非国民通信

ノーモア・コイズミ

大学の役割

2010-02-26 22:56:11 | ニュース

学生への「職業指導」、大学・短大に義務化へ 文科省(朝日新聞)

 学生が自立して仕事を探し、社会人として通用するように、大学や短大の教育課程に職業指導(キャリアガイダンス)を盛り込むことが2011年度から義務化される。文部科学省が25日、設置基準を改正し、大学側もカリキュラムや就職活動などの支援体制の見直しに入る。

 義務化の背景には、厳しい雇用状況や、職業や仕事の内容が大きく変化するなかで、大学側の教育や学生支援が不十分という指摘がある。さらに新卒就職者の3割が3年以内に離職するなど、定着率の悪さも問題になっていた。このため、大学教育のあり方を議論していた中央教育審議会(文科相の諮問機関)でも、学生支援の充実や、職業指導を明確化する方向性を打ち出していた。

(中略)

 具体例として、金沢工業大学では、入学時から4年生まで、必修の科目として将来の進路を考えるカリキュラム「社会で自分を活(い)かして生きていく力」を実施している。また、東京女学館大学では、コミュニケーション能力、IT能力など社会人として必要な10の能力「10の底力」を定めて4年間で基礎、専門科目を通じて伸ばす試みをしている。

 ただ、義務化で、大学の正規授業での職業指導が重点化されると、「就職」が目的化してしまい、本来の学問・研究がおろそかになるという懸念もある。また、もともと就職指導に重心を置いた専門学校との境目がなくなるという指摘もある。

 他所の国の大学だとどうなんでしょうね。日本の大学は先進国中トップクラスの学費の高さを誇るとか、教養人を育成したいのか専門家を育てたいのかどっちつかずで中途半端だとか色々と聞きますけれど、来年には義務化されるという職業指導云々は、日本独自なのでしょうか、それとも他所の国でも似たようなものなのでしょうか。国によっては高校卒業後にある程度働いて、勉強したくなったら大学に通うなんてケースも多いと聞かされていますが、今回の職業指導云々は要するに、「大学卒業→就職」という流れを前提とした話ですよね。社会人入学等々は日本でも一応は存在しますけれど、そういう立場の人からすれば職業指導など余計なお世話のはずですから。「大学とは社会人になる前の段階で済ませておくもの」みたいな認識あっての「義務化」でもあるように思います。

 まぁ理想の追求と現実への対応、両者は必ずしも合致しません。大学教育で言うなら高度な専門的知識を持った教養人の育成が理想である一方で、現実に要求されているのは専門学校的なもの、職業訓練施設的なもののようですから。そして政治の世界は安倍晋三辺りをピークに理想の追求ばかりで現実への対応が疎かになっているケースが目立ちますが、大学教育の場合は逆に現実への妥協ばかりで理想の追求が蔑ろにされている気もします。「ウチは『知』を追求するところであって『社会人』養成施設ではありません、職業指導なんてくだらないことはよそでやってください」ぐらいに反対の声を上げるところが出てきて欲しいものです。

 ともあれ大学側が就職指導に力を入れて就職能力の高い学生を送り出したとしても、採用枠が広がらない限り就職する人の順番が入れ替わるだけで、日本全国で見れば就職する人の数は増えません。競争が激化するだけです。テストで80点以上取れる人を増やすことは可能ですが、テストで上位100番以内に入る人を増やすことは可能でしょうか? 一部の学校だけが頑張れば、他校を出し抜くことは可能です。でも社会全体で見れば、上位100番以内に入る人の数は誰がどう頑張っても100人までです。だから大学がいくら頑張っても、それは「自分のところの学生だけ」が助かろうとする努力にしかなりません。「質」はともかく「量」の問題は大学側で解決できるものではない、そうであるにも関わらず就職指導云々を語るのは単なる責任転嫁と言わざるを得ません。

 では「新卒就職者の3割が3年以内に離職するなど、定着率の悪さも問題になっていた」とも書かれていますが、こちらはどうでしょうか。こちらは「量」ではなく「質」の問題かも知れません。就職者の数を増やすことは出来ませんが、離職しない人を育てることは不可能ではないでしょう。ただ、ちょっとやそっとのことでは離職しない学生/社会人が雇用主にとって好ましいことは違いないにせよ、それが大学教育の理念に照らしてどうかと考えると、それなりに疑問を感じるわけです。

 引用文中で挙げられている「10の底力」とやらはこちらで読むことが出来ます。真っ先に「コミュニケーション能力」が出てくる辺りに凡庸さを感じさせますが、「他人から言われたことを鵜呑みにせず自分で判断する~」とか「物事を多面的にとらえ、十分に情報を集めた上で結論を出す~」なんてのも含まれているようです。しかし、この辺を身につけるとどうなるでしょうか? まず第一に研修屋の嘘に気づいてしまう等々、むしろ「社会人」であるためには弊害も大きいような気がします。批判的精神や検証能力を身につけてしまうと、どうしても会社のお偉方が間違ったことを言っているのがわかってしまう、会社の在り方に疑問を感じてしまうケースも増えるはずですから。そうなれば当然、離職率は下がるよりもむしろ上昇に向かうのではないでしょうか。

 離職率を下げたかったら、会社に疑問を持たないことや、労働環境が劣悪で無理な業務を押しつけられるばかりでも、それを当たり前のことと思って従順に働き続ける等々、そうしたある種の鈍感力が必要になります。自分の頭で考えるのではなく、会社の頭で考える、そうした人でないと立派な社会人にはなれません。だからこそ体育会系の部活動で先輩には絶対服従、上意下達の精神を体に叩き込まれている学生が「辞めないから」などの理由で企業から重宝され続けてもいるわけです(参考)。新卒者の離職率が高いという指摘に対応するためには、大学の理念を捨てて「鈍い」学生を育てる必要が出てきます。曲がりなりにも最高学府たるものが敢えて鈍い子を育てる、それで良いのでしょうか?

 

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13 コメント

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自殺防止と同じかな (最下層公務員)
2010-02-26 23:58:14
自殺者を減らそうとした時も同じ事が言えましたね。
元々1万5000人見当の自殺者はずっといた様で、小泉以後3万人を常に超える様になった。
これって経済的理由ですから、その事を抜きにって言うか、その事がないかのごとく自殺者の精神的ケアでなんとかしようとしたアレですね。
飢えてる人の前で、食べ物以外に何が救いとなると言うのでしょうね。
「10の底力」の中に他人の不幸を見ても見えなかった事にしてとぼける力も入ってるんでしょうね。

そう言えば、数年前に多摩川の河川敷を散歩してた時の事。
川辺に出てみようと獣道みたいに草がふまれてる道をたどっていったら、ダンボールで出来た家があって引き返して来た事がありました。
いつの時代でも数十万人に一人ぐらいはホームレスを選ぶ人達っていると思いますが、この人達は財界がきちんと雇用の社会的責任を果たしていれば、ここには住んでない人達が殆どだと思います。
にっちもさっちも行かなくなった時、自殺する人、世間体をかなぐり捨てる人。
死んじゃうくらいなら私もこの人達と同じ選択をするつもりです。
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愚策極まります (不備)
2010-02-27 00:46:10
 劣悪な労働条件に、低すぎる給与体系、ゼロどころかマイナスとも言える福利厚生、人材に対する異様に高すぎる欲求。それでいて、「努力不足」と労働者側を詰る非道。政府は企業側の非道がまかり通っている社会問題を解決するよう努力をせず、とりあえず教育機関に問題解決を押しつけよう、というのが今回の施策でしょうか。
 個人の権利も生存権も侵害されている不条理に異を唱える、「知」を有する人材を育てる場が大学のはずです。それを統括する立場の文科省の不見識極まる施策には、目も当てられないですね。

 知性も感性も有する人材はいらないが、奴隷以下の待遇でも喜んで働く人材が欲しい企業側としては、嬉しくてしょうがないでしょう。推し進める立場の人がどういう人間か、勘ぐらざるをえませんね。

 そういう一部の思惑は置くとしても、どうも未だに、「悪しき」成果主義・効率主義に世の中が毒されたままのようです。研究の場でそれをやって失敗したのに、教育の場でも同じ失敗を繰り返そうとしているのはいただけません。 国公立・私立問わず、大学が自らの意義を問い直すような反論を大々的にすべきなんでしょうが、科研やらCOEやらでお上に逆らえないようにされた大学機関に、その体力はないでしょう。
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また一歩アメリカに近づく…。 (サイ)
2010-02-27 02:19:12
敢えて鈍い子を育てたいんでしょう。政治に無関心で学問に無知で、本を読まず、仕事に関するスキルだけを身につけて、熱心に働く人々を増やしたい。そう感じますね。

既存のシステムを大前提にして、その中で役立つスキルを身につけるわけだから、既存体制そのものに疑問を持つようなことはしなくなる…それが狙いかもね
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昔の・・・ (えちごっぺ)
2010-02-27 10:47:43
以前は高等学校で行われていたことが、そのまま大学でも行われるようになったということですかね?
限られたパイを競うことになれば、就職内定率の高い大学に行くことの出来る層と出来ない層に分かれていき、ますます格差の固定に拍車がかかると思いますね!

大学なんて、行きたい人は誰でも行けるようにでもしないと大学本来の役目なんて果たせそうにありません。(苦笑)
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大学じゃなくなりますね (コンポコ)
2010-02-27 13:00:47
今の日本の世界一劣悪な労働環境を考えると単なる社蓄(奴隷)養成所になってしまう可能性が高くなりそうです。

外国ではそもそも新卒一括採用制度がありませんので、おそらく日本独自のものだと思われます。
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Unknown (非国民通信管理人)
2010-02-27 13:57:06
>最下層公務員さん

 大学と学生サイドがどう意識を持ったところで、雇用の枠が広がらなければ何の解決にもならないですからね。根本的な問題を解決せず、対策を立てているフリをして済ませる、そういう手口ばかりです。

>不備さん

 結局、権利意識が高く不条理に異を唱えるような人間が雇用側にとっては好ましくない、そういう好ましくない人材を育てることを止めさせたい、もっと従順で会社の思い通りに行動してくれる人を作って欲しい、そういう思惑もあるでしょうね。小中学校は元からそういう部分があると思いますが、大学も何かと中学校じみてくるのかも知れません。

>サイさん

 大学側の価値を否定して、会社側の求める価値に合わせることを要求するわけですからね。既存の会社優先の世界を崩さないようにしたい、根底にはそうした思惑もあるのでしょう。

>えちごっぺさん

 今や高校も実質的な義務教育になっているように、大学もまた「行きたい人」のものではなく「卒業しておかなければいけないもの」になるのかも知れません。勉強したいから大学に行くのではなく、就職のために大卒の資格が求められるから行かなければならない、みたいに。

>コンポコさん

 他所の国でもインターンシップ云々とは聞きますが大学に就職の世話をさせようとするのはやはり日本が顕著でしょうか。それを安易に受け入れるとしたら、大学側もまた問題ですが……
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Unknown (シトラス)
2010-02-27 15:37:18
揶揄ではなく、本当に大学の就職予備校化が進んでいますね。
私もゼミで履歴書の添削をされたことがあります。
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Unknown (通りすがり1)
2010-02-27 16:10:37
学問研究ですけど、私大や地方国立大学ではとっくの昔におろそかになってるんですけどね。記事を読んで、嗚呼、大学もいよいよ終わりだな~と思いました。「10の底力」なんかも大学の教育目標としてどうなのか。体力のない小規模大学にとって人材供給は死活問題で、こういう方針でやっていかざるを得ない状況なのかもしれませんが…。

対抗しようにも、学生の間ですら大学についてのコンセンサスが無いから、どうしようもない状況だと思います。歓迎してる学生も結構いるように思いますね。
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こんな日本はイヤだ (金魚草)
2010-02-27 19:07:00
このエントリーを読んで高卒認定ならぬ大卒程度社会人認定制度(あくまでも大卒認定じゃなくて)を作ったら案外ウケるんじゃないかと思ってしまった自分がものすごくイヤです。たたでさえ日本は大学に行くのに大金かかることですしね。
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企業の我が儘に付き合うなってば (ヒイロ)
2010-02-27 22:03:33
某週刊誌の受け売りですが、「何も教えなくても、利益を上げる人間が欲しい」という企業の思惑に乗っかっているということは否めないですね。
「採用する側だってそんな超人かよ」という疑問が湧きますが、今日日の学生がそう思わなければどうしようもないです。
一流と呼ばれる社員だって、常に先頭を走り続けるということは無いはずです。百歩譲ってそういう外観を作り上げたにしても、上司にダメ出しをされたり、叱られたりしたことは、どこかであるでしょうし。
企業を永続させるなら、技術的なことを継承させたり、新しいやり方に挑戦することが必要なのに、「即戦力以外は正社員に非ず」というのは、怠け者の言いぐさでしょう。

学生や教職員も含めた大学側も、お先棒を担ぐことはするもんじゃないよ、と思います。
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