大相撲夏場所千秋楽の横綱対決で勝負が決した後に、にらみ合いなどの醜態をさらした問題に関し、北の湖理事長(元横綱)は27日、朝青龍(27=高砂部屋)と白鵬(23=宮城野部屋)の両横綱を東京・両国国技館に呼び出し、厳重注意した。だが、両横綱は場当たり的な反省の弁に終始。北の湖理事長も横審の要請による注意であることを強調するなど、あらためて“トップ3”の危機意識欠如が浮き彫りとなった。
(中略)
呼び出した北の湖理事長は「横綱として自覚することが大事と厳重注意し、普段の生活からき然とした態度をとるよう通告した」と説明。だが、白鵬のみが悪いという主張から一転して「ケンカ両成敗」で収拾を図ったことには主体性のなさがありあり。揚げ句の果てには「2人を呼んだのは横審から要望があったから。横審が両方に注意した方がいいと言った」とという無責任な言葉まで飛び出した。
あのまま朝青龍と白鵬がバトルを繰り広げていたら、さぞかし盛り上がっただろうし新たなファンも獲得できたのではないかと残念に思っているわけですが、結局は謝罪を強いられる形になったようです。まぁ相撲協会に粋な計らいなんて期待しちゃいけませんね。
で。北の湖理事長は両横綱への訓告処分は横審の要請であることを強調したとか。北の湖理事長にしては、良い行いではないでしょうか。これが横審に強いられた結果である、自主的に従ったのではなく、強制された結果であることを明示したわけです。これは小さいようでいて、重要なことでもあります。
権力による強制があったとして、そこで人々が権力に従っているのは強いられた結果であることが明るみに出ている状態と、反対に権力に従っているのは人々の自主的な判断の結果だと信じられている状態、両者のどちらが健全であり、希望があると言えるでしょうか? どちらの場合でも、権力の強制に従わされている人々は抑圧を感じるものです。その抑圧に対する反発が許されている状態が前者であり、反発を隠して満足しているフリを続けなければならないのが後者です。
たとえば選挙をしても、必ず共産党が全議席を獲得するとか、指導者の信任投票をすると支持率が99.9%に達するとか、そういう世界もあるわけです。どうして、と問われたときに国民が口を揃えて「共産党を支持しているから」とか「将軍様は素晴らしい方だから」とか、そう語るとしたらそれは不健全なのです。健全であるためには「不満はあるがそう選択することを強いられたからだ」と、権力による強制とそれへの不満を公に出来ることが必要なのです。それを考えれば、今回の北の湖理事長の発言は、閉鎖的な相撲界に僅かなりとも風穴を開ける意味があるのではないでしょうか?
会社なんてのもそうです、誰もが仕事にやる気のあるフリを強いられます。やる気があるかと聞かれれば誰もが「ある」と答えます。でもそこで、「やる気があると答えたのは、それを強いられているからであって本当は違うのだ」と明言することは許されません。「やる気がある」という権力にとって好ましい状況を、強いられた結果としてではなく自主的な判断の結果として身につけること、我々はそこまでを要求されているのです。
そこで「積極的に取り組んでいるのは、会社がそう命じたからだ」と公言すれば至る所から非難を浴びるかも知れません。しかし、そう公言することで隠された権力関係、支配の力学は暴き出されていくのです。もし本心を隠して「積極的に取り組んでいるのは自分の意思です」と望まれるがままに装い続けていたとすれば、それは支配を追認し、強制する権力を守る振る舞いに他なりません。ですから、相撲界を変えていくため必要なのは、不満があるにもかかわらず「自分の意思で」反省したかのごとく装うことではなく、強いられて反省している、反省を強いるものがいることを明示することなのです。それが今まで隠蔽されてきた相撲界の意思による強制を暴いていくことであり、他の世界にも通用することなのです。
自分たちが伝統文化の正当なる監視人だとでも言うのでしょうか。
もともと御用審議会であった横審が
物申す審議会になったことは良いかもしれませんが、
現在の大相撲は文化人のおもちゃではなく、
大衆とともにあるべきだと思います。
土俵上でにらみ合いの是非は時代状況の推移と共に移ろいやすく評価基準の有り無し難しいものがあります。江戸期の大相撲では暴力団まがいの出来事が多かったような伝説がありましたから。
ルールが必要なんだとかマナーを厳守とか言っても、本来的に格闘技というものは肉体をぶつけ合う闘争ですから、そこまで問題にしてしまう「マスコミ手動」の世間が逆に怖いと思うひとりです。だってそうでしょう、旺盛な闘争心肉体のぶつかり合いは切り離せませんよ。否定したら、それこそ出来レースの運動ショーを見せられることになりかねません。
それから前から気になっていましたが、横審のトップの人間は以前与党政治家とのマスコミ倫理で非難されてNHK会長を辞めさせられた人間でしたよね。
大相撲の横綱といえば格闘技のプロ中のプロですし、大学教授とか漫画とかに指導されるなんて、イヤな世の中だと思うことしきりです。
しごきや部屋でのいじめ暴力はそれはそれで否定されてしかるべきだとは思うのですが。それはそれでプロの稽古が成立しなくなると思いますよ。
今回は本旨・本論に外れないようにしたつもりですが、さてどんなものやら。
では。
相撲界の改革には外部の視線が必要で、その外部の人間で構成されているのが横審であるわけですが、全く機能を果たしていないどころか相撲界の悪習を擁護する機関と言っても差し支えありませんよね。もうちょっと、他のスポーツと同じ目線で見てみるような感性も欲しいところですが、相撲界にはそれがない……
>単純な者さん
それはもう格闘技ですし、お互いにスポンサーの意地の張り合いもあったでしょうから。新撰組がまだ新撰組と名乗っていなかった頃、大阪で相撲取りの一団と乱闘を繰り広げたなんてこともありますし、プロレスじゃありませんが荒々しさを前面に出すのも売り方の一つとは思うのですけれどね。結局、角界の功成り遂げたお偉いさんに指図されながら言われるがままに振る舞う、これでは男芸者の世界ですよ。
自浄能力や想像力の欠如している相撲協会とやたら権威を振りかざす上から目線の横審ってのはホントにどっちもどっちな訳で、いっその事土俵で決着付けて貰えば野次馬的には楽しめるんですが。
北の湖VSエビジョンイルのフテクサレ対決とか朝青龍VS内舘牧子の流血必至の因縁の対決とか見てみたいですな。
んで横審側が全敗して新くまともな第三者委員会を作るってことで、宜しいんじゃないでしょうか。
ちなみに私は相撲は好きです。横綱を横綱と思うと正直腹立つことも多いですが横綱を人間と思うと愛らしく思えることが多いです。
強制が顕在化している場合と、強制ではなく自主的であるかのように装われている場合、ということで元は一つのアイデアだったのですが、上手くまとまらずに2本に別れたエントリでもあります。それはさておき、相撲協会も横審も自浄能力を欠いた相撲界の癌です。この辺がお互いをかばい合うくらいなら、権力争いでも展開してくれた方が遥かに面白いでしょうね。力士達も待遇改善や合理化を求めてストライキを打つとか、もうそれくらいして欲しいところです。
>ノエルザブレイヴさん
一つには組織内部の上下関係の厳守が根幹にあるのでしょうかね。「愛の鞭」という上から下への暴力は許すが、犯行は許さない。運営側(親方、協会、横審)と力士の関係も同様で、力士が自分の意思で行動することは許さない、しかし親方の支持があれば積極的に暴行を加えさせる、そんなところもあるのではないかと。色々と不可解な世界で、説明の思いつかないところも多いですが……