晋ちゃんの気ままな散歩道

あっちこっち横道にそれたり休んだりしながら気ままに散歩しています。

磯長山叡福寺(しながさん えいふくじ)

2022-06-11 17:21:17 | 歴史
   
  昼食場所からマイクロバスで約30分、聖徳太子の御廟所叡福寺に到着
  南大門に向かって石段を上ります
  南大門は天正2年(1574年)の兵火で焼かれ、慶長年間に再建、昭和33年老朽のため再々建築されました
  左右に金剛力士を安置しています

  聖徳太子自らが廟所として選定された磯長廟は、大和から二上山を越えて河内に入った丘陵を利用した円墳(高さ7.2m、直径54.3m)で
  内部は横穴式の石室になっています
  叡福寺は四天王寺、法隆寺と並んで大師信仰の中核となった寺院であります

   
  真正面が二天門、その奥に御廟があります  
  二天門に向かって左側に金堂(府指定文化財)があります

          
                           金堂          

   
  金堂に入ってお坊さんの話を聴きました
  金堂は享保17年(1732年)に再建、本尊は高さ90cmの如意輪観音の座像
  聖徳太子の本地が観音菩薩像であるという平安朝以来の信仰に基づいています 脇侍は不動明王と愛染明王  

   
  宝塔(重要文化財)

   
  二天門の先にある聖徳太子御廟所
  推古30年(622年)太子が49歳で死去された後、前日に亡くなった妃と2か月前に亡くなられた母とともに埋葬され、
  三骨一廟といわれるようになりました

   
  その後ろの山は結界石でしっかり囲われています
  御廟の前には大師を敬う空海、親鸞、叡尊、良忍、一遍、日蓮など多くの賢聖、名僧が参篭
  日本の大乗仏教の聖地として栄えてきました

    
  太子廟を中心にして周辺には敏達、用明、推古、孝徳天皇陵や小野妹子、大津皇子、源氏三代墓などがあります  

   
  経蔵 六角形の建物で沢山の写経典が収められています      弘法大師堂、本尊は60歳の弘法大師像

   
  
聖徳太子は敏達元年(574年)飛鳥の地に誕生され、20歳で伯母である日本最初の女帝推古天皇の摂政となり
  32歳の頃には日本最古の憲法「十七条の憲法」を制定されました
  第一条「和をもって貴しとせよ、さからうことなきをを宗とせよ」
  第二条「熱く三宝(仏、法、僧)を敬え」
  第十条では「我かならずしも聖にあらず。かれかならずしも愚にあらず」
  対立融和を説いた「和の精神」は人間の憲法であります
  ありがたいお寺にお参りし、余生を心広く生き続けることを悟らされました







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スターリンとプーチン

2022-05-24 10:40:58 | 歴史
    

    昨日の夜、そろそろ寝ようかと思いテレビのスウィッチを切りかけた
   その時スィッチを切るなと言わんばかりに始まったNHK映像の世界
   「スターリンとプーチンウクライナ百年の悲劇」
   スターリンは英雄と思っていたがとんでもない野郎だったのだ

   プーチンが理想としている狂気の独裁者スターリンは
   グルジア(現ジョージア)の靴職人の3男として生まれ
   ロシア革命を経てソ連建国のレーニンが死去すると最高権力者になり大粛清を実行した
   あまりの極悪非道さに改めて目を奪われ
   45分間テレビの前にくぎ付けされた  

   
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真田十勇士

2022-05-05 09:23:06 | 歴史
    
   久しぶりによく歩き、やっと九度山駅に戻って来た
   電車はなかなか来ない

     
     駅に真田十勇士の絵が貼ってある                猿飛佐助と霧隠才蔵

     
     三好清海入道と三好伊佐入道                  海野六郎と根津甚八

     
     望月六郎と穴山小助                      由利鎌之助と筧十蔵

     ババンバンバン 旭堂南陵の講談でよく聴いたものだ
     電車はなかなか来ない
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仁徳陵を気球遊覧

2021-01-28 22:15:55 | 歴史
            
               今朝の新聞に「古墳眺める気球」の事業者募集の記事が出ていた
             堺市が世界文化遺産の大山古墳(仁徳天皇陵古墳)を上空から眺める
             ガス気球の計画について運営する事業者の募集を始めると発表した
             大山古墳に近い大山公園から20~30人乗りの気球を上げ
             最高で150m上空に浮かべる
             乗船料は3,000円~4,000円位を予定

             実現されたら気球の上から大山古墳を見下ろしてみたい

             今日のNETでゴルフの渋野日向子にテレビ東京の社員の恋人ができ、
             週一でホテルでデートと出ていた
             
             待てよ、今はそんなことをしている時ではないのでは・・・
             まして相手の男性はコロナに感染しているそうではないか
             
             早く正気に戻ってゴルフに集中してほしい

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狭山池の龍神淵

2021-01-18 12:11:12 | 歴史
                   
                    狭山池へ歩きに出かけた
                 コミュニティーバスで福池前で下車正面の階段を上った

                
                 日曜日だから駐車場も満杯

                

                
                 散策する人や凧揚げをしている人、家族連れが多い

                
                 正面の階段を上ったところ

                
                 目の前が「竜神淵」だが池の水が干上がっている

                
                 水を抜いたらこんな具合になるのだと思ったが
                 地元のコミュニティー紙に詳しい説明が出ていた
                 これは「池干し」と言って冬季に池の水を抜いて泥を乾燥させることで
                 アオコなどの藻類などの発生を防ぐ管理法なのだそうで
                 池干しは2月ごろまで続くとあった

                 池の水を抜くと「龍神淵」と呼ぶ直径27m、深さ5mの円錐状の穴が現れ
                 この時期の風物詩だそうだ
             
                 説明を読むと、狭山池には大昔からメスの大蛇が住んでおり
                 隣の富田林の栗ケ池に住むオスの大蛇と夫婦であった
                 毎夜夫の住む池に通う道すがら途中の田畑を荒らし、
                 困った農民たちが龍神社を建立し雄の大蛇を狭山池へ導いたそうな

                 私は50年余り狭山に住んでいながら知らなかった


             
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狭山池博物館

2020-11-21 16:08:30 | 歴史
      
          狭山池博物館の手前に狭山池の歴史をつないだ考古学博士末永雅雄の像がある
                 
                
                      エレベーターで1階に下りた 

                
                      すごい水のカーテンだ

                


                


                

                
                水庭の放流は正時を挟んで10分間流れる
                水庭を進むと円形広場に入り、その奥の階段を上がると博物館の入り口


               
               館に入るとすぐに大きな土の壁、本物の堤防を薄く切り取ったもの
               古い北堤を南北にうすく切り出して館内に移したもの
               幅は62m、高さは15.4m断面に地層が見えます
               狭山池が造られてから何度も改修が行われたことがわかるそうです

                
               狭山池の改修は台風の大雨がきっかけであった
               1982年8月狭山池の下流で大水害が発生した
               そこで池の底を3m深くし、堤防を1.1m高くして水害が起きない様改修した

                
               この工事は1988年からはじまり、2002年まで14年間続いた
               これが「平成の改修」
               この時末永先生はすでに90歳を超していましたが、自宅から調査現場の様子に
               思いをはせながら、改修から3年目の1991年帰らぬ人となりました

                
               狭山池がいつごろ造られたかは長い間分からなかった
               それが平成の改修で堤の東側から見つかったコウヤマキの樋の年輪から
               西暦616年(推古天皇や聖徳太子の時代)であることが分かった
               7世紀ごろは百済(韓国)や隋、唐(中国)から土木や農耕の技術が入ってきた
               そういった外国と対等な関係を作るため、水を確保し、農業を盛んにして
               日本を豊かな国にしようと考え狭山池がつくられた

               
               ここには改修の折に出土した資料が並んでいます
               大きなロケットのような形をしているのは大正から昭和初年の改修で設置された
               取水塔(鉄筋コンクリート造り)

               
               江戸時代の東樋(重文)

                               

               
               建仁2年(1202年)重源が改修に用いた古墳の石棺を用いた石の樋(重文)
                
               
               石棺や復元した石樋取水部

               
               天平3年(731年)狭山池を改修し、東大寺の大仏を作るのにも協力した僧行基
                                               
               
               行基は先日ウオーキングで行った堺(深井)の土塔も造っている

               
               その後鎌倉時代に大規模な改修を行ったのが東大寺の復興でも知られる重源
               狭山池の改修は82歳の時だったそうだ

               
               このあと南河内の土木遺産展を見て池博物館を出た                



                






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初詣

2019-05-04 18:19:18 | 歴史
 
      年号が令和と改まり橿原神宮へ初詣に出かけた
     毎年正月には初詣に車で出かけていたが最近は近場の神社で済ませていた
     車がなくなったので河内長野から近鉄電車で橿原神宮へ
     新緑のころの初詣は生まれて初めてだ
     いつもは食べ物屋の屋台がずらりと並ぶ参道は瀬戸物市になっている
     令和が平和で幸せでありますようにとお参りをした


 
      神社の対面に新天皇お手植えの樹が大きく育っていた
     新緑の候、藤の花が満開であった
     
     







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4月30日(火)大晦日

2019-04-30 23:59:59 | 歴史
 
     今日は平成最後の10連休の大晦日、花爛漫のゆく年くる年
    明治、大正、昭和と天皇の崩御による改元であったが今回は初めて体験する普段着の改元
    平成天皇の30年余のドキュメントが毎日のようにテレビで流れているが
    ジッとこらえて公務に励まれた心中はいかにと思うと改めて大変だったと感じさせられた
    開国以来戦争続きで国民を犠牲にして築いた平和日本、
    その中で私は戦争をほとんど体験することなく80年を過ごせた
    今日で最後となる天皇、皇后は私が大学生の時に結婚された
    初めて民間から迎える皇后ミッチーで世の中は一気に明るくなった
    戦後の雰囲気は一気に払拭された
    しかし安保闘争はまだまだ続き、アメリカによる占領統治はいまだに続いている

    その中で昭和天皇の負の部分を少しでも和らげようと
    ひたすら祈りの行脚を続けられたことが今回のテレビなどの報道でよく理解できた
    
    新天皇がどういう天皇になられるのか、明日から始まる令和の時代を見守って行きたい
    
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祇王寺

2018-05-13 23:20:00 | 歴史
      
          筍を食すツア-に行った折祇王寺に寄った。

               
               ここを右に曲がると祇王寺。 
               

      
               
             祇王寺、あまり広くない苔の庭、新緑が最も美しい五月。
            緑一色の苔庭、草庵そして山門。
            若竹のみどりと楓の風が静かに流れてゆく。


               
               「祇園精舎の鐘の聲、諸行無常の響きあり」で始まる平家物語。
              この中に、祇王、祇女の話が出てくる。
              平氏全盛のころ、平清盛と二人の女性の哀れな物語である。
              正面に向かって左の印塔が祇王、祇女と母刀自の墓。
              右の五輪塔は清盛公の供養塔。

 
               
              祇王寺を出て駐車場へ引き返す。
              
              歩いてみて今までに来たことがあるか、来ていたとしても60年以上前、定かではない。
 
              
              化野念仏寺、ここは以前来たことがあり、素通りし、貴船神社に向かう。
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4月10日(火) 天野山金剛寺

2018-04-10 23:59:11 | 歴史
               
               河内長野市にある名刹、天野山金剛寺の金堂(重文)が9年がかりの解体修理を終え、
              落慶法要が先月27日に営まれた。

              
           
               毎年お彼岸のころに土筆を取りがてら、金剛寺まで天野街道を歩いていたのを思い出し行ってみた。

                    
                      門をくぐるときれいになった金堂が目に入った。
                   正面は五佛堂。


                    
                    今回の修理で金堂の外装は色鮮やかに塗り直されている。
                    
                    

                    
                    お堂の中に入った。
                 堂内には本尊の木造大日如来坐像が木造不動明王座像、木造降三世明王坐像を従えてそびえている。


                              
                             重文木造大日如来坐像、平安時代、像高313.5cm

                
       重文 木造降三世明王坐像、鎌倉時代、像高220.9cm。 重文 木造不動明王座像、鎌倉時代、増高207.5cm。
            これらの三尊像は京都と奈良の国立博物館で修理されたが、
            不動明王座像の胎内に、快慶の高弟、行快が1234年に造ったとの墨書が残っていたそうだ。


            金剛寺にはほとんど毎年ウオ-キングで来ているが金堂の中へ入ったことはない。
            どこのお寺へ行っても拝観できるお像は埃をかぶったものが多い。
            しかし今、目の前に見るお像は色鮮やかで素晴らしい。
            特別拝観料800円は値打ちがあった。
            これからは外国からの観光客も大勢来るだろう、普段閉じている扉を開いてご尊顔を公開してほしい。
            そのためには普段のお勤めとともに、ほこりをかぶらないように掃除を徹底してほしい。
            拝観料を1000円取ったとしても、この鮮やかな色彩は外国からのお客さんには喜ばれるだろう。

                           

            
                重文 塔婆(多宝塔)                           重文 食堂
          南北朝時代には南朝、北朝の天皇や法王が寺を行在所として動乱の舞台になったが、金堂と本尊は無事であった。


                              
                              桜の花も残っているのは八重桜ばかり。
                           普段に比べればお参りする人も多く賑わっていた。
                           汗ばむほどの暑さの中境内も散策してきた。


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