愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

山添村  広代の磨崖仏

2015年06月11日 | 石仏:奈良

昨日に引き続き同じ山添村広代に有る磨崖石仏・・・。

昨日の橋の畔から国道を東へすぐ、道路脇に一軒家があり、その家への入口脇空き地に突き出た大岩と・・・

多くの小石仏とその家のものだと思われる墓石等が建ち並べられている。

一番西端、小川縁に有る頭の尖った岩には、西側を正面にして・・・

向かって左側に大きく「南無阿弥陀仏」と六字名号を刻み、中央には舟形を彫り沈め・・

中に像高40~50cmの合掌地蔵立像を中肉彫りで刻み出している。

一方、墓石の後ろ、小石仏の脇に突き出した角の有る岩には、小さな舟形の中、殆ど簡略化しすぎて尊名も覚束ない双体仏。

しかしいくら鄙びた里山田舎とは言え、まさかこんな国道端に磨崖の石仏が在ったとは・・・・この道は何度も走ってるのになあ。

撮影2013.2.26


山添村 広代の三体地蔵磨崖仏

2015年06月10日 | 石仏:奈良

鄙びた里山の小川縁岩場に刻まれた小さな磨崖仏。

大和高原、山添村役場より旧R25号線を東へ約2km、長閑な棚田景観の広がる中・・・・

山添村広代の国道を横切る小川の岩場でのんびり日向ぼこの三体地蔵・・・願っても無いシュチエーション。

小川淵に突き出た高さ2mばかりの上部を少し整え、その中央の枡形彫り沈め・・・・

 中に像高20cmばかりの中肉彫りの地蔵立像を刻み出している。

中尊には錫杖宝珠の定形地蔵、両脇にはそれぞれ合掌地蔵を配し地蔵三尊としている。

昔この前を旧道が通っていたのだろうか??なんともほのぼの素朴な地蔵さん。

石仏の大きさや出来の善し悪しより、なんと言ってもこの景観に、この磨崖仏がある事だけで素晴らしい。

撮影2013.2.26


旧木之本町 黒田の葦葺き民家-2

2015年06月09日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)滋賀県

昨日と同じ黒田の集落にもう一つ残って居た葦葺き民家。

この地は大河ドラマの主人公、黒田官兵衛に繋がる黒田家始祖の出自、御廟所もあることで一躍脚光を浴びたという。

そんな城館蹟だとされる集会所に直ぐ近く、この葦葺き民家が建っている。

湖北型入母屋、妻入りで正面を道路に向け、広い前庭を持ち向かって庭の右脇は白壁土蔵を配して居る。

上級農家風佇まいだが現在は勤め人なのだろうか?玄関口や納屋蔵の周りにもそれらしき気配は感じられず、玄関周りも小奇麗に整頓されている。

下屋の瓦も葦葺き屋根も、葺き替えて間も無いのだろう?・まだまだ端正な姿を保って居る。

撮影2015.5.26


旧木之本町 黒田の葦葺き民家

2015年06月08日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)滋賀県

 

田植えが終わったばかりの田圃を前に建つ懐かしい景観の葦葺き民家。

 昨日紹介の大音集落より一つ東の隣り村、黒田の入母屋湖北型葦葺き民家・・・早苗の戦ぐ田圃に影を落としてなかなかの風情。

田圃と屋敷の間に小川が流れ、屋敷から小川へ降りる石段が設けられ、しばらく以前には洗濯や炊事の片付け等に利用されたのだろう・・・・

屋敷には別棟が建つものの、懐かしい農村そのものの佇まいをよく残す民家です。

 

ちょっと屋敷を覗いてみると平入の玄関口は昔の侭だろうが外壁は手が加えられている。

しかし屋根は随分痩せこけて居るので次の機会はどうなって居るのか少し心配。

撮影2015.5.26


旧木之本町 糸取り資料保存館(葦葺き屋根)

2015年06月07日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)滋賀県

旧木之本町大音(おおと)に残され糸取り資料保存館と名付けられた葦葺き屋根の民家。

ここは琵琶湖最北端から、あの古戦場で名の知れた「賤ヶ岳」を隔て、その東山裾に軒を連ねる古い集落。 

集落の東外れ、旅館「想古亭」の駐車場に対面する道路脇に建つ。

棧瓦の下屋に入母屋造りの葦葺き屋根を載せ、棟仕舞いはこの地独特の大きい瓦を載せ妻には湖北の特有の妻飾りを付けている

入口はちょうど旅館への進入路に面しており知らないと旅館の付属施設かと間違いそう・・・それでも平日は客も無いのか保存館は閉館。

ここには生糸の糸取り用具が保存展示されてる様だが・・・元々一般民家を転用したのだろう??通常農家風葦葺き屋根の民家です。

撮影2015.5.27


旧西浅井町 月出の葦葺き民家

2015年06月06日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)滋賀県

奥琵琶湖、右岸(西岸)再奥の月出集落で見付けた葦葺き民家。

旧西浅井町月出集落は琵琶湖最北端、塩津浜より湖岸沿道を南進すること約3km、湖岸に僅か30軒ばかりが軒を連ねる鄙びた集落。

家並の前は静かな湖水が1面に広がり、里山人間には夢の世界・・・たぶんつい最近までは半漁半農の集落だったのだろう、小さな船溜りもある。

そんな集落の中程、ひな壇状に建ち並ぶ中段にまだ葺き替えて間も無く、凛とした入り母屋造りの葦葺き屋根が有る。

外観や玄関先を見る限り、これは古くからこの土地に住まう人の家では無いと言う感じ・・・田舎人の佇まいとは異質なものを感じ取れる。

裏側に廻ると小さいながら良く纏まった葦葺き大屋根・・・・湖北独特の「煙り出し館」が表裏両屋根に付いていてアクセントになって居る。

どういう理由でこの葦葺き屋根がこうして存在するのかは知らないけど・・・・湖北の鄙びた集落には良く似合う。

撮影2015.5.27


山添村 布目大橋阿弥陀磨崖石仏

2015年06月05日 | 石仏:奈良
 
ずっと昔このブログを始めた当初、付近の石仏と十把一絡げに紹介してたので再撮再UPです。
 
 
奈良市内方面から来ると布目川と布目湖の境に架かる布目大橋の直前、交差点左脇空き地の植え込み背にぽつんと磨崖石仏が有る。
 
 
どこからか移動して来たように見えるこの磨崖は元々ここにこの形で突き出た岩だそうです。
 
 
磨崖石仏は高さ約80cmの舟形光背を深く彫り込み、中に像高70cm足らずの蓮華座に立つ来迎印阿弥陀如来を厚肉彫りで刻み出して居る。
 
 

文和四年(1355)の銘が有り、南北朝期の造立・・・・・しかし像容は良く判らないほど風化がが進んでおり痛々しい

往時街道の通行安全を祈るために造立されたものの様です。

撮影2013.2.26

生駒市 鹿畑阿弥陀石仏

2015年06月04日 | 石仏:奈良

生駒市、鹿畑集落の在所辻でたまたま出逢った阿弥陀石仏さん。

鹿畑は生駒市の東端、京都府精華町と境を接する生駒丘陵北端尾根の南斜面に雛壇状に甍を連ねる古い集落。

そんな集落中段部の古い在所辻に小さな辻堂があり、堂内に阿弥陀石仏が祀られて居た。

阿弥陀石仏は総高70~80cm、舟形光背を負い、蓮華座に立つ来迎印の阿弥陀如来を中肉彫りで刻み出す。

童顔ながら覇気のない尊顔、特徴的な頭光背をを付け室町期の蓮弁様式から、室町末期を中心とした時期の造立だろうか??・・・

撮影2013.2.22


東近江市 新出町の茅葺き民家

2015年06月03日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)滋賀県

 

琵琶湖東岸地域も東近江まで南下すると茅葺き屋根も様相を変えてくる。

東近江でもこちらは随分と山手寄り、日野町との境に近い鈴鹿山系がせり出した山裾集落

そんな僅か30軒ばかりの小さな農村集落に残っていた茅葺き民家・・・・

集落入口からすぐ近く、目の前に飛び込むのがこの茅葺き民家の裏正面・・・

彦根で見たように同じ入母屋造りなのだが、棟仕舞いは棧瓦の箱棟になっている。

しかし屋根の傷みは酷く、もうすでにもぬけの殻なのか?全ての窓にカーテンが降ろされ、玄関口には通行止めするように、横一列の鉢植えが並べられて居た。

もう次に見る事は無いのかも??

撮影2014.3.19


彦根市 極楽寺町の茅葺き民家

2015年06月02日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)滋賀県

先日と同じく彦根市に残されていた葦葺き屋根の民家。

 

河瀬町から北へ約1km、 東海道本線を横切り、田圃の中に甍を連ねる極楽寺町の南外れ近くにしっかり健在。

先日の民家と全く同じ様な建築様式の入母屋平入で大きく張り出した棧瓦葺き軒先を持つ・・

屋根に殆ど傷みもなく多分同時期に葺き替えられたのでは無いだろうか??

隣り村のことでもあるし、もしかして建築時期も、そう変わらない雰囲気がする。

どこから、誰がどう見ても殆ど同じだと判断するに違いない。

その分この二軒は心強い事だろう。

撮影2014.3.19


彦根市 河瀬の茅葺き民家-2

2015年06月01日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)滋賀県

前回、彦根市河瀬の茅葺き民家で紹介した同集落で見掛けたもう一軒の茅葺き民家。

勿論、こちら近江では茅葺きとは呼ばずに葦(ヨシ)葺き屋根だが・・・

前回、河瀬の民家からすぐ近く、やっぱり大きな屋根の入母屋造り・・・屋敷内に離れ屋が建てられ、前は広い空き地で農家風佇まい。

どんな理由かは解らないけど、西側隣が広い更地に成っており、そこから右妻側を撮影させて貰った。

昭和になってからの建築だろう建物はまだまだ痛みも無さそう・・・

湖北地方特有の妻飾りが誇らしげに付けられて居た。

撮影2014.3.19