晋ちゃんの気ままな散歩道

あっちこっち横道にそれたり休んだりしながら気ままに散歩しています。

2月17日~20日 第1回入院(右目) 

2007-02-24 09:12:01 | 健康

2月17日10時白内障の手術のため近大病院に入院。
部屋は新館7F 75病棟 775号室 6人相部屋。
入室するなり「オッサン何の手術や」「白内障や」「そんなん屁みたいなもんや」
「オッサンはなんやねん」「わしゃ角膜移植や、3回目や」てな調子。
向かいのベッドのオッサンは白内障の手術が終わって今から退院。

 本人確認のためのリストバンド
このバンドは入院料を清算して退院するまでは外してもらえない。

看護師がパジャマを持ってきたのでそれに着替え、持ってきた荷物を引き出しにしまう。
あと入院から手術、退院までのスケジュール、点眼、入浴、その他の注意事項の説明。

すぐに昼ごはん、どんぶりに軽く盛ったご飯、シチューにジャコと胡瓜と春菊を和えたサラダ。
シチューは肉も入っているが大豆が沢山入っていて美味しかった。

午後からは担当の医師から手術の説明、まず右目の白内障の手術。
手術は白内障摘出術+眼内レンズ挿入術。
術中、術後に予見される眼内炎、出血による失明、水晶体核の硝子体腔落下、網膜剥離等々の
危険性についての説明があった。
火、木、土は男性の入浴日、一人風呂で2時ごろから順番に入る。
病室へ戻るとそれぞれ家族が面会に来ている。

夕食は6時から、どんぶり飯に焼き魚、スパゲティー少々、大根と胡瓜を刻んでつぶした梅干で
味付けした和え物、ロールキャベツに人参とインゲンのゆがいたのを添えて、明日の朝7時半まで
13時間半お腹が持つのか心配だ、しかしこれも美味しい、ユックリ味わって食べた。
夕食後8時ごろまで患者どうしの情報交換。
9時半消灯、隣の若い奴がベッドの中でゴソゴソやりだしやっと寝たと思ったら大きな鼾が始まり
11時ごろまで寝られなかったが、あと6時までグッスリ寝た。


2月18日夕方病院からの眺め。

7時半から朝食、パン1つにマーガリン、牛乳1パック、みかん1ツ。
日曜日は何もないので外出許可を取って家に帰り、ラグビー日本選手権の準決勝を見て風呂に入って
5時過ぎ病院へ戻る。

6時から夕飯、カレーライス、野菜サラダ、ナッツの入った黒糖のような蜜のかかった団子のようなプリン。

私の右隣のオッサンは79歳、寝屋川に家がある、3度目の角膜移植だが若い人の角膜か年寄りの角膜か
分からないが近大は海外から角膜が沢山入ってくるので外人の角膜が入っているそうだ。

左隣は35歳、羽曳野に住んでいる未婚で両親が面会に来る。
白内障だが首から上と腕にアトピーがあり痒くなると無意識に掻くので術後の目に要注意らしい。
昨夜寝てからゴソゴソしていたのは頭が痒くなったのでゴシゴシ掻いていたらしい。

反対側の左は38歳、河内長野に両親と住んでおり未婚、宅配便の仕事をしているが糖尿病から左目の
網膜が剥離しかけて物がよく見えない。
既に1ケ月以上入院しており仕事も辞めざるをえないようだ。
対面は空きベッド。

反対側の右は70歳、堺の深井に家があり元現場工事屋さん。
この人は昨年11月に家の近くにある眼科で日帰りで左目の白内障手術を受けたのだが翌日、術後の検診
に行ったら網膜が剥離していると言われそのまま入院して手術を受けたがうまく行かず全く見えなくなり近大
病院へ移ってきたとのこと。
近大へ来て目の前が明るく見えるところまでは回復したがまだ物が見える状態ではなく、これ以上手術も出来ず少しずつ物が見えて来るようになるのを期待して養生するしかないようだ。

この人の話を聞いて私は最初から近大で手術を受けてよかったと思った。
9時半の消灯から朝5時までグッスリ寝た。


2月19日いよいよ手術日だ。
朝食は半分、昼食はなし。
手術は午後3時過ぎから、閑なので院内を歩き回ったり、写真を撮ったりして過ごす。


2時半頃から瞳孔を開く目薬の点眼が始まる。いよいよだ。
期待と不安の中病室の仲間に励まされ手術場へ。

手術場に入ると今手術を終えた人が3人ベッドに乗ったままラッシュ状態なので暫く待たされた。
手術場の奥に左右に手術室が6ツほどあり大勢の医師や看護師が出入りしている。
やっと手術台に寝転がり手術室に入った。

ベッドに寝たまま体にシートが被せられその中でパジャマを脱ぎ紙パンツ1枚になり隣のベッドへ移る。
担当医師と他に男性の医師1人、女性の看護師2人のチームだ。
先ず名前、生年月日、右目の白内障の手術をすることを私の方から話すことで確認をする。

その間に左腕に点滴が差し込まれ、心電装置、右腕に血圧計が取り付けられる。
右目の周りを消毒薬をつけて4~5度徹底的に拭く。
そのあと麻酔薬の点眼。
続いて眼球に消毒液を流し込んでの消毒。
まぶたを開いたまま固定された上に黒い網の目のようになったシートが被せられ周りは見えなくなる。

手術を始めますの声、やがてジジジと音が聞こえどうやら黒目と白目の間を3mmくらい切開している
ようだ。
次に水晶体の前の膜を円形に取り除き、そこから超音波白内障手術装置を使って中身を吸い出したの
だろう、今まで見えていた丸い筒のようなものが見えなくなった。
レンズをくださいと声が聞こえ、黄色、1.8ですね、1.8ですと返事。
折りたたんだシリコン製の眼内レンズ(両端にレンズを支えるばねが付いている)が挿入されたのだろう、
さっきの丸い筒のようなものがまた見えてきた。
最後に眼球の中に何か差し込まれたような痛みを5秒間ほど感じて手術終了。
目の前にガーゼを貼られ、ベッドのまま手術室を出る、手術時間15分。

手術場には病室の看護師が迎えに来ていて患者の引渡し。
その場で立ち上がってふらつかないか確認し点滴をつけたままエレベーターで4Fの手術場から7Fの
病室まで戻る。
あとは明日の朝眼帯を外す瞬間を期待するのみ。
夕食後ベッドで横になっているうち寝てしまった。


2月20日朝6時半過ぎいよいよ日の出だ。
看護師が来て目の前のガーゼを外した。


明るい。
片目ずつ瞑って見るとよく分る。
右目で見る色は鮮やかだが左目は燻っている。


     右目で見る景色               左目で見る景色

私の目はここまでひどくはないが綺麗に見えるようになった右目と比べると左目で見る景色ははかなり
煤けている。 今まで随分と汚れた景色を見ていたことがハッキリ理解出来た。

9時前から教授回診、入院患者全員が眼科診察室に集められ教授が患者の目を器械で見ながら
執刀医の手術報告、経過報告を聞く毎週火曜日と木曜日にあるらしい。
そのあと私は執刀医の術後の検診を受ける。
眼内レンズは今までより手元が見えるように挿入されているそうだ。
左右の視力のバランスが変わった所為か目の前がくしゃくしゃして見難い。

部屋に戻り荷物をまとめ、金を払って、退院手続き、次回の入院手続きをして病院を出た。
明るくなった景色を見ながら15分ほどユックリ歩いて家に帰った。

2月24日 今から再入院、後半戦の開始だ、行ってきます。
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2月17日 手術してきます

2007-02-17 08:44:00 | 健康

3月に予定していた白内障の手術が早くなり今日近くの病院に入院します。
待望の手術です。
世界が明るく見えるようになって戻ってきます。
術後の養生もあるので当分の間ブログは休みます。
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2月12日 振り替え休日

2007-02-12 18:48:45 | 集まり、同窓会

今日も風のない暖かい一日であった。
小学校の同級生良ちゃんが10日に亡くなり葬儀に参列した。
去年11月の同窓会には出席の返事が来ていたが直前に体調を壊したのか欠席になった。
同窓会の2次会では彼女が旦那さんとやっていた寿司屋へ行きよくカラオケを歌った。
あまりプライベートな話はしなかったが葬儀では学校を出てから両親の飲食店の仕事を
手伝い結婚してからは旦那さんと一緒に寿司屋を始め、2人の子供を立派に育て6人の孫
があり頑張り屋で働き詰めの一生だったようだ。
今までは葬儀に参列するといっても両親の場合が殆どだったが最近は同級生や同年代の
仲間がが多くなって来た。
これからは少しづつ増えてくるだろうが69歳は早すぎる。
ご冥福をお祈りします。
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2月11日 建国記念日

2007-02-11 22:15:57 | 音楽

今日は我が家の建国記念日。
カミサンのコーラスのピアノの先生のコンサートに出かけた。


会場はSAYAKA小ホール、今年7月1日に我々ゴスペルコーラスもここで歌う予定である。
この小ホールは音響効果抜群で関西のミュージシャン絶賛のホールでもある。
南海電車大阪狭山市駅からも近く人気の会場である。


ヴァレンタインコンサートという事でプログラムもチョコレートの箱に似せた形になっている。
今までSAYAKA大ホールでのヴァレンタインコンサートでは渡辺貞夫、ジョージ川口、北野忠雄とアロージャズオーケストラなど有名なミュージシャンのコンサートが多かったが今回は新進ピアニストのコンサート、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、ホルン、ベース、パーカッション、ヴォーカルに元宝塚歌劇団の桐さと実と言うメンバーで会場のお客さんを舞台に上げてベルバラのセリフを喋らすなどアットホームな演出で楽しい2時間であった。


終わって5時半過ぎから家の近くに最近出来た和食(割烹)の店へ初めて行った。
主人は元リーガロイヤルにいたと言う人。
魚介類と野菜の料理がめちゃくちゃ美味しい。
黒霧島(720ml)をキープしたがカミサンと二人で殆ど空けてしまった。
料理が美味しいと酒も美味しい。
楽しい建国記念日であった。
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2月10日 それでもボクはやってない

2007-02-10 22:42:54 | 映画

山歩きが出来ないのでまた映画を見に行った。
便利になったものでいちいち電車賃を払って大阪まで行かなくても車で10分ほど走れば泉北NTのシネコンに行ける。
シネコンの周りにはスーパーやいろんな専門店があり駐車料金はタダ。
近所の奥さん方は子供を学校へ送り出した後シネコンで映画を観て買い物をして来るそうだ。

観た映画は「それでもボクはやってない」。
満員電車の中で痴漢に間違えられた若者が無罪を訴えて闘う実際の冤罪事件を題材にした映画である。
裁判員制度についての研修会を受けた後なので興味が湧いて観ることにした。
就職試験に行く途中痴漢に間違えられて逮捕、警察の留置所に入れられてしまう。
ここからは逮捕された若者の物語ではなく裁判の仕組みを具体的に判りやすく教えながら冤罪はどのようにして作られてゆくのかという物語になる。
まず警察で痴漢をしたことを認めれば調書が作成されて前科者になるかわりに帰宅が許される。
しかし無罪を主張すれば数日間拘留され毎日検察庁まで護送車で連れて行かれ尋問を受ける。
もちろんその間に弁護士を選定して相談することは出来る。
検察官が告訴を決めれば被告となりそのまま裁判になる。
しかし絶望的なことに日本の裁判では検察が告訴と決めた事件は99.9%有罪になるらしい。
この映画でも痴漢の証拠は何もない、いたずらしていた手をつかまれたわけでもなく、被害者の女学生が「この人が後ろでゴソゴソしていたから」という程度のことで目撃者は誰もいない。
しかし痴漢となると最初に引き渡された鉄道関係の人も心情的に可愛い女の子が被害に遭ったと訴えているのだから本当だと思うだろう。
しかし被害者にも名指しされた人にも確かな証拠は何もない。
検察はそういう周りの状況から判断して起訴するかどうかを決めることになるが起訴しない理由は見当たらないから起訴することになる。
起訴したからには何が何でも犯人にしないと自分の実績に関わってくる、従ってその後被告に有利な証拠が出てきても弁護側から指摘されなければ隠し続ける。
さらにこの映画では担当した裁判長がリベラルな人で過去にも無罪判決を下したことが何度かあり今度の裁判でも被告側に優しい対応をしていた。
そのためこの裁判の途中で裁判長が交代になり今までの裁判長は地方に飛ばされ替わった裁判長は被告側に厳しい対応をする。
「エーッほんとかよ!」と思うが、「ShallWeDannce」を作った周防正行監督が実際の冤罪事件を題材にして作成したのだから間違いない事実なのだろう。
映画の流れではこれは無罪だなとの印象を受ける、さらにその電車に乗り合わせていた女性を探し出して「状況から考えてこの人は痴漢などしていない」と裁判で証言するが「状況だけでは無罪とする証言にはならない」と裁判長から切り捨てられる。
判決は有罪。
映画の中で裁判は何のためにあるのか「無実の人を犯罪人にしないため」と云っていたが、観終わって悔しさ、空しさが大きかった。
最近日本の裁判はおかしいという声をよく聞く、この映画を観てその理由がよく分った。
検察があまりにも強く、裁判官が弱すぎるからだ。
司法がほんとに弱体化している、検察は国家であり、裁判官はサラリーマンであると感じた。


痴漢といえば思い出す出来事がある。
もう10数年前になるが仕事が終わって7時ごろ地下鉄御堂筋線の中百舌鳥行きの電車の1番前の車両に本町駅から乗車した。
車内はそこそこ込んでいた、ドア付近は特に込んでいたが私は2ツ目の難波で降りるので中へは入らずに乗り込んだドア付近の真ん中辺りにそのまま立っていた。
電車が次の心斎橋駅へ着きドアが開いた瞬間私の斜め右横で背を向けて立っていた女性が突然「この人痴漢です、梅田からズーッと触ってました」と大声で叫んだ。
周りの人達は一瞬誰のことか分からず自分の周りを見廻している。
私はすぐ横で声がしたので一瞬自分が言われたのではないかとビクッとした瞬間開いたドアから逃げるように降りようとしている小柄な男がいた。
ほんの瞬間のことなので周りの人もその男を捕まえようとはしない、こういう時には若い人がしっかりしている、サッとホワイトナイトのような若者がしっかりその男を捕まえていた。
少し揉みあっていたが駅員が飛んできて駅長室の方へ行こうとしていた。
電車はすぐに発車し次の駅で私は降りた。
御堂筋線の先頭車両は痴漢が多いと聞いてはいたが自分のすぐ前でこんなことがあるとは考えてもいなかっただけに驚いた。
以後しばらくは乗り換えには便利であっても先頭車両には乗らないように気をつけ、車内では吊革を持つよう心がけていたがいつしか忘れてしまっている。
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2月9日 魚が食べたい

2007-02-09 21:04:59 | 料理


今日は朝から久しぶりの雨だ。
金剛駅前のカイロプラクティックへ行った。
この治療院は金曜日だけ仕事をしている。


Before
帰り道スーパーに寄ったら無性に魚が食べたくなった。
新物のカマスゴが安く、福岡産の極上物の鯖の切り身が美味そうだったので買ってきた。

After
カマスゴは卵でまとめて生姜と三杯酢で鯖は塩焼きで
焼酎はもちろんこの3本立てで



ご馳走さまでした。
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2月7日 お役所仕事

2007-02-07 14:48:43 | たわ言
 
今日も天気がいい。ブルーのマークのある建物はミノルタの研究所だ。
久しぶりに歩いてみようと思い電気を当てて湿布薬をもらいに近くの診療所までユックリ歩いて行った。

帰ってきたら社会保険庁から年金振込通知書が郵送されて来てた。
そこには19年2月と4月に振り込まれる年金金額とそこから差し引かれる所得税が記載されている。
私は国民年金と厚生年金は受け取っていたが老齢年金は繰り延べしてきた。
しかし昨年11月で繰り延べを止め、受け取るための手続きを社会保険事務所に出向き済ませてきた。
それに基づき新しく受け取ることになる年金金額と所得税を通知してきたのだ。
ところがその支払年金から差し引かれる所得税の金額が私の受け取る年金金額から計算した概算金額の7倍近い金額になっている。
納得できないので社会保険事務所に問い合わせた。
返ってきた返事は「あなたが扶養親族等申告書」を提出するのが遅れたためだと言うことだった。
しかし昨年11月に基礎年金を受け取る手続きをしたときに扶養家族があることも記載している。さらに昨年11月に現況届けを返送した時に加給年金対象の配偶者がいることも記載している。
これだけでは駄目なのかと訊いたら「その後に扶養親族等申告書を2月14日までに提出するように送っているそれが未処理になっているから所得税が多くなっている、その分は4月に返金になるので改めて訂正した年金振込通知書を送ります」との返事だった。
要するに私が扶養親族等申告書を送り返すのが遅れたのではなく、社保庁の処理が間に合わなかったから(提出期限からして間に合わない)こういう誤解を招いているのだ。
それならそれらをキチンと処理した上で年金振込通知書を送ればいいではないか。
現況届けで加給年金対象の配偶者があることを届けた上になぜあらためて扶養親族等申告書を提出させるのか尋ねたところ、加給年金は社保庁用、扶養親族は税務署用だと返事があった。
なぜこのような2度手間な作業をするのだろう、現況届けの時に両方同時に提出させその後移動があったときは移動届を提出するようにすれば移動がなければ提出する方も一度で済み莫大な切手代も半分で済む。やはり社保庁は税務署に吸収されたらいいと思う。
郵便局と社保庁でお互いに余計な仕事を作りあって貴重な保険料の無駄使いをしているとしか思えない。
今年度からは住民基本台帳ネットワークシステムを利用して現況確認をすることになったので「年金受給権者現況届」はなくなるらしいがまた「個人情報漏れ」「情報資料の紛失」などの不祥事が起こらないか心配だ。
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2月5日 武士の一分

2007-02-06 11:35:44 | 映画

今日は元の会社の飲み会のお誘いがあり本町まで出かけた。

夕方6時半集合であったが早く出かけて道頓堀の角座でキムタク主演の映画「武士の一分」を観た。
山田洋次監督作品なので期待していたが少々期待外れだった。
ストーリーの起承転結がセットセットにはめ込まれたようでスムーズに流れて来ない。
目が見えなくなってイライラする様子も派手すぎて本当に心の中でイライラしている様子が伝わってこない。
「命をかけて、守りたい愛」とあるのだから敵討ちも相打ちになり双方共に死ぬものと思っていたが敵討ちを果たしたあと離縁した加世と再び一緒に暮らす結末になろうとは思ってもいなかった。
今の映画はここまではっきりした結末を出さないと見てもらえないのだろうか?
映画が終わった後鼻をすする人が多かったが私はこの結末は出さずに観た人の想像する結末にして余韻を楽しみたかった。

飲み会は韓国料理、これも今の流行なのか私にはも一つだった。
私が少しづつ世間からずれてきたのか・・・
とにかく現役の若い力をもらって楽しい時間を過ごすことができた。
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2月3日 節分

2007-02-04 19:29:17 | 集まり、同窓会

会社のOB会が梅新の御堂筋沿いにあるこのビルの地下のビアホールであった。
腰を痛めているので車で行った。
土曜日の阪高は空いていて快適だ、大阪駅第3ビルの地下に車を置いて歩いて会場へ行った。
出席者は38名、記念撮影のあと12時から3時まで歓談が続いた。

その中で今年の年賀状の配達はおかしかった事が話題になった。
元旦に届いたのが少なく、2日にドンと届いたとか、4日、5日、6日とダラダラ届いたとか・・・
もっとひどいのは毎年来るのに今年は来ないので病気にでもなったのかと心配して電話したら「ちゃんと25日までに送っている、もう一度送ろうか」といわれたとか・・・
そんな話が次々あった。

郵政民営化、なんかおかしい、新しい事業で民間に食い込むことばかりに一生懸命で足元の今までの仕事がおざなりになっているのではなかろうか?
生田総裁はいろいろ言い訳をしているが矢張り上に祭り上げられて現場の事は何も分っていないのか、知らされていないのか・・・
郵便配達の人達はバイクで一生懸命配達に走り回っていたが上の方の偉いさんは年賀状など1日遅れようが、2日遅れようがたいしたことはないと考え、現場の人間を削ってでもノルマ(採算)が大事となっているのだろう。
役人の合理化とはその程度のことしか思いつかないのだろう、どうすれば少しでも改善出来るようになるのかという思考回路はもともとないのだろう、そのくせ出来ませんともいえない、困った人種だ。

私は最近写真や本を送るときはヤマトのメール便を使っている、厚さが1センチ以下なら殆ど80円でOKだ。(但し配達は翌々日になる)
どうしても翌日に届けたい時は90円払えばOK、速達よりはるかに安い。

本業の郵便事業でこの有様なのだから郵便、簡易生保、貯金と3事業に分割された郵政3会社はいずれも中途半端な事業になりM&Aで民間会社に吸収され本当の民営化が実現するのだろう。

今日は節分、巻き寿司といわしを買って帰りトン汁を作って北北西を向いて黙って食べた。

明日は立春だ!

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