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晋ちゃんの気ままな散歩道

あっちこっち横道にそれたり休んだりしながら気ままに散歩しています。

スイスの山と鉄道の旅日記(10)

2007-10-07 08:41:46 | 海外旅行
8月30日(木)シャモニー

    
天候が気になるので朝7時ホテルの部屋からロープウエイが動いているかどうか確かめた。
動いているようなのでに散歩をかねてエギュ・ド・ミディ展望台行きのロープウエイの乗り場まで行ってみた。
ロープウエイの乗り場のすぐ前にお土産店があり店を開けているところだった。
そこで絵を描いて売っている婦人が「おはようございます」と挨拶してきたので日本人と見て片言で挨拶してきたのだと思い「おはようございます」と片言で挨拶したら流暢な日本語で話しかけてきた。
「ロープウエイは動いているが上へ行ってもほとんど景色は見えないだろう、さらにその上のロープウエイは動いていない」。
「モンブランを見に行くのだ」といったら「今日午前中は無理だろう」。
「昼からは少し良くなるだろうが明日の方がもっと良くなるだろう」と言う。
見事な日本語だ。
「毎日ロープウエイの下で天気を見ている人が言うのだから一番確かだろう」といってホテルへ引き返した。




朝の食事中に添乗員がロープウエイの乗り場まで確認しに行ったがやはり午前中は無理と言うことで自由行動になった。
添乗員が希望者をモンタンヴェール展望台へ案内するというので行くことにした。
昨日夕方雨の中を歩いて見に行った登山電車に乗るのだ。










登山電車で約20分、終点に到着。




そこから数分ロープウエイで降りる。


目の前にメール・ド・グラス(氷の海)と呼ばれる大氷河、その奥にグランドジョラス、氷のトンネルを散策して登山電車の乗り場まで戻った。


ほかには見る景色も無いので登山電車でシャモニーへ戻ることにした。





一番前の座席が空いていたのでそこに陣取った。
反対側に日本人らしい若者が二人いたのでら声をかけたら大学4回生。就職も決まって旅行に来ている、ドイツからスイスに入り私達と反対周りでスイスを回りあとオーストリア、ポーランド、チェコ、ハンガリーと約1ト月旅行を続けるそうだ。


シャモニヘ戻ってレストランで昼食。
サラダ、ローストポークとポテトグラタン、エクレア相変わらず質素な食事だ。


午後になっても「空中散歩」のロープウエイは運休。
明日の朝、最後のチャンスを待つしかない。
することがないので町の中をあちこち歩いた、これはCasino。


これはホテル「リッチモンド」暇に任せて写真を撮った。


これは「ラコステの店」、ブダペストやウイーンでもラコステやDAKSの店を見つけると写真を撮ってしまう。
会社を辞めても会社人間なのが寂しい。


雨が降ってきたのでこのカフエで雨宿りした。
そこへさっきの大学生2人も雨宿りで入ってきた。
声をかけると隣の席へ来たのでまた話をした。
「君たちドイツ語は話せるのか」と聞いたら英語は話せるので手を使って「あっちこっちぐらいは通じる」と言う。
しかし一番困るのはレストランのメニューだと言う、字は読めてもどんな料理なのかわからないのが困る。
1ケ月も旅行するにはどこかの旅行会社に頼んだのかと聞いたら、全て手づくり、1人がスイスのホテルを(スイスの宿泊を専門に扱うインターネット会社があるらしい)、も一人はほかの国のホテルを全てインターネットで検索し条件の合ったところへ予約を入れカード番号をインプットすれば予約が出来るらしい。
モンブランを見に行くのかと聞いたら「もう一日頑張ってみます」と言った。
私達はコーヒーを飲んでいたが彼等はウインナーコーヒーにブランデーを入れて飲んでいた、結構リッチな旅をしていると思ったが私も学生時代、粋がってウィンナーコーヒーを飲んでいたのを思い出した。


スーパーでSuper Dryを売っていたのでツアーの連中で買い占めてしまった。
他にすることがないのでスーパーにはいって魚の写真を撮ったり・・・


踏み切りでモンブラン急行の電車の写真を撮ったりして時間をつぶした。


今夜の夕食は日本料理「さつき」という店で観光案内の本などではとても美味しい日本食を出してくれると書いてあったので期待して行った。
鮭の塩焼き、天ぷら、酢の物、漬物、味噌汁、ごはん(お代わりできる)。
店主は日本人なのか中国人なのか、ビールはスイスの白ビール、追加料金を払えば冷ヤッコや美味しい漬物、納豆などもあるがなんか金儲けしようとしているのが見え見えで期待はずれであった。
こんなところで美味しい日本食を食べようというのが間違いだとは思うがもうチョットましなメニューにして欲しい。
一昨年ウイーンの「天満屋」で食べた昼食は刺身がついてアサヒビール(5ユーロぐらいだったかな)が飲めて美味しかった。
ホテルへ戻って明日の晴天を祈り照る照る坊主を吊るしてスーパーで買ったスーパードライを飲んで寝た。

スイスの山と電車の旅日記(11)

2007-10-07 08:41:28 | 海外旅行
8月31日(金)モンブラン空中散歩

朝天気が気になるのでホテルからロープウエイを見たが雲がかかってよく見えない。
エギュ・ド・ミディ展望台へのロープウエイは6時から動いているがその上のロープウエイは9時からしか動かない。


朝食のあと荷物はバスに積み込み防寒具その他最低必需品だけを持ってロープウエイの乗り場へ行った。


空中散歩のロープウエイが動いているらしい。
チケットを買ってエギュ・ド・ミディ展望台まで昇ることにした。
昇り始めてすぐに雲(霧)の中に入りロープウエイの外は真っ白で視界はゼロ。
ヤッパリ駄目かと思ったとき視界が開けた。
真っ青な空と白い雪山が見えた。


ロープウエイの終点、エギュ・ド・ミディ展望台の塔が霧の中に見えてきた。


見えた! モンブランだ!!


展望台の塔もはっきり見えてきた。
上空は快晴だ!

山をくり貫いた断面図。


2,800Mの標高差を約20分、途中乗り換え一回でエギュ・ド・ミディ展望台下に到着。
山をくりぬいて作られた通路を通ってエレベーター乗り場へ。





エレベーターで一気に標高3,842Mの展望台へ。
風があって少し寒い、気圧が下がったせいか体がふわっとして息苦しい。
左の山はグランド・ジョラスか。


目の前にモンブラン。


モンブラン(4,808m)。


モンブラン付近の山の説明図。


モンブランの反対側遥か向こうに三日前目の前に見てきたマッターホルンが見える。
ここからマッターホルンがこんなに見えることは余り無いそうだ。







こんな所でロッククライミングをしている。


雪洞の中を通って空中散歩のロープウエイの乗り場へ。


空中散歩の図。
正面がモンブラン、右側がエギュード・ミディ展望台、左がイタリア、これを往復して帰ってくる。


待望のイタリア側へのモンブラン山群国境越え空中散歩へ出発!







ロープウエイは3台連続して進む。






氷海ヴァレ・ブランシュ。


目の下にクレパス、こんなところへ落ちたら遺体は永久に戻らないだろう。


そんな中をスキーで滑ってゆく人達がいる。




雪稜を下るクライマーたち、早朝しか見られない光景だ。

周りを見回しパノラマの景色を楽しもう。



フランスとイタリアの国境に聳えるモンブランはお菓子のモンブランよりもっと美味しそうなバニラアイスクリームに見える。
フランス側からは「白い優しそうな頂を持つ山」に見えるがイタリア側は岩と氷壁の険しい姿である。
登頂の難しさではアルプスでも指折りの山で「魔の山」と恐れられていた。
1,786年、医師パカールと水晶採掘人バルマが初登頂に成功した。


グランジュラス方向を望む。


百万ドルのアルプスパノラマをどうぞ!




















往復約1時間の空中散歩を満喫、エギュ・ド・ミディ展望台へ戻った。
地に足が着かない緊張と驚き、感嘆、興奮のあと展望台の雲の晴れ間からシャモニーの街を見てホッとした。


スイスの山と鉄道の旅日記(12)

2007-10-07 08:41:09 | 海外旅行
8月31日(金)シャモニー → グリュンデルワルト


モンブランに別れを告げてシャモニーへ戻る。




ロープウエイからの写真。



 




シャモニーの街が近づいてきた。


シャモニーへ戻って昼食までの間市内を散策。
雨が上がってきれいな天気になると街も綺麗に見える。
バルマ広場にはモンブランを指差すバルマとソシュールの像が建っている。
バルマはモンブラン初登頂に成功した水晶採掘人、ソシュールは賞金を出して初登頂をバックアップした
ジュネーブの科学者。




道端で見つけたエーデルワイスの花、シーズンも終わり少し枯れかけている。


今日の昼食は中華料理、パカール通りにある中華飯店「雪園」(CHEZ YANG)、ほかに金龍飯店もある。
卵とアスパラのスープ、豚と大根の煮物、チンジャオロース、魚のフライ、野菜炒め2種、ご飯、オレンジ。
今日は久しぶりに美味しく、テーブルに座ったのがお年寄りの夫人が多く小食なので思い切りいただいた。


バスでフランス、スイスの国境を越えてシオン城に着いた。


すぐ前がレマン湖。
オードリーヘップバーンはこのレマン湖の畔で最後の時間を過ごしたそうだ。


昔国王が幽閉されていた城らしい。


嬉しいことにこのシオン城のガードの下をいろんな電車が走っている。
城などどうでもよくなり次々と通過する電車の写真を撮った。
これはベルンから北東のドモドッサラまで走っているレッチベルク線の列車だ。


これはゴールデンパスかな。


これはグリュンデルワルトへ行くのかな。


これはウイリアムテル特急かな。
ヨーロッパ諸国に長い期間にわたって君臨したハプスブルグ家のルーツはスイスであった。
1291年、ハプスブルグ家の圧制に抵抗しウーリ、シュヴィーツ、ウンターヴァルデンの3州の代表が
ルツェルンで同盟し、ハプスブルグ家から独立。
これがスイス独立の起源になった。
伝説ではわが子の頭に載せたリンゴを弓で射ることを強要されたウィリアムテルが悪代官を殺し
それを契機に民衆が決起したといわれている。
ルツェルンはスイス建国の舞台となった古都、それにちなんでウィリアムテルの名を冠した列車が走っている。




バスはゴールデンパスを一路グリュンデルワルトへ。


途中ツヴァイジンメン駅でトイレ休憩。


これがとんでもないラッキー。
小便をしに駅のホームへ入ったら今回乗ることが出来なかったゴールデンパスの車両が止まっているではありませんか。


これはレッチベルク鉄道の車両だ。


他にも変わった絵がデザインされた車両もある。










ゴールデンパスの写真が思い切り撮れたので大満足。





最後にホームへ入ってきた電車の写真まで撮ってバスはグリュンデルワルトへ。


17時30分 グリュンデルワルトのホテル「サンスター」到着。


部屋からの眺めも最高、すぐ前にアイガーが見える。
ここで3連泊だ。
夕食はホテルのレストラン。
ミックスサラダ、ポークシチュー、シャーベット。
すぐ横の庭やロビーでは楽団が入って賑やかにパーティーをしている。
地元の名士の誕生パイティーだそうだ。
うるさいので風呂に入ってすぐに寝た。




スイスの山と鉄道の旅日記(13)

2007-10-07 08:40:53 | 海外旅行
9月1日(土) ユングフラウ観光


朝、6時半過ぎ部屋の前の山に日が当たり始めた。


やがてアイガーの頂上が明るくなって来た。


アイガーの頂上が金色に輝き始めた、今日も晴天だ。


ユングフラウ鳥瞰図。
真ん中下のP印はインターラーケンオスト。
中央左P印はグラント、その左がグリュンデルワルト、それを右へ上がった真ん中
やや上がクライネ・シャイデック。
そこから赤い点線(トンネル)を上がったところ赤字に白がユングフラウヨッホ(TOP OF EUROPE,3,454m)。
その右上がユングフラウ(4,158m)、逆に右上がメンヒ(4,107m)、その左がアイガー(3,970m)、そのまた左がシュレックホルン(4,078m)。





8時にホテルを出てグリュンデルワルトの駅まで坂道を下る。


インターラーケンオスト(東)行きのBOB(ベルナーオーバーランド鉄道)の列車。


全線がラックレールのWAB(ヴェンゲルンアルプ鉄道)の車両。
このラックレールはまた少し違った方式のレールだ。






私達は8時32分発、WAB(ヴェンゲルンアルプ鉄道)のクライネシャイディック(小さな峠という意味)行きの電車に乗り、
終点ででJB(ユングフラウ鉄道)に乗り換えるてユングフラウヨッボで上る。


グリュンデルワルトは斜面の中腹に開けた村であるため電車は一旦緩やかに下って行く。


谷底にある次のグルント駅で停車、ここでスイッチバック。
これは高度を稼ぐためではなく動力車を常に坂の下側にするためのスイッチバックである。




電車はアイガー北壁を左に見ながら標高2,061mにあるクライネシャイディック駅に向けて上り始める。



約35分でクライネシャイディック駅に到着。
駅からアルプスの勇士アイガー(3,970m)、修道士メンヒ(4,107m)、アルプスの乙女ユングフラウ(4,158m)に初対面のご挨拶。




ここでJB(ユングフラウ鉄道)の登山電車に乗り換えヨーロッパ最高駅ユングフラウヨッホ駅まで上る。




ユングフラウヨッホ駅まで9.3kmのうち3/4がアイガーとメンヒ内に掘られたトンネルでそれを50分掛けて上る。

このトンネルは16年の歳月をかけて1912年に完成した。
最初はユングフラウ山頂までロープウエイをかけるプランや山頂直下までトンネルを掘る事も技術的には可能であったが、
標高差1,400mを短時間で一気に上がるため高山病の危険が大きいとして採用されなかった。

そのかわりトンネル内に駅を2ツ造り3分間づつ停車、下車して外の景色を見ることが出来るようにした。
女性は景色を見るのでなくトイレに駆け込む人が多かった。

最初のアイガーヴァント駅では展望窓からアイガー北壁を間近に見ることができる。





次のアイスメール駅では全長24kmに及ぶスイス最長の氷河、アレッチ氷河を見ることができる。


スフィンクス展望台(3,571m)。


ユングフラウヨッホ駅(3,454m)からスフィンクス展望台までのエレベーターは108mを25秒で昇る。




スフィンクス展望台。


ユングフラウ。


スフィンクス展望台からの眺め。




アレッチ氷河、ここ居ると寒いというより冷たい。


こんな所に鳥がいる。


カラスなのかしかしこんな所までカラスは来ないだろう。



寒いので駅へ戻った。


気温釜はー4.6C 、フィルムがなくなったので換えようとしたが手がかじかんでうまく出来ない。



駅に日本の郵便ポストがある。
ユングフラウヨッホと富士山5合目郵便局が姉妹提携を記念して日本のポストが置かれているそうだ。

スイスの山と電車の旅日記(14)

2007-10-07 08:40:36 | 海外旅行
9月1日 ハイキング


ユングフラウはここまで。


クライネシャイディック駅まで戻る。




右に左に景色を楽しみながらユングフラウ鉄道の登山電車はドンドン下る。


山を見るのも景色を楽しむのも午前中が良い。
午後になると雲が出てきて太陽の光も弱くなってくるしこちらも疲れてくる。






クライネシャイデック駅まで戻った。





電車の後ろのパオの様なテントの中で昼食。
麦のスープ、アルペンマカロニ、プリン。


ここから線路伝いに一駅下のアルピグレン駅までハイキングを楽しんだ。


コースはよく整備されていて楽しく歩ける。
も一つ上の駅、アイガーグレッチャー駅から歩く人もいる。


エンチアン?(リンドウ科)


チョウノスケソウ?(バラ科)


プリムラ。


ラヌンクルス・モンタヌス(キンポウゲ科)、花弁にコーティングしたようなつやがある。


ラヌンクルス・アコニティフォリウス(キンポウゲ科)、5枚の花弁を持った花。


ロータス・アルピヌス(マメ科)。




アルプスの救助犬、ハスキー犬も訓練に来ている。




シレネ・プルガリス(ナデシコ科)、アルプスではポピュラーな花。


スカビオサ・ルキダ(マツムシソウ科)、60~70個の小さい花弁が合わさって咲く。





この道標のアイガートレイルはアイガー北壁の直下をハイクするコースで私達とレールをはさんで反対側を歩いてアルピグレン駅に行くのだが斜面をトラバースしたり、ガレ場や雪渓があったりするので未経験者では無理だといわれた。


午後の日差しの中ノンビリとハイクできた。


アルピグレン駅へ近づく登山電車。


レールはご覧のように真ん中にギザギザの噛み合わせのあるラックレールになっている。
これはラックレールでも一番簡単なレールである。
同じスイスのピラトウス山に登る登山鉄道では急勾配でラックが外れてしまうのでラックレールを両側から歯車で挟む方式(ロッハー式)というのが開発されているそうだ。


アルピグレン駅から乗車、グリュンデルワルトへ戻る。
土産店などを覗きながらホテルへ戻った。


私達の泊まっているサンスターホテルの食堂は昨日の名士の誕生パーティーに使われるのでSPINNE(シュピンネ)という別のホテルの食堂へ出かけた。


ホテルシュピンネ自家製の白ワイン。
これは美味しかった、持って帰れるものなら持って帰りたいくらい美味しかった。


夕食はサラダ、ベルナープラッテ(ゆでたソーセージ、ベーコン、タンの盛り合わせ)、アイスクリーム。

食事中私達のパーティーのすぐ後ろでピアノ演奏をしていて「荒城の月」「さくら、さくら」「上を向いてあるこう」など日本の歌をいろいろ弾いてくれて「スイスの国歌」をリクエストしたりしていたが「リパブリック賛歌」日本語では「お玉じゃくしは蛙の子」や「アルプス一万尺」が始まると他の席のお客さん(全部欧米人)も一緒になって肩を組んで踊り始め大いに盛り上がった。


みな大満足の様子でホテルに引き上げた。



スイスの山と鉄道の旅日記(15)

2007-10-07 08:40:17 | 海外旅行
9月2日(日) フィルスト展望台


今朝も山の端に日の光が差し始めた、今日も晴天だ。
いよいよスイス最後の観光日になった。


8時半にホテルを出てすぐ近くにあるロープウエイの乗り場へ坂道を100mほど登った。
グリュンデルワルト・フィルスト展望台行きのロープウエイだ。


フィルスト展望台の地図。
真ん中やや左上がフィルスト展望台、その少し左上がバッハアルプゼー湖。
左下の方がグリュンデルワルト。


6人乗りのテレキャビンに乗り、途中2度カーブで方向転換しながら約30分、展望台に着いた。


フィルスト展望台(2,168m)、朝早いのでまだ人が少ない。



フィルスト展望台からの眺め。
真正面にヴェッターホルン(3,701m)、フィエーシェルホルン(4,049m)、シュレックホルン(4,078m)などが見渡せる。





ここからバッハアルプゼーという小さな山の湖まで往復約2時間のハイキング。


スタートしてしばらくは少し上りになる後はほぼ平坦な道で多少アップダウンがある。


ラヌンクルス・アコニティフォリウス(キンポウゲ科)。


カンパヌラ・ロンボイダリス(キキョウ科)。



湖に映るヴィターホルン。


チョット一服して見事な景色と空気を吸い込む。




いろいろな高山の花が道端に咲いている。


ゲンティアナ・オルビクラリス(リンドウ科)。




アルプスや月は東に日は西に。
右手の山の上に小さく建物が見える、ファウルホルンという山でここまで上ればもっと素晴らしい360度のパノラマを楽しめるのだがこんな簡単そうな山でも途中石の多いところや転びやすいところがあるのでそれ相応の装備をしていない私達は行かない。


バッハアルプゼーはもうすぐだ。






ワタスゲの花が沢山咲いている。


道端のあちこちに花の説明がドイツ語で書いてある。
写真に写して日本に持って帰って訳してみようと思ったがそのままだ。


バッハアルプゼー湖は標高2,265mにある山上湖。


正面にシュレックホルン(4,078m)。


シュレックホルン。




避難小屋。
この近くには隠れた所にトイレもある。


ここから先もいいハイキングコースが続くのだが私達はここから引き返した。







スイスの山と鉄道の旅日記(16)

2007-10-07 08:39:59 | 海外旅行
9月2日(日)フィルスト展望台 → グリュンデルワルト


バッハアルプゼー湖から引き返す。


場所が移動すると山の景色も少しづつ変わってくる。


私達はロープウエイの乗り場の近くに泊まっていたためスタートが早かった、
あとからハイキングを楽しむ人達がドンドン登って来る。




今日は日曜日だ。お年よりも子供もいいお天気なので楽しそうに登って来る。
こんな杖をついて歩いているが町の中でもみなこれをついて歩いている。
スキーのストックのような杖だが街中のスポーツ用品のショップで売っている。




マウンテンバイク。




パラグライダーなど夏の貴重な太陽の光を求めていろんなスポーツを楽しんでいる。


フィルスト展望台へ戻って一休み。




パラグライダーを見ながらロープウエイでグリュンワルドへ戻る。


ここはパラグライダーの着陸地点。




下界へ戻って昼食。
ホテルの向かいのレストラン(シュタインボック)でサラダ、野菜のピザ、シーフードスパゲティ、ティラミス。


午後からは自由行動。
狭い町なのでまわりの綺麗な風景の写真をとも思ったが電車には勝てず、
グリュンワルドの駅周辺で電車の写真や動画を撮った。










スイスでの最後の夕食、ホテルのレストランで。
旅行会社からワインが出て全員で乾杯。
食事は、コンソメスープ、鯛のグリル・クリームソース、ババリアンクリーム。
途中でアルペンホルンの演奏も入り、その演奏者がいろんな観光の本に載っている人だと宣伝していた。
さらに今回のツアーのメンバーの中の85歳の婦人が、いつも私達と違う立派な部屋に泊まっていると聞いていたが最後にその真相が分った。
メンバーの一人が聞き出したのだが、その婦人の今回の旅行がこの旅行会社での50回目の海外旅行になり会社から感謝状が出て特別の部屋に泊まるようになっていたそうだ。
全員で改めてお祝いの乾杯をした。


いよいよ明日は日本に向けて帰国するのだ。
スーツケースの荷造りをして就寝した。

スイスの山と鉄道の旅日記(17)

2007-10-06 17:35:30 | 海外旅行
9月3日(月)グリュンワルド → チューリッヒ → オランダ → 成田


朝7時半ホテルを出てバスでチューリッヒへ。
途中うまい具合にバスと並行して走るBOBの電車と一緒になった。
早速動画で撮影した。


10時空港に到着、チューリッヒの空港はそんなに広くない。


3.6S.Frが残っている、これはスイス以外では使えないが空港内には目立ったお土産店も見当たらない。
スイスは、も一度来たいと思ったのでその時まで持っておくことにして持ち帰った。


モノレール乗り場へ降りるエスカレーター。


来る時に乗った地下モノレールで搭乗口まで行き12時15分のKLM機でスキポール空港まで飛ぶ。
機内で昼食、13時45分オランダ到着。


アムステルダム15時20分発、KLMオランダ航空 KL861 便 所要時間約11時間20分で時計を7時間進めて9月4日朝9時成田到着予定である。
これで今回の旅行は終わり、あと12時間でまた暑い日本に戻るのか。
出国手続きも終わり14時30分搭乗口に並んだ。

しかし15時になってもゲートが開かない。
搭乗する人達が集まってきた、そのうち出発が30分ほど遅れるらしいという話がどこからとも無く伝わってきた。
さらにクルー達が飛行機から降りて空港内を戻っていった。
さっきから英語で放送しているのだがよく意味が分らない。
そのうち日本語でこの機材(機体のことらしい)は整備不良のため出発が遅れると放送があった。
代わりの機材を調整中のようだが360人乗りのジャンボ機なので簡単に代わりが見付からないようだ。
そのうち前の方に並んでいる乗客たちがゲートの方へ行ってチケットを受け取って搭乗口から離れて行く。
私達ツアーのメンバーはみな近くにおるので暫くすれば添乗員から情報が入るのだろうが、せっかちな私は様子を見に前の方へ行った。
何でチケットが貰えるのか分らないのでゲートのところにいたオランダ航空の大柄なスチュワーデス(ノールウエイ人とかオランダ人は世界で一番大柄らしいスチュワーデスでも180cmは十分ある、機内食で何をチョイスするか訊かれる時など天井の上から訊かれているようで恐ろしい)に日本語で「これは何を渡しているのか」と訊いたが通じない。
近くにいた日本人の女性が「飛行機の出発が大幅に遅れるので搭乗チケットを見せれば食事のクーポン券を呉れるのだ」と教えてくれた。

結局飛行機は3時間以上遅れて18時30分出発と放送があった。
クーポン券には一人10ユーロの食事券と5分間の電話券が付いていた。
何を食べようか歩き回った、ここの空港は来るたびにあちこち歩き回らせて呉れる。
ツアーのメンバーの中には寿司バーへ入ったり、ラーメンを食べたりしている人もいる。
ラーメンなど一杯15~19ユーロで2,500~3,000近い、寿司はもっと高い、ユーロは残っていないのクーポンの10ユーロででサンドイッチとビール、お釣りは呉れないのでおつまみを貰った。

搭乗口で久しぶりに日本の新聞、朝日と日経を取った。
安倍内閣の新閣僚遠藤農水相が早くも辞任との記事が載っていた。
飛行機の座席は3人掛け3ツの1列9人の通路側。
これならいつでもトイレに行けるし、疲れたら歩き回れるのでひと安心。
新聞を読んだあとは食事以外テレビも見ずにウツラウツラしていた。
成田へは12時過ぎ到着。

スーツケースを受け取って外へ出てツアーのメンバーとさよならの挨拶をして各自我が家へ向かうことになるのだが、私はまだこれから国内線の飛行機に乗り換えなければならない。
成田から大阪へは来た時と逆で羽田へ廻ってANAの羽田発13時15分発関空行きを予約していたがいまからでは間に合う筈はなく、一旦キャンセルをして新たに予約を取らなければいけない。
羽田へ廻るのは面倒なので成田から関空行きを探したが20時までないという。
仕方がないので伊丹行きを探したら60人乗りの小型機なら16時55分、大型機なら17時55分というので小型機を予約した。

添乗員がズーッと一緒に立ち会ってくれたのでお礼とさよならを云って外へ出ようとスーツケースを持ち替えた時異常に気がついた。


スーツケースの側面のベルトがちぎれている。


添乗員に言ってあわててKLMのカウンターへ引き返し現状を見せた。
KLMでは事故は認めたが、付属品の損傷なので航空会社の責任ではない、事故証明書を作成するから保険請求してほしいという。
添乗員も認めたので証明書を受け取り保険請求することにした。
添乗員が念のためちぎれたベルトの写真を撮って置いたらいいというので撮ったのがこの写真。
それにしても危ういところだった、もし外へ出てから気がついたのでは後の祭り、添乗員もよく気が付いたと言っていた。
もう何もないだろうなとも一度身のまわりを点検しようやく外へ出て国内便の乗り場へ移動した。
最後の最後まで添乗員の滝井裕子さんには世話になりました、ありがとうございました。


ANAなど国内線の搭乗口が第1ターミナル南ウイングに新設されたため少し歩かなければならなかった。
1時間ほど待って搭乗、18時伊丹に着いた。
伊丹から泉北泉が丘行きのリムジンバスがあると思い探したが見付からない。
去年の暮から廃止になったらしい、結局難波までリムジンバスに乗った。
帰国最初の食事に寿司が食べたくなり本町のいつもの寿司屋「すし吉」へ行った。




 



留守中今年はじめて植えた朝顔やまだ蕾の状態であった向日葵が酷暑の中でどうなるか心配していましたが近所の友達が時々水遣りに来てくださったお陰で見事に花を咲かせていました。

今回の旅行日記はこれでお終いです。
最後までお付き合い頂きありがとうございました。

今まで旅行に行く度にそれをまとめた旅日記を書きたいと思っていました。
一昨年の海外旅行ではパソコンを携帯して行き、毎日撮った写真をパソコンに取り込みMDチップを空にして翌日0からスタートしていました。
その時はパソコンに毎日の日記を書いていましたが帰ってきてからそれを編集しないまま放っておいたため記憶が薄れ(老化現象)そのままになっています。

昨年からブログを始め、日帰り旅行などを投稿し始め要領がわかってきました。
今回の旅行ではデジカメで撮った写真が1,061枚、動画7シーンを撮りましたが2メガのMDチップでまだまだ余裕がありました。
古い一眼レフカメラで24枚撮りのフィルムを8本使うなど写真は思い切り撮りました。
その写真を使って1日1観光を投稿する事を自分に義務付け何とか完了できました。
途中いろいろコメントやアドバイスや励ましを頂きありがとうございました。
も一度ユックリ見直し修正、加筆、写真の追加などしたいと思っています。
                                  了