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山歩きが出来ないのでまた映画を見に行った。
便利になったものでいちいち電車賃を払って大阪まで行かなくても車で10分ほど走れば泉北NTのシネコンに行ける。
シネコンの周りにはスーパーやいろんな専門店があり駐車料金はタダ。
近所の奥さん方は子供を学校へ送り出した後シネコンで映画を観て買い物をして来るそうだ。
観た映画は「それでもボクはやってない」。
満員電車の中で痴漢に間違えられた若者が無罪を訴えて闘う実際の冤罪事件を題材にした映画である。
裁判員制度についての研修会を受けた後なので興味が湧いて観ることにした。
就職試験に行く途中痴漢に間違えられて逮捕、警察の留置所に入れられてしまう。
ここからは逮捕された若者の物語ではなく裁判の仕組みを具体的に判りやすく教えながら冤罪はどのようにして作られてゆくのかという物語になる。
まず警察で痴漢をしたことを認めれば調書が作成されて前科者になるかわりに帰宅が許される。
しかし無罪を主張すれば数日間拘留され毎日検察庁まで護送車で連れて行かれ尋問を受ける。
もちろんその間に弁護士を選定して相談することは出来る。
検察官が告訴を決めれば被告となりそのまま裁判になる。
しかし絶望的なことに日本の裁判では検察が告訴と決めた事件は99.9%有罪になるらしい。
この映画でも痴漢の証拠は何もない、いたずらしていた手をつかまれたわけでもなく、被害者の女学生が「この人が後ろでゴソゴソしていたから」という程度のことで目撃者は誰もいない。
しかし痴漢となると最初に引き渡された鉄道関係の人も心情的に可愛い女の子が被害に遭ったと訴えているのだから本当だと思うだろう。
しかし被害者にも名指しされた人にも確かな証拠は何もない。
検察はそういう周りの状況から判断して起訴するかどうかを決めることになるが起訴しない理由は見当たらないから起訴することになる。
起訴したからには何が何でも犯人にしないと自分の実績に関わってくる、従ってその後被告に有利な証拠が出てきても弁護側から指摘されなければ隠し続ける。
さらにこの映画では担当した裁判長がリベラルな人で過去にも無罪判決を下したことが何度かあり今度の裁判でも被告側に優しい対応をしていた。
そのためこの裁判の途中で裁判長が交代になり今までの裁判長は地方に飛ばされ替わった裁判長は被告側に厳しい対応をする。
「エーッほんとかよ!」と思うが、「ShallWeDannce」を作った周防正行監督が実際の冤罪事件を題材にして作成したのだから間違いない事実なのだろう。
映画の流れではこれは無罪だなとの印象を受ける、さらにその電車に乗り合わせていた女性を探し出して「状況から考えてこの人は痴漢などしていない」と裁判で証言するが「状況だけでは無罪とする証言にはならない」と裁判長から切り捨てられる。
判決は有罪。
映画の中で裁判は何のためにあるのか「無実の人を犯罪人にしないため」と云っていたが、観終わって悔しさ、空しさが大きかった。
最近日本の裁判はおかしいという声をよく聞く、この映画を観てその理由がよく分った。
検察があまりにも強く、裁判官が弱すぎるからだ。
司法がほんとに弱体化している、検察は国家であり、裁判官はサラリーマンであると感じた。
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痴漢といえば思い出す出来事がある。
もう10数年前になるが仕事が終わって7時ごろ地下鉄御堂筋線の中百舌鳥行きの電車の1番前の車両に本町駅から乗車した。
車内はそこそこ込んでいた、ドア付近は特に込んでいたが私は2ツ目の難波で降りるので中へは入らずに乗り込んだドア付近の真ん中辺りにそのまま立っていた。
電車が次の心斎橋駅へ着きドアが開いた瞬間私の斜め右横で背を向けて立っていた女性が突然「この人痴漢です、梅田からズーッと触ってました」と大声で叫んだ。
周りの人達は一瞬誰のことか分からず自分の周りを見廻している。
私はすぐ横で声がしたので一瞬自分が言われたのではないかとビクッとした瞬間開いたドアから逃げるように降りようとしている小柄な男がいた。
ほんの瞬間のことなので周りの人もその男を捕まえようとはしない、こういう時には若い人がしっかりしている、サッとホワイトナイトのような若者がしっかりその男を捕まえていた。
少し揉みあっていたが駅員が飛んできて駅長室の方へ行こうとしていた。
電車はすぐに発車し次の駅で私は降りた。
御堂筋線の先頭車両は痴漢が多いと聞いてはいたが自分のすぐ前でこんなことがあるとは考えてもいなかっただけに驚いた。
以後しばらくは乗り換えには便利であっても先頭車両には乗らないように気をつけ、車内では吊革を持つよう心がけていたがいつしか忘れてしまっている。