イギリス、フランス、イタリアで建築を学んだ辰野が帰国後に手掛けたのが
1896年に竣工した「日本銀行本店本館」で、この物語の最初の話である
内閣総理大臣・伊藤博文伯爵の前でイギリス派の恩師コンドルをこき下ろし
ドイツ風バロックを基本とし、鮮烈なグリーンの銅板葺きドームを提案
伊藤総理に「いいな」と言わしめ恩師コンドルに打ち勝った
と記してある
これが辰野金吾の建築家としてのスタートであった
辰野金吾には一女三男に恵まれた
長女の須磨子はヨーロッパ帰りの栄養学者、米ぬかから脚気の薬、
ビタミンB1を抽出した鈴木梅太郎に嫁している
長男隆(ユタカ)は仏文学者
また辰野金吾は1918年(大正7年) アメリカから始まり北半球で流行した
インフルエンザ(スペイン風邪)が遠因で1919年(大正3年)亡くなっている
私の住む大阪で辰野金吾の設計
大阪株式取引所の仲買人、岩本栄之助の寄付で建築された
「大阪中央公会堂」
大阪府河内長野市の天見温泉「南天苑」
南海電車「浜寺公園駅」
などがあります