10年ほど前だろうか,多田富雄先生の「免疫の意味論」を読んだ.免疫学の解説に留まらず,「自己と非自己」という免疫学における重要なキーワードを人間社会に当てはめて考察し,「自分とは何か?」「いかに自分らしく生きるか?」という問題に科学者としての立場から答えた本である(科学書というより哲学書とも言えるかもしれない).当時,私はすっかり多田先生のファンになってしまい,学術講演会にまで出かけたりした.昨今,えせ免疫学を振りかざして患者さんや医療の現場に混乱をもたらす困った免疫学者の書いた本を見かけるが,「免疫の“意味論”」はそういった本とは一線を画す名著なので一読を薦めたい.
さて先日,「NHK特集」で上記タイトルの番組が放送された.多田先生は今から4年前,脳梗塞のため生死の間をさまよい,一命を取り留めたものの片麻痺と仮性球麻痺,運動失語という重い後遺症が残った.番組ではリハビリに励みながら後進の研究者の指導や新作能の原作者としてのお仕事に取り組まれる先生のお姿が描かれていた.病気になった身体でどう生きるのか?科学者の倫理とは何か?など,いろいろ考えさせられる内容であった.非常にたくさんのメッセージが込められていたが,私にとってとくに印象的だった後輩の研究者に宛てて書かれた以下のメッセージを紹介したい.
「日常の競争に捉われず,広い視野を持って研究に取り組んでほしい.理想の研究とは,それを僕が実現できたかは別として,一言で言えば,『寛容で豊かな研究』と言えるんじゃないかと思います.分かりにくかったら反対を考えれば分かります.反対語は『ギスギスして貧しい研究』です.『寛容で豊かな研究』と言ったら,競争に負けてしまうと言われるかもしれません.でも1年ぐらい遅れてもいいではありませんか?研究の価値はそんな短期的なもので決まるわけではありません.『寛容で豊かな研究』をしてさえいれば,流れは絶えることなく脈々と流れて支流を創るでしょう.」
自分も生涯,生命科学者の端くれとしての矜持を失わないで生きていきたいなあと思った.
さて先日,「NHK特集」で上記タイトルの番組が放送された.多田先生は今から4年前,脳梗塞のため生死の間をさまよい,一命を取り留めたものの片麻痺と仮性球麻痺,運動失語という重い後遺症が残った.番組ではリハビリに励みながら後進の研究者の指導や新作能の原作者としてのお仕事に取り組まれる先生のお姿が描かれていた.病気になった身体でどう生きるのか?科学者の倫理とは何か?など,いろいろ考えさせられる内容であった.非常にたくさんのメッセージが込められていたが,私にとってとくに印象的だった後輩の研究者に宛てて書かれた以下のメッセージを紹介したい.
「日常の競争に捉われず,広い視野を持って研究に取り組んでほしい.理想の研究とは,それを僕が実現できたかは別として,一言で言えば,『寛容で豊かな研究』と言えるんじゃないかと思います.分かりにくかったら反対を考えれば分かります.反対語は『ギスギスして貧しい研究』です.『寛容で豊かな研究』と言ったら,競争に負けてしまうと言われるかもしれません.でも1年ぐらい遅れてもいいではありませんか?研究の価値はそんな短期的なもので決まるわけではありません.『寛容で豊かな研究』をしてさえいれば,流れは絶えることなく脈々と流れて支流を創るでしょう.」
自分も生涯,生命科学者の端くれとしての矜持を失わないで生きていきたいなあと思った.