国境なき記者団が妨害行為=「人権は聖火より神聖」(時事通信)
ギリシャのオリンピアで24日、北京五輪の聖火採火式中に妨害行為があったが、騒ぎを起こしたのはジャーナリスト団体「国境なき記者団」(本部パリ)のメンバー3人だった。
同団体は騒ぎの後、パリで声明を発表し、「聖火が神聖だというなら人権はもっと神聖だ。悲惨な人権状況を非難せずに、中国に平和のシンボルである聖火を渡すことは許せない」と強調。機会がある限り抗議行動を続けると警告した。
3人のうち1人は同団体創設者のロベール・メナール事務局長で、23日にサルコジ大統領から仏最高勲章であるレジオン・ドヌール勲章を受けたばかりだった。
直接行動――と言うと少し過激なニュアンスになってしまいますが、ある程度過激な手段に頼ってでも、あるいは違反者として逮捕されるリスクを冒してでも、政治的もしくは思想的なメッセージを伝えるために行動を起こす人々がいます。そしてそうした直接行動に理解のある国と、そうでない国があります。
前者の例としては――フランスなどどうでしょうか? もちろん反対する人もいたわけですが、マクドナルドを破壊するなどの過激なパフォーマンスもありますし、虐げられれば暴動も辞さない気構えが共有されているような印象があります。オーストラリアもそうですね、反捕鯨団体に対する処遇にもそれは現れているわけですが、政治・思想的な訴えのために犯された違法行為に対しては寛容と言えます。
そして正反対に位置しているのは、我らが日本でしょうか。ほんの1.5世代ほど前であれば様子は違ったようにも見えますが、今や世界でも屈指の直接行動に理解のない国です。自ら声を上げて不正に立ち向かおうとする人々を最も嫌っているのは、権力者である以上に国民ですから。デモやストなどの抗議行動に対して、これほどネガティブな拒絶を示す社会はそうそうないような気がします。「良心の囚人」という言葉がありますが、日本社会にこの概念はないのではないでしょうか。
さて、今回は「国境なき記者団」のメンバーが北京五輪の聖火採火式を妨害したとか。妨害行為には間違いありませんが、しかし悪意あって誰かを傷つけるために行われた刑事犯ではありません。自らの良心から来るメッセージを伝えるために、法に触れることを辞さず、敢えて起こした行動です。こうした行動が日本では常に拒絶されてきたわけでもありますが、今回はどうでしょうか? 反中国であれば良しとする人の中には、日頃の言を翻して「犯人」を賞賛する人もいます。あるいは、いつも通りに直接行動を白眼視し続ける、そんな一貫性を披露する人もいます。
しかしまぁ、中国国内では中国政府に反対することが「勇気」ですが、日本国内では何が「勇気」でしょうか? 人権弾圧が世界中で絶えない中で、飛び抜けて注目度が高いのが中国とチベットの問題ですが、この問題を巡って日本ではある種の「踏み絵」のごときものが作られている気もします。「ショー・ザ・フラッグ」の発想と同じですね、中国政府と戦うのかそうでないのか、どっちの敵でどっちの味方なのかを示せと、そういう圧力が生まれているようなフシはないでしょうか? アメリカの正義に与しないものはテロリストだ!そんな判断と同じノリで、中国に声高に非難しない奴は人権弾圧の加担者だ!とばかりの、そんな主張が散見されます。そういう空気の中では、むしろヒステリックにならないこと、チベット弾圧を利用して嫌いな相手を責め立てようとする輩と距離を置くこと、安易に同調しないこと、それが「勇気」のような気もします。
チベットをめぐる認識ギャップ 西側はそう見るかと中国、怒る――フィナンシャル・タイムズ(フィナンシャル・タイムズ)
集った中国人たちと18日、生中継された温家宝首相の記者会見を観た。「アメリカ人や外国人はいつも、中国を痛めつけようとしている」というのが、典型的な反応だった。
記者会見で質問が許された外国人記者はほとんど全員、チベット問題について質問したが、そのたびに、中国人記者や政府関係者から大きな落胆の声が上がったのだ。
ふだんは中国共産党のやりように激しく批判的な北京在住の知識人でも、チベットについては、中国が「解放」するまでは「奴隷」だったのに、感謝するどころか恩知らずで、中国に対して暴力的だと話す。「中国なしでどうやってチベットが国家として成立するというのか? 解放前は食べるものもなかったというのに」
引用文の「中国」を「日本」に、「チベット」を「韓国」辺りに置き換えれば、そのまま日本についての報道として通用しそうな代物ですが、ともあれチベット問題を巡る国際的な非難は中国国内の現政権への支持を強めるものとして作用しているようです。それは愚劣な外交で国際的な孤立を深めれば深めるほど、支持は強まり、反対に協調姿勢を示すと支持が激減する日本の自民党政府と同じことでしょう。事態を打開するよりも、お互いを非難し合う関係を続けていた方が安定する、そんな政府もあるわけです。国際社会の意見に耳を傾けることを何よりも恥とする国もありますが、中国政府がその同類であるなら、色々と頭を使う必要がありそうです。
昔の自民党政府は、ある意味北朝鮮ともうまくやっていたわけですよね。いろいろ問題はあったにせよ、少なくとも今のような超敵対政策を取っていたわけではありません。
安倍のような馬鹿が首相になるような現実や、北朝鮮の態度の悪さなど、理由は複合的でしょうが、私の見るところ、北朝鮮に対する現状はしばらく続くと見たほうがいいのでしょうね。そしてそれは、日本の将来にとって、あまり良いことではなさそうです。
確かにその節はあると思います。チベット問題が再沸する前、日本では毒入りギョーザ事件がニュースを支配していました。それがニュースから追い出された後でも、市民の中には解決されない事件を気に持っていた人は多くいたのではないでしょうか?その良し悪しを関係無しに、それらの感情がチベット問題で一気に中国へ噴火したのだと僕は思います。つまり民主主義思想を根拠とした発言は低いことと思います。まぁ、世の中には優柔不断の人もいますので、すべてが踏み絵の対象ではないと思いますが、その思想が広がっているということは正しいし大変すばらしい指摘だと思います。
捕鯨問題で、僕は主義には賛成しませんが、オーストラリアのやり方は影響力があります。僕は直接行動の影響力を捕鯨問題で知りました。
>これほどネガティブな拒絶を示す社会はそうそうないような気がします
確かにそうです。
自民党政府に関して。
なるほど、確かに似てます。政治制度や体系はまったく異なるのに、実際の実態は似たものが見られます。
実際、僕は反中国だし、反アジア主義者です。この現状が悪いと思わないのは自分の主義と近いからなのかもしれません。でもこの意見を読んで、言論の自由を考えてみました。ぜひ、その「勇気」のある人の意見を聞きたいです。
とはとても思えないですからね。
日頃から中国叩きを生きがいにしてる人はともかく
そうでない人であれば冷静にと思います。
今はまず何があったか整理していくことでしょう。
日本国内でも抑圧されて暴動したら無条件で
支持してくれるのかよ!と思いました。
解放の話はとても面白いですね。
日本人が過去を正当化する
言い分とまったく同じなんですね。
自分は知識も背景も知らず深謀も正確な情報も読めない状態でチベット民族問題には前のめりに深入りすべきではないと思ってるので、人民政府一悪論は拒絶しているのですが、中国国内の世論を見たら確かにちょうど「中韓反日論」に逃げていた頃の小泉に似ていますね。
日中互いにネット上で口汚く罵り合っているうちは勝手にやれやですが、ただ実際日本は多くの労働者たちが小泉新自由主義政策で「下層化」させられ、大量の安価な中国人労働力への「依存」によって日々の生活を支えられているのも事実なわけで。覇権主義勇ましい中国の経済政策に日本が吸い込まれる可能性だって十分なわけです(今までだってロクな独自外交やってなかったんだから)。
そういう日が来たらネットで暴れるだけの嫌中珍ウヨクはどう生きていくのかな・・・いや生きて「いかない」のかなと思ったりします。
人の為に動く事よりも札束と心中または殉教するを潔しとする以上は致し方無いでしょう。近年流行り出したKYなる言葉は、異端とする輩を排除し、周りを馴れ合いの輩で固めようとする言葉だと受け止めています。
此処から分かる事は、彼等は、わざわざ自分の周りに火を焚かれる事をもっとも嫌い、自らの理想と緩やかな都合の良い現実を作り出す事を最上としているのでしょう。
その上で、他を見下しその中で自らを神格化する事に余念がない以上、どんなにチベット問題を説こうと、アフリカの貧困問題を説こうとも、彼等からすればあくまで我々とは関わりは無く、更に言えば自己責任だと言い出しかねません。
一時期までは強硬派の共産党がナアナアで無難な関係を築こうとする自民党を批判していたような気がするのですが、いつの間にか自民党が強硬派と言いますか、急速に右へと立ち位置を変えてしまったところでしょうか。強硬策一辺倒の北朝鮮政策が問題をこじれさせるばかりで何一つ進展させることが出来なかったことを教訓として、この轍を踏むような愚は犯さないで欲しいものですが、さてどうなりますか……
>ノエルザブレイヴさん
結局「中国政府の人権弾圧」を非難しているように見えて、実は「中国」を非難することが目的であって「人権弾圧」には甚だ鈍感な人も多いですよね。いかなる国であっても(それが自国であっても)人権弾圧には断固抗議する姿勢があればいいのですが。
>通りすがりのR.R.Rさん
国内の少数民族に対する弾圧に限っても世界中に多々ある中で、中国とチベットの問題が突出して注目されるのは、人権に対する意識からではなく、やはり中国に対する意識の強さが作用しての結果なのかも知れません。幸いにして国外メディアによる取材も始まりましたし、まずは中国国内で立ち上がった人の声に耳を傾けることでしょうか。
>カックエイさん
FT誌で紹介された北京在住者のチベット観は、まるで『嫌韓流』の翻案バージョンのような発想でもあります。ある意味でこの辺の人は、チベット地域内で宗教的権威による強制があったり、日本で人権弾圧があったりすると途端に人権派に変身するのではと、そんな印象も受けますね。
>エレクト!ラさん
小泉時代に民族浄化ならぬ「純化」があったとでも言いましょうか、急速に幅の狭い、包容力のない国へと日本が転落していった観はありますね。まぁ中国もいずれ壁に突き当たると思いますが、日本政府もそれと似たような愚を繰り返しているわけですし。欧州の中小国に学ぶよりも中国と(ダメな面で!)張り合おうとしている限りは……
>往楽斎さん
まぁ何かのため(チベットのため?)というよりは、中国を叩くために中国を叩いている、そんなところですから。こうした人は人権のことなど気にしていないので、日本国内や中国以外で起こる問題には無関心であるどころか、弾圧する側に共感するところもあるでしょうね、自己責任論もその一つでしょうか。
とにもかくにも、海外NGOの発言は捕鯨にとどまらず、自分に有利になることを言っていても全て疑ってかかるのが一番ってこと
そうですね、例えば日本の場合を見ますと、むしろ北京五輪ボイコットを主張している連中の方が胡散臭いわけで、単に北京五輪反対だけでは評価できないですね。