晋ちゃんの気ままな散歩道

あっちこっち横道にそれたり休んだりしながら気ままに散歩しています。

10月28日 体力がなくなった

2008-10-28 18:30:30 | 散歩道

半月ほど前から体調が悪い、風邪だろうと思っていたが少しも良くならない。
医者に行って薬を貰っているが現状以上に良くも悪くもならない。
”しんどい”と言いながら毎日出歩いているので仕方ないのかもしれないが以前ならそうこうしている間に治ってしまったのだが・・・
体力が落ちたのか?取敢えず血液検査の結果を待っている。


こんな時に限って忙しいスケジュールになっていた。
自治会の文化祭のあと18日は朝から「まち大」の第一回目の講義、天理大学教授の
「これからの市民協働の進め方」、午後からは梅田の阪急グランドビルで「進交会近畿支部総会」、桂文華の落語を楽しんだ、まくら話では「桂きんし」の名付けのいわれ・・・「きんしの本名は「立入」と言うそうで「立ち入りきんし」となったとか「ぶんちん」は師匠が書き物をしていた時、風で紙が飛んだので「文鎮を持ってこい」と言った時持って行ったのが「ぶんちん」だったのでその名前になったとか、天国で一番短い落語は「あのよー」だ、てな喋りのあと本題「はてなの茶碗」の一席を楽しんできた。


19日の日曜日は朝から帝塚山学院大の学祭「葡萄祭」。


自治会の「クリスマスコンサート」に出演を依頼している大学のゴスペルサークルの演奏を聴き、出演を確認してきた。
午後は公民館で「ジョイフル」が11月9日のさやか大ホールでの「市民文化祭」で唄う歌の練習。
20日は防犯ポスター作成の会議。
21日は箕面ボルフクラブで進交会のゴルフコンペがあったが気力ダウンで欠席した。
22日は古紙回収についての会議と続いた。
会議とかなんかに没頭している時はしんどいのを忘れているが終わった後ドッとこたえる。


25日は午後から「まち大」で「狭山池博物館」で狭山のまちの歴史を勉強。
あと夕方まで狭山池の施設見学、市の文芸委員の説明であらためて狭山池の凄さを感じた。
しかし年間の維持費が1億数千万円、池から出土した木簡や石棺の空調管理だけで4千万円掛かっており、橋下知事から3千5百万円の節減を求められているそうだ。
夜は「せいだんクラブ」出席者54名、久し振りに酒を飲んで歓談してきた。
26日は午前中の防災訓練は雨で中止、午後「ジョイフル」。
昨日27日は防犯ステーションの夜の防犯パトロール、夜になると風が出て冷えてきた。
今日28日は自治会幹部会、29日30日は自治会費の集金をしなければならない。
今月は13日以降朝の散歩は全然行っていない。
まだブログを書く気になれず、以前から書き置いていた旅行記の投稿を続けます。
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10月13日 散歩道 稲刈り

2008-10-13 11:31:30 | 散歩道

6時に家を出てトンネルの上から撮った今朝の日の出。


3連休の最終日、たわわに実った田圃の中の道を歩いたり、ジョギングしたりしている沢山の人に出会った。


この田圃は稲刈りが終わっている。


年に一度のお祭りも昨日で終わった。


途中から大野のほうへ抜けて8時に帰宅した。
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10月12日 秋祭り

2008-10-12 19:03:40 | まつり

今日は朝から街区長会議。
午後から別な会議で自治会へ行く途中狭山のだんじりに出くわした。
細い道路なので車も通れない。
以前知らないで近道しようとしたら遥か先にだんじりがおりユックリ進むので往生したことがあった。


岸和田のだんじりに比べると一回り小さく引き綱も一本で引き手も金髪に染めたアフロヘアーのヤンキーのような女の子が多く、だんじりに乗っているのも一番右手に見えるヤンキー頭のアンちゃんがマイクで囃子歌を歌っている。
スピードは出さないので危険は少ないと思うが見物人も殆ど居らず引き手もせいぜい40~50人マイクの囃子歌だけがガンガン聞こえる盛り上がりのない祭りのように見えた。
夕方から夜にかけては南海電車の金剛駅前に5~6台が集まってパレードをするらしい。


この祭りは狭山の古くからある地区の祭りでニュータウンにはだんじりはない。
昨年ニュータウンの若い人たち30人ほどがだんじりを持ちたいので協力して欲しいと言ってきた。
このだんじりなどは彫り物も少なく岸和田のように1億円もしないだろうが何千満かはするだろう、無理ならレンタルでもいいなどといってきた。
自治会の中にはニュータウンの活性化にはいいのではないかなどと言い出す人がいたが、だんじりを持ったら1年間格納する場所やら、保全の知識、ベテランの引き手がないと無理で責任者もいない状態でそんな馬鹿げた事を言わないで欲しいと思った。
今までも殆ど祭りは見たことがなかったが今日のだんじりの様子を見てこんな祭りではニュータウンの活性化になるような祭りでないことが分った。
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10月11日 まち大と南海コンサート

2008-10-11 19:35:00 | 音楽

今日は朝9時半から市役所別館で第4期狭山まちづくり大学の開校式とオリエンテーションがあった。
新しい”まちづくり”は市民参加のまちづくりであり、協働の概念に基づくまちづくりを目指し、市民も行政の現状をより深く理解し、行政職員が担当する分野の現状について話し、市民と行政が考え、新しいまちづくりを目指し活動を展開してゆくことを目的とするものである。
これから来年3月まで半年間ほぼ毎週土曜日に講義、演習を行い全26単位を習得することで卒業となる。
今まで3期で100人の卒業生が誕生している。
希望者が多く今回も申し込み順で30名が受講する。
市長の挨拶のあとオリエンテーションがあった。
市長の挨拶の中で特に強調していたのが地方分権の推進、そのためには市民の理解と協働が必要になる。
今の国(官僚)が縦割りで全てを差配しているのを分散し地方にドンドン権限を委譲して行かないと日本はますますおかしな国になって行くということだ。
市長の具体的な話では狭山市に府の保健所があったが合理化のため富田林市に移転した、そのあとの建物(土地は狭山市の所有)を狭山市の市民の活動センターにしたいと府の許可を取り付けた。
ところが保健所は厚労省に属し、市民活動は総務省に属するので認めない。
幼稚園児が減り幼稚園を保育所に変えようとするが幼稚園は文科省で保育所は厚労省の管轄なので簡単に変更できない、こんなことは市の中の問題なのだから市の判断で変更すればいいのに出来ない、無駄な縄張り争いばかりしている。
こういう現実を理解し、まず町の歴史を学び、池博物館、浄水場、ごみ処理工場、下水処理場、公園、市議会などを見学し市民自治、市の財政、地方分権と行財政改革、防災、子育て、学校と地域社会、ごみ対策、地域福祉、高齢者福祉、自治会、市民活動などについて勉強することになる。

午後からはSAYAKAホールで大フィルの第52回南海コンサート「オーケストラの大冒険」と題してムービー、ポップス、ミュージカル、クラシック音楽を大オーケストラで演奏した。
「パイレーツ・オブ・カビリアン」「ジェラシックパーク」「ウエストサイド・ストーリー」などが見事にアレンジされて楽しかった。
クラシックではルロイアンダーソンの曲や「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲などが指揮者のウイットに富んだ司会と案内で会場超満員1,200人のお客さんは大満足。
そして最後がラベルの「ボレロ」今までテレビでN響の演奏会などでは観たが生演奏を観て聴くのは初めて、プレリュードからクライマックスまで音(楽器)が移ってゆく全体が良く見えるように2階の最前列の席で楽しんだ。
今週は旅行、ゴルフ、ウクレレ、まち大入学、コンサートと充実した1週間であった。



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幻の越美南北線(1)

2008-10-11 12:15:33 | 国内旅行
10月5日(日)
5時に起床、小雨の降る中リュックを背負って金剛駅まで歩き(日曜日は一番バスが遅い)幻の「越美南北線ツアー」に出かけた。

大正時代岐阜県美濃加茂市の美濃太田駅から岐阜県郡上市白鳥町石徹白(旧福井県大野郡石徹白村)を経由して福井県福井市の南福井駅(貨物駅、現在越前花堂駅)迄全長148.6km、駅数60、全線単線、非電化(蒸気機関車)を結ぶ鉄道線路を日本国有鉄道が計画した。
大正12年「美濃太田」ー「美濃町」間17.7kmが開通、昭和9年現在の終点「北濃」まで延伸した。
これが現在の越美南線となる。

一方福井県側では昭和35年南福井ー勝原間43.1kmが開業、昭和47年現在の終点九頭竜湖駅まで延伸した。
これが現在の越美北線(愛称九頭竜湖線)である。
その後モータリゼーションの発達と道路の延伸、整備により越美南北線とも延伸計画は幻となり、分断されたままになっている。

越美南線は昭和61年第3セクターの長良川鉄道に移管され、越美北線は昭和62年国鉄の民営分割時にJR西日本に継承された。
分断されたままの北濃ー九頭竜湖間(24km)にはJR東海バスが運行されていたが平成14年に廃止された。
そのため現在北濃ー九頭竜湖間はタクシーをチャーターしない限り鉄道ではスルー出来ない。
今回のツアーはこの間をバスをチャーターして貫通しようという企画である。

7時15分新大阪駅に集合7時30分発「ひかり408号」で名古屋に向けて出発した。


8時33分名古屋駅到着、右手のホームにこれから乗車する特急「ひだ3号」が見える。

 


特急「ひだ」の車内、明るくきれいだ。
車椅子優先の座席もある、空席なのでここに座って車窓からの写真を撮ることにした。
新幹線で隣の座席に座った男性は日本国内のJR全線の塗りつぶし中で、あと北海道は江差線(木古内~江差)、東北は青森と秋田の一部支線など飛び飛びに少しづつ残っており、今回はその一つ越美南線、越美北線を塗りつぶす目的で参加したそうだ。
そのほか列車の写真を撮るのが趣味だとか列車に乗ることが好きでいろいろ珍しい企画に参加しているなど男性一人での参加が多かった。
「ひだ3号」は名古屋から東海道線を岐阜まで戻り、岐阜から高山線に入り美濃太田、下呂、高山、越中八尾を通って富山まで行く。
岐阜で高山線に入る時スイッチバックするので進行方向が逆向きになる。
男性二人連れの外国人が乗っていたが途中車掌が検札に来たので見ていると言葉がうまく通じないのだろう男性二人はパスポート一生懸命見せようとする、何回かのやり取りのあとやっと乗車券だと分ったようだ。


特急の二つ目の停車駅「美濃太田」で私達は下車した。

 
ここで長良川鉄道(元越美南線)に乗り換える。


ここ「美濃太田」駅はもう一つJR中央本線の「多治見」駅へ接続する太多線の始発駅でもある。


これから乗車するディーゼルカー(新車)。


長良川鉄道「美濃太田」駅の行き止まりである。


左上の美濃太田駅から北濃駅まで72.1km、38の駅を1時間54分かけて各駅に停まって行きます。
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幻の越美南北線(2)

2008-10-11 12:15:14 | 国内旅行
 
「美濃太田」駅をスタートして最初の大きな町、刃物で有名な「関」駅。

 
続いて「美濃市」駅、美濃紙の発祥産地、ここで車両対向。
日曜日で普段がらがらの車両に23人もの団体が乗っているので乗車してきた地元の人たちは驚いている様子。
ツアーの説明をすると「こんなに大勢の人に乗ってもらい有難いことだ」と感謝された。


車両は長良川と何度も交錯しながら北へ北へと向かう。
長良川の源流は富士山、立山と並ぶ日本3大名峰の一つ白山(2,702m)だそうだ。
白山を源流とする川は岐阜県へ流れる長良川、福井県へ流れる九頭竜川、石川県へ流れる手取川がある。
鮎釣りをしている人が見える、落ち鮎釣りだろうか。

 
「郡上八幡」駅、昔は郡上八幡の盆踊りが有名で賑わったそうだが今では越中八尾の盆踊り「風の盆」の方に人気が移ってしまったようだ。

 


郡上八幡駅を後にして長良川と国道と鉄道がくっついては離れまたくっついて進む。
さすがに長良川は清流、水がきれいだ。 


長良川鉄道は長い長い一直線の線路が延々と続く。

 
34番目の駅「美濃白鳥」駅、終点まであと3ツだ。

 
11時42分終点「北濃」に到着、前半の1時間54分の旅は終わった。
それにしてもこの道中沿線に建つ家はみな新しく立派で大きい、何を生業としているのか知らないがここは地方格差など関係なさそうだ。
朝食が早かったのでお腹が空いてきた、持って来たオニギリを一つ食べた。


終点に着いて全員下車、車両はこのあと12時19分発で美濃太田へ折り返して行く。

  
さすがに終点だ、以前蒸気機関車が方向転換していた当時の転轍機が残っている。
その先の線路は草茫々だ。


コスモスの陰で車両も1両で寂しそうに見える。




駅を出てここからバスで乗り継ぐことになる。



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幻の越美南北線(3)

2008-10-11 12:14:46 | 国内旅行

北濃駅からこの貸し切りバスで国道158号線越美トンネル、油阪峠を通って九頭竜湖へ抜けるコースになる。
油阪の由来は1575年(天正3年)織田信長による越前一向一揆討伐で峠を死守した時流れた血が油のようにぬるぬるして歩けなかったとか峠の標高差が420mと険しく峠を上る旅人がダラダラと油汗をかいたことから「油阪」と名付けられたとか諸説がある。
バスで下から見上げると山に鉢巻を巻いたようにループ状の高架橋とトンネルがあり、途中で東海北陸自動車道や中部縦貫自動車道に繋がっている。
まず峠を越える前に美濃白鳥のドライブインで昼食、お腹が空いていたのでご飯のお代わりをした。
昼食のあとバスのツアーのメンバーの人から「もしかしてあなたは・・・」と声をかけられた。


子供の頃私の家の近くに住んでいた小、中、高同級生のお兄さんであった。
50年以上面と向かい合って話したこともなく街中で出会ってもお互い気がつかなかっただろう。
私の名前に特徴があり、添乗員がその名前を呼んでいたのでもしかしてと思って声をかけれこられたそうだ。
こんな奇遇があるのか早速記念写真を撮ってもらった。

 


九頭竜湖ダム。


ここへは20年ほど前にマイカーで来た事があったがその時はひどい雨で福井へ戻った途中の道路があとで落石で大きな被害が出た事を思い出した。

 
無事峠を越えて越美北線九頭竜湖駅に着いた。    駅前では恐竜が出迎えてくれた。
駅前は道の駅「九頭竜」になっている。


ホームには福井行きのディーゼルカーが停まっている。 

 
これが九頭竜湖駅の終点、JR西日本だけに終点もシッカリ行き止まりになっている。
行き先は真っ直ぐトンネルに繋がっている。

 
14時33分発車、次の「越前下山」駅に向かう。

 
「越前下山」駅 谷間の何もない駅だ。

 
越美北線も越美南線と同じように真っ直ぐの線路がどこまでも続く。


「越前大野」駅、ここには1580年織田信長の武将、金森長近が築いた越前大野城(昭和43年に復元された)がある。
また名水百選に選ばれた「御清水」や平成の名水百選「本願清水」、朝倉義景の墓所もある。
以前は京福電鉄勝山線で勝山とも繋がっていたので勝山の平泉寺白山神社(国史跡平泉寺)へも行けた。
20年ほど前、車で行ったが平泉寺の杉の老木と青苔に覆われた庭は素晴らしかった。
日曜日なので大野観光の人たちが沢山乗車して来た。


「美山」駅、ここで車両が対向する。
平成16年7月の福井豪雨で九頭竜湖支流の足羽川が氾濫し越美北線に架かる足羽川鉄橋が全て壊滅、3年間鉄道は不通になった。
そのため美山、一乗谷、越前東郷間は列車代行のバス運転となっていた。
それが全通したため今回の企画にもなった。




足羽川鉄橋は7ツあるが全て橋脚を減らし新しく架け替えられた。


終点「越後花堂」駅、ここからは北陸本線の線路に入り福井駅まで行く。


足羽川に架かる最後の鉄橋、この辺りの土手は桜の季節には見事な桜並木が続き壮観で桜の名所である。


列車は福井駅に到着。
福井駅が見違えるように立派になっている。
以前は木造の陸橋を渡り改札口から見える乗車ホームへ行ったが、今はどこが改札口なのかホームで迷ってしまう。
16時02分発、富山行きの特急「しらさぎ9号」が到着したところだ。


私達は16時05分発特急「雷鳥34号」で大阪へ帰った。
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10月10日 ウクレレを始めた

2008-10-10 18:59:59 | 音楽

9月1日公民館の場所取りの日に新しく「ウクレレSAYAMA」という同好会が出来たことを知り今日が初めての練習日なので見学に行った。
男性4名、女性8名で先生は和泉市の女性で近隣の公民館や集会所など10ヶ所で教室を持っているそうだ。
来年四月に各教室合同で演奏会?をする予定でまずこれから半年間それを目標に練習する予定になっている。
見学とはいうものの入会するつもりであったし、会の方もあと1~2名は入って欲しいようなのでその場で入会した。
まず簡単なコードの練習をしたが指が思うように動いてくれない。
指先は痛くなるは肩は凝るはチョット心配だ。
他のメンバーは以前5回ほど練習をしているので様になっている。
月2回の練習で半年もやれば演奏会に出られるくらいにはなれるだろう。
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10月4日 佐伯祐三展

2008-10-04 12:35:00 | 美術

今朝の日の出、陶器山トンネルを上がったところから撮った。


大和葛城山の横から顔を出した、昨日までと違って雲が広がっている。
少しづつ天気が悪くなり始めるようだ。
明日はジパングクラブの終着駅シリーズに出かける予定なので天気はなんとしても持って欲しい。


先週の金曜日、天王寺公園内にある大阪市立美術館へ展覧会を見に行った。



 
30歳の若さでパリで夭逝した大阪生まれの天才画家、佐伯祐三展だ。
正面入り口には有名な郵便配達夫のポスターを貼ったアーチがあった。
大阪市立近代美術館には佐伯祐三の作品が沢山あるが府立北野高校(佐伯は北野中学卒業)、和歌山県立美術館、三重県立美術館、他あちこちの美術館、個人蔵など140点近くの作品が年代順に展示されていて見応えがあった。

 
1924~5年ごろのパリの裏町の落書きや広告が書かれた建物を描いた佐伯の得意な絵も沢山あり、ノートルダムを描いた絵も沢山あった。
体を壊して日本に戻っていた1926年ごろの下落合風景や大阪肥後橋、安治川付近の絵もあったが矢張りパリで描いた絵と比べると元気が無い。
1928年3月に亡くなるまでの3ヶ月間に描かれた絵も沢山あり郵便配達夫などは体が動かなくなってから描いた絵だそうだ。
モディリアーニ展よりも親近感、なじみ感があり1時間以上行きつ戻りつしながら楽しむ事が出来た。
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10月3日 散歩道狭山池

2008-10-03 16:04:00 | 散歩道
 
今日は図書館へ借りていた本を返さなければならないので
朝5時半に家を出ていつもの散歩道とは逆に狭山池の方へ行った。

 
いつものように歩きながら写真を撮るのではなく、日の出が
よく見える場所にカメラを据えて日の出を待った。

 
山際が次第に明るくなって来た、この辺りから太陽が顔を出すのだろう。

 

 
昨日今日と絶好の秋晴れの一日だ。

 
狭山池は陶器山と違って沢山の人が散歩したりランニングをしている。
99%の人が時計と反対周りに歩いている、私は日の出の写真を撮りたい
ので時計回りで歩いたので殆どの人と出会うことになる。
山のように散歩している人が挨拶を交わしている様子もなく散歩を楽しむ
のではなく自分の健康のために一生懸命歩いている感じがしてあまり
余裕が感じられない。


 
池を半周した辺りの池の真ん中の小さな島に鳥が沢山集まっている。


どうやら鳥のねぐらの様だ。
池を一周して7時に帰宅した。
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