ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

07/04/18 赤坂治績さんのラジオを聞く

2007-04-18 23:52:30 | 観劇

こまつ座の「私は誰でしょう」をご一緒した職場の女性の先輩から、下記のようなメールが先週末にきた。
「友人の赤坂治績さんから「歌舞伎の名せりふ」についてラジオで話すと連絡がきました。ラジオがあったら聞いてみてください。」
16日(月)~19日(木)の4日間、NHKラジオ①「ラジオ深夜便」。夜11時20分から始まる番組だが、11時40分頃からの「ないとエッセイ」というコーナーで「歌舞伎の名せりふ」について話されるとのこと。

我が家には娘が以前使っていた目覚まし時計にラジオが内蔵されているのがあるだけである。それもアンテナの役割をはたすコードがとれてしまっている。娘に「ラジオはダメだと思うよ」と言われていたが、ダメモトで聞いてみた。雑音も激しく選局に手間どったが、聞こえた!
お声は淡々としていた。特に朗読が上手ではないなぁと思って聞いていたら、アナウンサーが最後に赤坂さんを演劇評論家と紹介。なぁるほど。
一日目は石川五右衛門の「絶景かな絶景かな」の場面の台詞。2日目は「三人吉三」のお嬢吉三の「月も朧に~こいつぁ春から縁起がいいわぇ」の台詞(ここは七代目梅幸)。3日目の今日は弁天小僧の「しらざぁ言ってきかせやしょう~」。明日は忠臣蔵の勘平の「色にふけったばっかりに~」とのこと(→羽左衛門だったが15代目かしら?)。

赤坂治績さんについて検索したら、またまたなぁるほど。→こちらを参照
著作はこちらを参照。
ちくま新書の『ことばの花道―暮らしの中の芸能語』あたりを買って読んでみようかという気になっている。
こういうお声かけをいただくと、今まで知らなかった方にも新しく出会えるということは、まさに人生の楽しみのひとつというところかと思った次第である。

それと地震などで被災した時用に、まともなラジオも持っておかないといけないなと痛感。

07/04/17 ボウリング・フォー・コロンバインが続く・・・・・・

2007-04-17 23:59:20 | 映画(映画館、DVD、TVを含む)

「華氏911」で一躍有名になったマイケル・ムーア監督の映画「ボウリング・フォー・コロンバイン」。何年か前に職場の有志がビデオ上映会をやってくれて観ていたのを思い出す事件が起きた。
「ボウリング・フォー・コロンバイン」についてはこちらを参照
USAのヴァージニア工科大学で銃の乱射事件で過去最多の犠牲者(32人)を出す惨事が起きてしまったと昨日のニュースで報道されていた。USAという国は憲法で銃の所持が保障されているのだそうだ。自衛のためには武装の権利も認めるという論理のようだ。しかしながら、どこかでそれを見直さなければ永遠にこのような惨劇を繰り返さざるをえないのではないだろうか。

と思っていた矢先・・・・・・。
今晩には現職の長崎市長・伊藤一長氏が4選をめざす選挙の最中に銃撃されて心肺停止状態というニュースが!選挙事務所に戻ったところを拳銃で2発撃たれたのだという。

以前やはり長崎では本島市長が銃で撃たれて大怪我をした事件が起きた。被爆地の市長として日本政府やアメリカ政府にきちんと言うべきことを言われる市長が続けて銃撃されるというのはどういう事態なのだろう。
銃による事件が続けて報道される今晩のニュースはとても重たい。こういう事件をなくしていくためにどういう手立てが必要かを人間の理性で考えていかなければならないのだろう。
写真は映画「ボウリング・フォー・コロンバイン」のDVDの表の画像。よく見るとボウリングのピンの下に銃弾が並んでいる。コワイ・・・・・・。
追記
翌朝、伊藤市長が大量出血で死亡というニュース。全ての犯罪被害者を悼みたい。

07/04/15 沢田研二×藤山直美の「桂春団治」

2007-04-15 23:58:54 | 観劇

♪芸のためなら女房も泣かす~、それがどうした文句があるか~♪
この歌で「桂春団治」という人物にずっと興味を抱いてきた。口に差し押さえの貼札を貼った写真も何かで見たことはある。しかしあまりよく知らなかった。こういう場合は関係する芝居を観るというのが一番てっとりばやい。プログラムにある資料を読めば概要はわかるし、芝居も楽しめるという一石二鳥だ。
沢田研二と藤山直美の共演は数年前の「夫婦善哉」を観た職場の先輩が褒めていた。その方や他の方、ご家族ともどもご一緒に8人で総見に繰り出した。

あらすじは以下の通り。
大正初期の大阪。若手の落語家桂春団治(沢田研二)は、新しい芸で客席の人気をさらっている。しかし先輩たちに喧嘩を売るようなやり方で恨みや妬みを買っていた。姉のおあき(井上惠美子)は弟の無茶な遊びも芸の為だと女房おたま(土田早苗)をさとして後押ししている。
京都の老舗旅館「高村」の娘たちと知り合い、京都の寄席に出る時に泊まりに行く。そこで姉娘のおとき(藤山直美)の人柄にひかれ、おときも「姉やんと暮らしている」という春団治の言葉を信じて男女の仲に。
3ヵ月後、おときが大阪の春団治のもとにたずねてきた。おときは春団治の子を身籠り家を出て来たのだ。おたまは子どものために身をひき、家を出て行った。おときは春団治の一番の応援団だった。おときが勧めた「まっ赤な春団治号」(人力車)も手に入れて車夫の力松(曽我廼家文童)が大活躍。子どもが生まれてしばらくは可愛がっていた春団治だが、商家の未亡人おりう(入江若葉)のところに入りびたるようになり家には月に一度しか戻らなくなる。自分たちのところに戻る気がないとわかり、おときは娘の春子を連れて家を出て女手ひとつで育てていく。
春団治は常識の外に生きていて、二重契約で差し押さえにあう。その危機を救ったのはおたまとおときという二人の元女房。おときは絶縁状態になっていた両親にお金を借りに頭を下げに行く。とうに勘当を赦していた父(小島秀哉)は娘と孫の名で貯金をしていた通帳と印鑑を母(大津嶺子)から渡させる。それを春団治の弟子に渡したことで救うことができたのだ。
その侘びと礼に春団治がおときのもとを訪れたのはその3年後。芸にいきづまり、家族の情愛を表現できるようになりたいと復縁をのぞんできたのだった。おときは春団治の高座の録音のレコードを父だと娘にきかせ続けていた。だから春団治は父親としてはいらないという。芸を磨くことだけを願うおときの真情に涙する春団治。
酒に女に破天荒な生き方を貫いた春団治は57歳で胃癌に倒れる。おりうが春子に輸血を頼みに京都までやってくる。おときは春子に自分の意思で決めさせて送り出すが、その甲斐もなく手術は開腹だけでとじられる。昭和9年10月6日、臨終が近づく時、「まっ白な春団治号」で力松がお迎えにくる。幽体離脱した春団治は、自分の最後が予想に反して多くの人が惜しんでいる様子に驚きながら、おときと春子の到着を待つ。しかし間に合わなかった。旅立つ春団治の気配を感じながら、おときは思い出の法善寺で春団治を送るのだった。

春団治と評論家との喧嘩の中であらためて気づいたが、やはり江戸の落語と上方落語のテイストは違うのだ。コテコテのネタによる笑いは東京では評価されなかった。そして上方落語はあくまでもローカルの話題にすぎず、東京の紙面には載せないと豪語される。全国ネットでのお笑いブームを経た今の日本とはかなり違った感じだったんだなぁと思った。
その上方のお客を笑わせることに全てをかけた春団治。勢いにのった傲慢な態度だけでなく愛嬌があるから愛されるという人物像がまさに沢田研二のニンにぴったりだった。映画「幸福のスイッチ」(→感想はこちら)での頑固な父親役はまだまだ素人くさい感じがしたのだが、春団治ではびっくりするほどハマっている。そしてなんと言ってもあの大きな目に力がある。春団治の思い入れで幕切れになるところが何ヶ所もあるが、そのたびにあの大きな目が大きな芝居をする。双眼鏡がなくてもある程度わかるのではないかという感じがした。とにかく目に大きな魅力=威力?があった。
「沢田研二」のウィキペディア情報はこちら(昔のイメージ以上の情報が豊富!)
藤山直美は今回も惚れ惚れした。春団治の芸人生は3人の女房に支えられていたが、その何度かの転機に、おときが迎合せずおそれずに苦言を呈したということがヒロインとしての大きな役割になっている。その苦言を呈する場面の台詞には説得力があって春団治だけでなく観客の心をも動かす。こういうところは父の寛美の芝居にもあったなぁと懐かしくもなる。笑いをとる間も父譲りのものがある。さらに美人タイプではないが、華があるし可愛らしい。後継者が直美でよかったなぁという感がこのところどんどん増している。
沢田研二×藤山直美のよさはネイティブの関西弁のテンポのよいやりとり。これは勘三郎とのやりとりともまた違う魅力があった。是非これからもこういう共演の舞台を観ていきたい。
また、力松の曽我廼家文童が春団治とおときの間に入ってオロオロしたりする場面や最後のお迎えにきた時の場面が特によかった。前半はこういう気のいい人がいてくれるって幸せなことだよなと思っていたら早く死んでしまった。それなのに春団治のお迎えに白い衣装で白い春団治号をひいて登場してくれた!まるで「ベルばらアンドレ・オスカル編」で先に死んだアンドレがオスカルを白い馬車で迎えにきた場面を観ているようで嬉しくなってしまった。どちらが先につくられた場面かは定かでないが、白い乗り物でのお迎えって白い雲に乗って阿弥陀様がお迎えにくる阿弥陀来迎図以来のイメージなんだろうか。
他の松竹新喜劇の御馴染みメンバーも健在なのが嬉しい。小島慶四郎が吉本興業の大番頭役でポイントポイントに出てきて笑いをとりながらも喜劇としての舞台を締めてくれる。寛美が活躍していた頃に二枚目役だった小島秀哉はずいぶん恰幅もよくなって父の役で情愛にあふれた芝居を見せてくれていて、あらためて自分も年をとるわけだと感心したりした。
落語家をやめて漫才師に転身した役でレッツゴー長作、いま寛大がみせた芝居もよかった。さすがに本職だ。
こういう大阪の人情芝居は大好きなのでずっと観ていきたいと思う。藤山直美、これからも応援するぞ~。

以下、これまで観た藤山直美の舞台の感想。
「殿のちょんまげを切る女」

「ヨイショ!の神様」
「狸御殿」
写真は公式サイトより今回公演のチラシ画像。

06/12/27 悪夢のような喜劇NODA・MAP「ロープ」

2007-04-12 23:59:55 | 観劇

この3ヶ月を振り返ったら観たものは全て感想をアップしてたのに、年末の「ロープ」だけ書いていなかった。一月の半ばに一度書こうとしたのだが、最後がどうしても思い出せなくて挫折。真聖さんがお持ちの戯曲(『新潮』1月号に掲載)をお借りできたので、読もうと思っていたのだが、なかなか手が出ずにツンドク状態。コワイのだ。
かずりんさんのところでWOWOWのオンエアがあったことを知って、ツンドクだった戯曲を手にとった。私の読書は通勤の電車の中と一人のランチの食後の時間。

読みすすんでミライの村がヘリコプターでやってきた兵隊に4時間で全滅させれらた場面が記憶の底から甦ってきた。そうだ、ベトナムのソンミ村大虐殺のことだと気づいてボロボロ泣いて泣きすぎたのだった。あまりのショックにその後の記憶を奥深く沈めてしまっていたようだ。だから書けなかったんだ(T-T)
昨日は今の日本の現状を憂えた記事を一本書いてしまった。今のこの国のキナ臭さからどうやって逃げようかとばかり考えてしまう。しかし、逃げてはいけないのだ。正面から向き合うことが難しくても、しっかりと眼を開けておかなくてはいけない。その力を戯曲を読んでもらうことができた。

年末も押し迫った12/27の仕事帰りにシアターコクーンへ。野田秀樹の作品の観劇はこれで3回目。どちらかというと私には難しい。ハイスピードなのと言葉遊びが過剰すぎて疲れる感が強い。初期の作品よりは新作はわかりやすくなっているという評判だが、果たしてどうだろうと思いつつ.....。
これまで観た野田秀樹の舞台の感想はこちら→「走れメルス」「贋作・罪と罰」

舞台には『ロープ』が張り巡らされたプロレスリングがデンとあった。その前にはヘラクレス・ノブナガ(藤原竜也)というレスラーが引きこもっている部屋が四角柱状にある。試合が近づいているというのに食事をとらない。同じ所属のカメレオン(橋本じゅん)とサラマンドラ(松村武)が食事を四角いトレイにのせて下から差し入れてもそのまま差し戻してくる状態。
放置されたその食べ物をガツガツ食べにくるのは、引きこもりレスラーを隠し撮りにきた弱小TV番組制作会社の3人(野田秀樹・渡辺えり子・三宅弘城)。
リングの下にはタマシイと名乗る女(宮沢りえ)が棲みついていて、その3人と出くわしてしまう。彼女は未来からやってきたコロボックルだという。タマシイに仲間だと思わせて人類観察官に任命してつけたバッジは隠しマイク。観察したままを実況中継させようというのだ。
ノブナガは「プロレスは決して八百長ではない」と思いつめて引きこもっているが、サラマンドラが設定した試合にカメレオンとタッグを組んで出る。悪役レスラーはグレート今川(宇梶剛士)。レスラー北(明樂哲典)、南(AKIRA)と愛人の明美姫(明星真由美)とともに引退前に愛されるレスラーになりたいと思いながらやってきている。
今川は悪役らしく悪態をつきながら挑発。ノブナガは正義のために戦い、今川を半殺しにする。「正義」のためなら常軌を逸した暴力も許されるという。また、それはロープを張ったリングの中だから。これは「あったことをなかったことに」フィクション化してしまう装置だ。
入国管理局のボラ(中村まこと)がタマシイをつけまわす。ノブナガと偽装結婚することで乗り切ろうとするが、不法滞在者であることがあばかれていく。
負けた今川は、サラマンドラに希望がかなえられると囁かれて覆面レスラーになって再び戦いを挑む。ノブナガは正義のための暴力をどんどんエスカレート。覆面した人間は顔が見えないから個々の人間と思わずにできるのだ。
ついにリングの中は戦場と化していく。聞こえてくるのはヘリコプターの爆音。タマシイの過去が呼び覚まされた。ベトナムのミライの村が4時間で恐怖心で狂気に陥った米兵たちに全滅させられた場面の再現。降り立ったのは迷彩服を着たノブナガとカメレオン。ここで笠をかぶった多くのベトナムの村人たちのアンサンブルが登場し、逃げ惑い殺されていく。タマシイの実況のリアルさに泣けて泣けて仕方がなかった。これは過去のことではないという強烈な野田秀樹のメッセージ。今もイラクで、世界のあちこちで起きていること!
弱小TV番組制作会社の隠し撮り実況中継は、暴力のエスカレートとともに視聴率がアップし、通常0.02で弱視並みだったのが2.0遠視並み、20.0火星人並みとうなぎ上り。スポンサーはもっともっと上げろと要求。
しかしどんどん数字が上がっても100%にはならない。それが理性を持った人間がいなくならないということか。それは希望なのか。
タマシイは大虐殺の生き残り。その赤ん坊を拾って戦場を逃げ出したひとりの米兵が沖縄→東京と流れてきて、人目を忍んで暮らし、そして死んでいった。その男が育てたのがタマシイ。
最後にタマシイは姿を消し、ノブナガのもとには誰もいなくなった。ノブナガはタマシイの魂を抱きかかえて旅出っていく。その魂を育てていく約束とタマシイとの再会を願う言葉が悪夢を締めくくる。
姿を消したはずのタマシイにトレイにのせた食事を差し入れして出かけると、果たしてトレイは付き返されてきた。タマシイは確かにいるのだ。

前提として、私はプロレス・ボクシングなどの相手が倒れるまで戦う格闘技は嫌いだ。それなのに悪役3人組はAKIRAがそもそも元レスラーだし、あとの2人も体格が立派。橋本じゅんも劇団☆新感線の筋肉派。藤原竜也も動きの敏捷さは活かしつつ、アマチュアレスリングのユニフォームから片方の肩のストラップだけなくしたような(流行のエプロンみたいだけど)衣装で立派ではない身体を隠し、迫力の戦闘シーンを見せる。まぁなんとか許容内におさまる。
野田秀樹のディレクターとその恐妻である渡辺えり子のコンビが最高。うまいアテ書きだ。スポンサーのいうままに節操もない番組づくりをするという風刺がきいているが、それどころではなくエスカレート。イラク戦争からマスコミを統制することに成功したアメリカの姿まで投影している。
情報操作されたマスコミこそ、フィクション化装置そのものである。「リアルでない戦争」。それも徴兵制ではなく職業として軍隊にいる兵士だけによる戦闘。これはお仕事なんだから、口出ししなくてもいいという距離感がある。ベトナム反戦運動から学んだアメリカ政府は徴兵した兵士を海外に送ったりはしなくなった。しかしこの職業軍人とはいっても将校クラスではない、下級兵士は貧しさからの入隊者が多くを占めている。貧しい者が兵士になるしかなくてなって海外に送られて危険手当をもらって戦い、死んだら殉職だ。こうして反戦運動は中流以上の階層では盛り上がりにかけるものとなってしまった。
さて日本の反戦運動。年配の方が「赤紙」を持ち出すのはあまり説得力がないと思ってきた。日本でも徴兵制はまずないだろう。それよりも自衛隊。お仕事でアメリカに同調して派遣されている。反対する人は多数派になっていない。
その実態に合わせて「憲法」が変えられようとしている。外堀がどんどん埋っていっている。このまま行ってしまうのか。
岸信介首相の信念を幼い時から叩き込まれた孫が今の首相。岸内閣を打倒した世論は今はつくれないのか。
「ロープ」はこういう時代に野田秀樹が産み出した作品。この悪夢のような喜劇を観ていったん記憶の底に沈めてしまった私。しかしやはり思い出した。暴走を止めるのは「理性」だ。そしてその「理性」はまだなくなってはいないはずだというメッセージ。ちゃんと思い出せた。
さぁ、その理性を眠らせずに、きちんと見守っていかなければと思う。

写真は今回公演のチラシ画像を公式サイトより。
この冬のNODA・MAP『ロープ』のプログラムに掲載された野田秀樹と中村勘三郎との対談に2008年冬NODA・MAPに勘三郎出演という話があった。そのことは観劇直後にアップしてある(こちらをご参照ください)。

07/04/11 四分の一強・・・・・・

2007-04-11 23:58:05 | つれづれなるままに
一斉地方選挙前半が終了。
都内に勤務している関係もあって、都知事候補者2人をよろしくとそれぞれの応援者からお声がかかった。都民ではないので残念ながら選挙権なし。
私は県議選と市議選の投票に行った。
選挙開票速報番組は見なかった。決着がついたころにチラッと見て「石原圧勝」っていう結果にすぐに消す。
大体、その表現が気に入らない。投票率と得票率をかけあわせたら有権者の四分の一強の得票なのに「圧勝」って表現するマスコミの姿勢が気に入らない。

今日のNEWS23で筑紫哲也が言っていた。憲法改正投票法案は自民党案も民主党案も成立に必要な率の制限が甘いという。確か中学の時も高校の時も安易に改正されないように率の制限を高くしていると習った記憶がある。それからすると全く比べ物にならないくらいの制限の甘さ!
投票権のある国民の四分の一強の得票で憲法が改正されてしまって、残りの四分の三弱の人間がそれにしたがって暮らしていかなければならないなんて・・・・・・。

「民主主義」って多数決だと履き違えている人がけっこういるけれど、それだけじゃないはずだ。少数意見の尊重とともにあってこその「民主主義」のはずだ。
四分の一強の人の意思が多数派の意思と言えるのだろうか。

今、年末に観たのに感想を書けていない野田秀樹の「ロープ」の戯曲を読んでいる。その上でNEWS23の筑紫さんの話を聞いたら、肌寒くなってきた。
日本の国民はあったことをなかったことにする「まつりごと」の中で慣らされているんじゃないのか。南京大虐殺事件、核持込み、etcetc・・・・・・。
これから長い暗いトンネルに入っていきそうな嫌な感じがして仕方がない。これが今の私の気力を奪うひとつの原因。
そういう私だが、とにかく日々をしのいでいくための力をもらうために、演劇や映画を観てパワーをいただきたいのだ。
冬来たりなば春遠からじ。明けない夜はない。
冬に意味があるはず。夜に意味があるはず。
ひたすら感じて、考えたい。

追記
この次の日、NODA・MAP「ロープ」の感想をアップしました。→こちらへ

2007年1・2・3月のふりかえり

2007-04-09 23:59:27 | 観劇
いろいろな皆さんのブログで毎月のふりかえりをアップしていらっしゃっるのを拝見してきた私。ようやく思いつく。私も年間のまとめであんなに苦労しないためには毎月毎月ちゃんとまとめていけばいいのだと。蛍光灯のようにひらめくのが遅い~(^^ゞ
さっそく、1・2・3月のふりかえりを以下に書いておく。感想をアップしたものはリンクを入れておくし、現時点で書けていないものは正直に書いておく。あとから思い出しアップした場合は、リンクを入れるようにしたい。

【3月】
1(木)ゲキ×シネ「アオドクロ」新宿バルト9
3(土)中村錦之助襲名の信二郎丈の芸談を聴く会
11(日)『五代目 坂東玉三郎』写真集 刊行記念エキシビション」(写真展)丸ビル→「sakuramaru写真展」フタバ画廊
18(日)歌舞伎座「義経千本桜」通し上演・昼の部
   「序幕 鳥居前」 「二幕目 渡海屋・大物浦」 「三幕目 道行初音旅」
21(水)劇団☆新感線「TOMMY」日生劇場
25(日)「初瀬/豊寿丸 蓮絲恋慕曼荼羅」国立劇場小劇場
26(月)歌舞伎座「義経千本桜」通し上演・座夜の部
   千穐楽の仁左衛門の権太! 「川連法眼館/奥庭」
31(金)彩の国シェイクスピア「恋の骨折り損」さいたま芸術劇場
【2月】
1(木)「私はだれでしょう」紀伊國屋サザンシアター
10(土)夜「殿のちょんまげを切る女」新橋演舞場
11(日)昼蜷川幸雄演出「ひばり」シアターコクーン
12(月)国立劇場小劇場2月文楽
第一部「奥州安達原」 第二部「摂州合邦辻」
18(日)歌舞伎座「仮名手本忠臣蔵」通し上演・昼の部
   大序 三・四段目 道行旅路の花聟
19(月)国立劇場小劇場2月文楽
   第三部「妹背山婦女庭訓」四段目より
22(木)ゲキ×シネ「アカドクロ」新宿バルト9
25(日)歌舞伎座「仮名手本忠臣蔵」通し上演・夜の部
   五段目 六段目 七段目・前編 七段目・後編 11段目
【1月】
4日(木)劇団四季「鹿鳴館」自由劇場
8日(月)歌舞伎座昼の部
   ①「松竹梅」「喜撰」 ②吉右衛門の「俊寛」 ③幸四郎の「勧進帳」
19日(金)「梅初春五十三驛」国立劇場
20日(土)シネマ歌舞伎「二人道成寺」東劇
21日(日)浅草歌舞伎第一部
   ①年始ご挨拶+「身替座禅」 ②義経千本桜「すし屋」
23日(火)歌舞伎座夜の部
   ①「廓三番叟」「春興鏡獅子」 ②福助の「切られお富」
③「金閣寺」玉三郎の雪姫
26日(金)「スゥィーニー・トッド」日生劇場
27日(土)「朧の森に棲む鬼」新橋演舞場千穐楽
28日(日)蜷川シェイクスピア「コリオレイナス」さいたま芸術劇場

な、なんと全部書いてあった!
ふりかえって気がかりなのは、昨年末に観たNODA・MAP「ロープ」だ。最後がどうしても思い出せなくて、戯曲が掲載された『新潮』1月号をお借りして読もうと思ってツンドク状態になっている。絶対読んだら書きます。だってそれだけの作品だったと思うから。WOWWOWで最近オンエアされたらしいが、今はTVを見るのにお金を払わないようにしているので観ることができない。戯曲を読んで脳内再現して書きまする。

07/04/06 帝劇凱旋公演初日「マリー・アントワネット」が大化け!

2007-04-06 23:54:54 | 観劇

昨日も書いたが、急遽「マリー・アントワネット」帝劇凱旋公演初日を観にいくことにしたが、大正解~!!
昨年12/23に観た東京公演の感想はこちら
遠藤周作の原作の小説を読んでからだいぶ月日が過ぎたので、ミュージカル作品として割り切って観劇に臨んだのもよかったのかもしれない。大阪公演からだいぶ演出も変わっていたということも聞いていた。そして一部のキャストが変わることにも期待していた。また二人の「MA」のうちのマルグリット・アルノーの笹本玲奈を観ていなかったのでそちらで観なくてはというのもあり、帝劇凱旋公演初日が笹本マルグリットだったということもあった。
とにかく急遽エイッと初日を観たら、印象が一変してしまった!

まず、ボーマルシェの山路和弘は大劇場を仕切る自信がついたのか自在感が増し、堂々たる狂言回しぶり。山路の押し出しが強くなったことで芝居にまず一本太い芯が通った。以前観た時はカリオストロやオルレアン公とからむ場面はかすんでしまう感じがあったが、ボーマルシェがきちんと並び立っているのを観てひと安心。
笹本玲奈のマルグリットは貧しい花売りの時も垢抜けない感じがあっていい。貴族のボーマルシェに騙されたことに怒ってパレロワイヤルに乗り込んでいくのもただの勝気さからだったのに、アントワネットの仕打ちに傷つけられ、庶民に目を向けない貴族たちへの失望や悲しみを歌った「百万のキャンドル」がまず胸を打つ。

新キャストの今拓哉のフェルセン。アントワネットに代わってマルグリットに謝罪する場面も大人の雰囲気が出ていていい。愛する人の至らないところを影ながらフォローするところに大人の男ぶりが無理なく漂ってくる。ここの場面、フェルセンとアントワネットの二人に関わるマルグリットの出発点だったんだとあらためて思った。
フェルセンとアントワネットの恋も運命的に出会ってしまって育んできた大人の忍ぶ恋の切なさにあふれている。今拓哉の目の芝居が切ない~。そして大人の男だ~。アントワネットの欠点も含めて愛しているという想いが全身からにじんでくる。こういう男だからこそアントワネットは心の底から頼れるし、全身から甘え切った様子を漂わせる涼風真世アントワネットが一段と可愛く見える。最強のコンビの誕生だ。

もう一人の新キャストの鈴木綜馬のオルレアン公。眉なしは高島政宏と同じだが、目の下の赤いラインと口裂ラインが入っている。思い出した、映画「デスノート」でCGで登場していた死神リューク(声が中村獅童の方)にそっくりだ。顎を突き出して目を剥くから白目が大きくなるところもリュークそっくり。あくまでも貴族なのだから下品にならないようにして欲しい役なのだが、そこは全く問題なし。これまでの「綜馬さま」からは考えられない異常キャラぶりで客席がざわめく。エプロンステージで「私こそがふさわしい」とソロで歌った後、拍手がやまずボーマルシェが客席を鎮めるショーストップ状態になる。

山口祐一郎のカリオストロ。錬金術師という位置づけが相変わらずわからない役柄なのだが、物語全体への支配度を増し、登場人物それぞれを動かしているからみが増えている感じがした。そういったあたりも無理なく存在感がはっきりした。最後の牢獄の場面での歌が一曲増えていたのかな。
石川禅のルイ16世も相変わらずに愚鈍だが憎めない国王のとぼけた味をうまく出していたし、長男が死んだ時の嘆きの歌でアントワネットともども涙いっぱいの感情のこもった場面にこちらもやられる。この夫婦のコンビもますます熟成がすすんだようだ。

今回のマルグリットは少しずつ少しずつ変化しているのがわかる。マダムラパンとのエピソードも今回はすんなり受け止められた(原作からの脱却がすすんだ)。土居裕子のアニエスも若いマルグリットの暴走を要所要所で締めているのがよくわかった。革命の暴走におかしいときちんという場面も今回はより伝わってきて違和感が少なくなった。それもちゃんとマルグリットに影響している。
牢獄で見張り役として小間使いになった時、自分が知っている子守唄を歌っているのを聞いてあんなに憎んでいたアントワネットに自分と同じ人間の姿を見る(ここがミュージカルらしい!)。そして最後のフェルセンとの逢瀬もとりはからってやるということまでする。
牢獄での最後の王妃たちの逢瀬も激しい燃え上がり(こんなに激しいキスシーン、ミュージカルであり??)とすぐに訪れる永遠の別れ。これは切なすぎる。

革命の側にいたはずなのに、単純に敵として憎みきっていた王妃を同じひとりの人間として最後を見届ける気持ちにまでなったマルグリットの人物像を無理なく見届けることができたのは笹本怜奈の成長と演出の改善の両方があるのだろう。
前の公演では最後のギロチンシーンからすぐにカーテンコールを続けていた。アントワネットがギロチン台から降りてくる登場が悪評だった。そこがちゃんと変わっていた。暗転でギロチンがなくなって普通の登場になったのもホッとしてのアンコール。さらに指揮者の塩田氏が演奏を続ける。もしやと思ったらやっぱりドレス姿で涼風真世が再登場。やっぱりこういう方が最後は嬉しい。

さらに初日だけに涼風真世がご挨拶。
博多座→大阪→東京凱旋と帝劇に戻ってきたが手を入れ直し入れ直してずいぶん変わっていることにお気づきでしょうと口切。昼の舞台稽古で栗山民也氏から「人間の尊厳ということについて公演期間中、考えてほしい」というお話があったことを胸に刻んだということにも触れ、栗山さんらしいなぁと聞いていた。
今回公演からの新キャストの紹介の後、笹本怜奈が菊田一夫演劇賞をとったことも紹介された。まさに納得の演技だった。
そしてさらにドイツ公演が決定したということで、ドイツの劇場のフライ氏を舞台に呼んでご挨拶をいただいた。2009年1月で企画がすすんでいるという。これでまさにクンツェ・リーヴァイ作品の日本で世界初演ということになるわけで喜ばしいことだ。

まったくチケットをとらずにいた公演だったが、予想以上の大化けで嬉しくて仕方がない。プログラムは2ヶ月公演で今回公演の写真が入ったバージョンはまだ未定ということだった。もう一回くらい観るかもしれない感じになってきたので、しばらく様子を見て買いたいと思う。
昨年で懲りたという方も、一回はこの凱旋公演を観ることをおすすめしたい。

写真は帝劇初日看板。以前と違ってシックな色合いになっていてそれも嬉しかったので撮影。

07/04/05 4月の観劇予定

2007-04-05 22:01:07 | 観劇
ちょっと気分転換が必要!!そこで早速オケピで明日の「マリー・アントワネット」東京凱旋公演初日を譲っていただいてしまった。昨年は一回だけしか観ていないが、一部手直しが入ったりキャストが入れ替わったりしているので、どう変化しているか楽しみ。

4月の観劇などの予定は以下の通り。
6(金)帝劇「マリー・アントワネット」初日
7(土)大宮ソニックシティホール:映画「筆子その愛~天使のピアノ」
8(日)MOVIXさいたま:METライブビューイング「魔笛」(行きました!近日中に感想アップします!!)
15(日)新橋演舞場「桂春団治」
21(土)歌舞伎座「中村錦之助襲名披露公演」昼の部
26(木)歌舞伎座「中村錦之助襲名披露公演」千穐楽夜の部
28(土)日生劇場「ジキル&ハイド」夜の部
29(日)日生劇場「ジキル&ハイド」千穐楽
劇場でご一緒させていただく際はどうぞよろしくお願い申し上げますm(_ _)m

07/04/04 読み逃げ?歓迎だけど・・・

2007-04-04 23:57:05 | つれづれなるままに

写真はみぞれに散らされる前のJR四ツ谷の駅の近くの桜。せっかくうまく撮れたのでここでアップ。

最近「読み逃げ」なる言葉がミクシィで問題になったらしい。ROM専というのと同じことだと思うが、「逃げ」というあたりにマイナスイメージが漂う。ミクシィの場合はアクセスの跡が残るというのがあるけれど、読みにきてもらえるだけでいいのに何がいけないのだろう。ミクシィで知らない人に読まれるのが嫌ならば「マイミクシィの範囲での日記公開」の設定にすればいいはずだ。
私のこのブログはおかげさまで多くの方に訪問していただいているようで有難い思いでいっぱいだ。
皆様、本当に有難うございますm(_ _)m

ところが最近さびしいことがある。同じ舞台を観た方のブログにTBとコメントをさせていただいても全くこちらにはお返事がない、またはTB返しのみという片思い状態が増えてきたのだ。その方のブログの方にはお返事コメントがあるのだが、こちらにはないというのがとても寂しい。「自分のブログのところのコメントのコピペでは失礼」というお考えもあるようだが、TBだけでコメントなしにされる方が寂しい。全くこちらにお返事なしはもっと寂しい。
最近は怪しげなTBも増えているのでセキュリティを高めているせいもあるだろうし、TBできないというのも増えている。そういう場合はコメントにURLを書いておくことにしているのだが、全くお返事をこちらにいただけないことも多い。これも寂しさ度を増している。

家では話す相手も娘しかいないしブログばっかりやっているというのもある。ブログでツーウェイコミュニケーションを楽しみたいと思うのは甘えすぎなのだろうか。
しかしながら、私のブログへもTBだけでなくコメントもできなくなったという話もおききしたことがある。そういうことが頻繁にあるようであればgooブログに問い合わせてみなければと思う。何か問題がありましたら、どうぞご指摘ください。

あと、私の記事がダラダラと長いことが皆さんのコメントの意欲をそいでいるのが大きいのかもしれない。最近いろいろ反芻したい気分なのでひとつ観るとしつこく考えてダラダラ書いてしまっている気がする。もう少しテンポを出して書けるようになるといいのだけれど。春の花粉喘息もピークだし、けっこう滅入っている。何かいいことな~いかな?

追記①
本文と関係がないと思われたり、意味不明なコメント、トラックバックは特にご連絡せずに削除させていただきますので、あしからずご了承くださいm(_ _)m
追記②
下記のようなコメントが最近増えてきた。結局は自分のサイトへのアクセスを増やすためだけのコメントだと思われる。一応、拝見して関係ない記事と思われた場合は削除させていただきます。
例:私の○×△サイトでこちらの記事を紹介させて頂きましたのでご連絡させて頂きました。
紹介記事はhttp://略.htmlです。
また遊びに来させていただきます。お時間のあるときに私のブログにも遊びに来ていただけたらとても嬉しいです。

2008年1/23追記
①「Unknown」状態=匿名状態でマイナス感情のコメントを残されるのはマナー違反だと思います。「2ちゃんねる」のような掲示板ではありません。個人のブログですのでご遠慮ください。
②コメント欄で「異論反論」の範疇を超えて「誹謗中傷」レベルの内容になっていると思われる場合は、そのことを指摘させていただいた上で削除等をさせていただきます。
③「異論反論」のやりとりも続きすぎるとエネロスになりますので、直接お話できる方はその場で盛り上がりましょう。エネロスをねらっていると思われる方とのやりとりは、私も気力体力の限りがありますので打ち切らせていただくことにします。

07/03/26 歌舞伎座「義経千本桜」千穐楽「川連法眼館/奥庭」

2007-04-03 23:11:13 | 観劇
「義経千本桜」通し上演の大詰。何度も観ている「川連法眼館」に今回は大団円の「奥庭」がついているのが通し上演らしさということか。
海老蔵の澤潟屋型「四の切」の感想はこちら
勘三郎の音羽屋型「四の切」の感想はこちら
6.大詰 川連法眼館/奥庭
主な配役は以下の通り。
佐藤忠信/佐藤忠信実は源九郎狐=菊五郎
源義経=梅玉  静御前=福助
亀井六郎=團蔵  駿河次郎=秀調
伊勢三郎=亀蔵  片岡八郎=友右衛門
川連法眼=彦三郎  飛鳥=田之助
横川禅司覚範実は能登守教経=幸四郎

【川連法眼館】
川連法眼とはまず何者か。義経の鞍馬寺時代の兄弟子だったということにまず納得。それにしてはちょっと年が離れているような気がするが。吉野中の僧兵の主だった者が集まって鎌倉に従うのかどうかの評定から法眼が屋敷に戻ったところから始まるが、妻の飛鳥とのやりとりにまず見ごたえがある。田之助の飛鳥は足の具合が悪いせいで打掛の中に片方の足をつねに伸ばしているのが心配になった。それでも彦三郎との芝居が立派。重厚感あふれる幕開け。

義経のもとに一年ぶりにかけつけた菊五郎の忠信の生締め姿がいい。静御前を預かったことを知らないという忠信を詮議させようと呼びつけた團蔵の亀井六郎と秀調の駿河次郎が並んで決まるところも圧倒される。ここはベテランの布陣の芝居だ。梅玉の義経と福助の静御前はここでもとてもいい感じだし、「鳥居前」から一貫しているのが効果的。通し上演に一本芯が通る感じがする。

菊五郎の忠信が引っ込んでいくところで斜め下方向に目線をきっと決めるところにやられる。私はこの角度の目表情に弱いようだ。二月の勘平もこの場面もこの表情で舞台写真お買い上げだ(笑)

初音の鼓にひかれて狐忠信登場。狐言葉がこんなにいいと思ったことは初めて!さすがに台詞回しのいい菊五郎だ。親を慕う子狐の情とそれを義経・静に受けとめられて鼓を授けられた時の喜びの表現もほわ~っとしたあたたかさに満ちていた。確かに身体の動きはそんなにたいしたことはない。片膝をたててくるくる回るのだって回数も少ない。勘三郎や体育会系狐の海老蔵に比べようもない。しかし、それを補って余りあるものが今回の菊五郎にはあった。大体「鳥居前」の荒事忠信から出ずっぱりなんだから、夜の最後の場面まで菊五郎が忠信を通したということが今回の通し上演の一番中心の太い芯となっている。二月・三月の通し上演の最大の功労者だと思う。
とにかく今まで観た中でベテラン芝居の奥行きの深さを感じた「川連法眼館」だった。

【奥庭】
網代幕が切って落とされる。いつもの浅黄幕に比べると吊る金具もたくさんついているらしく最後の片付けも大人数だったのに感心(変なところですみません)。
舞台中央から横川禅司覚範の幸四郎がせり上がってくる。僧兵の親玉のひとりだから変な形の頭巾を被っている。義経を討つ方に扇動していたのもなるほど、実は平教経だったのだ。忠信に見破られると頭巾をとって黒々とした髪を逆立てた頭でぶっかえって戦闘モードへ。

今回の通し上演の「鳥居前」の前の「堀川御所」で鎌倉方の川越太郎が頼朝の義経への不審のひとつに、義経が鎌倉に送った平家の三大武将=知盛・維盛・教経の首が偽首だったというのが確かにあった(文楽の通し上演にあった!)。この3人が「義経千本桜」には全員登場するのだとあらためて気づく。なるほど~。
特に教経は佐藤忠信の兄継信が身体を盾にして義経を守った矢を放った人物で「道行初音旅」の戦記物語の中で名前が出てくるが、舞台に登場することは滅多にない。「奥庭」まで上演することでようやく登場するお役。ちょっとしか出番はないが役としては大きい。夜はこの役のみで登場の幸四郎。昼は知盛だから平家の武闘派2役をやられたわけだ。
しかしながら立ち廻りはあまりなく、教経を真ん中に義経、静、忠信と並んでさらにベテランの四天王。再び戦場での再会を約して絵面引っ張りの見得で決まる。花四天も舞台を彩っての豪華な幕切れとなる。「通し上演」の締めくくり~。
忠臣蔵と違って本懐をとげるとかいう達成感もないし、平家の3武将は復讐を遂げられず、義経は逃避行を末が見えている。源九郎狐のハッピーエンドだけが救いというお話の最後としては錦絵として締めくくるのがふさわしいのかもしれない。

写真は、歌舞伎座正面入り口前の義経千本桜通し上演の立看板。
以下、この公演の別の段の感想
「序幕 鳥居前」
「二幕目 渡海屋・大物浦」
「三幕目 道行初音旅」
千穐楽!仁左衛門の権太!!

さてここまでくると欲が出てくる。残る三大名作狂言「菅原伝授手習鑑」の通し上演を歌舞伎座建替え前に是非やっていただけないものだろうか。期待しつつこれからの演目発表を楽しみにすることにしよう。