非国民通信

ノーモア・コイズミ

二度あることは三度あるが

2021-04-25 21:45:07 | 社会

 昔、探偵小説のアンソロジーか何かで交通違反者を標的にするシリアルキラーの物語を読んだことがあります。最終的には刑事たちの捜査が実り犯人は逮捕されるわけですが、胸をなで下ろした市民たちの交通ルールは元通りとなり、一時的に激減していた交通事故の死亡者も普段通りに戻ったとか。

 新型コロナウィルスの新規感染者は着々と増加を続けています。欧米ではワクチン接種が奏功したのか漸く抑制傾向が見えないでもありませんが、ワクチン接種の遅れが目立つ日本では変異株が急増しており、事態が好転する可能性は低そうです。かくして3度目の緊急事態宣言が出されるに至りましたが、いかがなものでしょうか。

 最初の緊急事態宣言は、諸外国のそれに比べれば至って緩いものであったにも関わらず一定の効果を上げました。その後は小康状態が概ね維持されていたものの、年末から事態が急転し2度目の緊急事態宣言が発令されました。ところが2度目の宣言は新規感染者を大きく減少させることはなく、東京では再び上昇カーブにさしかかるなど、空振りに終わった印象が拭えません。

 そして2度目の宣言が開けてから僅かに約1ヶ月、再びの緊急事態宣言となるわけです。こうも短期間で宣言を出すのであれば宣言解除は何だったのかと思う人もいるでしょうし、2度目の宣言で効果がなかったのであれば3度目の宣言もまた同様ではないかと考える人もいるはずです。まぁ、2度目までとは違うことが求められるには違いありません。

 一定の効果があった最初の緊急事態宣言と2度目以降のそれとの違いは「恐怖」だと思います。1年余り前は、感染に対する恐れが随所にありました。自身の健康への不安もあれば、感染することで周囲から忌避されるようになることへの恐怖、そして従業員から感染者が出ることで企業イメージが損なわれることへの危惧もあったはずです。

 だからこそ、相応に感染防止に努める人も多かった、企業もテレワークの活用など出勤者数を抑えようとするモチベーションを持っていました。それが今となっては新型コロナウィルスも日常の一幕といった扱いで、社員の中に感染者が出ても大して気にされない、感染者を出した会社が消費者から嫌われたりもしないようになったわけです。

 個人的に新型コロナウィルスへの感染を警戒している人は今でも一定数はいることでしょう。しかるに企業側の警戒感が緩まればテレワークも縮小で満員電車に揺られて出社せざるを得ない人も増えます。そしてコロナに全く無警戒になった人も少なくありません。結果として町には人が溢れるばかり……

 新型コロナウィルス感染者が石を投げられるような状況も当然ながら問題なのですけれど、では感染リスクの高い行動を平然と繰り返している人はどうなのでしょう。そういう人が今よりもう少し、白眼視される社会であるべきではないかという気もします。負けたチームの選手を非難するべきではないですが、チームが負けないよう全力を尽くさない選手は罵声を浴びても仕方ありません。

 今となっては新型コロナウィルスの感染者なんて珍しくもなくなってしまいましたけれど、当初は入居ビルに感染者が1名出ただけでもビルを封鎖して全員を出社停止にすると、そう勤務先では説明されていました。しかるに夏頃から自社でも感染者が出始めたにもかかわらず、何事もなかったように業務は続いています。コロナに対する恐怖は、もうなくなってしまったのでしょう。

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