「天下りあっせんでない」と枝野氏 東電顧問就任問題で(朝日新聞)
経済産業省資源エネルギー庁の石田徹前長官が1月に東京電力顧問に就任したことが「天下り」にあたるかどうかについて、枝野幸男官房長官は2日の記者会見で「(国家公務員の)退職管理基本方針に沿ったものであると経産省を通じて報告があった。再就職のあっせんはなかった」と述べ、省庁による天下りあっせんにはあたらず、問題はないとの認識を示した。
エネ庁前長官の東電顧問就任「許されない」 枝野長官(朝日新聞)
枝野幸男官房長官は13日の記者会見で、経済産業省資源エネルギー庁の石田徹前長官が1月に東京電力顧問に就任したことについて「法律上、天下りに該当するかどうかに関わらず、社会的に許されるべきではない」と批判した。枝野氏は2月、省庁の天下りのあっせんにはあたらず問題ないとしていたが、福島第一原発事故で前言を撤回した。
上が2月2日の記事で、下が今月の記事です。朝日新聞にすら突っ込まれていますが、鮮やかに前言を翻しています。まぁ、枝野ってのは元からこういう人ですが、本当にもう、世論に媚びるしか能がない奴なんだな、と思います。こんなのが要職に居座っているのですから、政治が場当たり的になるのも当然でしょう。ちょっと風向きが悪くなれば態度を変えて優勢な方に付く、流行り廃りを追いかけるような政治家は票を集めやすいものなのかも知れませんが、国民に好ましい結果をもたらすものでは断じてありません。
葉タバコの作付け、福島全県で断念 土壌汚染を懸念(朝日新聞)
福島県たばこ耕作組合は今年の葉タバコの作付けを見合わせる方針を決めた。福島第一原発事故の影響で主要産地の土壌汚染が懸念され、品質維持や数量確保が困難と判断したという。放射能汚染による全県的な作付け断念が明らかになるのは初めて。
県内の葉タバコの主要産地は原発から半径30キロ前後の山間地。市町村別では田村市を筆頭に飯舘村もトップクラスだ。村では県による土壌調査の結果、政府が定めたイネの作付け制限基準を上回る放射性セシウムが検出されている。
で、タバコの作付けを断念したそうです。他の農作物ならわからないでもありませんが、よりにもよってタバコというのが何とも微妙な感じです。なんでしょうかね、やっぱり安心かつ安全で健康被害の恐れがないタバコを供給しなきゃという生産地側の思いでもこもっているのでしょうか。今の福島で栽培したタバコを吸ったところで、甲状腺癌になるより先に肺癌になるから心配はないのではないかという気がするのですが。まぁ、季節性インフルエンザで10000人が死んでも誰も気にしない一方で、新型インフルエンザで1人が死ねば恐慌状態に陥るのが我々の社会というものなのです。喫煙に起因する癌は軽い癌、放射能に起因する癌は重い癌なのでしょう。
東京の水道水から基準値を超える放射線量が云々と周りが騒ぐ中、乙武洋匡氏は「飲んだら、むしろ生えてくるかなo(^o^)o ワクワク」と述べていました。取りあえず私はほうれん草でも食べましょうか。食べたら、ポパイみたいに突然変異するかなo(^o^)o ワクワク それはさておき、先日は原発に反対するデモが行われたそうで、「ほうれん草が食べたい!!」などとプラカードに掲げていたお馬鹿さんもいたようです。食べればいいのに、ねぇ? まぁ本人は大真面目にほうれん草が食べられないと思っているのかも知れませんが、だからといって「ほうれん草が食べられない=市場に潤沢に出回っているほうれん草も有害である」かのように装うのは風評被害を広める悪質な行為であり、一種のヘイトスピーチとも言えるでしょう。こういった偏見が社会を覆う恐怖感に乗じて垂れ流されていることこそ、真の問題のはずです。
国交省指導もタクシーの「福島行きはお断わり」が止まらない(NEWSポストセブン)
デマと風評は被災地の復興を妨げている。
福島県いわき市の渡辺敬夫・市長は、「市内は避難区域ではないのに救援物資が届かない」と訴える。いわきへの車が茨城県の日立市で止まっていたケースもあったという。
タクシーが「福島行きはお断わり」と乗車拒否するケースも増えている。国土交通省は業界団体に乗車拒否しないよう指導しているが、今も問題は続いているようだ。
建設機械メーカー幹部が語る。
「我々も福島に行けば被曝すると本気で怖がっているわけではないが、テレビで救援物資を届ける場面が映された運送会社が、他の客から取引を停止されたという話もあって、できれば福島には行きたくないという正直な気持ちがある。こちらも商売だから、断われるものなら断わっている」
建機が届かなければ、瓦礫撤去もインフラや住居の再建もできない。
自ら本気で怯えることから差別に走るケースもあれば、そこに便乗して差別に走るケースもあるようです。「外国人お断り」と同じ論理ですね。「自分が外国人を嫌っているわけではないが、外国人がいると寄りつかなくなる客もいる、こちらも商売だから~」と差別の理由を他所に求めることで差別の論理を受け入れてしまうわけです。こうして差別は広まっていくものであり、こうなると吹き飛んだのは原発の天井ばかりではなく、日本に住む人々のモラルでもあるように思えてきます。恐怖から差別に走る人もまた非難されるべきですが、それに付き合って差別に走る人の存在もまた深刻です。現・官房長官も典型的な、そういうタイプの人間ですし……
福島ごみ「受け入れるな」 川崎市に苦情2000件超(スポニチアネックス)
川崎市の阿部孝夫市長が福島県などの被災地を7、8両日に訪れた際、災害廃棄物処理の支援を表明し、川崎市民らから「放射能に汚染されたごみを受け入れるな」などの苦情が2千件以上寄せられていることが13日、市への取材で分かった。担当者は「汚染ごみは運べるはずがない」と説明、対応に追われている。
川崎市は2007年の新潟県中越沖地震でも、柏崎市の粗大ごみを鉄道輸送で受け入れ、無償で焼却処理した実績がある。今回も阿部市長は福島、宮城、岩手の3県などに支援を申し出たものの、ごみの量が桁違いに多く単独で処理できないため「国主導で支援したい」(処理計画課)と、計画は白紙状態だ。
ところが8日以降、同課への電話や市長へのメールで「絶対に福島からごみを受け入れるな」「(福島市出身の)市長の売名行為だ。リコールする」などの苦情が殺到。「川崎市民だけの問題ではない」と、埼玉や千葉県、米国からも反対意見が相次いでいるという。
ネット掲示板「2ちゃんねる」やツイッターでも話題に上っており、「小さい子どもがいて不安」といった、女性からの訴えが大半を占めるようだ。担当者は「行政不信に陥っているようだが、これでは復興の妨げになる」と困惑している。
東日本大震災:「放射能怖い」福島からの避難児童に偏見(毎日新聞)
原発事故で被ばくを恐れ福島県から避難してきた子供が「放射能怖い」と偏見を持たれるケースがあるとして、千葉県船橋市教委が全市立小中学校長らに配慮するよう異例の指導を行っていたことが分かった。福島県南相馬市から船橋市へ避難した小学生の兄弟の事例では、公園で遊んでいると地元の子供から露骨に避けられたという。兄弟は深く傷つき、両親らは別の場所へ再び避難した。大震災から1カ月たつが、福島第1原発の深刻な事態が収まる見通しは立っていない。知識の欠如に基づく差別や偏見が広がることを専門家は懸念している。
南相馬市の小学生の兄弟のケースは、避難者の受け入れ活動に熱心な船橋市議の一人が把握し、市教委に指摘した。市議によると兄弟は小5と小1で、両親と祖父母の6人で震災直後船橋市内の親類宅に身を寄せ、4月に市内の小学校に転校、入学する予定だった。
兄弟は3月中旬、市内の公園で遊んでいると、方言を耳にした地元の子供たちから「どこから来たの?」と聞かれた。兄弟が「福島から」と答えると、みな「放射線がうつる」「わー」と叫び、逃げていった。兄弟は泣きながら親類宅に戻り、両親らは相談。「嫌がる子供を我慢させてまで千葉にいる必要はない」と考え、福島市へ再び避難した。
福島県から県内に避難し、この家族をよく知る男性は「タクシーの乗車や病院での診察を拒否された知人もいるようだ。大人たちでもこうなのだから、子供たちの反応も仕方がない。でも、当事者の子供はつらいだろう」と話す。
結局、こうなるのも必然的な結果ではないでしょうか。とにかく放射能は恐ろしいものだ、どんなに微量でも危険なものなのだ、放射能は絶対に避けねばならないのだ――こういう刷り込みが行われていれば、どういう結果を招くかは推して知るべしです。放射線に関する科学的な解説をすれば御用学者と一蹴され、ただただ脅威を煽る言説ばかりが歓迎される、肥大化していった先は当然ながら排除の論理にしか行き着かないわけです。理解はなく、恐怖だけが広まっていく中では、理性は滅び信仰の如きものだけが先鋭化していくもの、そして信仰心が強まるほど「汚れ」には不寛容になるのでしょう。
これまでにも宿泊拒否や受け入れ拒否、入店拒否等々、諸々の差別が横行してきました。ただ、この横行する差別に対して世間がどう反応してきたかを見ると、いかに大震災後とはいえ甚だ心許ないものを感じます。福島周辺地域への差別はごく一部の週刊誌やスポーツ紙だけが取り上げるニッチな話題に止まり、総じて大新聞は冷淡ではないでしょうか。元より我々の社会は差別に鈍感だとは思います。ただ、そうであるよりも原発なり放射能なりに責任が転嫁されることで差別行為が容認されてはいないでしょうか。悪いのは原発なのだ――そうした逃げ道が作られていることで、大手を振って差別が罷り通る状況になっていると言えます。原発も発端の一つではありますが、状況の悪化に拍車をかけているのは良識家ぶって脅威を広めている人々でもあり、本人は警鐘を鳴らしているつもりでも実は差別の加担者になっている、そのことを自覚すべきです。
その人は、日頃はきわめてまともなことをいっているだけに、より残念なところです。
昔は感染率の低いハンセン病が差別の対象でしたし(今もか……)
まず、落ち着きや、と言いたいです。
こと原発が絡むと恐ろしく鈍感になる不思議。
風評うんぬんに恐ろしく無関心な不思議。
いくら外野が騒ごうが、原発から40キロ以上も離れれば日々の生活は淡々と続いている。
100キロ以上も離れている連中が騒ぐなよバカタレ、が素直な感想。
こういう生活民を視野に入れた物言いができないのが、
反原発派の限界、もっと言えば左派の限界ではないかと。
>必然的な結果
だと思います。あのように騒ぎ立てれば子どもたちがそのような反応をするのは当たり前。
>今の福島で栽培したタバコを吸ったところで、甲状腺癌になるより先に肺癌になるから心配はないのではないかという気がするのですが。
牛肉を食ってBSEの心配をするより食いすぎによる病気を心配したほうがよっぽどいいわけですが、なかなかね…。リスクと統計と理屈を考えればそんなのは明々白々ですが、世の中「合理的」「効率」なんてことを日々絶対的な価値として唱導している人たちがこういった根本的なことについてはそんなに声高に語らないのはなぜかな。私の観察不足ならいいけど。
さてさて、このようなことはコメント欄でなく管理人さんに直接メールでもするほうがいいのかもしれませんが、こちらの記事の最後の段落をお読みになってください。
http://www2.odn.ne.jp/rie_isogai/110415.htm
犯人が処刑されたら(死んだ娘に)笑顔を見せるとまで書いてしまうこの母親の心境に私は暗澹たる気分になりました。しつこいようですが、近日中にこの件はまた拙ブログで記事にしたいと思います。いずれにせよ「復讐」「憎悪」をマスコミその他が遺族に煽った事例の最悪の状況かなと思います。いや、これが最悪ならまだいいのですが…。
そこまで言ってしまうともはや、在特会の如きレイシスト集団と変わらないと思うのですけれどねぇ。放射線にしても問題ない範囲があるわけですが、あたかも「ケガレ」のように避けられている有様には呆れるしかありません。
>頭痛の種さん
ましてや放射線ともなると、どう頑張ったところで感染するような類ではないのですが、もはや病原菌と同じ扱いなんですよね。こういうところで人間の「地」が出るのかも知れません。
>観潮楼さん
昨今の先鋭化した脱原発論に対しては、いったい何のための脱原発なのかと問いたくなるところがありますね。脱原発のために近隣住民を窮地に追い込み、差別を広げるようでは元も子もないはずなのですが、もう原発否定という「正義」のためには何でもありになっているように見えます。
>毛さん
その差別を「悪いのは原発」とすり替えることで、差別そのものに向き合うことを避けているのかも知れませんね。直接的に差別を煽っているわけではなくとも、脅威ばかりを強調した結果がどこに行き着くかを、もうちょっと考えて欲しいところです。
>Bill McCrearyさん
BSE騒動の時も、騒ぎすぎという印象が拭えなかったですよね。もうちょっと他のことを心配した方が良さそうなものですが、とかく一般的なリスクよりも珍しいリスクの方ばかりが強調される、そして総合的な判断を誤ってしまうようでは本末転倒ですから。
>犯人が処刑されたら(死んだ娘に)笑顔を見せると~
この辺もまた、情熱を燃やす方向が間違っている気がしますね。犯人が「処刑」されようと被害者が帰ってくるわけでもないのに、そこで「笑顔」というのも何だかなぁ、と思います。とかく被害者感情に配慮せよと叫ばれる時代ですが、追求しているのは加害者を「罰する」ことであって、それは被害者(遺族)のケアとはズレているような……
>人権団体って何さん
まぁ、誰かが得をすることに不寛容な社会ですから。現場であろうと恵まれた労働環境ともなれば、今度はそれがバッシングの対象になる、薄給で献身的に働くことを、経営者ではなく世論も求めているのでしょう。
極悪人なら殺してもかまわないというのは聞いたことがありますが、もうそんな次元ではないひとが相当数いるとしたら、恐ろしい限りです。
この件に関してですが…自分らも『原発が持つ問題点~古いものの長期利用やプルトニウム~に関しては厳しく迫る』立場なもので。必要な指摘はせなあかんとおもていますが、これが『差別という副作用』生んでいるとしたら…。
以前『南相馬に行きたい』ということ言いました。ただでさえひどい大船渡、高田を何とかしなきゃ、という部分もありますが、このような差別があると、行ってきたというだけでも何やかや言われて…などと考え込んでしまいます。本当は体4つに割ってでも。
自分は『落ちこぼしは絶対出さない』というのを心に動いてはいますが、その実現はどれだけ遠く、つらく、難儀なことか。それでも歩み続けることは変えませんが、真剣に動くほど…というのを感じます。(拙稿『35枚目』で書いた部分も)
最近長文でばかりすいません。こういう部分で話ができるのがブログ界では管理人さんしか思い当たらないので(共産党、野球仲間、友人関係では~の部分)。今日も長々とおじゃましました。
結局、「官僚」「天下り」が悪いとしてうやむやにされるかもしれません。
愚かな政治家と政党ですね。