外国芸能人の審査厳格化 ビョークさんの発言受け中国(共同通信)
中国文化省は8日までに、アイスランドの女性歌手ビョークさんが、2日夜の上海のコンサートで「チベット独立」支持を示唆する発言を行ったとして、今後、訪中する外国芸能人の審査をより厳格に行う姿勢を強調した。同省はホームページで、ビョークさんの発言が「中国人民の感情を傷つけた」と非難。「このような芸能人を中国観衆は歓迎しない」として「強烈な不満」を表明した。
やれやれ、中国政府は相変わらずです。一方で中国政府の後を追い続けている我らが日本政府ですが、今回も見事なまでに足並みを揃えているようです。
靖国映画「事前試写を」 自民議員が要求、全議員対象に(朝日新聞)
靖国神社を題材にしたドキュメンタリー映画の国会議員向け試写会が、12日に開かれる。この映画は4月公開予定だが、内容を「反日的」と聞いた一部の自民党議員が、文化庁を通じて試写を求めた。配給会社側は「特定議員のみを対象にした不自然な試写には応じられない」として、全国会議員を対象とした異例の試写会を開くことを決めた。映画に政府出資の基金から助成金が出ていることが週刊誌報道などで問題視されており、試写を求めた議員は「一種の国政調査権で、上映を制限するつもりはない」と話している。
(中略)
朝日新聞の取材に稲田議員は、「客観性が問題となっている。議員として見るのは、一つの国政調査権」と話す。同じく同党議員でつくる「平和靖国議連」と合同で試写会を開き、試写後に同庁職員と意見交換する予定だったという。
「伝統を捏造する会」の稲田議員の旗振りで検閲に乗り出すそうです。「このような映画を皇国臣民は歓迎しない」ってところでしょうか。中国政府と自民党議員の政策一致度の高さはいつものことですが、今回はタイミングまでピッタリ重なりました、まさに阿吽の呼吸ですね。これで仲良くできないのですから不思議なもの、きっとコミュニケーション能力不足なのでしょう。
それはさておき、問題の映画は日本での一般公開がまだと言うだけで各地の映画祭などでは何度となく放映済みです。ですから、見ようと思えば見られないことはなかったはずなのですが、今になって急に、それも自分達のためだけに試写会を開かせようとしているわけです。この辺は国の予算でやるんでしょうかね? 大した額ではないでしょうけれど、こうした無駄はポケットマネーでやっていただきたいところですな。
さて、この映画に対する評価を見る限りでは、主張を抑えて淡々と事実を照らし出すもののようですが、一部の人に言わせれば「客観性が問題となっている」そうです。( ´_ゝ`)フーン
国費で作った国策映画のようなものを教育現場に押しつけるのが常でありながら、「客観性」を語るとは盗っ人猛々しいというものですが、このようなケースで「客観性」とは問われるべきものなのでしょうか? 教材ならいざ知らず、映画作品で? ただ自分達の捏造した日本像に合致しないからと、それを亡き者にしたい、そのために「客観性」を口実に使っているだけに過ぎないように見えます。政府=自分達の主張に背くものは事前に審査して排除する、本人達はもっともらしいことを言っているつもりかも知れませんが、実際のところは中国政府のそれと全く同じです。
しかし、その客観性とやらを見る議員さんの客観性は、一体どなたが見て下さるんでしょうかねえ。
そうですよね、映画に客観性を問うのがまずおかしいですし、それを審査する側はどうなのか、と。露骨に偏っただけではなく、自分達の「偏り」に無自覚な連中が客観性など語れるはずがないのですが。
靖国神社..゜一度は行ってみる気になるような映画内容なのか興味がある、主義.主張が靖国神社を争い事に巻き込んでいる。
韓国/中国、とにかく異なった観点から見た靖国の違いをこの監督はどの様に表現し主張しようとしているのか、映画の内容も気になるし見てみたい。
それにしても、「客観性」とは驚くべき妄言です。この手の記録映画に、「客観性」なんて必要なんでしょうか。マイケル・ムーアの映画はどうでしょうか。稲田が米国の議員だったら、ムーアの映画を制作中止に追い込もうとでもするのかな。
余談ですが、彼女は、「南京の真実」の熱心な支持者です。稲田にとっては、このような映画こそが「客観的」な映画なのでしょうね。
ただ、「伝統を捏造する会」だの「ネット右翼」だのに限って「客観的」という言葉で反対意見に臨むような気がするのが何とも、という気がします。
芸術作品に客観性など、全く筋違いもいいところですが、なにしろあの稲田議員ですから。問題の映画は、見ておきたいですね、なかなか劇場に足を運ぶ機会はありませんが、DVDは出るでしょうか? DVD発売となると、また稲田議員らが首を突っ込んでくるかも……
>Bill McCrearyさん
まぁ弁護士と言っても、某大阪府知事のような人もいますから、「言論の自由」や「思想信条の自由」を理解していなくても就ける職業なんでしょう、きっと。こうした極右の人は往々にして自称中道ですから、「客観性」の基準が自分の立ち位置にあるのでしょうね。
>ノエルザブレイヴさん
この手の人にとっては、まず始めに自己の「正当化」ありきなのだと思います。自国の過去の過ちを正当化する、自分の偏りを認めず自分達を中道と主張する、そこがスタート地点になっているわけですね。でも彼らがこうした自己の「正当化」に躍起になるのは、自分達の行いが本当は非難に値することであると、薄々は疚しく思っているから、それ故にこそ強弁を必要とするのかも知れません。
ところがまぁ、こうした人が他の候補を上回る支持を得てしまう、支持を与えてしまうのが日本でもありますから……