非国民通信

ノーモア・コイズミ

令和最新版・日本列島改造論

2024-01-21 22:16:21 | 社会

 先週の話に続くテーマとなりますが、先般は能登半島を巨大地震が襲いました。この地域の復興を巡って一部で吹き上がっている人もいるようで、つまりは僻地での再建を諦めて別の地域への移住を説く人と、それに反発して「強制移住だ!」「地方の切り捨てだ!」と憤っている人がいるわけです。強制移住と聞くと東日本大震災時の福島地域を対象にしたものが思い浮かぶところですが、当時の世論はどうだったでしょうかね。

 福島からの強制移住は原発脅威論によって批判的観点が塗りつぶされてしまった印象ですが、今回も志賀原発に対して色々と期待しているようなネット上の書き込みも散見され、何だかなぁ、と思いました。それはさておき過疎地からの移住は今回のような災害時よりもむしろ平時にこそ計画的に行われるべきではないか、というのが私の意見です。いかに過疎地といえど被災者を一斉に移住させるのは難しい、そうではなく余裕のあるときにやるべきだ、と。

 根本的には「人」の救済と「地域」や「会社」の救済は別に考えなければなりません。必要なことは前者であって、後者は別です。ところが心優しき人々は「弱い地域」や「弱い会社」の存続に心を砕きがちで、その難しさの故に過疎地の住民や零細企業に勤める人々にまで手が届かない状況が生まれていると言えます。そうではなく、「人」を救うために僻地から都市へ、ブラック企業から大企業へと人を集約していくことも必要でしょう。

 世の中には好んで僻地に住む変人もいます。しかし大半の人々の好みは人口の増減から窺うことが出来るわけです。転入超過が続く地域は人が住みたい街であり、転出超過が続く地域は人が住みたくない街と判断できます。若い人が軒並み都会に出て行ってしまうような地域もあって、残念ながら能登半島も当てはまるところがありそうですが、それは住みたい街なのでしょうか。能登に家が再建されたとして、そこに住む祖父母が天寿を全うした後に残された家がどうなるのか、買い手は付かず自身が能登に移住する気にもなれず空き家として放置される──これでは復興とは言えません。

 私は千葉に住んでいますけれど、住みたいから住んでいるわけではないですし、多分周りの住民も似たようなものです。魅力と言えば東京に通勤できることだけ、ただ魅力が一つしかない分だけ不動産相場は抑えめであるために転入増は続いている、そんな街はいかがでしょうか? もし都心と不動産価格が同じであったなら、大半の人は都心に住むことを選ぶに違いありません。千葉で大災害が起こって、もう復興できないから代わりに公費で都心部にマンションを用意しておくと言われたら、それこそ全国から嫉妬の嵐が止まないことでしょう。

 この「公費で」というのは欠かせないところで、流石に「自費で」移住しろというのであれば強制移住以前に追放政策であるとの批判も当然ですが(ただサラリーマンの転勤って、そういうものでもあります)、極論すれば金の問題は政府の姿勢次第でどうにでもなります。問題は建設リソースの方で、関西万博などいくら金を積んでも建設業者の方で対応が間に合わない、能登の方でも金さえ出せば全国の土建屋が馳せ参じてくれる状況にはありません。ビルや道路を作りたくても業者に対応できるだけのキャパシティがない、金を出しても手に入れられないものが増えているが日本の実態です。

 今なお日本はいわゆる北方領土ことクリル諸島を「固有の領土」と呼び隣国に割譲を要求し続けています。しかしその手前にある北海道東部すらインフラを維持できていないのが現状です。もはや日本の広大な国土は手に余る、インフラを維持する範囲を絞り込まねばらないところまで社会が衰退しているのではないでしょうか。若者が皆、出て行ってしまうような地域を自然消滅する日まで延命していくのか、それとも国策として計画的に都市部への移住を進めていくのか、決断すべき時は既に到来しているはずです。

 大企業の本社は、ほとんど東京にあります。全てが東京に集まり、逆に地方には何の雇用もない地域が消滅の日を待っているわけです。一方では不動産価格の暴騰に歯止めがかからず、一方では負動産ばかりが増えている、こうした二極化は誰も幸せにしません。必要なのは二極化ではなく多極化ではないでしょうか。人口50万人でも一つの街に集約できれば立派な都市が出来ます。日本の各地に職のある都市を造る、東京以外でも働ける環境を用意していくこと、自然に任せず国策として地方のリソースを集約していくことです。東京はパンクし、地方は衰退するだけの未来を避けるためには根本を変えなければなりません。

 

・・・・・

 

おまけ

 本文にねじ込む場所がなかったのですが、地方社会のコミュニティってどうなんでしょう。高齢者の移住で属するコミュニティから切り離される云々とは、時に議論されることです(13年前の福島からの強制移住時には無視されていましたが!)。田舎暮らしを夢見て定年後に移住するも、「よそ者」を受け入れない僻地の閉鎖的な人間関係に苛まれ泣く泣く都市部に逃げ帰る、みたいなエピソードはよく語られるわけです。若者が出て行ってしまうような土地のコミュニティって、そんなに良いものなのかと思うときもあります。

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