晋ちゃんの気ままな散歩道

あっちこっち横道にそれたり休んだりしながら気ままに散歩しています。

9月25日(月) 稲渕の棚田

2017-09-27 18:00:00 | ウオーキング
     
     橿原神宮駅前から亀バスに乗って石舞台、稲淵の棚田へ
     ここも大勢の人が来ている。


     
     バスを降りて坂道を上る。
     気持ちのいい秋晴れ。
     日差しは暑いが日陰に入ると風が涼しい。


     
     棚田を眺めながらダラダラ坂を下る。

     
     今度はだらだら坂を上る。

     
     
     
     真っ赤な彼岸花が緑の棚田に映えて素晴らしい。
     曲がりくねった長い坂道だが景色を見ながら歩くと疲れない。
     彼岸花はどうしてお彼岸を待っていたように一斉に咲くのだろう。
     縁起が悪い花と嫌う人もいるが彼岸もこんな景色なのだろうか。

     
     稲渕の棚田。
     この先から棚田に沿って案山子が迎えてくれます。


     
     川に沿って下ったところから案山子ロードが始まる。
     ここへは2014年9月末にに一度来ている。


     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     
     石舞台3時36分発の亀バスで橿原神宮ー古市ー富田林―金剛駅で5時帰宅。
     本日の歩数、14,850歩 約9km ほど良い歩き疲れのウオーキングであった。
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9月25日(月) ほていあおい

2017-09-27 13:40:03 | ウオーキング
     
     今日は朝から日本晴れ。
     予てから機会をうかがっていた写真を撮りに出かけた。
     9時に家を飛び出して10時半畝傍御陵前駅に着いた。

     
     
     昨年9月と10月、二度来ているので勝手知った道。
     駅からゆっくり歩いて10分余り。
     

     
     今年は水もたっぷりあり、花も元気そうだ。

     
     見事に一面に広がって咲いている。

     
     畝傍山をバックに彼岸花も満開だ。

       
     
     畝傍小学校の児童が休耕地に植えた「ほていあおい」。                     

     
     10月に「すずかけ文化祭」があり写真の部で
     昨年のよりいい写真を出品しようと出かけてきた。
     
     昨年は朝5時に家を出て7時前現地に着いた。
     「早起きは三文の徳」。
     
     昨年の様に朝一番の生きいきした写真は撮れない。


     
     あちこち歩き回ったが思うような写真が撮れない。

     
     右手の小高い所は「旧薬師寺跡」。
     いま西の京にある薬師寺の本籍地。


     
     連休明けの月曜日だから人も少ないと思って来たが
     お天気がいいので人も多い。


     
     ちょうどお昼、写真は諦めて金剛駅の「俵衛門」で買ってきた
     おにぎりを食べて一休み。
     
     
     ホテイアオイはこれまで
     「ぽっかり浮かんだ白い雲」をうしろに次へ向かった。
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五悠会 若山神社から水無瀬川を散策(2)

2017-09-23 17:00:00 | ウオーキング
     
     お弁当のあとは竹林の道を下ります。
     
     やっと人里に下りて来ました。
     ここからは水無瀬川に沿って下ります。
          
     
     水瀬川の先に名神高速が見えて来ました。

      
      ツールド大阪の案内に従って進みます。
      
      名神高速の側を上ります。
      
                
      
      水無瀬の滝です。
       
      名神高速天王山トンネル入り口のすぐ横。
      滝谷川が天王山断層によって生じた高さ20mの滝。
      水枯れをしたことが無いそうです。
      古来より多くの歌枕に出て来ます。


     
     やっと下まで降りて来ました。
     関空特急が通過中。
     線路わきの金網の所にカメラを構えた人が見えます。
     近づいて何を撮っているのか訊いてみました。
     40分ほどあとに特別な列車が通過するのでそれを待っているようです。

     
     神戸の川崎車両から北海道へ運ぶ新車両が通過するのだそうです。
     そう云えばこの場所は線路が左右に綺麗にカーブしており
     絶好のシャッターポイントです。
     向こうから来る列車のライトが見えます。
     撮影モードを切り替えて列車が来るのを待ちます。

     
     
     来ました来ました貨物列車の様です。
          
     
     
     
     
     カメラの前を凄いスピードで走りぬけて行きました。
     
     次の目的地へ向かいます。
     
     
     
     サントリー山崎工場です。
     今日は工場の見学、試飲はありません。 


     
     JR山崎駅を通り越し阪急電車大山崎駅の方へ向かいます。        
     
     関大明神社(せきだいみょうじんしゃ)
     島本から京都府乙訓郡大山崎にかけての土地は天王山と
     淀川(桂川)に挟まれ交通の要衝として関所が設置されており、
     これが関大明神社の名前の由来になっています。
     この神社の敷地は関所跡地であります。
     平安時代、西下する貴族や官人がここで別れを惜しんだところ。
     本殿は室町時代中期に造立され、大阪府指定文化財だそうです。

 
     
     丁度この前の道路脇の地面にこんなものがありました。
     よく見ると大阪府0.0kmと見えます。
     この地点が大阪府と京都府の境目の様です。

     
     
     離宮八幡宮、859年石清水八幡宮として創建。
     淀川水運の拠点港、山崎の津で水が湧いたと上奏があり
     国家鎮護のため、清和天皇の勅命により「石清水八幡宮」を建立。
     
     
     その後嵯峨天皇の離宮「河陽離宮」であった為離宮八幡宮とした。              
     また荏胡麻(えごま)油の発祥地で、油の製造と販売中心の
     「油座」として栄えていました。
     現在は油の神様として親しまれています。
     平成22年には創建150周年を迎えています。

     
     本日の歩数17,937歩 約10km
     ウオーキングの距離は 約8km     
     3時30分、阪急電車「大山崎駅」で解散しました。
    
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五悠会 若山神社から水無瀬川を散策(1)

2017-09-21 22:53:00 | ウオーキング
     
     久しぶりの五悠会、JR新今宮から大阪駅経由、JR島本駅に向かいました。
     
     JR島本駅。
     東海道線高槻駅と山崎駅の間に2008年3月に開業した駅。

               
     
     駅前にはこんな歌碑が建っていた。
     
     
     
     奈良時代の駅跡、南北朝時代の武将楠正成、正行別れの地。
     「青葉茂れる櫻井の」と唄われたように
     駅跡は西国街道に面した公園の森の中にあった。


     
       
     陸軍大将乃木希典筆「楠公父子訣別之所」とある。

     
     駅前の西国街道
     
     
     ガードレールもさすが「タケノコの産地」。
     しかし錆びているので不発弾のように見える。


     
     
     JRのレールを渡るのに低いガードを2ツ潜る。
     
     
     島本市立第三小学校
     
     少しづつ高いところへ登って行く。
     段々見晴らしがよくなって来た。

     


     
     
     新幹線からよく見える会社。
          
     
     「ツールド大阪ウオーキングコースしまもと」に沿って山へ。
     
     島本町消防本部から坂道を登ります。
     
     団地の手前で左に曲がり若宮神社に向かって山道を上ります。     
     
     見事な竹林の中を若宮神社へ山道を歩きます。
     
     若宮神社に着きました。
     若山神社には大阪府の天然記念物に指定されているツブラジイ林がある。
     ツブラジイとはどんぐりの一種。

     ここでお昼の弁当になりました。
     今日はまた金剛駅の改札入り口側のおにぎり。
     しゃけとお肉のおにぎり&「なだまんのお茶」。
  

     
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加山又造展

2017-09-19 15:28:28 | 美術
     
     先日ウオーキングに出かけた帰りなんばの高島屋で「加山又造展」を観て来た。
     名前は知っていたが絵を実際に見るのは初めて。
     この絵を観て一瞬ピカソをイメージしてしまった。

     会場は広く、客も少なくゆったりと絵を観て廻ることが出来た。

     以前に観た覚えがある「猫」。
     大きな猫の目と小さなカマキリが向き合う絵。
     ユーモラスで印象に残る。

     「雪の桜島」。
     見た瞬間は富士山と思ったが、山の描き方が全く違う。
     雪山の中を動脈と静脈が流れているようで素晴らしい。

     写真とハガキを買って来た。

     来週まで開催しているのでもう一度行ってみたい。
     
     
     

     
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あの町この町、針のみち

2017-09-18 17:15:15 | ウオーキング
      
          
          あの郵便ポストの横に石造りの道標が見えます。
          「でんしゃのり」「はりみ」途中で切れています。  


          
          その先にも石造りの道標が見えます。
          
          近づいてみると「はりみち」「でんしゃのりば」とあります。

          大正3年(1914)に南海平野線が開通した際、
          中野駅から中野鍼灸院まで320mの間に、
          7基の道標「はりのみち」が辻の角々に建てられました。

          その後、平野線は廃線になりましたが、
          現在でも2基の道標が残っています。


          
          その角を右に曲がるとこの一帯が「中野鍼灸院」です。                         

                
          
          中野鍼灸院は平安時代の延歴(782~805)頃に出来た。
          「中野降天鍼療院」は(屋号)です。
          平安時代から一子相伝を守り、男児が生まれない時は
          女性も当主として鍼灸術を習得して現在に至っている。
      
          
          
          初代は延歴20年(801)に生まれ、
          弘法大師が布教の途上、当家に宿を借りたお礼として
          当時最も進歩した鍼術とつぼを示す「遂穴偶像」(木造)
          と金針を授与された。
          その木像は今も中野家に伝えられている。


          
          その曲がり角の反対側にお地蔵さんがあり
          近所のおばさんが綺麗に掃除していた。
 
          

          
          針中野駅、近鉄南大阪線の駅。
          大正時代に鍼灸師の中野家第41代目が、
          大阪鉄道の開通に尽力し、そのお礼として
          1923年の開通時鍼灸院の最寄り駅の名前を
          「針中野」にしたと言われている。

      
     
     針中野駅の前に全長730m(東西190m、南北540m)の駒川商店街がある。
     天神橋商店街、千林商店街、十三本一商店会などとともに    
     大阪を代表する商店街である。
     ちょうどお昼、ここで昼食になりました。

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あの町この町、針中野

2017-09-17 23:11:53 | ウオーキング
      
  今年2回目の「あの町この町」は「弘法大師立ち寄りの地」針中野。  
  天王寺から地下鉄谷町線で駒川中野駅へ
  戦後この辺りにはチンチン電車が走っていた。
  現在は近鉄電車を挟んで上は阪神高速線が、地上は湾岸線
  下は地下鉄谷町線が走っている。

   
          
     道路を渡って西除川跡へ
     狭山池から北流する川で、
     かつては大川(旧淀川)に注いでいたが
     大和川の付け替えによって、水量が減り、
     いつしか埋め立てられてしまった。
     古文書には「天堂川」「天道川」とも記されている。

    
      
     曲がりくねった道路に沿って文化住宅が立ち並ぶ中
     昔を思わせる、古ぼけた立派な蔵や住宅の中を歩きます。


     
     
     
     その中にお寺や神社が残っています。
     「天道山佛願寺」
     浄土真宗、慶長4年(1559)開基。
     山門の前には庚申街道が通っています。


     
     すぐ傍にあるのが「中井神社」
     ここの井戸に沸く清水を、村人たちが
     「穢れのない霊泉」として大切にしたことから
     「中野村の井戸がある神社」という意味で
     明治に始め「中井神社」と改められた。
      
     
      
     ここには大阪市の保存樹林に指定された大楠、公孫樹、
     メタセコイア、小賀玉木(おがたまのき)があります。

     
     
     中井神社の裏へ抜けます。

     
     今川に架かる平等橋。
     由来は歴史深く、この一帯の杭全荘が鎌倉前期に宇治平等院に
     寄進されたことから平等橋の名がついた。
     この橋の上の道は、八尾街道に当たり、八尾から平野郷、
     中野、長居、住吉大社までの道であった。

        
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同窓会の案内状

2017-09-13 18:24:01 | 集まり、同窓会
     
     今年も小学校の同窓会を開催することになった。
     昨年までは地元におる男性たちがすべて段取りをつけてくれ
     私は当日会場で司会進行係をすればよかった。
     しかし80歳の同窓会ともなれば準備するメンバ-も少なくなり
     今年は招待状の発送を依頼された。

     案内状を発送するため住所録を受け取った。
     物故者を含めて45名。
     卒業時には50名近くいたと記憶していたが・・・
     
     45名のうち男性は22名、女性が23名
     男性の物故者は5名、女性は4名
     男性の生存率 77.3%
     女性 〃     82.6%
          
     しかし案内状の発送は男性9名、女性は19名。
     そして出席者は多分12~3名だろう。
     
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9月10日(火) 帰ってきた放蕩娘

2017-09-12 16:45:20 | 季節
     
     明け方から雷雨を伴ってよく降りました。
     この夏、雨らしい雨がほとんど降らなかった狭山。
     各地で水害のニュ-スを見るたび少しはこちらへ引き取って
     あげたいなどと言っていたがとうとう降ってくれた。

     朝から病院へ出かけた帰り、雨も小降りになったので
     狭山池からバス道を歩いて帰ってきた。
     道路沿いのごみ、三津屋川に溜まっていたゴミ
     何もかも一気に狭山池に流れ込んだようだ。

     雨上がりの庭に出てみるとしばらく見かけなかったバッタがいた。
     旦那はどこかへ置いてきたのか、ひと夏の恋も終わったようだ。

     この夏は歩き回る元気もなく、朝からク-ラ-の効いた部屋で
     ゴロゴロ、午後は昼寝、夜は読書を少々。
     気力、体力が衰え、電車に乗って出掛けることが殆どなかった。

     今週からはウオ-キングも始まる。
     みんなについて行けるか不安がいっぱいだ。

     
     
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