晋ちゃんの気ままな散歩道

あっちこっち横道にそれたり休んだりしながら気ままに散歩しています。

五月晴れ

2024-05-21 12:02:59 | 日本の城

  

  

雨上がりの庭には雨を喜ぶ花たちが沢山の蕾をつけている

今日は起きた時は雨がまだ残っていたが日中は五月晴れ

近くの喫茶店に出かけた

新しく始めた月曜喫茶室、5人集まったがまだ増えるようだ

パンとコーヒーでモーニングする人、朝一番で医者に行った帰りの人、耳の遠い人

皇室の話、スマホの話、大谷の話・・・

昼前に解散した

私はそのまま近くのスーパーへ月曜日の買い物(毎週月曜日は一割引きの日)

スーパーの出口では「せいだんクラブ」のメンバーに出会った

先月豪邸をぶっ壊した区画に住んでおり、地響きがスゴかったそうだ

午後からは昼寝、最近は一時間ほど知らない間に寝てしまうことが多い

アメリカ大リーグ・パドレスのダルビッシュ有投手が日米通算200勝を達成

パッと咲いてパッと散る花も潔いが、長い年月投げ続け積み上げた勝ち星は素晴らしい

ガンバレ!!! ダルビッシュ

 

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岸和田城の桜

2023-03-28 21:18:00 | 日本の城

 

  岸和田高校の同期生5人、70年ぶりに揃って岸和田城の桜を見に出かけました  学校の正門前の通り

 

                  70年前はこんなきれいな学び舎ではなかった

  

            岸和田城と対峙して建つ大阪府立岸和田高校

            70年前、こんな城郭は無かった

           その代わり学校の正面から城跡にかけて木造の橋が架かっていた

 

 

 

  おじいさんが初孫を連れてお城とさくら見物?

 

 

 

  門が閉まっています、今日は登城日ではないようです       お城の濠に沿ってグルーッと一周 

    

      あとは5年ぶりのミニ同窓会              春宵のひと時を楽しんできました

私以外は現在も岸和田市内に住んでおり、彼らの話では南海電車沿いの地域はお年寄りばかりという

私たちが小学生の頃は1クラス50人、4クラス合わせて1学年200人ほどいたが

現在は1学年25人ほど、6学年あわせて150人ほどで現在近くの小学校と合併の話が出ているそうだ

これは私たちの住む大阪狭山市でも同じような状況で合併の話がチラホラ

日本の人口ががた減りしつつあるのがよくわかる

 

しかし毎年9月の「だんじり祭り」では各町の引き手が沢山いるようだが?

これはふるさとで「だんじり」をこよなく愛していた若者が仲間を連れて戻ってきたり

だんじり好きの若者が一緒になって盛り上げているからだそうです

しかしいずれそんな若者たちが年老いてしまったらどうなるのか?

 

いま岸和田市役所の建て替えをどうするのかが問題になっているらしい

現在の市役所は私が住んでいた頃、お城のすぐ前に50年以上前に建てられたもので老朽化が進んでいる

現在地で建て替えるつもりであったが、最近になってすぐ近くに地震帯があることが分かった

どうするのだろう?

 

楽しく花見をして、むかし暮らしていた土地のいろんな話を聞きながら美味しいお酒を楽しんできた

 

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11月12日 (土)85回目の誕生日

2022-11-22 12:29:00 | 日本の城

どうってことはない

85年間生き恥をさらしてきただけのこと

今日は3年ぶりの同窓会 生き恥をさらしに出かけた

会場は新阪急ホテル

大阪駅のすぐ前にあるのにいつも道に迷ってしまう

地下へ潜ったり、横断陸橋を渡ったり 人間は地上を歩かない様にしている

難波駅前のように御堂筋から車を入れいないようにしたり

御堂筋の車道を狭めて、人の歩くスペースを拡げたりなぜしないのだろう

 

やっとたどり着いた会場 

出席者は36人、先輩が2人 私の同期など1人も出席していない

たまたま隣に座った後輩と話していたら「私は今年米寿です」

1年後輩が3歳年上、今は奈良の寺町に住んでいるそうだ

 

ラグビーの後輩は足腰が弱ってきてだんだん歩きに行くことが減ってきたという

高校の後輩は相変わらず絵を描いているそうだ

集合写真を撮って、最後は校歌演奏、感染対策のため斉唱はなし 15時解散

 

帰途、心斎橋の大丸に寄ってみたが、地下は様変わり

心斎橋筋を歩き、大阪らしくゴチャゴチャした難波のホコ天を覗いて帰ってきた

 

  **パソコンにウイルスが侵入しましたがやっと追い払うことが出来ました**

 

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八陣の庭

2022-04-04 05:20:25 | 日本の城
    
        岸和田城の再建は昭和28年(私の高校在学中)から始まり、合わせて前庭、八陣の庭(はっちんのにわ)が造られた

    
           八陣とは、中国三国志の戦略家、諸葛孔明の「八陣法」をイメージした枯山水の庭園
           八陣とは 1.大将 2.天陣 3.地陣 4.風陣 5.雲陣 6.龍陣 7.虎陣 8.鳥陣 9.蛇陣
           からなる
           周囲を歩きながら、どの方角からでも景観が楽しめる

       

                      
                    作庭した庭師は飛行機やヘリコプターから見下ろした眺望まで考えていたそうだ

   そこで私はふと思った
   前回書いたように岸和田城は姫路城に匹敵するような大城であったのではないか
   現在天守のみが再建されているがこの八陣の庭になっている広大なスペースに回廊や楼閣があったのではないか
   むかしの城は落雷で焼失してしまったが同時に設計図などの資料もすべて焼失
   再建しようにも手掛かりが無かったのではなかろうか と推察する



  

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岸和田城

2022-04-02 12:53:45 | 日本の城
    
      先日花見に行った岸和田城
    今はお城よりもだんじり祭りで有名ですがこの城跡に昔は姫路城に匹敵する大きな天守があったそうです
    しかし姫路藩は50万石の大大名だったが、岸和田藩は5万3千石
    その大きな天守は1827年落雷で焼失してしまったそうです
    現在の天守は1954年鉄筋コンクリートで建造されましたが、内部は展示場になっている
    大坂夏の陣以前の岸和田は、徳川にとって大阪城に面した最前線基地であった
    城のすぐ下には今でも紀州街道が残っており、大阪と紀州、四国を結ぶ交通の要衝であった

    

   
       岸和田城の濠は明治以降に大部分が埋められ、本丸と二の丸の一部が現存するが石垣は高く濠も広い


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4月7日(火) 千亀利城の桜

2015-04-08 23:59:59 | 日本の城

小学校の同窓会の打ち合わせがあり岸和田へ行った。


ついでに千亀利城(岸和田城)の桜を見ようとお堀を一周した。




満開も過ぎ、落花盛ん。




千亀利城大手門、猪伏山。


旧五風荘から岸城神社の手前までお堀を一周したあと
打ち合わせ会場へ行った。



市内の川も桜の花びらが沢山散っている。
今年の桜は開花から満開までの間に寒暖の差がひどく、
あっという間に散ってしまった。



打ち合わせ会場「野だて」。
今年は同窓生たちは全員喜寿。
小学校卒業65周年の同窓会。
今まで各クラス別に続けて来たが出席者もだんだん減ってきたので
学年4クラス全体の拡大同窓会を企画した。
各クラスから代表者2~3人合計10人が集まった。
食事をしながら開催日時、各担当を決めた。
私は司会を担当、さらに65年間の振り返りをプロジェクターを使って
映像を写したらと余計なことを発言したため大変なことになり、
資料を集めに小学校へ行くことになった。



早速校歌の伴奏テープ、写真など振り返りの史料を探しに
校長先生に会いに行った。



なんと!学校のシンボルであった講堂の建て替え作業が始まっていた。


明日が入学式で新入生歓迎の準備が進んでいる中、
校長先生にお会いしいろいろお願いしてきた。



卒業時私達6年1組担任の廣道先生の写真が歴代校長先生
(現在31代目)中にあった。



校歌の碑。
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4月3日(金) 大阪城の桜

2015-04-05 10:00:00 | 日本の城

雨模様の天気予報の中、「いきいきウオーキング」に参加した。
いつものように金剛駅集合、難波へ。
高野山開廟1200年記念の特急電車。



御堂筋線で淀屋橋へ。

 
地下鉄の車内表示板もインターナショナルになっています。 


淀屋橋で下車、大川に沿って中之島公園を歩きます。


ライオン橋(渡辺橋)です。


途中でトイレ休憩。




バラ園は植え替え中、新しい花の咲く5月頃が楽しみです。





天満青物市場跡に歌碑がありました。


天満の子守唄。


ねんねころいち天満の市で・・・




 




大川沿いの桜は見事に満開です。


川崎橋、大坂橋を渡り大阪城が見えて来ました。


大坂夏の陣から400年になります。


今の大阪城は秀吉の建てた城を下に沈めその上に家康が
新しい城を建てたそうです。



そのため一番上の堀は水が上がらず今でも空掘り(水が無い)です。


西の丸庭園。

 


ここで弁当を食べ、いつものビンゴゲームをしました。
このあたりから雨がぽつぽつ降り始めました。



ここは大阪城を見る最高のポジションだそうです。


少し回遊コースから隠れたところにありますが前に池があり
お城と上手くマッチングしています。



城内は外国人特に中国人が多かったです。
この頃から雨が激しくなり出口の方に向かいました。



お城を出て馬場町にあるNHK大阪放送局の中で解散。
一緒に参加した4人の仲間となんばミュンヘンで唐揚げ、
生ビールを飲んで帰ってきました。
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3月26日(木) 姫路城

2015-03-29 16:45:45 | 日本の城

世界遺産、国宝姫路城が明日から一般公開されます。
しばらくは混雑すると思い直前に見に行くことにしました。
JR姫路駅からの姫路城。
ズームアップします。











駅を出るとお城の真っ正面に特別な観覧席がありました。
ここからもズームアップします。
















好古園の手前からお堀に沿って城外を巡り





 
菱の門から入城しました。


天正8年(1580年)羽柴秀吉が黒田官兵衛の姫路城に入り、
天正9年(1581年)三重の姫路城を築きました。
関ヶ原の戦い(1600年)の後、姫路城に入った徳川家康の女婿・
池田輝政は秀吉の築いた天守などを取り壊し、石垣などは活かして
慶長14年(1609年)五重の姫路城を完成させました。
左回りのらせん状に内曲輪、中曲輪、外曲輪が配置され、
城下町を外堀が囲む「総構」が特徴です。


桜の花もちらほら咲き始めていました。


西の丸の櫓群・長局(百間廊下)が公開されていました。




階段を上り下りする渡り櫓が約121間(約240m)続きます。












姫路駅から歩き通しで2時間半。
明日は28日(土)の陶器山ウオーキングの準備
(コースの標識付け)でまた歩き廻らないと
いけないのでかまぼこを買って帰ってきました。
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