非国民通信

ノーモア・コイズミ

そこだけ国際標準を目指しても…

2008-07-21 22:29:29 | ニュース

大学卒業率85%、出にくくなる傾向に…読売が初調査(読売新聞)

 読売新聞が初めて行った「大学の実力 教育力向上への取り組み」調査で、これまで未公表だった全国約500大学の個々の中途退学率や標準修業年限での卒業率などが明らかになった。

 昨年度の1年間の退学率は平均2・6%、卒業率は84・6%。卒業率は過去のデータより低く、入りにくく出やすいと言われてきた日本の大学が、欧米のように出口管理を重視しつつある傾向がうかがえる。

(中略)

 うち最も学生が多い私立は3・2%で、日本私立学校振興・共済事業団の05年度調査の2・9%を上回った。入試が多様化して入りやすくなる中、経済的事情や学習意欲の不足から退学する例が増えている。

 卒業率(6年制含む)は最高99%、最低46・6%と幅があり、平均84・6%。経済協力開発機構(OECD)の04年調査で日本は91%と30か国平均(70%)から突出していたが、今回調査で国際水準に近づきつつあることがわかった。

 経済格差や死刑制度、社会保障や公共サービスなどでは国際標準に頑なに背を向ける我らが日本ではありますが、こと大学の卒業率に限っては国際標準への接近を良しとする方針のようです。一口に国際標準への接近と言っても好ましいものとそうでないものがあるかと思いますが、この場合はいかがなものでしょう?

 そもそも、卒業率が下がった要因として「欧米のように出口管理を重視しつつある傾向がうかがえる」と記者はあっさりと言い切っているわけですが、その同じ記事の中には別の要因も示されています。曰く「経済的事情や学習意欲の不足から退学する例が増えている」と。そう、経済的事情から退学する例も増えているわけです。比率としてどの程度かは知りませんが、少なくともこれは歓迎できないはずです。大学側の卒業認定が厳しくなった結果ではなく、経済的事情により学業の継続が困難になった結果として卒業率が下がっているなら、これは危機的状況です。

 そもそもOECD諸国、とりわけヨーロッパ諸国には学費が実質無料の国が多く、かつ日本とは比べものにならない奨学金制度の充実があるわけで、こうした環境下では経済的事情によって卒業できないケースは格段に少ないと考えられます。方や学力を問われて卒業できない生徒がいる一方で、方や経済的事情によって学業を諦めざるを得ない、全く事情が異なる中で数値だけを比べても印象を誤るばかりでしょう。

 また「卒業」にどれだけ重きを置くかにも拠りますね。その時点で何を学び、何を身につけているかよりも「卒業」を重視する社会であれば、必然的に「卒業しようとする意欲」も高まるでしょうから、結果として卒業率が高くなるものです。入学したら卒業するのが当たり前と、そう考えられている社会では、ですね。

 例えばそう、野球のドラフトでも「卒業見込」しか対象にならないでしょう? 日本の場合は制度的に禁止されてもいるわけですが、「いい選手に育ってきたから、そろそろウチの球団に」なんてことはしません。ちゃんと「卒業」する年まで待ってから獲得するわけです。一方でMLBのドラフトでは、在学中の大学生がどんどん指名されます。制度上の違いもさることながら「入ったら卒業するまで待つ」感覚と、「卒業にかかわらず育ってきたら収穫する」感覚の違いもありそうです。ビジネスの場合も同じ、「とにかく卒業する」のが日本、「機会があれば転向する」のがアメリカ、ビル・ゲイツだって大学は中退ですよ?

 そもそも日本の社会が「大学でよく勉強すること」ではなく「留年せずに卒業して、そのまま就職すること」を要求しているわけですから、卒業率が高くなるのは当たり前、その社会の要請にメスを入れないまま卒業率ばかりを問題視したところで片手落ちです。一部の例外的な専門職ならいざ知らず、大半の就業現場では「何をどれだけ学んできたか」なんて問われません。逆に大学に残って研究でも続けていようものなら「なぜ学部を卒業したときに就職しなかったのか」執拗に問いただされた挙句、追い返されるのが関の山です。「体良く卒業すること」が評価されるなら、学生がどうあろうとするか言うまでもありません。

 今の日本では「大学に入ったら卒業するのが当たり前」という感覚があり、そして出口管理の役割を担っているのは企業、そこが「当たり前のことが出来ているか、逸脱していないか」を問う仕組みになっています。この「卒業→就職」という流れがある限り、これは変えられません。大学側の価値ではなく企業側の価値で評価される社会であって、積み重ねた学問によって評価される社会ではない、それにもかかわらず大学側の出口管理を問うのは無責任とも言えます。

 

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6 コメント

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評価する者の能力不足 (案の運)
2008-07-22 11:32:13
大学の出口管理を云々するなら、
新卒信仰と青田買いにメスを入れないといけないでしょう。

日本では、無難に卒業したことが評価の対象であり、
何を学んだかはあまり評価されない(採用側に評価する能力が乏しい)社会です。
大卒採用は終身雇用が前提だったので、入社後に教育するから
大学で学んだことは問わなかったのも現実でしょう。

大学名は資格試験と同等なものとして評価されてきました。
これは、受験学力が努力の質と量にほぼ比例することから、
『この大学に受かる程度の努力は出来ます』という
証明として機能していたわけです。
もちろん、学習機会を得られる環境で育ったという、
出自の評価でもあるでしょう。

一方、新卒で就職しなかった場合、
『できなかった理由があるに違いない』
というマイナス評価がつきます。

いずれにせよ、企業が自力で学生を評価する能力が無いから、
学歴と新卒が評価対象としてきたわけです。
そして、最近は出口管理の重視という要請もありますが、
これとて、企業が自社で欲しい人材の要件を評価できないことに
関係が深いように思えます。
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そういえば私は今年は就職活動しなければなりませんね。 (GX)
2008-07-22 20:12:33
 いいことを世界側から言われれば拒否するのに、悪いことだけは世界と競いあおうとするんですね。ともかく、途中から人生の道を変えるということはこの国では難しいということがよくわかりました。
 非国民さんはほかに興味があることがあって、進路を変えられることができたようですね。実は私もそのようなことがあったのですが、私の場合は無理でした。そもそも、以前、お話したように今通っている学校は両親の意向で、不本意で入った学校なのですが、なぜそのようなことにしたのかというと、その理由は「漫画家になれなかったら、それ以外の進路は難しいから、手に職をつけておいた方が良い」とのことでした。確かにそこに入って漫画家になれなければ、ほぼ人生は絶望的ですが、「ここからやり直しが利くのならばいいな。そしたら、もっといろいろなことに挑戦できる人ができるのに。」とも思いました。奨学金の制度も含めて。学科を変えることができないと聞いたとき、いったんやめて、もう一度入学しようとも考えましたが、経済面でも時期的な面でも難しいので断念しましたので、なおさら。どうせなら、どれだけ好きな学校に行ったり、好きなことを学べるのかを競い合って欲しいです。
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自分で自分の首を絞めるのがお好きなようです (怪人20面相)
2008-07-22 22:29:53
日本の大学は、入るのが難しいのに、さらに出るのを厳しくするなど狂気の沙汰です。学生にとっては、最悪。
格差是正、死刑廃止、社会保障、公共サービス等好ましいところは国際基準に背を向けて、好ましくないところばかり合わせようとする。まさに自分で自分の首を絞める行為です。こんなことをしていたらますます住みにくい国になるばかりです。
「飲んで、歌って、恋して人生は終わる」というのが国際基準ですが、こんなことをしていたら日本は、「勉強して、働いて人生は終わる」ということになってしまいます。
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Unknown (非国民通信管理人)
2008-07-22 23:13:45
>案の運さん

 そう、結局企業側の需要に大学と学生が順応していった結果として、今の日本の大学像があるわけです。それがある以上、企業側の需要を動かさないと双方に齟齬が出るだけ、学生が犠牲になるばかりなのですが、その辺が抜け落ちているのですね、いつもながら。

>GXさん

 いやいや、私は挫折組みたいなものですよ。大学に残りたい中で、妥協を重ねて今に至りますから。やりたいことが色々とある中で、少しずつ夢を諦めながら生きてます。限界まで走り続けた結果としてであれば気持ちの整理もつきますが、卒業したらタイムアップ、就職して仕事に専念しないといけない社会ですから、どうしても悔いが残りますね……

>怪人20面相さん

 まぁとにかく、国民を締め上げる、支配するためのツールとして国際標準が使われる、反対の効果を持つ国際標準は拒絶される御時世です。「勉強させて、働かせて、人生を終わらせる」、人を支配する側、雇う側にとって好ましい人間作りのために教育が使われているようでもありますね。
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Unknown (shu)
2008-07-23 03:08:45
いやー普通に奨学金は今の日本でも十分ではないですかね?年間百五十万くらいはもらえますから


これから下はあくまで私見です。特に下の段落は上から目線ですが

別に私企業がそれを求めてるんならいんじゃないでしょうか?企業の自由でしょうしね。
そんな企業がいやな方は国や文化を問わず好きな企業にいきゃあいいし。

だいたいワンチャンスに懸けるのってそんなにいけないことなんでしょうかね?それにがいかに重要か理解したうえでそれに懸けるのって十分な能力だと思いますよ。それを軽視するのは、、、ねぇ、、、


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Unknown (非国民通信管理人)
2008-07-23 23:34:34
>shuさん

 一口に奨学金と言ってもピンキリですが、年間百五十万は相当に恵まれた部類ですよ。それを基準にしている辺りからして現状把握が不十分と言わざるを得ませんし、そこから高額の学費を差し引いた残りでは、学生を研究に専念させるには完全に不足です。しかも日本の場合は大半が貸与、有利子のものも多く、審査基準も跳ね上がるばかり、少なくとも世界標準を考えるならば著しく立ち後れていますがね。もう少し現実的なモノの見方をされるべきかと。2段落以降についてはエントリ本文が既に反論として機能しておりますので、読めるものなら読んでください。
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