晋ちゃんの気ままな散歩道

あっちこっち横道にそれたり休んだりしながら気ままに散歩しています。

11月29日 国民を忘れた党首討論 

2008-11-29 22:48:00 | たわ言

「いちょう通り」の脇道に咲いていた山茶花。

昨日口のひん曲がった自民党の党首(とても首相とはいえない)と口下手な民主党の党首との討論会があった。
いい加減にして欲しい、今解散したら選挙に負けると逃げまくる自民党、今しかチャンスがないと解散を迫る民主党。
非正社員に迫る解雇の現実、採用内定を一方的に取り消される新卒生など国民の切羽詰った苦しみを全く考えない政治家。
先週までOB会、同窓会などいろんな会に出席したがそこでの話では「とにかく今の自民党ではもう駄目だ、どうなるか分らないが一度民主党にやらせてみたら」、「それで駄目ならそこから次の芽が出るのでは」という話が多かった。
口のひん曲がった党首を「先読めず空気も読めず字も読めず」と言った私の友達がいたが全くその通り、漫画しか読めないこれが我が国のトップかと思うと情けなくなる。


同じ「いちょう通り」の喫茶店横の掃き溜めに咲いていた花。

今日は「まち大」があった。
テーマは防災と防火、今年になって狭山市内で19件の火災が発生したそうだが放火も多い、自治会内であった家屋の全焼火災について消防署長が詳しく説明してくれた。
最後の質問コーナーで質問した。
会社に勤めていた時、年に一回消防署の立ち入り検査と訓練があった、消火器の使い方などは勉強になったがいつも事前に立会日の連絡があり、階段の途中に置いてある非難の際邪魔になる障害物はその日だけ取り除かれ検査が終わるとまた元通り置かれているがそういう実態についてどう思うかと聞いた。
立ち入り検査には2段階あり、悪質と思われる事業所には予告無しに立ち入り検査するが一般の事業所については事前に連絡するようになっているそうだ。
日本の官庁は事業所とは馴れ合いになっていることがよく分った。
狭山の消防署は160ヶ所程の事業所から協賛金を受け取っているようで「さもありなん」と思った。
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11月28日 狭山の黄葉

2008-11-28 17:50:00 | 散歩道

先週、ジョイフルの練習に公民館へ行く途中「いちょう通り」の黄葉が綺麗なので写真を撮って歩いた。

 
「いちょう通り」と名付けられているだけに殆どがイチョウの木だ。
明日近くの小学校で「ふれあい祭り」がありその準備に行くため通りを歩いたらイチョウの葉は半分以上散っていた。
校庭に建てる予定のテントも風が強いので地面に寝かせたまま明日の朝から建てることにした。
トン汁やまぜご飯も作るのでプロパンやガスコンロも社協から借りてきて講堂に保管した。
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11月23日 五風荘

2008-11-24 22:50:00 | 集まり、同窓会

今日は1年ぶりで中央小学校6年1組の同窓生がここ岸和田城をバックにした五風荘に集まる。
昨年は四国へ旅行をし帰ってきたら担任であった先生が亡くなった。


この五風荘も今は岸和田市の管理であるが来年4月からは指定管理者制度を採用し「がんこ寿司」が
運営するようだ。


今まで何度も同窓会に利用したが庭をジックリ見たことがなかったので散策した。
庭を観に外人も混じって観光客が入って来る。
写真を撮っている私を見つけて3人連れの女性がシャッターを押して欲しいと言って来た。
3人の会話で岸高と云う言葉が出てきたので岸高の卒業生かと聞いたらそうだと言う。
私も岸高の卒業生だ、あなた達は何回生だと聞いたら11回生だという、3年後輩だ。
3人のうち一人は地元に住んでいるが他の二人は金沢と神奈川から来たそうだ。
岸和田城に上って綺麗になった母校を見てここへ来たそうだ。


 
旧岸和田城の薬草園の跡地を泉州の財閥寺田利吉が昭和4年から10年にかけて改修した回遊式日本庭園だ。
正門は奈良東大寺塔頭中性院表門を移築したもので岸和田に馴染みの深い「楠木」をもじって「南木門」と言う。
約3,000坪の敷地には日本建築の粋を凝らした母屋と庭園を見渡せる三つの茶室がある。
今日は45人の卒業生のうち男性9人、女性5人が集まった。
遠くは相模原市から参加してくれた女性もあった。
来年はみな年男、年女に当たる。
参加者をもっと増やすようお互い努力することを誓って12時から16時までの4時間の同窓会を終わった。
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11月22日 祇園十二段家

2008-11-23 23:06:40 | 集まり、同窓会
   
いい夫婦の日なのにカミサンは3日前から友達と九州旅行。
お互いに別々に楽しめるのが夫婦にとっていい日なのかも・・・
午前中「まちづくり大学」に出席、2時間目の講義はサボって、昼過ぎ私は一人で京都に来た、3連休の初日、天気も快晴、京阪電車の祇園四条で降りて四条通りを千枚漬けの西利の店の前を通って八坂神社に向かって歩いた。


その途中、花見小路を五条の方へ曲がります。
           
           行き先は日本の「しゃぶしゃぶの元祖、十二段家」。
           店の周りには行列が出来ている。
           店に入って聞くと本店のほうへどうぞと案内してくれた。


花見小路の喧騒を抜けて横丁へ入ると「十二段家本店」。


ここで私が学校を出て入った会社で最初に配属された部門の同時代のメンバーのOB会が十数年ぶりに
あったのです。
この十二段家の現社長も当時私と同じ会社へ修行に来ていた、そんな関係で今日お世話になったのです。
遠くは博多、岡山から参加した人もいるが殆どが大阪、京都から。
副社長まで行った人もいれば会社を辞めて別の大会社へ移って社長になった人もいる。
しかしここへ来れば昔に返って・・・ちゃん、・・・ちゃん。
女性も数名参加しており当時の話になると男性陣はタジタジになる。
しゃぶしゃぶも美味しかったがお互いの話のほうが楽しかった。
お開きの後別れを惜しんで四条駅近くの喫茶店(大勢でよく席が取れた)へ入り次回の開催を約して解散した。 


この店は河井寛次郎、浜田庄司、棟方志功などの民芸品が狭い畳の部屋に沢山飾られており
一見の価値がある。
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11月18日 再び有馬温泉

2008-11-19 12:23:00 | 集まり、同窓会

先週に続いて有馬温泉「兵衛向陽閣」へ、会社のOB6人で出かけた。
梅田から阪急バスで55分、10時前に着いた。


ホテルの下から紅葉している。

 
まずは入浴、今日は男性は「二の湯」ローマ風呂になっている。


露天風呂にユックリ浸かって12時から食事。


先週と同じようにポカポカ天気。
妙見山の紅葉を眺めながら飲むビール、冷酒はことさらに美味しい。


食事を終えて旅館のマイクロバスで瑞宝寺公園の手前まで送ってもらう。


先週に比べると一段と紅葉している。

 
紅葉真っ盛りの中でお茶会を開いている。




これだけ見事に紅葉しているといろんなアングルから写真が撮れるので楽しい。
先週以上に写真を撮りまくった。


4時10分のバスまでまだ時間があるので温泉街を散策した。
急な坂道を登ったところに温泉寺、温泉神社がある。
この近くに元湯があり、湯煙が上がっている。


街中へ下りて来るとこんな「足湯」がある。


再びマイクロバスで旅館まで戻ると出かけていた大女将が挨拶に来て
「紅葉だけでなく春の桜も見に来てください」、商売が上手い。
風が少し出てきて急に寒くなってきた、今夜から冷え込みが厳しくなるそうだ。
紅葉もグッと進むだろうが寒い紅葉見物はゴメンだ、今日が最高だったろう。
バスに乗った途端お酒の酔いもあって梅田に着くまでグッスリ寝てしまった。
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美しく青きドナウの船旅(1)

2008-11-16 09:49:30 | 海外旅行

2005年11月9日(木)晴れ
最後の荷造り、コンピューター、その他関連品を手提げカバンに入れる。メッチャ重たい。
戸締りをし、ガスの元栓を締め出発。
1時41分のバスに乗り、天下茶屋2時34分発のラピートβで3時過ぎ関空着。
まず日航ホテルにチェックイン、スーツケースはすでに部屋の中に届いている。
カバンを置いて搭乗棟へ。ユーロとの交換、ラピートの中にあった泉銀の広告だと2円50銭
安くなるようなので泉銀の窓口へ行く。
144円が142円ぐらいになる計算だ。
10ユーロ10枚、20ユーロ10枚、合計300ユーロでレートは¥141.62 42,486円。
計算してみると60円ほど安い。 一旦ホテルに戻る。
6時過ぎ夕食に出る。蓬莱で餃子とビール、蕎路坊でさつま揚げとコロッケと蕎麦焼酎、
あと天ぷらそばと鴨南蛮そば。これで日本食とも暫くはお別れだろう。
8時前部屋に戻り10時前就寝。







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美しく青きドナウの船旅(2)

2008-11-16 09:49:02 | 海外旅行

11月10日(金)晴れ
朝5時半に目覚め夜明けの空港の景色を楽しむ。
6時前に明るくなって来た。天気も良く暖かい朝だ。
スーツケースを部屋の前に出して7時過ぎ朝食に出る。バイキング。
8時40分部屋を出て集合場所へ、全部で12名、KLM航空の搭乗口で手続き。
スーツケースがカミサンのと二人分合わせて38.5kg、帰りにはお土産が
増えるので40kgをオーバーしないよう気をつける様に言われた。
モノレールに乗り出発ゲート11番へ。10時50分搭乗終了。
ANA,JALに続いて11時5分出発。
快晴の富士山を見下ろしながら一路北へ飛ぶ。
これから12時間20分のフライト、12時、1時、2時、3時と1時間おきにトイレへ、
次は5時30分、8時20分機内は寒くなってくるし、飲み物は次々と出てくるし
困ったものだ。映画を2本”奥様は魔女””ピノキオ”を見て時間を過ごす。
飛行機はモスクワの北、サンクスペテルスブルグ上空、あと2時間30分、
時速855km、高度10,668m、機外の温度はー61℃。
15時過ぎアムステルダムのスキポール空港へ無事着陸。
あたり一面に田園風景の拡がる広い空港である。
飛行機は着陸してから10分余り空港内を走行する。

  
ブタペストへ飛ぶ飛行機に乗り継ぐためターミナルの中を急ぐ。
オランダからハンガリーへ乗り継ぐ手続きの窓口で私とかみさんの2人だけが引っ掛かり別の42番ゲートへ行けといわれる。
行きかけたが他のメンバーは引っ掛からずにパスしている。
慌てて引き返し隣の窓口へ行くと私は無事パスしたがカミサンはまた引っ掛かった。
窓口で他のメンバーは全員パスしたのに何故だと片言の英語でまくしたてたら入って良いという。
まったく適当に仕事をしている感じだ。

一回り小さいKLM機でブタペストまで2時間。
今までは横1列12人掛けであったが今度は横1列9人掛け。
隣に座ったのが日本人らしいので話しかけたら東京からブタペストまで音楽のプロモートに来た
大阪の青年で11月下旬に東京で演奏会開催するための交渉に来て13日に帰る予定と話した。
ブタペスト空港17時着。


バスで坂道を登り小高い丘を上がったところが今夜の宿泊所ヒルトンホテルだ。
飛行機の中で何度か軽食を食べたが部屋に落ち着くとお腹が減ってきた。
しかし今夜は食事が無い、機内で食べ残したクッキーやケーキと部屋の冷蔵庫の中のビールを
飲んで10時過ぎ(日本時間11月11日午前6時)に寝た。
10日の午前6時に起きて、11日の午前6時までほとんど寝ていないことになる。
ヨーロッパのホテルは何もかもが大きい、ゴミ箱、洗面器、バスタブ、うがい用のコップ、
フェイスタオル、バスタオル、ベッドに天井も高い。
内装もゴシック式というか壁なども平坦でなく何段かの縁がついている。
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美しく青きドナウの船旅(3)

2008-11-16 09:48:36 | 海外旅行
  
11月11日(土) 晴
6時起床。部屋の窓から立派な像が建っている石造りのガーデンが見えるので行ってみようと
ホテルの人に訊いたが要領を得ない。


    
勝手にホテルの外へ出てその方向へ歩くと城壁の下のようなところに出た。
落ち葉を敷き詰めた道があり犬を散歩させている人がいる。


「漁夫の砦」と「イシュトバン国王の騎馬像」

  
マーチャーシュ教会           イシュトバン国王の騎馬像

途中から階段になっていてそれを上り詰めると大きな広場に出た。
朝もやの中になにやら由緒ありそうな銅像や教会らしい建物がすぐ近くにあり大勢の人が集まってきている。
も少し行ってみようかと思ったが朝食時間に間に合わなくなったらいけないので引き返すことにした。
7時半から朝食。


漁夫の砦                              砦の中は回廊になっている

朝食後、9時ホテルの前から大型の観光バス(日本語が話せる現地ガイドの案内付き)でブダペスト市内の観光に出発。
バスに5分ほど乗ったところが最初の観光場所。
なんと今朝ホテルから裏道を登って見て来た広場、三位一体(天と己と地)広場ではないか。
その前にあるのが「漁夫の砦」


眼下にドナウ川を見下ろし真下に見えるのが「鎖橋」。
ドナウ川を隔てて、今いるところが歴史的な観光地ブダ地区、向こう側が経済、商業中心のペスト地区に分かれている。



「漁夫の砦」のすぐ前にある「マーチャーシュ教会」に入った。

  
マーチャーシュ教会の中。


王宮の丘を散策。
10世紀頃からのハンガリーの歴史はモンゴル人に支配されたり、オスマントルコに征服されたり、オーストリア、イタリアと友好的であったり、第1次世界大戦、第2次世界大戦でドイツについて戦って敗れたり、ロシアの支配下になったりしたため宮殿、教会その他由緒ある建物が壊されたり、建て直されたりした後現在の建築物が残っている、さらに国土から云えば現在の16倍ぐらいに広がった時もあったが現在は最小の国土になっている。
ブダ地区にはそういう記念すべき建造物がいろいろある。

  

  


王宮の丘を下ってバスで鎖橋を渡りペスト地区へ向かう。
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美しく青きドナウの船旅(4)

2008-11-16 09:48:16 | 海外旅行

11月11日 晴
王宮の丘からバスに乗り鎖橋を渡ってルーズベルト広場を見ながら国会議事堂の横を通り昼食予定のビアホールレストランへ。
昼食は野菜スープと魚のフリッター、ポテトサラダ、ケーキ。
食事のあとこれからはトイレが有料になると聞き皆一斉にトイレへ。
店を出ると先刻降りたバスがそのまま停まっておりその横に運転手でもないハンチングをかぶった男がいる。
見ていると前を通るバスの運転手などに声を掛けたりしている。
どうやらこのビアホールへ入る団体バスの場所取りをしているらしい。  


再びバスに戻りオペラハウスを見ながらいろんな芸術家の銅像が立ち並ぶ直線道路を4kmほど走るとその正面が英雄広場。
ハンガリー人の祖先マジャール人が西暦896年に建国したのを記念して建てられた35mの千年記念塔、その先端にはローマ教皇の夢の中に現れイシュトバーンを国王に指名した大天使ガブリエルの像がある。
塔の両脇の柱の間にはハンガリーの著名な国王、芸術家の彫像が並んでいる。


英雄広場の周りには近代美術館、西洋美術館があり芸術広場でもある。
その広場で中国人のカップルが結婚式をしていた。


エキゾチックな外観のブタペスト西駅。
ここからはルーマニアやスロヴァキア方面への国際列車も出ている。
パリのエッフェル塔で有名な建築家、ギュスターブ・エッフェル達によって建設された。
「西駅」の駅舎はマクドの世界で一番豪華で大きい店舗になっている。


バスで「西駅」の横を通ってイシュトバン大聖堂へ向かう。
ベスト地区には「東駅」からウイーン西駅へ高速鉄道が出ており、他に「南駅」がある。

  

  
イシュトバン大聖堂の中を見学。
初代ハンガリー国王イシュトバーンはハンガリー国内にキリスト教を広めたため死後聖人として聖堂内に聖遺体として葬られている。

  


ドナウ川に架かるも一つの橋エリザベート橋を渡ってペスト地区を一周、ヴァーツイ通りでバスを降りた。

  

  
セレナーデ号に乗船するまで約1時間ヴァーツイ通りの繁華街を散策。
マークスアンドスペンサーの店もある。


4時過ぎ鎖橋に戻っていよいよ乗船だ。


これがこれから8日間乗船する「セレナーデ号」1,500㌧だ。
部屋は3階の302号室、部屋に入ってスーツケースを空け中の荷物をロッカーや箪笥に仕舞っている間に船は早くも出港。
周りは既に真っ暗、すぐに鎖橋の下を通るのでカメラを持って甲板に走る。

 

綺麗にライトアップされていて素晴らしい。
急いでパシャパシャシャッターを切る。




暗いのでバッチリ撮るつもりで三脚を付けて撮ったのが大失敗、船は動いているのでエンジンの振動があることを忘れていた。

写真を撮り終えて部屋に戻り夕食前に風呂に入ろうと思いバスタブに湯張りを始めたが出てくるのは水ばかり。
この船には3階、2階、1階に38のツインルームがあり各部屋に風呂とシャワーが付いている。
乗船した人が一斉に風呂に入ろうとしたため給湯が間に合わず各部屋に水に近いものしか出なかった。
風呂を諦め7時から2階のレストランで初めての夕食に出かけた。
同じテーブルで九州大宰府から来た中澤さん夫妻と一緒になった。
海外旅行を100回以上経験しているそうだ。
旦那さんは昭和4年生まれ、私より8歳年上、奥さんは70歳くらいらしいが小柄なので若く見える。
この後いろいろ行動が一緒になるとは思ってもいなかった。
8時過ぎ部屋に戻り一番気になっていたパソコンの試運転を始める。
重い思いをして持ってきた変圧器も支障なし。
デジカメで写した90枚ほどの写真を無事パソコンに移せた。
あとメモリーカードの写真を全て消去して明日は0からスタートできるように準備した。
安心して風呂に入り10時前就寝。
船は次の寄港地エステルゴムに向けて航行中。
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美しく青きドナウの船旅(5)

2008-11-16 09:47:53 | 海外旅行

11月12日(土) 曇り
6時起床、船は昨晩のうちにエステルゴムに入港、停泊中であった。
エステルゴムはハンガリーカトリック教会の総本山で西暦972年に完成した城でハンガリー初代国王、建国の父イシュトバン大王が生まれたところだ。
7時15分上甲板に行くと私達のグループの数人が体操を始めていたが、音楽がないとスムーズに体操ができないというので私の持ってきたNHKラジオ体操のテープを流すと皆大喜び、全員一致で明日からここでラジオ体操をすることに決めた。
7時30分から朝食、席は昨日の中澤さんと同じテーブルになった。


9時過ぎ各グループに分かれてバスでエステルゴム観光。
まず街のシンボル丘の上に聳え立つ19世紀に古典様式で改築されたエステルゴム大聖堂へ行く。

  
聖堂内には1枚のキャンバス地に描かれた祭壇画としては世界最大のものが掛けられている。
昨日のマーチャーシュ教会と同じく高い立派なドームと祭壇、宗教画、パイプオルガンそれぞれ歴史に絡んだ物語がある。


次に夏には避暑地、観光地になる村を通って山の上までバスで登る。
ここがドナウ川が南に流れを変える曲がり角ドナウベント 。


天候は雨ではないが霧がかかったような状態で少し寒い。


ドナウベントを見下ろすヴィシェグラード要塞。


その昔絢爛豪華な生活に馴れたローマ教皇の大使が「この世の天国」と云った処だが、オスマントルコに破壊され土中に埋められていた部屋数350室、3階建てのマーチャーシュ王の大宮殿が15メートルの土の下から現れたもので今でも崩れ落ちそうな岩盤を利用した要塞の中には狩の獲物や賑やかな食事の場面、王の前での決闘、拷問(火あぶり、車回し、首吊りなど)の場面を人形を使って再現している。


ギロチン台。


マーチャーシュ王の王冠。        イタリア軍が 上陸した時の国旗掲揚台。

今日の観光は午前中で終わり。
12時過ぎ船に戻り昼食。
(前菜)七面鳥の燻製(スープ)ズッキーニのスープ、ドイツ風クルトン入り(メイン料理)”鶏もも肉のロースト”ピーナッツバターソースを掛けて、野菜とフライドライス添え、かみさんは”カレイのフィレグルノーブルスタイル”レモン風味のバターソースを掛けて、ニンジンとポテト添え、(デザート)バナナのアイスクリーム、かみさんはストローベリーのティラミス、ベイリー酒ソースを掛けて。
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