穴にハマったアリスたち

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gooニュースより:「本当に「バカな上司」の下で、どう働くか--小籔千豊 」

2012年10月08日 | 王様の耳はロバの耳
ライブに参加するため大阪まで行ってきました。
遠征したのは久しぶりな気がする。

で、早速レポートでも書こうと思っていたのですが。
帰りの車中で暇つぶしに読んでた本や、ちょうど帰宅後に目に入った記事に一言書きたくなったので、そっちを先にしてみる。
明日は三連休明けのうんざり日和ですし。

本当に「バカな上司」の下で、どう働くか--小籔千豊

[引用]
 振り返ると僕の考えたアイデアを先輩が「それええやん」とあたかも自分のものとして使うようになったり、「こうしたらウケるから」と明らかに間違ったリードをされて、舞台でスベらされてしまうことがありました。新喜劇の世界で座長というトップを目指して少しずつ点数を積み上げていく中で、たとえ上司の指令であれスベってしまえば何十点もマイナスになるわけです。こんな迷惑な話もありません。でもそこで「おまえの言うこと聞いたらこのザマや。なにしてくれんねん!」と突っかかるのは間違っていると思います。

(中略)

 僕の場合、「自分だけがひどい目に遭っている」という状況にとらわれないように努めました。「こうしてスベったのはみんな経験したことや。もっと過酷な状況でもっとひどい仕打ちを受けた人もたくさんいる。なに自分だけ悲劇のヒーローになってんねん!? 」と考えるようにしたんです。
[引用終]


「自分だけではない。他の人も苦労しているんだ」。

この手の話では、この手の切り替え思考がよくお勧めされてます。
心の底から理解ができない。
何をどうすれば、そんな発想が出てくるか分からん。

常識的に考えれば「他の人も苦労しているんだから、皆で協力して正そう」となるはず。

例えば台風や地震のような不可避の不幸は、ある程度諦めないといけない部分はある。
その際に「被災したのは自分一人ではない」という思考が、慰めになることも否定はしない。
もちろん防災手段の向上等、できることは多数ありますが、根本から天災を根絶することはできませんから。

しかし職場の問題なら別です。
「自分だけが苦労している」というのなら「もしかしたら自分の能力の問題か?」と疑う余地もありますが、他の人も同じ状況ならもう明らか。
皆で協力して、問題を解消すべき。

なんというか、いじめで苦しんでいる人に対し、「誰しも大小いじめられている」「もっと酷い目にあっている人もいる」「私も皆もおかしいと思ってるよ」「だから気にするな!」と言うような理解不能の思想だ。。

[引用]
 そこで次に自分が何をしたくて今の仕事を選んだのか、初心に帰りました。それをしたらぶれへんと思うんですよ。僕が新喜劇に入った目的は、嫁はんにビッグマネーをパスするためであり、お笑いの世界に入ってお世話になった人たちに恩返しするため。そこで「じゃあ耐えなあかん」と確認できる。
[引用終]


「目的を再確認しよう」。

これもよく見かけます。そして、これまた意味不明。
初心に帰るのは分かる。何のために働いてるのかを再確認するのも分かる。
しかしその結果が、何故「耐える」になるんだろう?

常識的に考えれば「そうだ、自分の仕事は、ダメな上司に耐えることではない!客に商品を提供し、自分たちの生活を向上させることだ」となりそうなものなのに。

何せ引用元の例では、上司のせいで商品(舞台)が失敗しています。
どう考えても、せっかく再確認した目的と手段が一致していない。
初心でも真の目的でもプロ根性でも何でもいいですが、どうしてそこから「だから気にするな」に飛躍するんだろう?
まともに仕事をしたいのに、まともでない要素のせいで上手くいかない、というのがそもそもの不満を持ったきっかけなのに。

上司だって人間だから、失敗すること自体はあると思うんですよ。
一切の失敗を許さない、百発百中でなければブラックだ、なんてのは当然おかしい。
だから「今回はたまたま失敗しただけだ。失敗のフォローや責任は取ってくれたし、普段は概ね成功してるじゃないか」「だから今回の失敗をいつまでも恨まないようにしよう」、こういうのは分かる。
でも上記二つのようなのは気持ちが悪すぎる。

どうもこの手の啓発系はピントがズレまくってる気がします。
それとも、悩んでいる社員向けというより、会社側の言いわけのために書かれてるのかな。
「そうそうそうだよね、だから会社はこのままでいいよ。私は間違ってなかった。おかしいのは不満を持ってる社員の方」と思いたい人たち向け。

[追記]

ちなみに「不満があるのなら転職するしかない」というのも良く聞きます。
ある意味では正しいですが、本質的には間違ってる。

というのも、「犯罪にあった」「さてどうする?」に置き換えてみよう。
治安が極端に悪い地域に住んでいるような場合、個人レベルで治安を改善することは相当に困難なので「引っ越せ」はある意味で正しい。
ですが、この職場の例では「他の大多数もおかしいと感じている」んです。つまり「治安」が悪いのではない。
そうならば回答は「一部の異常者をどうにかしよう」が正解。
(また引っ越す場合にしても泣き寝入りする理由はないので、身の安全を確保した後、できる手段で改善を狙うはず)

それとこれも常々不思議なのですが、転職を前提として良いのなら尚のこと、躊躇なく職場改善に挑めると思うんですよ。
だって改善が失敗しても成功しても損がない。
失敗しても会社を去るのなら気にする必要ないし、成功したのなら居残るでもそれを手柄により上位企業を狙うでもいい。
逆説的ですが、転職を想定しているのなら、すぐに自ら辞める理由がなくなる。実際、私もそうだった。
しかもこの例では(くどいようですが)「他の大多数もおかしい」と感じているのですし。

…ていうか長々書いてますけど、本質的には「席で常習的に居眠りしている社員がいる(健康問題とかではなく)」「さてどうする?」と同じなんですよ。
普通は「こちらの仕事を増やすな」や「賞罰制度を見直せ」だと思う。
それが何故か「会社とはそういうものだ。我慢しよう。不満があるなら去れ」になる。意味が、分からないのです。

[更に追記]

もうひとつちなみに「不満があるのなら偉くなって社風改革するしかない」というのも良く聞きます。
これまた本質からずれている。

というのも、「商品Aを売るかBを売るか」とか「事業拡大か一極集中か」といった方向性の違いに対し、「こっちの方が正しいのに!」と不満を持っているのではないからです。
元記事の例にあるように、根本的に間違っていることを指摘しているだけ。
いわば「多少の予算を使ってでも早く楽に目的地に着くことを是とする」と方針づけているのに、「一生懸命に走る(電車に乗る、ではなく)」を選んでいる事に対し、「いや皆おかしいと感じてるでしょ」というような話。

偉くならねば変えられない。会社とはそういうもの、というのも頓珍漢な話。
上述のように「社風」の問題ではない上に、会社を形作っているのは自分たち自身なのだから。

この辺の問題は、市民革命とか基本的人権とか、大げさに言えばそういう部分の教育から考える必要があることかな、と思う。

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