非国民通信

ノーモア・コイズミ

差別と言い切るべきだと思う

2022-05-20 22:11:43 | 編集雑記・小ネタ

避難の外国人をどう扱うべきか ウクライナ問題が突きつける課題とは(朝日新聞)

 戦禍のウクライナを逃れてきた人々への支援の輪が広がり、埼玉県内の自治体も続々と住居の提供などを打ち出している。一方で、県内に多く住むクルド人は、迫害を受けて祖国を逃れてきたが、公的支援は乏しい。日本に避難してきた外国人間の差が、浮き彫りになっている。

(中略)

 川口市に住む30代のクルド人の男性は、5年前から難民申請をしているが、いまだに認められない。働くことは許されず、医療保険にも入れず、県外への移動も禁止されている。自治体からの支援もない。入管の収容におびえながら、他人名義で家を借りて妻と子ども3人と何とか暮らしている。

 男性は、戦禍から逃れてきたウクライナ避難民への支援は必要だと認めつつ、「彼らと私たちは立場が違うのかもしれない。差別とは言わないが……」と言葉を濁す。

 政府はウクライナから逃れてきた人たちを「避難民」と位置づけ、クルド人やアフガニスタン人ら「難民」とは区別している。避難民は90日間の短期滞在の在留資格で入国させ、1年間働ける特定活動への切り替えを認め、その更新も考慮するなど、前例のない対応をしている。

 

 こういうウクライナ人と、その他の難民との扱いの違いは幾度となく指摘されているところですが、今のところ改められる様子はありません。ヨーロッパと同様に日本もまた二重基準を設け、手を差し伸べる相手を出身国によって選別しているわけです。日本と欧米がウクライナ人への特別措置を深めるほどに、アジアやアフリカ諸国から逃れてきた人々との処遇の差は広まるばかり、こういうものを「差別」と言います。

 幸いにしてトーンダウンしましたけれど一時はウクライナを特別にEUに加盟させるなんて話もあって、長らくEU加盟を拒まれているトルコからは当然ながら疑義が呈されました。そしてフィンランドのNATO加盟を巡っても、やはりトルコからは反対意見も出ていることが伝えられています。優遇される国とそうでない国、後者に属する側からすれば、すんなりと賛同できるものではないのでしょう。

 日本の外交面ではしばしば「価値観を共有する国」という言葉が使われます。確かにまぁ、どこの国/人を優遇し、どこのどこの国/人を冷遇するかという面では、価値観の共有とやらはあるのかも知れません。ただ差別的な取り扱いを受ける側の国と人からどう思われているかは少しくらい考えた方が良いでしょうね。「価値観を共有する国」とは結局のところ排他的な仲良しサークルに過ぎず、そこに属さない国々とも共存しない限り平和などあり得ないのですから。

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