非国民通信

ノーモア・コイズミ

短慮

2011-04-30 11:59:59 | ニュース

「事実無根だ」いわき市長、官房長官発言に反発(読売新聞)

 福島県いわき市の渡辺敬夫市長は23日、記者会見し、福島第一原子力発電所の事故を受けた計画的避難区域にも緊急時避難準備区域にも同市が含まれなかったことについて、枝野官房長官が「市の強い要望に基づいた」と発言したことに対し、「強く要望したことはなく、事実無根だ」と述べた。

 渡辺市長は同日、官房長官宛てに、発言の撤回を求める文書を送ったという


いわき市の強い要望なかった…枝野氏が発言訂正(読売新聞)

 枝野官房長官は25日午前の記者会見で、福島県いわき市が福島第一原子力発電所事故を受けた避難区域に含まれなかったことを「市の強い要望」とした発言に関し、「誤解を招く発言になった。訂正したい。地域設定は国の責任においてやっている」と修正した。

 同市の渡辺敬夫市長が「強く要望したことはなく、事実無根だ」と反発していた。

 ……まぁ、枝野ならよくあることです。この人は場当たり的に嘘を吐くのが習性なんでしょうね。自身の過去の発言を棚に上げた放言も珍しくないですし(参考)、政治的な芯がないと言いますか、その時々の旗色の良し悪しに合わせて、優勢な方に着きたがるタイプなのでしょう。こうして官房長官の座に居座っている辺り自身の保身に長けるタイプではあるのかも知れませんが、これに付き合わされる国民はどうなんだろうと思わないでもありません。もっとも、流行り廃りに媚びる政治家=民意に近い政治家ですから、意外に有権者からの「感情」は満たしてくれるとも言えます。財布は満たしてくれませんが。


「排気の遅れ、水素爆発招いた」 米紙が原発事故分析(朝日新聞)

 23日付の米紙ウォールストリート・ジャーナル(電子版)は、福島第一原子力発電所の事故について、放射性物質の外部放出を懸念し、東京電力が格納容器内のガスの排出をためらったことで水素爆発を招いたとする分析記事を掲載した。

 同紙は、同原発1号機は地震・津波の発生から半日たった3月12日午前2時半に格納容器内の圧力が2倍に達し、東電は排気を決めたとしている。

 しかし、準備などに手間取り、実際に排気できたのは同日午後。その約1時間後に水素爆発が起きて原子炉建屋が破壊された。これに伴う炉心の損傷はなかったが、「壁」の一つが失われたことでその後の大量の放射性物質の放出につながったほか、炉の冷却のための作業を妨げる原因にもなった。

 同紙によると、日米の専門家は排気の遅れで水素爆発が起きやすい条件ができたと考えている。放射性物質と水素を含む格納容器内のガスは、排気専用のパイプを経由して建屋の外にある排気塔に導かれるが、圧力が2倍になるまで待ったため、パイプの継ぎ目などからガスが漏れやすくなり、建屋内に充満した可能性があるという。

 専門家は「放射性物質の放出を心配するあまり排気に慎重になったことが、事態を悪化させたようだ」とみている。水素爆発の防止を重視する米国は、格納容器内の圧力が耐圧の上限に達する前でも早めに排気を行うことにしており、同様の方針は韓国や台湾でも採用されていると指摘している。

 米国では、1979年のスリーマイル島原発事故で作業員の判断ですばやく排気が行われ、原子力規制委員会(NRC)が追認したが、日本では排気は「最後の手段」として、電力会社のトップや政府の判断を待ってから行う体制。記事はこうした考え方の違いも排気の遅れにつながった可能性を指摘した。

 さて結果論ではありますが、格納容器内のガスの排出をためらったことで水素爆発を招いたとする分析記事が出たそうです。確かに、もっと速やかに排気が行われていれば、より悪い事態(水素爆発)は防げた可能性も十分に考えられます。とはいえ、こうした速やかな排気を現場の作業員に求めるのは、とりわけ日本では酷でしょう。水素爆発が起こったという「結果」が明らかになった今では「もっと早く排気しておけば」という判断は成り立ちやすいですけれど、水素爆発が起こる「前」では、周囲の理解も得にくいものです。仮に現場作業員の判断で排気が行われたとして、それで水素爆発が「起こらなかった」場合を考えてください。その時はきっと、いや間違いなく――自らの判断で排気、すなわちごく微量とはいえ放射性物質を排出した現場作業員が激しい糾弾の対象となったであろうことは想像に難くありません。その判断を原子力保安院は追認してくれるかも知れませんが、世論はそれを許さない、放射性物質の放出に踏み切った作業員を巨悪として追求し、世論に媚びる政府も喜んで作業員をスケープゴートにするでしょう。「一刻も早く排気しなければ爆発の恐れがあったのだ」と抗弁したところで、排気が遅れた場合の結果が推測の域を出ないとあらば、排気という「小さな悪」が「最大の悪」にされてしまうわけです。かくして現場作業員は判断を経営トップに委ね、経営トップは判断を政府に委ね、そうこうしている内に時間は流れ「より悪い事態」が発生してしまいましたとさ。やれやれ。


低濃度汚染水放出は国際的犯罪…西岡参院議長(読売新聞)

 西岡参院議長は26日、東京都内のホテルで講演し、東京電力福島第一原子力発電所から低濃度の放射性物質を含む汚染水を海に放出した問題について、「国際的な犯罪だ。必ず大きな禍根を残す。漁民にも知らされなかった。一体、どういう政治なんだと感じている」と述べ、政府や東電を厳しく批判した。

 さらに、東日本大震災への菅政権の対応に関し、「『想定外』という言葉で逃げることは許されない」としたうえで、緊急事態法制定や被災地への復興府の設置などを提案した。

 で、こんな「批判」もあったそうです。原発や東電を罵っておけばトンデモですら喝采を浴びるご時世ですが、この件はどうなんでしょうね。低濃度汚染水の放出を躊躇った結果として、余計に事態が悪化する可能性もあるはずで、それが後からウォールストリート・ジャーナル辺りに批判されることもあるように思います。「起こらなかった」ことについての評価は難しいですけれど、より悪い事態を避けるための判断については、もうちょっと尊重されても良さそうなものです。とりわけ今回の原発事故を深刻に思うのであればその分だけ、非常措置には理解を持つべきではないでしょうか。

 ちなみに報道によると「汚染度の低い水1万トンに含まれる放射能の量は、2号機の高濃度汚染水10リットル程度に含まれる量と同レベルにあたる」そうです(東電、汚染度低い水を海へ放出 数日かけ計1.1万トン―朝日新聞)。どう考えても10リットルでは済まない量の高濃度汚染水が漏れた後で「高濃度汚染水10リットル程度」の排水を指して「国際的な犯罪だ。必ず大きな禍根を残す~」と言うのは、状況を理解できていない人にだけ可能な発言でもあります(脱糞した後に屁をこいたとして、後者に噛みつくとしたら何かがおかしいでしょう?)。放射線の影響を気にするのであれば、高濃度汚染水の漏れを差し置いて低濃度汚染水の排出が問題になり得ることなどあり得ないのですから。批判するとしたら、より重大なものが先に来てしかるべきものと思われるのですが――現・参院議長にはその辺の区別が出来ていないようです。

 数値を一人歩きさせることは、印象操作の基本と言えます。上で見たように全体でどれだけの放射性物質が海に流れたかを大きく出さず、単に放出した低濃度汚染水の「1万トン」という数値だけを強調することで、事実を隠さずとも印象を違えることができてしまうのです。ただ全体像を見せずに一部だけを見せることで、大きいものを小さく見せたり、小さいものを大きく見せたり、これは常套手段でもありますし、むしろ「受け手(読者、視聴者、有権者……)」が意図して受け入れているものですらあります。

 「会計検査院指摘が国費310億円の無駄遣いを指摘」と聞いたらどう思いますか? では「国費の無駄遣いは全体の0.012%に止まる」と聞いたら? 印象は異なるかも知れませんが、両者が指し示す「事実」は同じです。あるいは「生活保護の不正受給額90億円超え」=「生活保護費の不正受給額は全体の0.4%未満」は? 両者は全く同じことを語っています。どちらも嘘ではありません。「給食費の滞納22億円に上る」=「給食費の回収率は99.5%」でもありますね。巷では「被災地に100億円を寄付」した富豪が人気のようですが、孫正義の資産規模を勘案すれば「総資産の1%強を寄付」ということがわかります。どちらの語り方も嘘になるわけではないのですが、印象は異なりますし、この「印象」に振り回されているのが世間であり世論なのです。

 「レモン○○個分のビタミンC」というのは常套句の一つですが、レモンは特にビタミンCを多く含む食品ではなかったりします。で、この実は大して多くない、あるいは大きくないものと比較して「○○倍」と煽るのもまた印象操作の基本です。ともあれ絶対的な数値が大きければ(例えば「1トン」とか)、その数値だけを単独でピックアップして、それが全体の中に占める比率は考えさせない、逆に絶対的な数値が小さければ、もっと小さいものと比較して「○○倍」と語る、かくして実態から目を背けさせる、あるいは目を背けることが出来るわけです。これこそ判断の誤りを招く元ですが、自らの世界観を守るために、あるいは世界観を広めるために好まれてきたものでもあります。

 先日は放射線の影響を「癌になる確率が30%から30.5%に上昇する程度」と説明する専門家に対して「0.5%上昇するなら1000人の内5人が癌になるということだ!」と噛みついている読者の投書が新聞に載っていました。もっとも現実世界に生きていく上で接する対象は放射線だけではないですから、研究者にとってはいざ知らず普通に生活する上では放射線の影響だけを単独で取りだして考えても意味がないことは言うまでもありません。もとより30%に対する0.5%と言うのは誤差の範囲、その他諸々の要因によって吸収されてしまうレベルです。むしろ野菜不足の食生活の方が癌になるリスクを高める、そういうレベルなのですから。確かに0.5%程度であっても好ましい変化ではありませんが、それに対する反応はリスクに応じたものでなければなりません。日本でも通り魔に刺されて死ぬ人は時々ニュースになりますけれど、だからといって常に防刃ベストを着込まねばならないとしたら、そのおかげで助かる命があるとはいえ、どう見ても過剰反応でしょう。そして過剰反応は、避けようとする対象以上の重荷ともなるわけです。とかく自らを脅かす脅威を大きく思い描きたがる人が目立つ、それが左右問わず広がりつつある昨今ですけれど、余計な重荷を背負う必要はないと私は常々思います。

 

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Unknown (ルーピー)
2011-04-30 16:47:48
東京でも放射能が日常値の数十倍、茨城だと百倍近くとかさんざん言われていました。韓国でも数倍だったとか。
 そんな数字を聞かされ、「もう絶望だ」と先日に紹介した知人が狼狽していました。さらに知人は茨城に友達がいて、「白血病になってしまう」と心配していました。
 かくいう私も、その「何倍」を知人に聞かされていた時は、狼狽していました。人のことはとやかく言えません。
 
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Unknown (非国民通信管理人)
2011-04-30 18:53:15
>ルーピーさん

 何しろ「元の値」が「ほぼ0」ですから、これを基準にしてしまうと健康に影響のない範囲であっても「○○倍」とショッキングな数値が出せてしまうんですよね。こうして数値が一人歩きして、実態とは異なる印象ができあがってしまうわけです。
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Unknown ()
2011-04-30 21:45:20
「通常時の○倍」って全く意味のない数字ですよね。通常時の数値が危険値の何分の1にあたるのかが示されていないのですから。仮に使うなら「危険値の○分の1」のような数字で示すべきでしょう。このほうがよっぽど判断材料になります。(もっとも放射線に関しては閾値があるのかないのかがはっきりしていないのでこの示し方が難しいという問題はありますが)

ところで給食費の話ですが、呆れるほかないような数字の紹介がされていたことが記憶に残っています。「滞納者がいる学校の割合が約50%」といった数字だったと記憶しています。小学校だと1クラス35人×4クラス×6年ぐらいでざっくり計算して840人ぐらいでしょうか。この中にたった1人が一度滞納しただけで「滞納者がいる学校」に振り分けられるのです。仮に1年間の給食費徴収回数を5回として、「たった1人が一度だけ滞納した学校の納付率」を計算すると約99.9762%です。この納付率ですら「滞納者がいる学校」の尺度で計算するならゼロ扱いになるわけです。そりゃあこんな計算をすれば50%ぐらいになりますよ。「滞納者が多い」というイメージを流布し、そういった人達に対する社会的圧力を強めるためにわざわざこんな数字を出しているのでしょう。はっきり言って全くもって無意味な数字なのですが、いかに数字によってイメージをコントロールできるのか、そして数字を流す者がコントロールしようとしているのかがよくわかる一例とも言えます。
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Unknown (非国民通信管理人)
2011-04-30 23:08:00
>毛さん

 給食費に関しては、報道する方も報道する方なら、それを真に受ける方も真に受ける方だという思いがありますね。「滞納者がいる学校の割合が約50%」というなら、何百人も生徒がいる中で半分の学校は、ただの1人も滞納者がいないということですから。それはむしろ「滞納者が少ない」ことを示すもののはずですが、誤ったイメージが流布してしまう辺りが何とも……
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Unknown (JF)
2011-05-01 03:30:33
管理人様の今回の記事を読んで思い出したのは、今回のプロ野球開幕問題です。すなわち、「東京ドームの使用電力量は、一般家庭の5000世帯分」みたいな言い方です。東京都だけに限っても、世帯数はおよそ600万世帯なのですが、http://population-japan.com/tokyo/東京ドームを使用したら停電になる、みたいな言い方を、プロ野球開幕の際に、リベラル層にあたる人もされていて、巨人ファンである私としてはかなり辟易したものです。

私も選手会の意見が開幕延期でほぼ一致していた以上、オーナー側もそれに沿った形にした方が少なくとも政治的には得策と思っていたのですけどね。ただ、労使交渉である以上、一方が一方の言いなりになる義務はない、とも思います。
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Unknown (カモノハシ)
2011-05-01 04:02:58
はじめまして。いつも読ませていただいています。
枝野を擁護するつもりはありませんが、いわきウォッチャーの私から見ると、この話はいわき市長が「非公式に」指定をはずしてくれるよう強く要望していたのを、官房長官がうっかり口を滑らせちゃったのだと思われます。
これまでさんざん国に「なんとかしてくれ」と泣きついてきて、指定がはずれたら待ってましたとばかり「国が安全だと言っているのだから安全です」と高らかに宣言してましたからね。
多くのいわき市民は、枝野の言っていることの方が本当だろうと思っています。
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Unknown (非国民通信管理人)
2011-05-01 15:18:12
>JFさん

 節電に協力すべきだってのは状況的に当然の要求ではあったのでしょうけれど、かといって過剰に叩かれるほどの電力消費ではなかったのですね(そもそも試合が無くても一定の電力消費があるわけですし)。セ・パで足並みを揃えるという点でも開幕を急ぐべきではないと私は思っていましたが、そうであるにしても(電力消費量などの)マイナス面を過剰に書くのはフェアではなかったと言えそうです。

>カモノハシさん

 そういう推測が成り立つ余地はないでもないのでしょうけれど、枝野が場当たり的に嘘を吐くのは毎回のことですし、どちらの発言に疑わしいところがあるかと言えば、やはり枝野ではないかと思います。そうでなくとも政治家である以上、公式に発言したことには責任を持つべきですし。
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