非国民通信

ノーモア・コイズミ

その後の自由

2023-09-09 23:30:04 | 社会

我が国では言論の自由が保障されている
言論の後の自由に関しては、その限りではないが

 ……とはソヴィエト連邦時代のジョークとして知られるものです。私がこれを思い出したのは、夏休み明けの登校についての議論を見てのことでした。今も昔も学校が安全な場所とは限らない、学校に行けば危害を加えられることが確実な子供もいます。そんな子供(及びその親)に向けて「無理に学校に行かなくても良い」みたいなメッセージが発信させられることも多いわけです。

 まぁ、一理はあります。しかし、学校に行かなかった後はどうなのかと私は少し心配になりました。学校に行かないこと自体は特に問題ないですけれど、しかし学校に行かなかったという不登校の履歴が、その後の進学や就職に当たってどれだけ不利に扱われるかは分かったものではないはずです。結局、根本的な解決は加害者側の排除しかない、登校の回避は自身がリスクを負っての判断でしかないと言えます。

 ブラック企業勤めに疲弊する若者にも、会社を辞めて良いのだと説く人がいます。本人の心身の健康を考えればブラック企業を辞めるのは早ければ早いほど良いと言えるのですが、しかしその後の再就職を考えるとどうでしょう? 短期間で職を辞したという履歴は、就職活動においては前科のようなものです。ブラックだろうが何だろうが、すぐに会社を辞めた経歴があるのは求職活動において致命傷、それを鑑みればブラック勤めであろうと安易な離職は勧められないのが現状という気もします。

 安全ではない学校への登校を避ける自由はある、ブラック企業を辞める自由もある、そうした自由が保障されているところは確かです。ただ、その先の人生における自由はどうなっているのか、行使した自由の結果として負債を負わされることになっていないかは別の話で、我々の社会は未だ発展途上と感じるところでしょうか。

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