非国民通信

ノーモア・コイズミ

プーチンはソヴィエト体制に否定的、一方ゼレンスキーは

2022-05-23 20:58:53 | 政治・国際

 さて5月9日はロシア(ソ連)の対ドイツ戦勝記念日でもあり、この日にロシア側が決定的なアクションを起こすと西側諸国が一方的に期待していたところですが、現実には目立った進展のないまま日々が経過しています。そして同日にはウクライナでもゼレンスキー大統領がいつもながらに(平和ではなく)勝利を訴える演説を行い、特に修正されることもなく日本でも報道されたのは周知の通りです。

 

ウクライナ大統領「われわれは勝利する」 戦勝記念日演説(ロイター)

「ナチズムに勝利したこの日、われわれは新たな勝利に向けて戦っている。道のりは厳しいが、われわれが勝利することは間違いない」とし、ウクライナ人は史上何度も自国を守るために戦ってきた自由な人々であり、「独自の道」を歩んできたと表明。

「われわれは今日、この道で戦争を戦っている。領土は一切誰にも渡さない。われわれの歴史は一切誰にも渡さない」とし「反ヒトラー連合諸国とともにナチズムを負かした祖先を誇りに思う。われわれは誰かがこの勝利を併合することを許さない。私物化することを許さない」と述べた。

 

 ここの「ウクライナ人は史上何度も自国を守るために戦ってきた」というのは事実ですけれど、戦ってきた「相手」は誰だったのでしょうか。歴史を振り返れば現在ウクライナと呼ばれる地域はモンゴル(タタール)であったりポーランドなりが支配していた時期もありましたし、それがキエフ公国以来のロシアの版図へ復帰した後も、独立を求めてはロシアと敵対している国の後援を受けてボリシェヴィキと激しく争った時代もあったわけです。

 2014年以降のウクライナが何を敵視してきたかを鑑みれば、現政権が継いでいるのは第二次世界大戦時にも独立を求めてソ連と戦った人々の魂であり、ソ連の構成国としてモスクワからの指令に沿って戦った人々のそれではないでしょう。にもかかわらずゼレンスキーが自身を戦勝国の一員であるかのように位置づけているのは、なんとも奇妙なことです。2016年にはキエフの「モスクワ通り」が、ドイツの支援を仰いでソ連と戦ったウクライナの民族主義者の名を冠した「ステパン・バンデラ通り」へと改名されたそうですが……

 ウクライナの現体制がソ連の功績を時代を都合よく自陣営に結びつけているのとは裏腹に、ロシア側のプーチン大統領はソヴィエト政権による支配体制を否定的に語ることが多かったりします。一応はロシアこそがソ連の中心であり多数派を占めていたわけですが、当のロシアからすると他の14の構成国から見た場合と比べてもなお、良い時代ではなかったと評価されているのかも知れません。

 ソ連における多数派はロシア人でしたが、その最高指導者はグルジア人のスターリンであったり、フルシチョフにブレジネフとウクライナ系が続いた時代もありました。自分の家族にも故郷であるグルジアにも等しく冷酷であったスターリンとは異なり、フルシチョフはクリミア半島をロシアから自身の育ったウクライナへ移管させるなどして将来の禍根を作っています。少なくともロシア人からすれば、自分たちが多数派として優遇された記憶には乏しいことでしょう。

 アフリカで部族間対立が深刻化する理由として、ヨーロッパによる植民地支配が挙げられることがあります。アフリカを占領した列強諸国の定めた行政区分は民族を分断あるいは混在させており、文化や言語によるまとまりとは異なる形で国家が生まれてしまった、その結果として異なる文化・言語を持つ人々の国内での対立や、一部少数派が文化・言語を共有する国境外の同胞との結びつきを強めるような事態を生んでいる、という説です。

 こうした構図はソヴィエト政権による15の構成国支配においても実は同様で、ソ連の行政区分は必ずしも居住する民族や言語・文化に沿ったものではありませんでした。ましてやソ連という同一の国家として70年を経過した後に、この行政区分が適用されたまま国家として独立すると、どこも必然的に多民族国家とならざるを得ないわけで、結果として少数派として取り残される人も出てしまい、一部は未解決のまま今に至ります。

 では多民族国家として国家内で複数民族の共存は可能なのか、欧米から非難されつつも民族意識に依拠せず政権を安定させることが出来ている国がある一方、ウクライナでは排他的な民族派が選挙ではなく暴力革命によって政権を奪取してしまいました。クーデター政権はロシア語の使用禁止を打ち出すなど、ウクライナのロシア系住民に対する明確なメッセージを掲げてきただけに、クリミアやドンバス地域の離反を招いたのは当然と言えます。

 ウクライナが多民族国家かつ民主国家であろうとするのであれば、ロシア系住民もまたウクライナ民族派と同じウクライナ国民として尊重する必要がある、構成比を考えればカナダにおけるフランス語話者と同レベルの扱いを保証すべきですが、そうした意思を現体制が有していないことは2014年以降の8年間で明確に証明されています。そうなると残る選択肢は、少数派を抑圧する国家であり続けることでしょうか。取り敢えず反ロシアの旗を掲げさえしておけば、欧米と日本からは民主主義の同志と認定してもらえますので。

 もう一つの解決策は、国境線をソヴィエト連邦の行政区分に基づいた現状から、住民の帰属意識に沿ったものに改めることですね。ロシアへの帰属意識の強い地域はロシアへ編入し、そしてウクライナへの帰属意識が強い地域だけで国家を構成すれば争いの種は減ることでしょう。まぁゼレンスキーはソ連が好き、ソ連の定めた国境線を維持したい、それをNATO陣営も後押ししている様子ではありますが。

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