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晋ちゃんの気ままな散歩道

あっちこっち横道にそれたり休んだりしながら気ままに散歩しています。

美しく青きドナウの船旅(18)

2008-11-16 09:42:25 | 海外旅行

11月19日(土) 曇り
5時半起床、スーツケースに最後の荷物を詰めて6時すぎに部屋の前に出した。
6時半に食堂へ行き朝食、7時に部屋に戻ったが途中廊下にスーツケースが置かれたままになっている部屋が2~3あった(約束の6時半までに荷物を部屋の外に出していなかったのだろう)。
7時30分に1階のロビーへ集合、なかなか全員が揃わない。


待っている間にホテルの外へ出てみた。
ホテルの隣にドイツの大手企業シーメンスの本社があった。
最後になっても足の不自由な箕面の一人旅のおばさんが部屋から出てこない。
添乗員が合鍵で扉を開けたがチェインが掛かっていて中へ入れない。
出発時間は過ぎており皆がイライラしだした頃オレンジ色の服を着たレスキュー隊員らしい人が4人エレベーターで上がって行った。
どうやらチェーンを切って扉を開けるらしい。
時間が無いので私達のグループの添乗員の荷物だけ残して空港へ出発した。


ミュンヘン空港からKL1792便(10時35分出発)にてアムステルダムへ。
どうやら事故になったようで添乗員は間に合わなかった。
あとは私の推測だが、最悪の場合足の不自由なおばさんがあのでかい湯船で足を滑らせて溺死でもしたのかなと心配したりした。


またスキポール空港の長い通路を通って乗り換え口へ。


出発まで1時間ほどあるのでお土産を見て歩く。
ボジョレーヌーボーが1本5.9ユーロ(日本円で830円)、買おうかと迷ったが手荷物がまた重くなるのでやめた。
日本へ帰って近くのスーパーで見たら全く同じものが980円で売られていた。
世界は狭くなったものだと感じた。


私達のパーティーはKLM867便(14時05分出発)で関空へ。
東京から来たパーティーはその少し前のKLM機で成田へ。

この旅行に出かけたのは2005年11月9日、ジャスト3年前である。
デジカメを撮りはじめて4ヶ月、カメラのこと周辺機器のこともよく分らないまま取敢えず沢山の写真を撮ってこようと思い必要品を考えた。
折角の海外旅行なんだから写真なんかよりも自分の目(頭)に綺麗な景色をに焼き付けるのが一番だという人もいたが少しづつ記憶力が衰え始めている私には無理なことだと考え写真を撮ることをメインに考えた。
今から3年前メモリーカードは128MB か256MBが殆どで1GBや2GB は高くて買えなかった。
仕方なく重いノーパソを手荷物に入れて提げて行き観光から戻ったあとカメラから取り込んでメモリーを空にして翌日に備えた。
振り返ってみて思い切り写真を撮ってきたのが今の楽しみに繋がっている。


末尾に今回の船旅のコースの地図を載せておきます。
次回は「オランダ・ベルギーの運河を巡る旅」を予定しています。



スイスの山と鉄道の旅日記(1)

2007-10-07 08:44:18 | 海外旅行
正月にNHKテレビで関口知宏の「スイス鉄道の旅」を見て、今年の海外旅行ははスイスへ行こうと決め、早速いつものニッコウトラベルで8月27日関空発のツアーに申し込んだ。
ところが7月末近くになって関空発のツアーは参加者が定員に満たないので中止します、もし行かれるのでしたら8月24日成田発のツアーに余裕があるのでそちらに廻って欲しいと言ってきた。
既にツアーにあわせてスケジュールを組んでいるので今更中止する気は無く成田発に参加することにした。
しかし自治会の夏祭りが8月18日~19日とあり、その決算処理をしなければならず、他に8月末までには6月~8月の有価物回収実績報告書と地域力活性化支援事業補助金申請書を市役所に提出しないとお金がもらえないので大慌てで最終直前まで仕上げ、あとは前年度の会計担当者と会長に仕上げを依頼しなければならなかった。



第1日 8月23日(木)

スーツケースは既に成田のホテルへ送ってあるのでカメラやフィルム、望遠レンズの入ったカバンを一つ提げて家を出て11時15分金剛駅発のリムジンバスで関空に向かう。
12時40分関空着、昼食は自由軒でカレー。
15時関空発のJAL180便に搭乗したが羽田空港渋滞のため25分遅れて離陸、16時20分に羽田へ着いた。
羽田から成田までシャトルバス1人¥3,000、首都高速湾岸線渋滞のためアクアライン経由に変更。
これは貴重な体験だ、10年前の12月に東京湾の下にトンネルを掘って神奈川と千葉を結ぶ道路が出来たことは知っていたが利用する人も少ないようでまさか自分が利用することになるとは思ってもいなかった。
トンネルは川崎側で9.6km、ここで一旦海上に作られた島(海ほたる)に出て木更津側、そこから東京湾に作られた鉄橋を4.4km走り10分あまりで木更津市内、袖ヶ浦、市原、千葉、佐倉と1時間20分走って成田着。
空港入り口で乗客のパスポートをチェックされた、関空ではこんなチェックは無くかなり厳しい。
第2エアーターミナルで下車、スイスフラン@¥101.14、ユーロ@¥161.32で両替をし、循環バスで今夜の宿泊ホテル「ニッコーウインズ成田」に行き一泊した。
関空ではニッコーホテルまで歩いて行けるがさすがに成田は広い、バスでグルグル廻って行くとは思わなかった。
ホテルの窓からは空港がすぐ前に見える、早速第1番目の写真を撮った。
食事をしてお休み。

スイスの山と鉄道の旅日記(2)

2007-10-07 08:44:02 | 海外旅行


8月24日(金)
成田のホテルでの朝。
9時15分ホテルのロビーに今回のツアー参加者21名が集まった。
福井から2人、名古屋から2人、水戸から3人あとは東京都内のようだ。
11時30分KLMオランダ航空KL862にてアムステルダムへ出発。
席は3人掛けが3列、右窓側の席、隣は若い外人の男性、トイレへ行く時以外アムステルダムまで11時間余り話をしなかった。



7時間時計を遅らせて、現地時間15時過ぎスキポール空港到着。
昨年の連休にここへ来た時、当時の官房長官福田康夫が空港の広い通路をSPも何も付けずに目の前を早足で歩いていくのを見かけた。
あっという間だったので瞬間気付かなかったが、すぐに「今のは福田だったね、そうだよね」とお互い確かめ合ったことがあった。
そういえば今回の総裁立候補で自分の健康法として記者が追いつけないような早足で歩くことと書いてあった。



入国手続きを済ませたあと乗り継ぎでチューリッヒまで約1時間半。





チューリッヒの町が近づき、空港に無事着いた。
19時半だというのにサマータイムのためまだ明るい。


入国ロビーまではこの長い地下モノレールで2分余り走る。
ツアーのせいか入国審査は簡単、顔を見るだけで「はいお次」といった調子でパスポートに入国の判も押さない。
バスで10分足らず、スイスホテルに着いた、飛行機の中で食事が出たのでホテルでは食事は無い。
ヨーロッパ旅行ではいつもこうなるのでスキポール空港で買っておいたサンドイッチを食べ、部屋にあった紅茶を入れて飲み、大きな湯ぶねの風呂に入ったあとすぐ寝てしまった。

スイスの山と鉄道の旅日記(3)

2007-10-07 08:43:47 | 海外旅行
8月25日(土) チューリッヒ → サンモリッツ


ホテルから見える電車の駅。
5時に起床、ラジオ体操、洗顔のあと6時に外へ出てみたがサマータイムのためまだ暗い。




駅前のトラム(路面電車)。


国鉄の駅に入ってみた、ヨーロッパの電車の駅には改札は無い、切符を買って勝手に乗ればいいのだ。
乗車案内の放送も無ければ発車合図のベルも笛も無い。
無賃乗車をしようと思えばできるが車内では検札があり切符を持っていなければ10倍の運賃を支払わされる。
7時を過ぎると通勤電車が次々と発着して行く。


駅前の朝市。

部屋のテレビでは大阪国際陸上男子マラソンを放映、日本の尾方が5位と頑張っていた。

9時専用バス(40人乗りに添乗員を入れて22人)で「アルプスの少女ハイジ」の舞台マインフェルトへ出発。
途中のスーパーでトイレ休憩、有料で1.0SF(約100円)も取られるので我慢することにした。
スーパーの有料トイレで券を呉れる時があるがその店で買い物をすればその分割引してくれる店もあるそうだ。





「ハイジの泉」


「ハイジの泉」からのんびりした野道を20分ほどハイクして「ハイジの家」に行く。





空気が澄んでいるから空が抜けるように綺麗だ。

マインフェルト街中のレストランで昼食。
グリンサラダ、ポークソテー、チョコレートムース。
そのあとバスに乗ってサンモリッツへ向かう。





ブドウ畑だ、日本のようにネットを張ったりしていない。
全部ワイン用に栽培されており白ワインの方が多いそうだ。
しかし生産量が少なく殆ど国内で消費され輸出はしていないそうだ。
日本でもスイス産のワインは売られていないのでお土産に持って帰りたいが、最近は手荷物検査が厳しく液体類は機内に持ち込めない、スーツケースに入れると途中で割れる心配があるので諦めた。




途中道路でこの地方の最高地点ユリア峠(2,248m)で休憩。
一路サンモリッツへ下る。


万年雪を抱いたベルニナアルプスの麓、森と湖が織り成す爽やかで美しいアルペンリゾート地サンモリッツが見えてきた。
1928年と1948年に冬季オリンピックが開催されたウインタースポーツの盛んなところだ。



今日、明日と連泊する4ツ星ホテル「クリスタル」。


部屋もスイスらしくのロッジ風だ。


17時過ぎ、荷物を部屋に置いて長いエスカレーターを乗り継いでサンモリッツ湖畔に降りて散策。
落ち着いてゆったりとした湖畔、1時間あまりで一周出来るそうだ。


電車が見えたのでそちらへ行くと四大鉄道のうち二つが発着するサンモリッツ駅だった。


スイス最古の街クールからサンモリッツを通り、国境を越えてイタリアのティラーノまで行くベルニナ特急。
これに乗るとイタリアとの国境手前で直径107mで完全に360度回転して急な山道を登るプルージオのループ橋を通過するのだが今回の旅程には入っていない。


これが氷河特急の車両だ。


改札が無いので誰でも簡単に駅のホームへ入れる。
ホームも日本のように高くは無く、路面電車のホーム程度、陸橋を渡って隣のホームへ行くことも無い、それだけに線路を渡って簡単に行きたくなるが決められた場所、基本的にはホームの一番前か、後から渡らなければならない。
日本人が多いのだろう、日本語での注意もある。


ホテルのすぐ近くにある有名なチョコレートの店「ハンゼルマン」で本場のミルクチョコレートをお土産に買った。

部屋へ戻ってシャワーを浴びたあと7時15分からホテルのレストランで夕食、メニューは、トマトクリームスープ、白身魚のフィレ、洋ナシのデザート。
食事のあと全員の自己紹介。
9時過ぎ就寝。

スイスの山と鉄道の旅日記(4)

2007-10-07 08:43:31 | 海外旅行
8月26日(日)-1
ベルニナ・ディアヴォレッツア展望台観光


6時起床、ラジオ体操。
今日の出発は9時なのでホテルの周りを歩いてみた。
建物の壁や窓枠にいろいろな飾りが彫られているがこれはスイス発祥の地エンガディン地方特有の建物だそうだ。




ホテルの前のロータリーをはさんで「COOP」がある。
今日は日曜日で休みだが、昨日は夕方6時半まで開いていると聞いたので6時ごろオヤツなどを買いに行ったが入り口に大きなおっさんが立っていてクローズ、クローズと入れてくれない。
6時半まで開いてはいるがそれは買い物を済ませた人を追い出すための時間なのだ。
従業員には残業は許されないのだろう。
6時半には持ち場を離れなければならないのだと思う。
そのため6時を過ぎて客を入れようとはしないらしい。
就業時間については徹底している、だからサマータイムも受け入れられるのだろう。
表はまだ明るいのだし少しぐらいいいのではないかと言うような日本的な考え方は通用しない。


バスでホテルを出発、道路での最高地点ベルニナ峠でUターン、ピッツ・ベルニナ(4,049m)、ピッツパリュ(3,905m)などベルニナ山群を眺望できるディアボレッツァ展望台へ。


ロープウエイで上がる途中で氷河の解けた水が流れ込むため白く見えるラーゴビアン湖(白い湖)が見える。


展望台の前で全員の集合写真。


左側の黄色の山ピッツ・パリュ(3,901M)、真ん中の山ピッツ・ベルニナ(4,049M)、
右側の山ピッツ・ロゼック(3,937M)。


パリュー、ベルニナ、ベッラビスタなどベルニナ山群を眺める。
この山の向こうはイタリアである。


ピッツ・バリュ





モルテラッチ氷河


ディアヴォレッツァ展望台
冬には雪の豊富なスキーゲレンデ、10kmに及ぶモルテラッチへの氷河スキー、月明かりでのナイタースキーなどが楽しめる。


展望台のホテル&レストランで昼食。
サラダ、チキンのクリーム煮、アイスクリーム、自慢のパスタ料理は出なかった。
ここは海抜2,978mにあるスイスで初めて営業を始めた山のレストラン。
最初は山小屋として1,872年に建てられた。
現在は周りの山々への本格的な登山の出発点となっている。


ロープウエーで山から下りたところがベルニナ鉄道「ベルニナ・ディアポレッツァ」の駅だ。


ここからサン・モリッツまでベルニナ鉄道に乗るのだ。




踏み切りの横が駅である。






終点サン・モリッツ駅に到着。
地図で見るとここサンモリッツはスイスの南東部にありイタリアに近い。
いま乗ってきたベルニナ鉄道をディアヴォレツア駅から反対に行けば終点のティラーノはイタリアである。
スイスは連邦国で徴兵制をしいている。
ドイツ、フランス、イタリア、オーストリア、リヒテンシュタインの5カ国に周りを囲まれ、言葉はドイツ語、フランス語、イタリア語が使われているがいずれもスイス訛りの言葉なので少しづつ違う。
他にロマンシュ語と言うのが使われておりこれがもともとのスイス語になるようだ。
ここサンモリッツは古いスイスの言葉、風習、建築物などが多く残されているようだ。
農産物と観光が主たる産業だが国内総生産(GDP)は世界第5位、11位の日本よりすぐれている。
物価は日本より少し高いように思う。

スイスの山と鉄道の旅日記(5)

2007-10-07 08:43:15 | 海外旅行
8月26日(日)-2
ピッツネイル展望台


サンモリッツの駅で解散自由行動となった、街中を散策しエンガディン地方の昔の暮らしを再現しているエンガディン博物館、アルプスの風景と生活を描いた画家セガンティーニの美術館などへ行く人がいた。


サンモリッツにはこんなに沢山のロープウエイやケーブルカーがある。
午前中に登ったディアヴォレッツァ展望台はこの図の左側の一番上にある。
ホテルのすぐ側にもケーブルカーの乗り場がありこの図の右側の下のほうのピッツ・ネイル展望台へ登れる。


図面の右手の黒い線の一番下がサンモリッツ湖、途中で乗り換えて
黒い線の一番上、黄色い表示の山がピッツネイル(3,057M)。
この周りの山は全て「ピッツなになに」とピッツが付いている。


今度はこっちへ登ってみようとツアー仲間10人ほどでケーブルカーに乗った。


15分ほどで中段のコルヴィリアに到着、ここで少し歩いてロープウエイに乗り換える。



ロープウエイに10分ほど乗り、下りたところにシュタインボックの像があった。


ロープウエイの駅から展望台までは急な坂道を登らなければならない。
旅行前にR&WALKで買ったウオーキングシューズは軽くて歩きやすい。






3,057mの山頂は風が強く肌寒い。
展望台のラウンジに入ってコーヒーを飲み絵葉書を買った。



帰りのロープウエイでは眼下にVIPご用達の高級リゾート地サンモリッツの町と湖を眺めながら17時過ぎホテルに戻った。
夕食はホテルのレストラン、マッシュルームのクリームスープ、ビーフソーセージとロシュティー、キャロットケーキ
いよいよ明日は氷河特急に乗るのだ。

スイスの山と鉄道の旅日記(6)

2007-10-07 08:42:55 | 海外旅行
8月27日(月)-1 サンモリッツ→氷河特急→ツェルマット
氷河特急(GLACIER EXPRESS)乗車

291の橋と91のトンネルがあるサンモリッツとツェルマット間270kmをおよそ8時間、平均時速34kmで走る世界一遅い特急氷河特急(GLACIER EXPRESS)に乗車する瞬間が刻一刻と近づいている。


ホテルの前からバスに乗りサンモリッツ駅へ向かう。 


 



駅にはこれから乗車する列車が準備万端我々を待ち受けている。我々の席は最後部早速カメラを持ってデッキに立った。


なぜか9時2分発、ゆっくり動き始めた。             車内は明るく快適だ。



トンネルへ入る。                          スペイン系の売り子が車内販売に来た。


早速お土産を買った、この車内でしか売っていないワイングラス。
氷河特急は傾斜がきついところを昇るのでワインがこぼれないように最初から傾けてあるのだ。





ランドヴァッサー橋が近づいてきた。


ラントヴァッサー橋を渡りトンネルに入る。



サンモリッツを出て2時間近くでクール(Chur)到着。           ここで最後部に客車を連結してスイッチバック。




ライン川に沿って南下する。


ディセンティスでRhb鉄道の機関車からMGB(マッターホルン・ゴッタルド鉄道のアブト式電気機関車にチェンジ。


ここでは30分停車すると言うので駅の外へ出て写真を撮った。


しかし発車の合図も無く突然ドアが閉まって発車してしまうと聞いたので早めに車内に戻った。


ランチタイムだ。


ランチはサラダ、子牛のクリームソース煮、チーズケーキ。



                       この白い包みは牧草を刈り取って乾燥させた、冬の間の家畜の餌っが入っている。




牧草を刈り取ってパック状態にしている。


アルプスの十字路アンデルマット駅、はるか下にゴッタルド鉄道の駅が見える、まるでジオラマだ。
新フルカトンネルが出来るまでは氷河特急もこの下の線路を走っていたのだ。





最高地点オーバーアルプパスヘーエ、全長15kmの新フルカトンネルを通ってブリーク駅へ。





ここで再度スイッチバック、アブト式レールでツェルマットへ向かう。



車窓からマッターホルンが見えた。


 
17時6分ツェルマット着、駅前でヨーデルを歌って歓迎してくれた。










スイスの山と鉄道の旅日記(7)

2007-10-07 08:42:38 | 海外旅行
8月27日(月)-2 ツェルマット → ゴルナーグラート展望台ホテル


ツェルマットの駅に荷物を預け登山電車に乗り換えゴルナーグラート頂上ホテルへ向かった。






急な山道を登山電車はグングン上ってゆく、レールはもちろんアブと式である。


振り返ると夕日を背にしたマッターホルンがまぶしく見える。
手前はスキーリフトの乗り継ぎ場だ。


雪が降っても運行できるよう屋根付きのトンネル(シェルター)が続いている。




山頂のホテルが見えた。
ツェルマットを出発して42分、終点ゴルナーグラート(標高3,090m)に着いた。


19時前ホテルに到着。                       さっそく展望台に出てみた、目の前にモンテローザが迫る。


夕日を受けて輝く素晴らしい景色だ。
一番左がスイスアルプスの最高峰モンテ・ローザ(4,634m)マッターホルンより100mも高い山だ。
その右隣はリスカム(4527m)イタリア国境にまたがり展望台の真正面に見える。



ゴルナー氷河。
モンテローザとリスカムの間を流れるグレンツ氷河がモンテローザの左側から迂回して流れるゴルナー氷河と
合流してこの迫力ある氷河になっている。


展望台のすぐ下、ゴルナー氷河のすぐ側にシュタインボックが餌を食べ来ていた。


今夜はこのホテルで泊まるのだ。
最終の登山電車が出てしまったので今ここに残っているのはホテルに泊まる人40人ほどだけだ。
ホテルの部屋割りをして部屋に入った。
なんとマッターホルンが目の前に見える部屋だ。
明日は早起きをして朝焼けのマッターホルンの写真を絶対に撮るぞ。
夕食は少し遅くなったがホテルの食堂でサラダバー、豆のスープ、サルティンボッカ(仔牛)のリゾット、デザートだった。

スイスの山と鉄道の旅日記(8)

2007-10-07 08:42:23 | 海外旅行
8月28日(火) ゴルナーグラート山頂ホテル(マッターホルン) → ツェルマット




日の出は6時半頃と聞いていたので朝焼けのマッターホルンの写真を撮るべく展望台に集まったが雲が取れない。
展望台より下にある雲が取れないのだ。
地平線から昇ってくる太陽の光が雲にさえぎられて高い山の上までで届かないのだ。
6時45分まで待ったが駄目だったので各自部屋に引き上げた。

 


私の部屋はマッターホルンが真ん前に見える部屋のなので部屋に三脚をすえていつでもシャッターが切れるようにセットした。
何故こんなにマッターホルンにこだわるのか、「スイスアルプスの女王」言われるが私はむしろ「スイスアルプスの王様」に見える。
その人を寄せ付けない姿はその初登頂にまつわる悲劇にあると思う。
1865年(慶応元年)イギリス人エドワード・ウィンパーがマッターホルンを目指して7人のパーティーを組み7月13日ツェルマットを出発、尾根で一泊して翌14日昼過ぎマッターホルン初登頂に成功した。
しかし下山途中に4人が滑落して氷河ヘ、3人は遺体で見付かったが1人はいまだに行方不明、ウィンパーとガイド2人は生還した。
7人を繋いでいたザイルが咄嗟に踏ん張った上3人との間で切れことが原因で、旧式の細いザイルが強度不足から切断したことが分った。(切れたザイルは今山岳博物館に生還した3人の写真と一緒に展示されている)
そのためベテランガイドの親子が非難され裁判事件にまでなった。
素晴らしい山々の景色の裏にはこのように沢山の悲劇があることを改めて知った。












やがて太陽が雲の上まで昇ったがもう朝焼けではない。
それにてっぺんの雲がどうしても取れない、もう少し、もう少しと粘ったが最後までこの雲が取れず、これがベストの写真になった。
カミサンが「腹が減った」と言うので諦めて8時過ぎに食堂へ行ったら全員食事が終わっており私達の分だけが残っていた。




9時半にホテルを出て9時55分発の登山電車に乗ってツェルマットに下りる。

   
私達は1駅下のローテンボーデンで途中下車、マッターホルンに別れを惜しみながらハイキングすることにした。

   
マッターホルンが池に映る道を花の写真を撮ったりしながら約1時間歩く。ゲンティアナ・オルビクラリス (リンドウ科)花弁の鮮やかさと、茎の部分が殆ど無いユニークな花だ。




リフェルベルク駅に着いた。


駅近くのホテルでお茶を飲みながら次の電車を待っていたら突然空が曇り、激しい雷雨になった。
落雷の音と共に突然電気が消えた。10分あまりで雷雨が収まったので駅へ戻ると電車が止まっていた。
落雷で電車の送電も中断して信号が消えているため発車できない、復旧の予定は分らないらしい。
30分ほど待って電車は動き出した。
私達はハイキングの途中で雷雨に会わなかったがあとからずぶ濡れになった人たちが沢山下りて来た。


やっとツェルマットの町に戻ってきた。




街中のレストラン、「アレックス」で昼食。
チーズ料理「ラクレット」、上に電気ヒーターがあって硬いチーズを溶かす。
溶かしたチーズをポテトの上に掛けて食べるのだが仲々いける。
サラダ、ラクレット(とろけたチーズにポテト)、アイスケーキ。


ツェルマットの町は排気ガスはシャットアウト。
自動車は入ってこれない、手前の町で車を置いて電車で来るしかない。
街中の交通手段は電気自動車と馬車。

午後は自由行動、雨の中街中を歩いても疲れるのでホテルへ入った。
このホテルが旧館に新館を継ぎ足して増築したホテルで曲がりくねった廊下を抜けてエレベーターで3Fへ上がるのだがこのエレベーターがシンドラー製(シンドラーエレベーターの本社はスイスにある)、ボタンを押してエレベータが着くと自分で扉を開けて乗り込む。
最初エレベーターが着いたので扉が開くと思いジッと待っていたらまたどこか他の階へ行ってしまった。

夕食はホテルのレストラン、ファルファッレパスタのクリームソース、ビフグヤーシュ(煮込み)、チョコレートムース。

スイスの山と鉄道の旅日記(9)

2007-10-07 08:42:07 | 海外旅行
8月29日(水) ツェルマット → シャモニー


朝からあいにくの雨、昨日まで見えていたマッターホルンはまったく見えない。
スーツケースもあるのでホテルから駅まで電気タクシーに乗った。1人SF3.0(
300円)だ。
駅前にある「WEGA」というお土産屋は日本人が経営者だそうだ。



ガソリンを使うバスはツェルマッドで入ってこれないので約10分電車に乗ってテーシュ駅まで行く。




スーツケースは自分でカートに載せて専用車まで運ぶ。


この電車はツェルマットーテーシュ間だけの路線でここで降りて自動車に乗り換えるのだ。
駅には広い大きな駐車場があり沢山の自動車が駐車していた。
私達もここで専用のバスに乗り込んだ。



雨の中バスは氷河特急で走ったマッター谷、ローヌ川に沿って続くローヌ渓谷をドライブ、サンタクロース発生の地セントクラウスを通ってシオンの町へ。

  
   シオン市役所。                               シオンのゴミ収集車、ベンツだ。


市庁舎の横からゴミ収集車がギリギリ通れる急で狭い坂道を登り双子の丘が聳えるのが見える広場に出た。
二つの丘の上にはトゥールビヨン城とヴァレール教会が建っていた。

     
雨も止みそうにないので丘へ上るのはやめて旧市街にある大聖堂に入った。



市内のレストラン(ドゥ・ローヌ)で昼食(ミモザサラダ、チキンノグリル、スイス国旗のアイス)スイスの食事は大体が粗食(旅行代金と関係なく)サラダなどは葉っぱをきざんだだけのようなのもあり鳥の餌だなどと言いながら食べていた。


昼食後バスはブドウ畑に囲まれたマルティニの町を眼下に曲がりくねった山道を上って行く。


峠を越えるとスイスとフランスの国境、パスポートのチェックもなしにフランス入国。(この写真は帰りに撮ったもの)

   
第1回冬季オリンピックが開かれた町シャモニーに到着。     市内の「ホテルプリウレ」に入った。


このホテルの5階に2連泊する。

  
部屋もロッジ風で気に入った。                   綺麗に晴れればこの窓からモンブランが見える。



街中へ出てみようと思ったが雨が止まないので電車を見に行くことにした。
地図を見ながらシャモニー駅があると思われる方へ傘を差しながら歩いた。

 
車庫の中にたくさんの電車が止まっている。
車体にモンタンヴェールと書いてある。
モンタンヴェール展望台へ行く登山電車だ。



登山電車の駅を出て陸橋を渡ったところにシャモニー駅があった。
ロータリーがあって観光街の突き当たりになる。




ホームへ入ってみた。
ここからはフランスの各地へ行けるがダイヤを見ると1時間に1本ぐらいでローカル線である。




ホームに入ってきたのはモン・ブラン急行、モンタンヴェールからシャモニー・モン・ブランを通り
ル・シャトラール・フロンティエールでスイスに入りマルティニまで続いている。
車体にヴァレー州のシンボルマーク「星」をちりばめた新型車両で天窓もあるパノラマカーである。
モン・ブラン急行には架線が張られていない区間があり2本のレールの外側の3本目のレールから電気を取っている。
雪崩や落石の被害を避けるための方式で、ここシャモニー・モンブランでは架線が張られていない。



少し晴れてきた、明日はモンブランを見ることができるだろうか。街中のスーパーを覗いたり散策した。
夕食はホテルのレストラン、トマトサラダ、白身魚の料理、デザート。
今日は山を見る予定が無かったので雨でも良かったが明日はいよいよモンブランでの空中散歩、晴れることを祈りつつ寝た。