豪州落人日記 (桝田礼三ブログ) : Down Under Nomad

1945年生れ。下北に12年→東京に15年→京都に1年→下北に5年→十和田に25年→シドニーに5年→ケアンズに15年…

断り状

1977-12-07 15:35:43 | Weblog
前略     

期待に添えなくて残念ですが、カンパの件はお断りします。心情的にはともかく、論理的にも実践的にも出せないとしか回答できません。カンパを免罪符にはしたくはないし、出来ない立場です。

階級闘争をやっているのか--と尋ねられれば、あなた方の立場からはどの様に見えるかは別として、原則的に努力していますととしか答えようがありません。

寺田氏に当方の資料と新聞を渡しました。これは住民向けの宣伝ビラと理解して下さい。毎月2万3000部発行し、色々なルートで全国各地にも流しています。毎月の経費は50万円。賛同者のカンパで運営しています。

この新聞を見る限りでは、他のありふれた地域闘争と変わりがないし、それ以下だと評価されるかも知れません。残念ながら、現状では、その通りだし、現在の住民運動の展開は自己完結的であるが故に、これを階級闘争と見ることは無理があります。

新聞発行を至上目的としているわけではありませんし、反原発闘争という狭い枠に閉じ籠っているわけでもありません。地域闘争の方法をめぐって様々の論争があります。この論争自体も未だ顕在化して居りません。

反原発闘争は全国各地を結ぶ、ゆるい連合組織の結成の方向に進んでいます。ここでは社民と第三勢力の論争があります。また反原発派のイデオローグや科学者達には、分析哲学的な不可知論者が多いのです。彼等は盛んにイデオロギーの終焉を唱えます。その為に、世界の反原発運動は「非暴力」と「党派排除」が行動綱領となっています。

例えば、我が国で最も人気のある反原発イデオローグの一人である槌田敦は唯「物理」史観的な世界観を発表しています。プラグマチズムやトマス主義、分析哲学、実存主義が、唯物史観に不可値論的観念論を対置させているのにはさほどの危険性を感じませんが、進歩派と呼ばれる学者がこのようなことを唱えることは恐怖です。

住民運動は--従来の地域闘争は、結局のところ改良主義=プラグマチズムです。全共闘(ノンヘル)くずれが地域闘争に流れ込んで、セクト排除の動きをしているとしても、地域闘争は既に、新たな質を内包しています。反原発闘争を先頭として、次第に政治レベルに登場しつつあります。私は、これを個別地域闘争の中で目的意識的に追求しています。
下北には、原子力船、二つの原発予定地、むつ小川原開発という闘争目標があります。現在この闘争に取り組んでいるのは、地区労(社民)と私達のグループです。ゆるい共闘の形態で一緒に集会をやったりしています。また新聞の主幹として闘争の前面に出られないという制約はあります。しかし、社民が意識しようとしまいと、統一戦線を組む以上、形態はどの様なものであれ、党派闘争をこちらでは意識し、主張は「不充分ながら」明確にしています。それに対する社民(当地では協会)の反撃が強くないのは、この地の特殊性でもあるし、またこちらの力が無視し得る程弱いからでもあります。当紙のグループには約千人の協力者がいます。熱心な賛同者もいます。しかし、その様な人が地区労の役員をしているといった、どこでも見掛ける風景です。

今年になってから、毎週のように、中核、青解、四トロ、革マルなどが私を尋ねてきます。反原発戦線への足掛かりをつかみたいということなのでしょう。しかし、地域闘争には前述した「非暴力」、「党派排除」という行動綱領があり、内部的にこの限界を突破しなければ、共闘はあり得ないことです。

また私自身の行動綱領として「過渡期世界論」があります。革マル、四トロ、青解は言うに及ばず、中核の「反帝、反スタ」の綱領は受入れ難いものがあります。しかし、政治力学的観点から、共闘はあり得ない方針ではなく、党派間論争を続けながらの友好同盟は維持しています。

同盟に所属していない者に、党派闘争が出来るか--と笑うかも知れません。しかし、それは同盟に所属していないから、何をやっても階級闘争とは呼べないというのと同じ形式論理です。私は第二次ブントを自分なりに総括しているし、決して清算主義的にナロードニキに戻っているわけではありません。

とは言っても、革共同と地方フラクの党派闘争、あるいは社民との党派闘争や反原発戦線内部の分析哲学派や実存主義派、プラグマチスト達との分派闘争が、いかに消耗感溢れるものかは、多分、同盟に所属しているあなた自身も日々の実感として理解できる筈です。第二次ブントの栄光だとか、第三次ブントの建設(この方針は無節操)などということは全く関係のないことです。従って、失礼な言い方になりますが、看板を掲げているか否かとか、政府中枢への距離的な問題など全く関係のないことです。

現時点で、同盟と共に歩むことは考えられないことです。個別闘争しかやっていないじゃないか--と言われれば素直に認めます。しかし、私の方から要求はしませんが、同盟でも個別闘争の方針を提起して下さい。反原発戦線に登場して下さることを期待します。その時にはきっと合流できるであろうと考えて居ります。

現在、私は市民で立場が違う--と申し上げました。これは、市民主義的立場を取っているという意味ではありません。現時点で重層的な構造の運動の展開は望むべくもありません。全体闘争と個別闘争は階層が違います。「階層」という言葉は耳慣れないかも知れませんが、私達の用語です。個別闘争の延長上に全体闘争があるとは考えて居りません。私達は運動や物質を対象化する時に、質的区別がある時には「階段」という言葉を用いず、「階層」という言葉を使います。夫々の階層には固有の運動法則があり、また各階層の間には連続と非連続の関係があります。高次の階層は、低次の階層を基礎前提にして成立していると考えます。この連続性と非連続性の弁証法的統一と共に、階層間の境界領域の諸矛盾の科学的解明なしには、単純な組織のドッキングや党形成は語れないというのが私の考えです。

以上の前提に立った上でなら、いくらでも討論に応じます。但し、私の方では、低次の階層の運動だからということで、ひけめは全く感じて居りませんし、また、夫々の階層の固有の運動法則を自覚した上でなければ、討論しても無駄であると考えております。私は地域闘争の延長上に党形成を決して展望はして居りませんし、他の個別戦線のような党派への無原則的な対応もしない積もりです。

少なくとも、あと半年は下北にいる積もりです。もしもその気があるならご連絡下さい。私の方では現在のところ同盟に敵意もなければ、変な期待も持って居りません。

          1997年12月7日
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