晋ちゃんの気ままな散歩道

あっちこっち横道にそれたり休んだりしながら気ままに散歩しています。

美しく青きドナウの船旅(1)

2008-11-16 09:49:30 | 海外旅行

2005年11月9日(木)晴れ
最後の荷造り、コンピューター、その他関連品を手提げカバンに入れる。メッチャ重たい。
戸締りをし、ガスの元栓を締め出発。
1時41分のバスに乗り、天下茶屋2時34分発のラピートβで3時過ぎ関空着。
まず日航ホテルにチェックイン、スーツケースはすでに部屋の中に届いている。
カバンを置いて搭乗棟へ。ユーロとの交換、ラピートの中にあった泉銀の広告だと2円50銭
安くなるようなので泉銀の窓口へ行く。
144円が142円ぐらいになる計算だ。
10ユーロ10枚、20ユーロ10枚、合計300ユーロでレートは¥141.62 42,486円。
計算してみると60円ほど安い。 一旦ホテルに戻る。
6時過ぎ夕食に出る。蓬莱で餃子とビール、蕎路坊でさつま揚げとコロッケと蕎麦焼酎、
あと天ぷらそばと鴨南蛮そば。これで日本食とも暫くはお別れだろう。
8時前部屋に戻り10時前就寝。







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美しく青きドナウの船旅(2)

2008-11-16 09:49:02 | 海外旅行

11月10日(金)晴れ
朝5時半に目覚め夜明けの空港の景色を楽しむ。
6時前に明るくなって来た。天気も良く暖かい朝だ。
スーツケースを部屋の前に出して7時過ぎ朝食に出る。バイキング。
8時40分部屋を出て集合場所へ、全部で12名、KLM航空の搭乗口で手続き。
スーツケースがカミサンのと二人分合わせて38.5kg、帰りにはお土産が
増えるので40kgをオーバーしないよう気をつける様に言われた。
モノレールに乗り出発ゲート11番へ。10時50分搭乗終了。
ANA,JALに続いて11時5分出発。
快晴の富士山を見下ろしながら一路北へ飛ぶ。
これから12時間20分のフライト、12時、1時、2時、3時と1時間おきにトイレへ、
次は5時30分、8時20分機内は寒くなってくるし、飲み物は次々と出てくるし
困ったものだ。映画を2本”奥様は魔女””ピノキオ”を見て時間を過ごす。
飛行機はモスクワの北、サンクスペテルスブルグ上空、あと2時間30分、
時速855km、高度10,668m、機外の温度はー61℃。
15時過ぎアムステルダムのスキポール空港へ無事着陸。
あたり一面に田園風景の拡がる広い空港である。
飛行機は着陸してから10分余り空港内を走行する。

  
ブタペストへ飛ぶ飛行機に乗り継ぐためターミナルの中を急ぐ。
オランダからハンガリーへ乗り継ぐ手続きの窓口で私とかみさんの2人だけが引っ掛かり別の42番ゲートへ行けといわれる。
行きかけたが他のメンバーは引っ掛からずにパスしている。
慌てて引き返し隣の窓口へ行くと私は無事パスしたがカミサンはまた引っ掛かった。
窓口で他のメンバーは全員パスしたのに何故だと片言の英語でまくしたてたら入って良いという。
まったく適当に仕事をしている感じだ。

一回り小さいKLM機でブタペストまで2時間。
今までは横1列12人掛けであったが今度は横1列9人掛け。
隣に座ったのが日本人らしいので話しかけたら東京からブタペストまで音楽のプロモートに来た
大阪の青年で11月下旬に東京で演奏会開催するための交渉に来て13日に帰る予定と話した。
ブタペスト空港17時着。


バスで坂道を登り小高い丘を上がったところが今夜の宿泊所ヒルトンホテルだ。
飛行機の中で何度か軽食を食べたが部屋に落ち着くとお腹が減ってきた。
しかし今夜は食事が無い、機内で食べ残したクッキーやケーキと部屋の冷蔵庫の中のビールを
飲んで10時過ぎ(日本時間11月11日午前6時)に寝た。
10日の午前6時に起きて、11日の午前6時までほとんど寝ていないことになる。
ヨーロッパのホテルは何もかもが大きい、ゴミ箱、洗面器、バスタブ、うがい用のコップ、
フェイスタオル、バスタオル、ベッドに天井も高い。
内装もゴシック式というか壁なども平坦でなく何段かの縁がついている。
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美しく青きドナウの船旅(3)

2008-11-16 09:48:36 | 海外旅行
  
11月11日(土) 晴
6時起床。部屋の窓から立派な像が建っている石造りのガーデンが見えるので行ってみようと
ホテルの人に訊いたが要領を得ない。


    
勝手にホテルの外へ出てその方向へ歩くと城壁の下のようなところに出た。
落ち葉を敷き詰めた道があり犬を散歩させている人がいる。


「漁夫の砦」と「イシュトバン国王の騎馬像」

  
マーチャーシュ教会           イシュトバン国王の騎馬像

途中から階段になっていてそれを上り詰めると大きな広場に出た。
朝もやの中になにやら由緒ありそうな銅像や教会らしい建物がすぐ近くにあり大勢の人が集まってきている。
も少し行ってみようかと思ったが朝食時間に間に合わなくなったらいけないので引き返すことにした。
7時半から朝食。


漁夫の砦                              砦の中は回廊になっている

朝食後、9時ホテルの前から大型の観光バス(日本語が話せる現地ガイドの案内付き)でブダペスト市内の観光に出発。
バスに5分ほど乗ったところが最初の観光場所。
なんと今朝ホテルから裏道を登って見て来た広場、三位一体(天と己と地)広場ではないか。
その前にあるのが「漁夫の砦」


眼下にドナウ川を見下ろし真下に見えるのが「鎖橋」。
ドナウ川を隔てて、今いるところが歴史的な観光地ブダ地区、向こう側が経済、商業中心のペスト地区に分かれている。



「漁夫の砦」のすぐ前にある「マーチャーシュ教会」に入った。

  
マーチャーシュ教会の中。


王宮の丘を散策。
10世紀頃からのハンガリーの歴史はモンゴル人に支配されたり、オスマントルコに征服されたり、オーストリア、イタリアと友好的であったり、第1次世界大戦、第2次世界大戦でドイツについて戦って敗れたり、ロシアの支配下になったりしたため宮殿、教会その他由緒ある建物が壊されたり、建て直されたりした後現在の建築物が残っている、さらに国土から云えば現在の16倍ぐらいに広がった時もあったが現在は最小の国土になっている。
ブダ地区にはそういう記念すべき建造物がいろいろある。

  

  


王宮の丘を下ってバスで鎖橋を渡りペスト地区へ向かう。
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美しく青きドナウの船旅(4)

2008-11-16 09:48:16 | 海外旅行

11月11日 晴
王宮の丘からバスに乗り鎖橋を渡ってルーズベルト広場を見ながら国会議事堂の横を通り昼食予定のビアホールレストランへ。
昼食は野菜スープと魚のフリッター、ポテトサラダ、ケーキ。
食事のあとこれからはトイレが有料になると聞き皆一斉にトイレへ。
店を出ると先刻降りたバスがそのまま停まっておりその横に運転手でもないハンチングをかぶった男がいる。
見ていると前を通るバスの運転手などに声を掛けたりしている。
どうやらこのビアホールへ入る団体バスの場所取りをしているらしい。  


再びバスに戻りオペラハウスを見ながらいろんな芸術家の銅像が立ち並ぶ直線道路を4kmほど走るとその正面が英雄広場。
ハンガリー人の祖先マジャール人が西暦896年に建国したのを記念して建てられた35mの千年記念塔、その先端にはローマ教皇の夢の中に現れイシュトバーンを国王に指名した大天使ガブリエルの像がある。
塔の両脇の柱の間にはハンガリーの著名な国王、芸術家の彫像が並んでいる。


英雄広場の周りには近代美術館、西洋美術館があり芸術広場でもある。
その広場で中国人のカップルが結婚式をしていた。


エキゾチックな外観のブタペスト西駅。
ここからはルーマニアやスロヴァキア方面への国際列車も出ている。
パリのエッフェル塔で有名な建築家、ギュスターブ・エッフェル達によって建設された。
「西駅」の駅舎はマクドの世界で一番豪華で大きい店舗になっている。


バスで「西駅」の横を通ってイシュトバン大聖堂へ向かう。
ベスト地区には「東駅」からウイーン西駅へ高速鉄道が出ており、他に「南駅」がある。

  

  
イシュトバン大聖堂の中を見学。
初代ハンガリー国王イシュトバーンはハンガリー国内にキリスト教を広めたため死後聖人として聖堂内に聖遺体として葬られている。

  


ドナウ川に架かるも一つの橋エリザベート橋を渡ってペスト地区を一周、ヴァーツイ通りでバスを降りた。

  

  
セレナーデ号に乗船するまで約1時間ヴァーツイ通りの繁華街を散策。
マークスアンドスペンサーの店もある。


4時過ぎ鎖橋に戻っていよいよ乗船だ。


これがこれから8日間乗船する「セレナーデ号」1,500㌧だ。
部屋は3階の302号室、部屋に入ってスーツケースを空け中の荷物をロッカーや箪笥に仕舞っている間に船は早くも出港。
周りは既に真っ暗、すぐに鎖橋の下を通るのでカメラを持って甲板に走る。

 

綺麗にライトアップされていて素晴らしい。
急いでパシャパシャシャッターを切る。




暗いのでバッチリ撮るつもりで三脚を付けて撮ったのが大失敗、船は動いているのでエンジンの振動があることを忘れていた。

写真を撮り終えて部屋に戻り夕食前に風呂に入ろうと思いバスタブに湯張りを始めたが出てくるのは水ばかり。
この船には3階、2階、1階に38のツインルームがあり各部屋に風呂とシャワーが付いている。
乗船した人が一斉に風呂に入ろうとしたため給湯が間に合わず各部屋に水に近いものしか出なかった。
風呂を諦め7時から2階のレストランで初めての夕食に出かけた。
同じテーブルで九州大宰府から来た中澤さん夫妻と一緒になった。
海外旅行を100回以上経験しているそうだ。
旦那さんは昭和4年生まれ、私より8歳年上、奥さんは70歳くらいらしいが小柄なので若く見える。
この後いろいろ行動が一緒になるとは思ってもいなかった。
8時過ぎ部屋に戻り一番気になっていたパソコンの試運転を始める。
重い思いをして持ってきた変圧器も支障なし。
デジカメで写した90枚ほどの写真を無事パソコンに移せた。
あとメモリーカードの写真を全て消去して明日は0からスタートできるように準備した。
安心して風呂に入り10時前就寝。
船は次の寄港地エステルゴムに向けて航行中。
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美しく青きドナウの船旅(5)

2008-11-16 09:47:53 | 海外旅行

11月12日(土) 曇り
6時起床、船は昨晩のうちにエステルゴムに入港、停泊中であった。
エステルゴムはハンガリーカトリック教会の総本山で西暦972年に完成した城でハンガリー初代国王、建国の父イシュトバン大王が生まれたところだ。
7時15分上甲板に行くと私達のグループの数人が体操を始めていたが、音楽がないとスムーズに体操ができないというので私の持ってきたNHKラジオ体操のテープを流すと皆大喜び、全員一致で明日からここでラジオ体操をすることに決めた。
7時30分から朝食、席は昨日の中澤さんと同じテーブルになった。


9時過ぎ各グループに分かれてバスでエステルゴム観光。
まず街のシンボル丘の上に聳え立つ19世紀に古典様式で改築されたエステルゴム大聖堂へ行く。

  
聖堂内には1枚のキャンバス地に描かれた祭壇画としては世界最大のものが掛けられている。
昨日のマーチャーシュ教会と同じく高い立派なドームと祭壇、宗教画、パイプオルガンそれぞれ歴史に絡んだ物語がある。


次に夏には避暑地、観光地になる村を通って山の上までバスで登る。
ここがドナウ川が南に流れを変える曲がり角ドナウベント 。


天候は雨ではないが霧がかかったような状態で少し寒い。


ドナウベントを見下ろすヴィシェグラード要塞。


その昔絢爛豪華な生活に馴れたローマ教皇の大使が「この世の天国」と云った処だが、オスマントルコに破壊され土中に埋められていた部屋数350室、3階建てのマーチャーシュ王の大宮殿が15メートルの土の下から現れたもので今でも崩れ落ちそうな岩盤を利用した要塞の中には狩の獲物や賑やかな食事の場面、王の前での決闘、拷問(火あぶり、車回し、首吊りなど)の場面を人形を使って再現している。


ギロチン台。


マーチャーシュ王の王冠。        イタリア軍が 上陸した時の国旗掲揚台。

今日の観光は午前中で終わり。
12時過ぎ船に戻り昼食。
(前菜)七面鳥の燻製(スープ)ズッキーニのスープ、ドイツ風クルトン入り(メイン料理)”鶏もも肉のロースト”ピーナッツバターソースを掛けて、野菜とフライドライス添え、かみさんは”カレイのフィレグルノーブルスタイル”レモン風味のバターソースを掛けて、ニンジンとポテト添え、(デザート)バナナのアイスクリーム、かみさんはストローベリーのティラミス、ベイリー酒ソースを掛けて。
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美しく青きドナウの船旅(6)

2008-11-16 09:47:32 | 海外旅行
 
午後2時30分からは船内の娯楽室で各グループに分かれて自己紹介。
福岡から2組(大宰府、大野城)、名古屋から母子1組、阪神から2組(高槻、明石)、トイレがあればすぐ入り、椅子があればすぐ座る老女と全財産を持ち歩いている足の不自由な老女の1人旅2名。
私達を含めて関西から来たのはこの12名。
自己紹介が終わったあとドイツ語の勉強会の予定であったが水深が浅く船が出港できないので自由行動でエステルゴムの街の方へ行ってもよいことになったので地図を貰って3時過ぎから出かけた。


船が停泊しているすぐ前にあるマーリア・ヴァレーリア橋。
この橋を渡った向こうはスロバキア、チェコスロバキアから分離独立した当初はハンガリーからの行き来も厳しかったようだ。
地図を見るとこの橋を渡らないで反対側に行けばエステルゴムの街のようだ。

 
駐車場に沢山車が並んでいる綺麗な工場、ドナウ・キシュ(ドナウ運河の支流)の橋からは綺麗に紅葉した風景写真を撮ったりしながら市街地の方へ向かった。
思ったより遠く、とても4時半までに往復して帰れそうにない。


途中のバスターミナルにあるスーパーの入り口で買い物をして出てきた中澤さん夫妻に出会った。
中澤さん達を見送ってスーパーに入ったが日用品が殆どなので5分ほどで店を出て引き返すことにした。
中澤さんたちが戻っていった方向を見ていたので何も考えることなくその方へ向かって歩いた。
しばらく歩いていたらカミサンが来た時と景色が違うと言い出した。
確かに来る時に気が付きそうな、写真に撮りたくなるような景色があったが来る時とは逆の方向に歩いているのだから景色が違うのだとそのまま歩いていると前からスーパーの前で別れた中澤夫妻が急ぎ足で戻ってくるのが見えた。
何か忘れ物でもしたのかと思っていたら道を間違えたらしいという。
そばに買い物袋を提げた地元ハンガリーの婦人が付き添って道案内をしてくれていることが分った。
これは大変だと一緒について行くことにしたが細い裏道へ入って行くので4時半までに船に戻れるのか心配になって来た。



地元の人はハンガリー語を使い英語、ドイツ語、フランス語、ロシア語(どれも使えないが)どれも通じないと添乗員に聞いていたので地図を見せてついて行くしかない。
言葉にマーリア・ヴァレーリアと云うのが聞き取れるので方向は分っているとは思うのだが心配だ。
4時半に近づき焦りだした頃見覚えのある景色が出てきた。


その方向へ歩いて行くと、行く時写真に撮った運河(ドナウ・キシュ)に行き着いた。
運河を渡ってさらに進むと元の広い道に出てマーリア・ヴァレーリア橋が見えた。
これで大丈夫だ、買い物帰りに親切にここまで近道を通って送ってくれたハンガリーのお母さんに感謝、感謝、ありがとう、サンキュー、謝謝、メルシー、ダンケシェーンどれも通じないのかな。
中澤さんの奥さんがスーパーで買ったチョコレートと何かをお礼に渡そうとするが中々受け取ってくれなかったが最後に少し受け取ってくれたそうだ。
ヨーロッパでは郊外に出ると交差点は少なくロータリーになっている、信号機は無く車は右側通行で右折、右折で左折は無い。
私達が間違えたロータリーは6差路になっていて、初めての場所でロータリーに沿って横断歩道を渡っているうちに最初に自分が通って来た道がどれかわからなくなってしまったのだ。


時間ギリギリやっと船に戻れた。
後で判ったことだが船を下りて街中まで出かけたのは私達と中澤さん達だけで他の人たちはドイツ語の勉強をしていたそうだ。
18時30分から船長主催の歓迎パーティー、盛装して3階の展望ラウンジへ、そのあと19時から夕食、中澤さんと迷子になった話で終始する。


今日は私の誕生日、誕生祝のケーキとワインが来た。
ケーキとワインを隣のテーブルの人におすそ分けしようとしたが同じテーブルの人はいいが隣のテーブルの人にまで分けるのはだめだといわれた。
中澤さんの奥さんには今日の迷子事件が一生忘れることのない誕生日の最高の贈り物だといわれた。
部屋に戻り、写真を整理し、シャワーを浴びて10時過ぎ就寝。
船は17時にエステルゴムを出港、次の寄港地スロバキアのプラチスラバに向けて航行中。



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美しく青きドナウの船旅(7)

2008-11-16 09:47:14 | 海外旅行
11月13日(日)曇り
6時起床、船はまだ航行中、川幅が広くなって幾つもの大きな鉄橋の下を通過して行く、よく見ると橋の下に船舶用の信号灯が付いていて右側通行になっている。
6時30分プラチスラバに到着、7時15分上甲板でラジオ体操、ウォーキング。


朝食のあと9時過ぎから下船してプラチスラバ市内の観光に出発。
堤防を上がったすぐ前が町の中心部で大きな電車通りになっている。




昔からの住居地区旧市街と新市街の分かれ道。


この階段を上ると新市街の方へ行く。

 
私達はシットリと石畳の引かれた旧市街の方へ行く、両側は商店だが日曜日のため全てお休み。
ここでも建物に落書きがしてある。


 
                           むかし皇帝が歩く道を示した道標である。 

 
この建物はモーツアルトが6歳のとき始めてピアノコンサートをした場所。
中澤さんの奥さんが見ているのがこの案内板、2006年が生誕250年でこの時は生誕249年であった。

 
細い道を入って行くと大勢の人が集まっている。
日曜日なのでみなが教会へ礼拝に来ているのだ。
丁度礼拝が終わって教会から人が次々と出てきた、久し振りに会ったのか抱き合ったり、頬ずりをしている。
宗派によって礼拝に行く教会が違うらしい、礼拝が終わったら中へ入れるというので入ってみた。
教会横の小さな広場では大きなモミの木を植えて早くもクリスマスの準備が始まっている。

 
この建物はプラチスラヴァの市庁舎だそうだが今日は日曜日でお休み。
ここの建物には屋根の上にいろんな飾りが付いている。

 
すぐ近くに日本国大使館がある。
1階は商店で2階正面の壁にに菊の紋章が付いていて日の丸の旗が出ている。
隣がギリシャの大使館で、広場の向かい側にはフランスの大使館もある。

 
大使館前の広場ではクリスマスの準備が始まっている。  ラコステのお店。


商店が休みなので繁華街にあるスーパーへ買い物に行くことにした。
プラチスラヴァの路面電車の案内板が見える。




スーパーの前は路面電車が左右から曲がって来る。
いろんな電車が次々来るので楽しくなって線路をまたいで写真を撮っていたらうしろの方から曲がってきた電車に気付かず危うく轢死しそうになった。
これ以来添乗員は私から目を離さなくなった。
スーパーではたまねぎ、ジャガイモ、パプリカ、ズッキーニ、白菜、キャベツ、ニンジン、しいたけ、トマト、ザクロなどの野菜を見て廻ったが日本のと少しづつ違う。
クリスマスの飾り付けの商品が沢山あった。


       プラチスラヴァ広場

 
スロヴァキア博物館通り            スロヴァキア国立博物館


小さな町なので他に別に見るところもなく早めに船に戻る。
13時ウィーンに向けて出航。


船内では操舵室の見学や料理教室が催されていたが参加せずデッキから景色を眺めたり写真を撮ったりした。


途中、山の上に古城があるところを通過、この辺りは右岸がスロヴァキア、左岸がオーストリアになっている。
川の水量が少ないため水深を確かめながら航行しなければならず航海が遅れウィーン20時着の予定が2時間ほど遅れるらしい。
夕食は(前菜)ローストしたラムのカルパッチョ、グリンピースのスープ(ベーコンとクルトン入り)、(メイン料理)ハンガリーのグヤーシュ(ポークの煮込み)きゅうりのピクルス、ソーセージポテトを添え(デザート)シナモンのアイスクリーム、オレンジとリキュールソースを添えて、カミサンはアプリコットのロールケーキ、ホイップクリーム添え。
食事を終わって船の前後の景色を映しているテレビを見ていたら船が狭いトンネルのようなところに入って行って停まった。
水位を上げて水門を通過するというので3階の展望デッキの一番前まで見に行くとトンネルではなくドックのようなところに入っている。前方に水門が見え水量がドンドン増えてきて、やがて船が両側の壁の上まで浮き上がり前方の水門の向こうの水位と同じになり水門が開き、信号が青に変わり船が少しづつ前に進み水門を通過した。
船の到着が遅れたため今夜予定されていた”弦楽四重奏の夕べ”は明日に延期になった。
あとラウンジで焼酎を飲んでいると両側に高い建物が見えてきてやがて停船、ウィーンに着いたようだ。
部屋に戻って風呂に入って11時過ぎ就寝。
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美しく青きドナウの船旅(8)

2008-11-16 09:46:19 | 海外旅行
11月14日(月) 曇り
6時起床、いつもの通りラジオ体操。
9時過ぎからいよいよウイーン市内へバスで出発。
ウイーンの旧市内を廻るリングシュトラーゼ(環状道路)をほぼ一周し、映画「第三の男」で有名なプラターの観覧車、市立公園、毎年正月ウイーンフィルの新春コンサートが行われるウイーン楽友協会などを車内から観光し、まずはシェーンブルン宮殿へ。

正面入り口から見たシェーンブルン宮殿。


広いフランス式庭園を挟んで宮殿と向かい合う丘の上にグロリエッテという見晴台がある。


ここから見下ろせば宮殿の後ろに広がるウイーンの街が一望できる。

 
見晴台と向き合う宮殿。


クリスマスの準備が始まった宮殿正面。
シェーンブルン宮殿は18世紀ハプスブルグ家の女帝マリア・テレージアによって建造された。
バロック様式の華麗な装飾に飾られた宮殿の部屋数は1441室。
各部屋は中国、インド、ペルシャ、日本など世界中の風景を壁画に埋め尽くされ、テーブル、食器、屏風などを見て廻った。



マリア・テレージアは16人の王子・王女を生みヨーロッパ各国と姻戚関係を結び勢力を拡大していった。


1762年マリア・テレージアの娘マリー・アントワネットがここに滞在している時6歳の神童モーツアルトが招待された。
その時宮殿の中で転んだモーツアルトを助け起こしたマリー・アントワネットに「ボクと結婚して」と言ったとか。 


宮殿にはフランス革命で断頭台の露と消えた悲劇の王妃マリー・アントワネット、19世紀ヨーロッパ一の美貌を誇った皇妃エリザベートなど、ハプスブルグ王朝の歴史が残されています。

 
続いて歴代皇帝の心臓、内臓が安置されているカタコンベ(地下墓地)があるというシュテファン大寺院。
高さ137m、込み合う繁華街の中にあり見上げていると首が疲れてくる。


シュテファン大寺院前、観光客を待つ馬車、馬糞の匂いで臭い臭い。

 
ウイーン一の繁華街ケルントナー通り、観光客で一杯だ。


ケルントナー通り近くの日本料理店「天満屋」で刺身、天ぷら、煮物、焼き魚、ご飯、味噌汁の昼食。
ツアーのメンバー達は寒いといってビールを飲まなかったが私達だけビールを注文、ドイツビールが出てくると思っていたらキリン一番搾り、丸みがかった中ジョッキに入ってきた。もちろん自前(2杯でEUR6.8 円換算すると約¥952安い、日本だと¥1,000はするだろう)、レジではなくその場でキャッシュ払いだ。


昼食のあと2時過ぎから5時まで自由行動、4時、4時30分、5時のいずれかのバスで船に戻ればいい。
ケルントナー通りを散策するうち寒さとさっき飲んだビールの所為かトイレに行きたくなってきた。
トイレを探したがすぐに見付からないので急いで昼食をした天満屋に戻り店のトイレで用を足した。 


オペラ座の近くで楽器を象ったピンバッジを見つけ買う。
美味しいチョコレートケーキの店があると聞いたので探して買いに行った。
しばらく散策したあと地下鉄乗り場の案内が見えたので乗ってみたくなり地下街へ入った。


地下には店は殆どなく交差点の地下通路のようになっている。
あきらめかけた時エスカレーターが見つかった。
行ってみると長い、急なエスカレーターがさらに下に伸びている。
それに乗って降りたところが地下鉄のホーム、改札も切符売り場もなく、トンネルも電車も余り綺麗ではない。
ちょうど電車が入ってきたので乗ってみようかと思ったがどこへ行くのかも分らず、切符もどこで買えばいいのか分らず、しばらくウロウロしたが昨日の迷子の件で少し慎重になり電車の写真だけを撮って地上へ戻った。
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美しく青きドナウの船旅(9)

2008-11-16 09:45:58 | 海外旅行

地下鉄が無理なら路面電車に乗ってみよう。
路面電車にはルート1とルート2があり市内を環状に一周していると添乗員がいっていてのでそれなら乗っていれば元のところへ戻って来るだろうと思い、切符売り場で「ルート1」というと「あっち、あっち」と指をさすので切符を買って反対側に停まっている電車に乗った。


午前中バスで廻ったコースを走っているようだ。
寒くなって来た為か途中で運転手が座席の下のヒーターを入れに来た。


市役所前で下車してみた、切符はどこへ渡せばいいのか分らないのでそのまま握っていた。
市役所前のクリスマス市場の辺りはすでに暗くなって来ており正面の大きなクリスマスツリーは点灯寸前だ。


いろんな店も電気が点いて賑やかになっている



昨日から始まったようでこれからクリスマスまで1ケ月余り続くそうだ。
日本の屋台を少し大きくしたような露天で食べ物、装飾品、衣料品、おもちゃなどいろんな店が50店ほど出ている。
ここでピンバッジではないがピアノ、ベースなど楽器の形をした飾り物を買った。

      
降りるとき切符を渡さなかったのでそれを持ったまま市役所前から乗車し、元のケルントナー通り近くで降りた。
途中乗ってくる人が切符を買っている様子もないし、降りる時に切符を確認し、回収している人も居らず、私達もまた切符を持ったまま下車した。
不思議に思いあとで現地のガイドに尋ねたら基本的に改札口など無く、みな大人で無賃乗車など誰もしないと言う性善説の上に成り立っている。
時々検札が乗ってきたり、怪しいと思われたりすると目の前で扉がガシャンと閉まり切符の提示を求められたりすることがあるそうだ。
それでつかまると10万円以上の罰金を払わされるそうだ。
添乗員の話では以前イタリアで日本人の観光客が無賃乗車をして高額の罰金を払わされたことがあったそうだ。
電車の中にも切符の販売機があるそうだが買っている乗客も見なかったので全然気付かなかった。
私達も電車に乗って切符を買えばと思って乗車していたら結果的に無賃乗車していたかもしれない。
全て合理的な考えで余計な経費を節減している。

4時30分のバスで船に戻った。
途中お土産として買った生チョコは部屋備え付けの冷蔵庫に大事に仕舞った。

夕食のあとは8時45分からウイーンの若者による”弦楽四重奏の夕べ”が3階展望ラウンジであり聴きに行く、男性2人、女性2人で演奏曲は「ワルツウイーン気質」「アイネクライネナハトムジーク」「ワルツ観光列車」「ワルツ美しく青きドナウ」アンコールは「ラデッキーマーチ」。
9時過ぎ部屋に戻り旅日記の続きを書き12時に就寝。
船は演奏会が終わったあと10時にウイーンを出航、クレムスに向かう。




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美しく青きドナウの船旅(10)

2008-11-16 09:45:36 | 海外旅行
11月15日(火) 曇り午後から晴れ

船は世界遺産バッハウ渓谷沿いの可愛らしい街クレムス(オーストリア)に着いている。


7時15分からラジオ体操。
朝食は和食、昨日天満屋でも和食を食べたが朝からの和食はひときわ美味しい。
ご飯、味噌汁をお代わりし塩鮭、焼き海苔、生卵、梅干を食べた。
日本では黒田慶樹さんと紀宮様の結婚式が行われたそうだ。


9時に船を降りてバスでバッハウ渓谷東端の街クレムスへ向かう。
10分ほどでクレムスの街の入り口シュタイナー門に着いた。

            
歴史があり、きれいに整えられた旧市街へ入り散策する。
商店もオープンしたばかりで清清しい朝の街である。 
           
       
町の中にこんなトンネル(これは上から写した写真)があり中に階段がある。
ガイドがご希望の方はこのトンネル階段の上の高台にあるピアリステン教会や教区教会へ案内するというので付いて行った。


トンネルを上らないで住宅街の側の急な坂道を昇ると教会があり目の前にカラフルな可愛い街並みが見下ろせる。帰りはトンネルを通って下へ下りた。


こんな街へは船でなければ来られないだろうと思って散策する前に貰った街の地図を見るとすぐ近くに鉄道のクレムス駅がある。
電車に目がない私はこれは絶対に見に行かねばと石畳の市街地を抜け広い通りに出た、バスが走っているのでこっちの方だと決めて歩いていくと綺麗な運河に出合った。
しかしここからは商店街が終わって住宅地の方へ上っていく道になるので間違えたと気付き、ちょうど橋の袂の喫茶店から出てきた現地のおとうさんに道を訊いた。

  
少し戻ると駅前の道に出た。       駅に近づくと真っ赤な電車が見えてきた。

  
ここでもホームには切符無しで簡単に入れる。


ウイーンフランツ・ヨーゼフ駅からはドナウ川に沿って北側をトウルン、クレムス、デュルンシュタイン方面へ向かう鉄道があり、ウイーン西駅からはドナウ川を離れて南側をザンクト・ベルテン、メルク、ザルツブルク方面へ向かう列車がある。
そしてトウルン、クレムス、ザンクト・ベルテンを結ぶ支線がある。
駅の様子、時刻表、ホームに到着する列車、発車する列車の動画などを撮った。

     
集合時間が近づいたのでシュタイナー門の前にある公園へ引き返した。
ツアーのメンバーでそんなに遠くまで行った人はおらず殆ど商店街でブラブラし買い物をしていたようだ。
街の中は道路が狭く迎えに来るバスが道路に駐車していたトラックが邪魔になって迂回してきたため船に戻るのが少し遅れ12時になった。

  
12時30分船は次の観光地デュルスタインへ向けて出航。
昼食はヴァイキングだった。
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