晋ちゃんの気ままな散歩道

あっちこっち横道にそれたり休んだりしながら気ままに散歩しています。

5月27日(金) 遮断機

2011-05-28 09:41:41 | たわ言

富田林へ行く途中金剛駅の遮断機が下りた。

左側のモニターを見ると上下2列車が通過するようだ。
最近遮断機のバーを突き切って踏切に進入する車が多く、バーを軟らかい壊れにくい素材のものに取り換えているとニュースで聞いた。

それにしても遮断機が下りるのが早すぎるような気がする。
安全のためやむを得ないのかも知れないが、昔踏切番のオッチャンが旗を持って遮断機を上げ下ろししていたのが懐かしい。



いま中断が話題になっている。

菅が止めた、原子力安全委員長が「可能性は0ではない」と言ったとか。
それをネタに谷垣のお坊ちゃまがわがままな国会討論をしかけている。

東電の所長は現場は現場に任せろと中断していなかった。
それを知った斑目原子力安全委員長は「中断がなかったら私は一体何だったんでしょう」とうそぶいた。

「可能性は0ではない」はどっちだったんでしょう。
こんな無責任な答えはない、原子力安全の最高責任者の答えは YesかNo しかないと思うが。

官邸の空気など気にせず、処分を覚悟で注水を続けた吉田所長は偉いと思う。
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5月23日(月) せいだんクラブ史跡散策

2011-05-26 00:15:00 | 国内旅行

せいだんクラブ有志25人で、江・浅井三姉妹のふるさと湖北へ出かけた。
近畿道・名神高速・北陸道ー木之本ICまで2時間半。
最初に訪れたのは「雨森芳洲庵」。



バスを降りて10分余り長浜市高月町雨森の町を歩く。


小さな町だが手入れの行き届いたきれいなところだ。



小雨が降り出したが箱庭のような気持ちが落ち着く町を芳洲庵まで歩く。


雨森芳洲 江戸時代中期の儒学者、朝鮮との外交に活躍した人だそうだ。


その屋敷の庭に咲いていた「なんじゃもんじゃの花」。


続いては高月町渡岸寺にある向源寺。
聖武天皇の天平8年疱瘡が大流行し、除災のため祈願をこめて十一面観音を彫み、一宇を建立し、息災延命を祈祷し疱瘡を絶ったと伝えられている。



その国宝十一面観音立像。
高さ1.95m、右足を少し前に出し、腰を少し振った上品なほれぼれする観音様だ。
光背はなく後ろまできちんと彫ってあり、後ろからも拝観できる。
元亀元年浅井・織田の戦いで堂宇は悉く焼き尽くされたが観音様を信仰する村人が土中に埋蔵して難を免れたそうだ。



正面に見える山がお目当ての小谷城。


小谷城と云っても天守閣などはなく山全体で山城になっている。


ここが小谷城の一番下、清水谷。
浅井の武士たちの住居、城が雨に煙る山の上にかけて点在していた。
手前の川を隔てて城下町が広がっていたそうだ。
浅井一族は織田信長との戦いに備えて50年かけてこの山城を造り上げたそうだ。



雨がきついため小谷城址に登るのはやめた。
姉川の合戦場にも行かず浅井歴史民俗資料館に寄った。



次に行ったのは「禅臨済宗大徳寺派小堀遠州候菩提寺孤篷庵」。
小掘遠州は天正7年長浜市小堀町生まれた文化人。
秀吉・家康などに仕え、茶・華・歌・書、特に造園建築に才腕を発揮した総合芸術家であった。
この庭園の石組は遠州流庭園の基本と言われている。



この木は「タラヨウ」、郵便局を新築した時には必ず植えられる「郵便局のシンボルツリー」です。
葉の裏に傷を付けると黒く変色します。
字を書くとそのまま「葉書き」になります。



雨の中、田圃の中をとぼとぼ歩いて行ったが風情のあるいい庭だった。


最後は「国友鉄砲の里」。
姉川の合戦、長篠の戦などで鉄砲が使われ、信長はこの国友の鉄砲を使って勝利し、以後鉄砲を使った戦いが勝ち負けを左右するようになった。
大阪冬の陣では「大筒」、夏の陣では中筒、小筒を使い家康の大勝利となった。
信長は南蛮貿易の巨額な利益、鉄砲の材料硝石、鉛,真鍮などを得るためにスペインやポルトガルやイエズス教会に布教の自由を認め、比叡山の焼き打ちを強行することになったと考えられる。

飛躍して考えれば、信長が本能寺で光秀に殺されていなかったら日本はキリスト教国家になっていたかもしれない。
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5月14日(土) 腰痛

2011-05-15 23:03:33 | 健康

朝からアドプトリバー三津屋川の清掃があり参加する予定であったが昨日近大病院で長い間座って待たされた所為か腰痛がひどい。
清掃には行かないで近くの整形外科病院へ初診で出掛けた。
レントゲンを撮ったあと長い間待たされて、診察は椎間板ヘルニア、腰に電気をあて、25kgの牽引、マッサージ。
朝9時半に入って終わって出てきたら12時半になっていた。
飲み薬と貼り薬を貰ってきた。
終わった時はすごく楽になった気がしたが時間が経つと痛みは変わらない。


この病院はいつも買い物に行くスーパーの近くにありよくはやっている。
はやっている病院は多分良いのだろうと考え出かけて見たのだ。
マッサージ用のベッドが20台ほどあり、マッサージをする人が7~8人おり患者は次々に5分間ほどのマッサージを受けている。
他に点滴を受けている人もおり、常に順番待ちである。
足の不自由な人のためにマイクロバスが自宅まで送り迎えをしておりバスが着くと数人の患者さんが入って来る。またバスを待っていた人が乗り込み家まで送ってもらう。
今まで50年ほどの間に何軒の整形外科病院へ通っただろう。
今回もまた気休めかもしれないが痛みが治まるまでしばらく通ってみることにする。
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5月13日(金) 後発白内障

2011-05-14 19:00:00 | 健康


先月ぐらいから目がどうも見えづらい。
片目づつ押さえて見てみると左目がボーッと霞んだようにぼやけて見える。新聞を読んでいても二重にぼやけて見える。
左目の視力が落ちてきたのかと思っていた。
レンズの度を上げて入れ替えてもらおうと思い先週メガネ屋へ行った。
何遍もレンズの度合わせをしたが左目がはっきりしない。
メガネ屋の話では右目は1.0が出るが、左目は0.6までしか出ないと云う。

4年前近大病院で白内障の手術をしたあとこのメガネ屋で調整してメガネを作った。
これは手術をした近大病院へ行った方が早いと思い今朝出かけた。
まず受付に行った、近大病院では地域医療の推進のため初診は原則として受付していない。
まず地域の開業医で診察を受けて近大病院で治療を受けるための紹介状を持ってくるのが原則になっている。
それでも診察を受けたいのなら別途5,250円払えと云われた。
近大病院で受けた手術の後がおかしくなったのだからここへ来るのが当然だろうと云ったが前に受けた手術はすでに完治しており新規の受診になると云う。
今さら地域の病院で受診してまた出直すのは無駄なので5,250円を払うことにした。

いろいろ検査した結果は予想通り後発白内障。
以前の手術で入れた眼内レンズの後ろが白濁してきて見えにくくなっている。
処置はレーザーによる嚢切開術(レーザーで白濁した部分を眼球の中で飛ばして除去する)。
これによる予見される危険性は、飛蚊症、一過性眼圧上昇、網膜剥離、眼内レンズの損傷。
予後の視力の改善の程度は不明。
覚書にサインして処置を受けた。
来週再診の上無罪放免になるのか?
左目は少しづつよく見えてきているように思える。
それにしても地域の医者に診療を受ければそれだけ余分な保険代が負担になる。
5,250円はぼったくりもいいとこだ。
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5月9日(月) せいだんクラブ見学会(4)

2011-05-13 00:00:00 | 散歩道

最後は蘇鉄で有名な妙國寺。

明智光秀が謀反を起こし織田信長を本能寺で自害させた時、徳川家康は遊山でこの妙国寺に滞留していたが、変を聞いてすぐに少ない手勢と退出し亀山から裏道を通って命からがら浜松へ逃げ帰った。
信長を打ち取ったあと光秀は家康を討つべく妙國寺へ向かったが家康はトンずらした後であったそうだ。



妙國寺は大坂夏の陣と第2次世界大戦で伽藍を2度焼失している。

妙國寺にあった大蘇鉄は信長が安土城を建てた折、天守閣の前に移し替え、諸大名を呼びつけ盛大に宴を催した。
数日後から毎晩、夜寝静まった頃「妙國寺に帰りたい」とすすり泣く声が聞こえると家臣から知らされ、家臣に蘇鉄の木を切り倒すよう命じた。
家臣達が刀で切りつけると切り口から鮮血のような液体がほとばしり、大蛇のように身をくねらせて悶え始めた。
これを見て信長も恐怖を感じ元の場所へ戻すように命じた。



妙國寺正門。

このお寺には実にいろいろな貴重な資料が飾られている。
本来なら重要文化財に値するほどの資料だが重文に指定されると管理が大変なので敢えて重文の申請をしていないそうだ。
徒然草で有名な吉田兼好の書、徳川家康の詩「妙なりや 國にさかゆるそてつぎの ききしにまさる一もとのかぶ」、秀吉の書、与謝野晶子の詩、夏目漱石が子規の没後泉陽高校で発表した俳句「朝寒や蘇鉄見に行く妙國寺」など数十点の貴重な品展示されており、気楽に見て回れる。



妙國寺と道路を隔てた向かい側にこんな碑が立っている。  


「とさのさむらいはらきりのはか」


慶応4年、和泉の国堺で起きたフランス水兵殺害の責めを負って土佐藩士が切腹した事件の場所である。
フランス海軍の艦艇がフランス領事一行を迎えるべく堺港に入港、士官以下十数名の水兵が上陸、土佐藩軍艦府は警備の藩兵に取り締まりを命じたが言葉が通じず、混雑の中フランス兵が土佐の隊旗を奪い逃げようとした。
このため土佐藩側は発砲しフランス兵11人を殺傷した。
フランス公使は土佐藩士20名の切腹を要求、堺の妙國寺で刑の執行が行われた。切腹の場で土佐藩士たちは自らの腸を掴みだし、フランス兵たちに次々と投げつけた。
その凄惨さに、立ち会っていたフランス軍艦長は殺害されたフランス兵と同じ11人が切腹したところで切腹の中止を要請した。
腹切りのすごさと仕返しを恐れたのだろう。
遺体は大きな瓶に入れられ、妙國寺の向かいにある宝珠院(今は幼稚園を併設している)に埋葬された。
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5月9日(月) せいだんクラブ見学会(3)

2011-05-11 23:00:00 | 散歩道

続いては堺刃物伝統産業会館。


柳刃包丁、蛸引包丁、フグ引包丁。


大出刃包丁。


出刃包丁いろいろ。


カミサンが車椅子生活にになったのでたまには料理もしなければならないだろう。
よく切れる出刃庖丁が一丁必要だ。


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5月9日(月) せいだんクラブ見学会(2)

2011-05-10 22:27:27 | 散歩道

大阪ガス科学館。
大阪ガスは最初明かり(街灯)からスタートしたそうだ。
同じ時期エジソンが電球を発明したため明かりを諦め燃料の道を選んだ。
しかし今になってオール電化と言われてまたお尻に火が付いている。
地震で原子力発電が後退すればガスも復活するかもしれないが、後ろ向きにはならないだろう。



天然ガスを含んでいた砂岩。

ガスは昔は石炭や石油が原料であったが今は天然ガス。
天然ガスはメタンが主成分の可燃性のガス。
東南アジア、オーストラリア、中近東などから輸入されている。
地中深く掘り下げると天然ガスを含んだ地盤に行き当たる。
その地盤に行き当たればそれを掘り進みガスを採取する。
ガスは気体なのでそれを取り込むには大きな袋が必要だ。
そこでマイナス160度に冷やして液体化し600分の1に圧縮してLPGタンカーで輸送する。




大阪ガス堺工場の敷地は大阪ドーム22個分の広さがある。


小学生たちが社会見学で大勢見学に来ていた。
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5月9日(月) せいだんクラブ見学会

2011-05-09 23:59:59 | 散歩道

今日は「せいだんクラブ」の見学会。
参加者20人が南第一小北側に集まった。
今日の予定は大阪ガス堺工場、大阪ガス科学館見学。
大阪地方裁判所堺支部で裁判員裁判を傍聴。
堺刃物伝統産業会館見学。
妙国寺拝観の予定。



今日のお目当ては裁判員裁判の傍聴だ。
裁判の行われる法廷は2番目に大きな法廷で46人が傍聴できる。
一番大きな法廷は96人傍聴出来る。
裁判員裁判用に最近出来た法廷で法廷のサイドにはスリガラスの明かり採りの窓が付いている。
今までの法廷は全く密閉された部屋だったそうだ。
事件関係者の傍聴が優先され余裕があれば一般の傍聴者も入廷できる。
裁判官3名が正面の席に着き、その左右に裁判員がそれぞれ3人づつ。
その後ろに補欠の裁判員が3人着席している。
裁判官に向かって左手に検察官が2人、右手に弁護人が3人。
今回は被告が2人いるのでそれぞれに弁護人が付いている。
検察は若い男女の検察官が1人づつ。
若い美人の検察官なんてテレビドラマの場合だけだと思っていたが目の前の女性検事は若くて美人だ。



裁判は13時30分から始まった。
今日が第1回目であと2回ほど裁判があり今週中に判決が出る。
裁判官、検察、弁護人が揃った所へ両側を衛視にはさまれた形で手錠をはめられた被告2人が入廷。

内容はタクシーの運転手に対する強盗傷害事件。
まず検察側の起訴状の読み上げ。
被告は2人とも事件は認めているが被告が事件に至った動機について検察と弁護側が争う裁判だ。
検察官による冒頭陳述が終わったところで20分の休廷になった。
後の予定があるのでそこまでで法廷を後にした。

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5月8日(日) 骨折でした

2011-05-08 23:59:59 | 健康

カミサンは、この土日奈良へコーラスの合宿に行くと張り切っていた。
7月に心斎橋大丸、旧そごう劇場で発表会があるらしい。

そんなビッコを引いて行けるはずがない。
皆に迷惑を掛けるだけだから止めておけと云っておいた。

金曜日に荷物を宅急便で送って杖をついてでも行くから難波の近鉄電車の乗り場まで付き添ってくれと言いだした。

金曜日の朝から病院へ行って先生の許可が出ればOkだと病院へ連れて行った。
先生には紹介状を書くから大きな病院で精密検査を受けてほしいと云われた。

お昼で病院は午前中の受付が終了していたが紹介状があるので強引に受け付けてもらった。
精密検査の結果右足の小指の先の小さな骨が折れている。
2週間近く痛いのを我慢して放っておいたと呆れられ即ギブスをはめられた。
この骨は足の上の方までつながっている骨なのでひっつかなければ手術になると云われた。

万事休す、これで奈良行きはストップ、カミサンもしぶしぶ納得した。
松葉杖を借りて右足を使うことは禁止。
外へ出るには階段があり、松葉杖では外出不可能。
家の中は車いすで移動。

不幸中の幸い?と言うか母親が使っていた車椅子があり、廊下もトイレも手すりが付いており、家の中はバリアフリー。

代わりに私は大忙し、まず壊れかけていた洗濯機を買い替えた。
布団で寝ると寝起きが大変だ。
次はカミサンのベッドを買わないといけない。
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5月4日(水) ノルディックウオーク

2011-05-04 23:59:59 | 散歩道

さやか公園でノルディックウオークの講習会があると聞いて出掛けた。
スティックを借りてまず握り方を教えてもらった。
親指を輪っかに通しスティックに固定し後の指はフリー(ぶらぶら状態)。
スティックを使って準備体操。
体が全く硬くなっている。
ここ2年間陶器山は全くと言っていいくらい歩いていないし、ラジオ体操もしていない。
ゴルフも出来ないくらい腰、膝が痛んでいる。

まずスティックを使って歩き始めた。
前に進もうとする方のスティックに腕を預けると反動でスティックが地面を蹴ってくれる。続いて反対側のスティックに腕を預ける。
云われた通り腕を振り体を前に送りだすようにして狭山池の周りを歩き始めた。
腕を曲げないようにと言われるがすぐ曲がってしまう。
途中休んだりゲームをしたりしながら一周した。



途中で興味のある人がスティックで歩いているのを見ていろいろ聞いてきた。
スティックを使うことによって腕、肩、お腹、太ももなどあちこちの筋肉を使う。
スティックを使わずに30分足らずで一周するコースを1時間ほどかかって歩いた。
慣れない所為もあるがぐったりと疲れた。
それだけ体を使って全身の運動になったと云うことだろうか。
2週間で5kg痩せた人もいるそうだがまず楽に早く歩けるようになりたい。
今日はスティックを借りて歩いたが、今度はスティックを買って歩くことになる。
毎月第2、第4土曜日朝7時からさやか公園に集まって歩いているそうだ。
今は土曜日の予定が詰まっているので調整をして参加したいと思っている。

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