぱがある。
調べてみたら樹齢が進み老木になるにつれてトゲも無くなり木も低くなってくるとあった。
なんだか人間みたいで愛着を感じた。



昨日の夜高校の同窓会があった。
会場は田舎の古い旅館で庭には洗濯物が見えたりして私には初めての場所であった。
遅れて途中から参加したが宴はすでに盛り上がっていて、私が入って行くと仲間の二人が立ち上がって「こっちこっち」と呼んでいるのでその向かいに着席した。
右横にいた女性がお酌をしてくれたので早速一杯頂き対面の二人と「一年ぶりだな」などと一頻り話をした。
左隣から甲高い声で話しかけてくる奴がいるので振り向くと、先月末に亡くなった同級生ではないか!
いったいこれはどうなっているのだと思いながら私も話をしている。
頭の隅ではこの連中は彼が先月亡くなった事を知らないのだろうか?
それなら彼は先月亡くなったという事を皆に喋ろうか・・・
いや今そんなことを話せば場がしらけてしまう、対面の一人は帰り道が一緒だからその時に話してみよう。
しかしこれは彼が俺を呼びにきたのかもしれない、帰りは交通事故などに遭わないよう気をつけて帰らなければなどと考えている。
そのうち一人帰り、二人帰りして気がついたら誰もいなくなっている。
それじゃ俺もと立ち上がったところで目が覚めた。
そういえば昨日彼の奥さんから主人が亡くなりましたと喪中のはがきが来ていたっけ。
また明日は鶴橋で私が幹事をしている高校時代の仲間との忘年会「フグを食す会」があり、人数の再確認をしなければと昨日寝る前に考えていた・・・
そんなこんなが頭の中にあってこんな夢を見てしまったようだ。
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12月5日 ウイルスにご用心

2006-12-05 10:33:08 | 集まり、同窓会


先月の末高校の同級生が亡くなった。
高校時代一緒のクラスになったこともあったがそれほど親しくも無かった。
数年を経て就職した会社の1年先輩によく似た人がいるなと思っていたら彼であった。
どちらからとも無く声をかけて確認できた時は驚いた。
配属された部署が違っていたので普段はあまり顔を合わすことも無かったが社内のゴルフコンペで一緒になったり、週末にプライベートでラウンドしたりした。
私が転勤で大阪を離れていた間に彼は会社を辞め自分で事業を立ち上げていた。
情報収集をかねて時々彼の工場へお邪魔していたが事業は順調で行くたびに機械や従業員が増えていた。
50歳を過ぎて事業を息子さんに引き継ぎ、地元の世話役を引き受け色々な面倒を見ていたらしい。
5年ほど前彼が入院したと聞いたので見舞いに行った。
ウィルスが脳に入ったとかで歩行と喋りが思うように出来なかった。
リハビリを一生懸命続けた結果退院したというので家にもお邪魔した。
かなり回復していたが歩行も喋りもまだぎこちなかった。
その後電話で奥様から時々様子を聞いていたがむしろ悪くなっているようなので見舞いにも行けずそのままになってしまった。



同じ頃会社の1年後輩が同じような症状で緊急入院した。
最初は風邪かと思っていたが症状がおかしいので慌てて入院したそうだ。
病院へ見舞いに行ったがやはりウィルスが脳に入ったと言っていた。
半年余り前、5年かかって七分どおり回復したので快気祝いとしますと言って来たので電話で話をしたが本当に七分回復の話し方、歩く方は電話では分らないが五分回復ぐらいではないかなと感じた。
最近身の回りでこの手の話が多い。
私自身が昨年7月、暑い中汗だくになって横浜、鎌倉と歩き回った半月後、頭に帯状疱疹が出来慌てて病院へ行った。
幸い1週間の投薬で症状は治まったがいまだに時々頭が痒くなる。
今年の8月には1年後輩の運動部仲間がハント症候群という病気に見舞われ、顔の右半分の神経が侵され入院して点滴治療したがまだ完全回復はしていない。
体重も7kg減ったままでまだしばらくリハビリと体力回復に専心しなければならないそうだ。
これはウイルスが耳に入ったのが原因らしい。
さらに先週、今月12日にゴルフに行く予定をしていた仲間から背中に帯状疱疹が出来1週間入院して点滴治療していたのでゴルフに行けないと言ってきた。
以上いずれも60歳を過ぎて元気だと思っていた連中ばかり、自分ではまだまだ若くて元気なつもりでも体力は間違いなく落ちているということだ。
いま大阪ではノロウイルスが猛威を振るっている。
これは食事と一緒にウイルスがお腹に入り胃腸を荒らすのだ。
これからはインフルエンザウイルスが心配だ。
お互い無理をしないようにしよう。







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