Casa de lápiz:鉛筆庵

鉛筆庵に住む鍵盤奏者が日々の生活の徒然・音楽などを綴ります。

フンフルトゥ/Huun Huur Tu

2012-07-03 23:10:19 | 音楽
先月6月は、6月水無月、歌の月、みたいな月だった。合唱祭、歌の伴奏があり楽器にかじりつきつつ、また12,3世紀のスペインの歌、17世紀のモンテヴェルディの「聖母マリアの夕べの祈り」などなど歌をどっぷり聴けた6月だった。その最後に「フンフルトゥ/Huun Huur Tu」の武蔵野市民文化会館での公演を聴いた。

武蔵野での昨年度の公演演目は私にとって「これ」というものが少なかったので会員の更新をしなかったのだが、今年度はそれとは打って変わって「これは!」な公演が企画されているという皮肉。会員になってたら元は取ってたのに、とついケチくさいことを呟いてしまう。しかし、武蔵野は会員も非会員も発売日は同じでPCも同様に使えるのがいいところだ。

で、この時初めて聴いた「フンフルトゥ/Huun Huur Tu」はロシア連邦のトゥバ共和国の産んだ世界的音楽グループとの紹介だが、とにかく彼らの喉歌フーメイを聴きたかったのだ。フーメイという言葉を知るまではモンゴルのホーミーしか知らなかったが、(しかもそれも映像でしか聴いたことがなかったのが)ライブで聴けるというので勇んで出掛けた。
この喉歌、彼らはスグット・フーメイ・カルクラーの3種類を使い様々な音楽を聞かせてくれた。等々力さんという方が的確で興味深い解説を随所に加えて下さったのもたいそうよかった。どういう方かは存じ上げないのだが深く彼らの音楽に共感し関わっていらっしゃる方のようだった。
コンサートは先ず「祈祷」から始まり、これはまさに祈りを捧げる曲で朗々とお経が響く。音楽の根源、源にある祈りを再確認して思わず背筋がしゃんとする。舞台のホリゾントがばあっと広がり、無限の空間が広がっているように感じられた。
様々な曲が聴かれるが、それらは全て彼らのお国の自然と深く結び付き、またそれを感じさせ想像させる。草原に木霊する鳥の声のようなホーメイ、それを聴いていると、どうしてもこの自然を音楽で表したいという思いが多様な喉声を生んだのではなかろうかなどと思ってしまう。
人の声の多様性と、可能性をつくづく思い知らされた演奏会だった。

youtubeにあったフンフルトゥ/Huun Huur Tu。これは演奏会でも最初のプログラムに演奏された「祈祷」:今回のメンバーと左端の奏者が異なっていますが。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« コバトンひろば en 稲荷山公園 | トップ | 音楽って素晴らしい!! »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿