東京都内の若者の20人に1人弱は将来、「ひきこもり」に陥る可能性があることが14日、都の意識調査で分かった。現在はひきこもりではないが、心理的に同調する考え方の若者が4・8%にのぼった。人口換算で16万人にのぼるこうした“予備軍”の実態について、都はさらに調べる。
調査は昨年9月~今年1月、無作為抽出した15~34歳の男女約2700人を対象に、戸別訪問によるアンケート形式で実施。1388人が回答した。
その結果、現在ひきこもり状態になっている人は約2万5000人と推計。このほかに4・8%は、「理由があれば家や自室に閉じこもるのも仕方ないと思う」などと考え、ひきこもりに心理的に同調する傾向があった。
これはまた調査方法が微妙ですね。戸別訪問して、「あなたは引きこもりですか?」とか聞くのでしょうか。その道を究めた引きこもりは調査員が訪れても出てこなかったりするなど、会うためには3回くらい訪問して礼を尽くす必要があったりするような気もしますが、どれだけ実態に迫ることが出来たかは別途考慮する必要がありそうです。
それはさておき、今回の推計によると現役の引きこもりは2万5000人ですか。16万人で4.8%だそうですから、2.5万人ですと0.75%に相当しますね。給食費の未収率よりは多いですが、実に少ないですね。完璧なマイノリティです。これでは引きこもりの主張が多数派の声によって圧殺されているのも当然の結果でしょう。「引きこもり」という言葉は完全に市民権を得ましたが、その行為が市民権を得る日は果てしなく遠そうです。
そして引きこもりに理解のある人の割合が4.8%だそうです。これも少ないですね。共産党の得票率だってこの数値を下回ることなんてまず有り得ません。政治的には弱小どころか泡沫ですらない、そんなレベルです。一方で「ひきこもりに同意しない」が94%を占めるそうで、じゃぁ残る1.2%は何なのだという気もしますが、ともあれ引きこもりに理解のある人と理解を示さない人の割合は1:19です。絶望ですね。このような無理解が続いている限り、引きこもりの人にとって未来はありません。
内閣府は16日、「自殺対策に関する意識調査」の結果を発表した。
本気で自殺を考えたことがあると答えた人が約2割、周囲に自殺をした人がいると答えた人が約3割に達しており、自殺問題の深刻さが浮き彫りとなった。
内閣府による同様の調査は今回で3回目だが、自殺に関する個人的経験を質問したのは初めて。今年2~3月、全国の成人男女3000人を対象に実施し、1808人から有効回答を得た。回収率は60・3%。
調査結果によると、「本気で自殺したいと考えたことがあるか」との設問に対し、19・1%が「ある」と答えた。年代別では20歳代(24・6%)と30歳代(27・8%)で2割を超えた。
一方、引きこもりと違って自殺となると、それなりに社会的な理解があります。約2割だそうで、民主党の得票率もこんなものですから、まぁ多数派ではないにせよ一定の勢力がある、自分達の主張を世に知らしめる程度のことは出来そうです。特に若い世代では4人に一人が理解者ですから、そう悲観するものでもありません。引きこもりの周りには誰も理解者はいませんが、自殺を考えた人の周りには理解者がいます。自殺は引きこもりほどには、否定的に見られているものでもないわけで、まぁ一縷の望みはあるよ、と。
ちなみにまぁ、問題なのは若者の引きこもりではなく老人の引きこもりだという説もありますな。
「意外と少なくない!?」
と思ってしまいました!数字が信頼できるのかは本当に不明ですね(б"б。)
そして、それに対して理解のある人の割合の少なさにはビックリするというより恐ろしいと感じてしまいます;
自分がひきこもりになってしまったら大半の人間を敵に回してしまうという世間の窮屈さが恐ろしいです∑(>д<)
やる気のある人間が自分を価値のある人間だと信じて上に登っていくんですね_(・・;φそっち側の人間の思考になってみたいものです!
引きこもりの実際の数を算定するのは難しいですよね。訪問調査に応じない人もいるでしょうし、引きこもりのつもりはないのに周囲から引きこもりのレッテルを貼られている人もいる、そう思いこんでしまっている人もいると思いますし。そして問題は、引きこもりに理解のある人が5%にすら達しないことの方で、う~ん、騒がれている割には自分達の社会の問題として捉えられているのではなく、落伍者として白眼視されているばかりなのだということでしょうか? この引きこもりへの冷たい視線こそが病理だと思うのですけれど、少数者の意見は通りにくいもので……
戸塚ヨットスクールや、テレビなんかでの引きこもり解決(?)番組なんかを見ていれば、世間がいかに引きこもりの人間を嫌っているかが良く分ろうというものです。私は引きこもりではありませんけど、でも彼(女)らへのこの厳しい視線は気の毒ですね。
http://harana.blog21.fc2.com/blog-entry-227.html#comment452
にも書いたが、『戦前の少年犯罪』のように昔の日本人(という定義も曖昧だ、『創造の共同体』(アンダーソン)の指摘にあるとおり)の異常さを広く知らせる意義は大きいとおもう。人権無視の学校や職場にいかずひきこもる方がはるかに健全だ。
定義は曖昧ですし、引きこもりが白眼視されている中では尚更、歪んだ結果が出てしまうでしょうね。いわゆる自立支援施設の類が「引きこもり」を「自立」させるためにどれほど暴力的な手段を用いているか、それを社会がどれほど許容しているかを見れば、引き籠もろうとする人の人格がどれほど無視されているかが分かります。外向的ではない人だって尊重されるべきなのですが、今の世では矯正の対象のようです。
>貝枝五郎さん
世の中が異常なら、それに染まって自ら同類となるよりも、関わり合いを避ける方が健全ですね。ところが日本の社会は逃げることを許しませんし、社会を変えようとすることも許さない、社会に合わせて自分を変えることを強要するもので……
引きこもり続けるカネが無いから、
仕方なく働いている。
日本では、みなが文化的に生きる権利があるそうだが、
俺は文明的にさえ生きられれば、文化的でなくてもいい。
むしろ退廃的に生きられればなおいい。
案外、こう考える人は少なくないと思うのだが。
私も出不精なので、カネがあれば家でずっとごろごろしていたいのですが、なかなかそうも行きません。ただカネがあっても、そういう生き方を許す社会であるのかどうかも問題で、今の社会であれば「働かないで済む」人を道徳的に非難しないではいられないような気もします。そういう生き方もあって良いはずですが、それを許そうとしない世論もまた大きいかと。