ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

12/08/05 八月花形歌舞伎昼の部「桜姫東文章」の簡単感想

2012-08-31 23:59:23 | 観劇

月が変わる前に八月花形歌舞伎昼の部「桜姫東文章」の簡単な感想を書いておこう。福助主演の「桜姫東文章」は2005年のコクーン歌舞伎で観ているが、純歌舞伎バージョンの桜姫は初めてなのでどんな感じか期待半分、不安半分。不安は杞憂に終わったのでホッとした。

【桜姫東文章】郡司正勝の補綴版をさらに石川耕士補綴・演出
発 端 江の島稚児ヶ淵の場
  序 幕 新清水の場
      桜谷草庵の場
  二幕目 三囲の場
  三幕目 岩淵庵室の場
  四幕目 権助住居の場
  大 詰 浅草雷門の場
今回の主な配役は以下の通り。
白菊丸/桜姫=福助 清玄/稲野屋半兵衛=愛之助
釣鐘権助/大友常陸之助頼国=海老蔵
粟津七郎=右近 葛飾のお十=笑也
吉田松若=児太郎 奴軍助=弘太郎
入間悪五郎=亀蔵 端女お咲=歌江
残月=市蔵 長浦=萬次郎

先代猿之助が病気療養に入ってから玉三郎を座頭にいただいて澤瀉屋一門で上演した公演では、昼と夜に分けての通し上演だった。それを石川耕士による補綴・演出で大胆にはしょってテンポアップして昼の部だけで通してしまった。花形歌舞伎ということもあり、これはこれでありだろう。

福助の桜姫は赤姫としての品位をしっかり保って好演。一度情を通じて惚れ込んだ権助と再会し、現実の世界で女として生きたいと言う欲が出て色模様になった時もほどがよくて安心。海老蔵の権助なら世を捨てる気持ちが吹っ飛ぶのもよくわかる。

本来は清玄・権助兄弟を一人二役で演じる演目だが、キャストによっては二人に配役する方がよいことがわかる。愛之助の清玄は紫衣の高僧の時も品のよい感じもよいが、情けない場面が実によい。心中に遅れて死にそびれる情けない場面も、白菊丸の生まれ変わりと知った桜姫に妄執の醜態をさらけ出して死に至る場面も、いずれも人物が小さくて、ワルの権助と兄弟というのも無理からぬ感じがした。

右近、笑也、弘太郎という澤瀉屋の面々が脇を固めて安心なのと、成駒屋のお師匠番の歌江までちょい役で出てくれるのが嬉しい。市蔵・亀蔵兄弟もよいが、なんといっても萬次郎の長浦が恋に狂った中年女ぶりを見せて無類。

コクーン歌舞伎の最後は、演出の串田和美の母親としての桜姫への思い入れがありすぎていただけなかった。今回は、愛憎に苦しみながらも姫が父と弟の仇である権助と、その子を覚悟を決めて殺すという純歌舞伎の本来版のもつ作品としての面白さを堪能でき、清玄・権助兄弟だった愛之助と海老蔵が捌き役で揃った「本日はこれぎり~」の幕切れで気持ちよく打ち出されて満足した。

松竹歌舞伎会の歌舞伎座こけら落とし公演先行予約会員までのポイント超過が確実となった。そのため夜の部の海老蔵主演の「伊達の十役」は以前に一度観ているのでパス。仁木弾正はニンの役で本当によいと思うが、女形の役役は特に観たくないしねぇ(^^ゞ

8/5観劇の翌週末の11日に江の島散策企画で稚児ヶ淵にも足を伸ばし、「桜姫東文章」の世界を反芻。面白かったし、岩本楼(旧・岩本院)に行けなかったしということがあるので、春先くらいに再訪企画が早くも実現しそうだ。

12/08/29 昭和55年12月帝劇大歌舞伎で染五郎・吉右衛門兄弟を観たことを思い出した

2012-08-29 23:59:26 | 観劇

実家の母はGWに片付け業者による家の不要物処分の第一弾をお願いして以来、自分の気がすむように少しずつ不要物を処分するようになってきた。娘たちに関係あるものが掘り出されると、一度みてくれとリクエストがくる。それで私も昔々の図工や美術で作った作品等の一部を自宅に持ち帰ってきている。
先週末は、芝居や映画、ライブコンサートのプログラム関係をチェックさせられた。高校時代に観た舞台やコンサートの懐かしいものがけっこうあった。しかしながら私が観た覚えがない玉三郎主演の映画「夜叉が池」や舞台の「マクベス」のものなどもあり、母を追求したら(笑)、ひとりで観に行ったという(^^ゞそういうものも含めて引き取ることにしたが、重いので小分けにした。

冒頭の写真は、「帝劇大歌舞伎十二月特別公演」の筋書の表紙。奥付に昭和55年とあったので1976年であり、高校時代のものだ。

「1976 帝劇 歌舞伎 羽根の禿」でネット検索したら、日本俳優協会の「歌舞伎公演データベース」のこのページ(10 - 公演検索 - 歌舞伎公演データベース)にヒット。スクロールするとみつかる。

同じ年7月の国立劇場第10回高校生のための歌舞伎教室の筋書(染五郎(現幸四郎)主演の「俊寛」)も出てきて、それぞれを見ていて気がついた。同じ年で観た歌舞伎の公演の記憶がごっちゃになっていた。先代の又五郎の「羽根の禿」は開幕の時の暖簾から禿(かむろ)が出てくる場面が強く印象に残り、次の年の年賀状用の版画を作った記憶がある。それと染五郎や菊五郎が勢揃いした「弁天娘女男白浪」の記憶がある。
ミュージカルや蜷川幸雄演出の「オイディプス王」を主演した染五郎をよく観ていた関係で、その2つの公演の記憶がつながってしまったのだと推測できる。一方、共演した吉右衛門の記憶はすっぽり抜け落ちていて、当時の吉右衛門は私の関心を引かなかったようだ。

今の吉右衛門は、座頭として秀山祭や演舞場での五月公演などを責任公演として以来、播磨屋の芸の継承に力を入れて以来、ご本人の芸も一回りも二回りも大きくなって磨かれてきたように思える。
来月の九月公演の「寺子屋」では、吉右衛門が源蔵に回って当代の染五郎に松王丸を継承するつもりだったようだが、27日の松本流の舞踊会での染五郎の事故による休演で先送りになってしまった。

このところ、勘三郎の病気療養などもあって歌舞伎界が寂しくなっていたので、かなりショックなことだ。染五郎の怪我が重くないこと、早く元気になっていただいて、高麗屋の芸だけでなく、叔父からの播磨屋の芸の継承もなるべく早くできるようになることを祈っている。
 

12/08/19 カメ企画その2 市川猿之助×長塚誠志 写真展「市川亀治郎“飛”」で長塚さんのお話を聞く

2012-08-26 15:54:11 | 観劇

8/19は「大感謝祭!亀治郎の会 さよなら公演」観劇(レポ完結済み)後、ご一緒した3人のカメ企画その2で原宿まで写真展「市川亀治郎“飛”」を観に行った。「亀治郎の会 さよなら公演」に連動し、10年に渡り亀治郎を撮り続けてこられた写真家・長塚誠志氏の展覧会(入場無料)が開催されていたので欲張り行動計画(^^ゞ
地図なしだったが3人寄ればなんとやらで、会場のAudi Forum Tokyoのガラス張りのビルにたどりつき、2階スペースに上がった。

【Audi Forum Tokyo Presents 市川猿之助×長塚誠志 写真展「市川亀治郎“飛”」】
Audiの高級車のショールームだけに、展示された車と写真のパネルが並んでいた。最初に「男の花道」での加賀屋歌右衛門の写真。2010年5月御園座公演の評判がよかったので東京での再演を熱望している演目だ。眼科医の玄碩はぜひとも中車で観たいものだ。


テーマが“飛”だけに、役の扮装のままで飛んでいるところを撮影した写真が多かった。一周したくらいのところでこの展示会のリーフレットが見つかり、挟み込んだA4版にパネル写真の超ミニ版が並んでいて、一つ一つに演目と役名がついていた。そのカタログとパネルを照合しながらゆっくりと鑑賞。


そうしたら他のお客さんにいろいろと説明している一眼レフカメラを提げたおじさんを発見。どうやら長塚誠志氏その人らしい!その説明を一緒に聞かせていただいた。
ここにある写真は広告宣伝用の写真ではなく、舞台から引っ込んできてすぐに舞台裏や楽屋で撮影したものとのこと。「だから汗がそのまま写っているでしょ?」と問われて誰もうなづけない状態(^^ゞ
そこでその写真の前に連れていっていただいてみんなで確認。

「皆さん、写真を眺めるだけじゃなくちゃんと見てね」とのお言葉に、気を引き締める。
「舞台をつとめた後すぐに写真を撮らせてもらえるということは、亀治郎さんと長塚さんとの信頼関係があるからできたことなんですね」とお聞きして、確認させていただいた。いろいろ質問させていただいて、スチール写真ではあるけれど、スタジオで撮影したものではなく、舞台を望遠レンズで撮影した写真とも全く違うということもわかった。
長塚氏:「舞台から引っ込んできてすぐに撮影しているから、どの写真も亀治郎さんの表情じゃないんだよ」
私:「役のままの表情なんですね」
長塚氏:「道成寺の所化ともう一枚は素の亀治郎さんだけどね」

「僕の作品はアートなの。そうじゃないと僕が撮る意味がない。それを広告に使うこともあるけどね」「ここにある作品は、亀治郎さんと長塚さんとの合作なんだよ」とのお言葉もあった。
なるほど~、やはり彼はただの役者の範疇を超えたアーティストなんだなぁと痛感。アーティストどうしで深いところで共感・信頼しあう関係が築かれていて、その中で合作として生み出された作品群を私たちは今見せてもらっているのだなぁと嬉しくなってしまった。

さちぎくさんは「写真集とかを出されるご予定は?」と質問され、「いまちょうど進めていると」のこと。年内くらいに出す予定とおっしゃっていたと思う。
この日も亀治郎の会で撮影し、翌日の千穐楽は終演後、舞台奥から客席のお客さんを入れて亀治郎さんを中心に撮影する予定とのこと。第1回公演(京都造形芸術大学春秋座)の終演後に撮影されて展示されていた写真と同じようにラストの公演も撮影するのだという(笑野さんのブログで千穐楽で撮影したことも記事アップされていた)。その写真も楽しみにしていよう。

大変だったけれど、お誘いいただいて観劇の後こちらまで回ってきて本当によかった。感謝!この記事アップが遅くなってしまい、明日27日(月)までなので恐縮だが、おすすめします!

12/08/19 「大感謝祭!亀治郎の会 さよなら公演」(3)澤瀉屋型「連獅子」を堪能!

2012-08-25 23:59:40 | 観劇

「大感謝祭!亀治郎の会 さよなら公演」のレポはこれでラスト。
(1)「栴檀女道行」ほか
(2)「檜垣」の老女もよかった
○澤瀉十種の内 長唄「連獅子」
狂言師右近 後に親獅子の精=猿之助
狂言師左近 後に仔獅子の精=尾上右近
法華の僧蓮連=亀鶴  浄土の僧遍念=門之助

澤瀉屋型「連獅子」は初見。ご一緒したさちぎくさんによると亀治郎時代に三代目猿之助の親獅子と踊った舞台が本当に素晴らしかったとのこと。本人も伯父ともう一度踊りたいと言っていたということだが、それはもうかなわないこと。自分が親獅子側に回って今回のように若手と踊ってくれればいいし、将来的には團子と踊ってくれるのを私も観たいと思う。そして澤瀉屋型は動きが派手で運動量が多いという亀治郎の話を何かで読んでいたので、今公演の一番の楽しみの演目だ。

狂言師右近と左近が登場するとまずは衣装をチェック。小袖は地味な感じだったが、手持ちの獅子のたてがみ部分の布の綺麗な緑色で揃えているのが珍しい。
尾上右近も若手の中では踊り達者ということで、猿之助の胸を借りて一生懸命踊れるのが誇らしそうに見える。猿之助の方は右近を余裕たっぷりに気遣っている表情だった。そして進行につれて狂言師の右近と左近というよりも親獅子と仔獅子にどんどん見えてくる。
獅子は我が子を千尋の谷に突き落とし、自力で這い上がってきた子だけを育てるという伝説に基づいているわけだが、突き落とされる仔獅子がごろごろと転がるのが澤瀉屋型というのも聞いていた。右近が横になって舞台上手に転がっていくだけでなく、猿之助もそれに合わせて蹴る所作を繰り返す。まさに獅子だけに「蹴転がし」、そのタイミングがバッチリあっているのに感心至極。

仔獅子は谷底から這い上がるのに疲れて途中でまどろむが、親獅子からはその様子に「あら育てつる甲斐なきや」と落胆する。その心情が芝居としてしっかりと感じられ、その親の姿に勇み立って勇躍する少年仔獅子の健気さに泣かされたのは富十郎一周忌追善の吉右衛門と鷹之資の「連獅子」だった(感想未アップにつき恐縮m(_ _)m)。
今回の猿之助からも親が子を育てる思いの深さが感じられ、双眼鏡で目の辺りから何かが飛び散ったように見えたが、あれは汗だったか?!右近の仔獅子は親の思いに立派に応える青年獅子という感じ。

試練を仔獅子が乗り越えて戻った嬉しさいっぱいに親子の獅子が連れ舞うところに差し金の胡蝶が戯れ飛ぶ。獅子のお腹に巣食う虫の特効薬が牡丹の露で、牡丹には蝶が群れ飛ぶというお定まりがあり、それで胡蝶が飛ぶわけだ。その胡蝶の姿に猿之助の獅子が我を忘れてじゃれついてしまう様子に驚いた。猫じゃらしに堪らずじゃれつく猫や、鼓の音に我を忘れてうっとりする源九郎狐のような「けもの」の本能的な獣性を表現していて可愛い!

その胡蝶に誘われて親子の獅子の心で花道を引っ込んでいくのを花横で見られた嬉しさよ!!

亀鶴と門之助による二人の僧の間狂言の途中で、ついに意識が飛んでしまう。やはり舞踊3本立ては私の集中力の限界を超えるということか(^^ゞ
後シテの獅子の拵えで猿之助と右近が花道から登場すると再びテンションアップ。右近の仔獅子の精は前を向いたまま花道をいったん引っ込んでいく。花横で見ることができる機会を堪能。
舞台中央には、石橋を表すように2つの台とその上にもう1台を重ね連ねられた。先に猿之助の親獅子の精が上手の方から両足を揃えて飛び上がっていく。花道にいる仔獅子の精は片足を上げて待ち、親獅子の精が飛び上がって着地するタイミングに合わせて足を下ろす。それを2回繰り返して最上段に親獅子が上がるという演出は見事なものだ。

仔獅子の精も舞台に揃い、赤と白の毛振りの場面。通常の型では移動中は揺らすだけなのだが、澤瀉屋型は早くも旋回させながらの移動になるようで驚いた。

きちんと腰を使って全身をしならせての毛振りは見ていて美しい。猿之助と右近の二人ともが見事だった。猿之助の方が位置を定めて本格的に回し始めてからカウントしたが、78~80回という感じだったと思う。途中でスピードを上げて小気味のいい毛振りだった。
最後は猿之助が台の上で、右近がその下で二段に極まっての幕!
そして大劇場に沸き立つ拍手の中でその幕は再び上がってカーテンコールになった。観客は総立ちになりスタンディングオベーションに両の手を開いて掲げて応える猿之助。10年間の積み上げに区切りをつける「亀治郎の会 さよなら公演」にふさわしく、立派な座頭になったという自負のあふれる堂々とした姿に胸が熱くなった。テンションアップ、テンションアップ。
やっぱり最近の私はカメLOVEが昂じていると自覚。なんとしても今日中にどこかの本屋で『僕は亀治郎でした。』を見つけて買うぞ~と決意が固まる(オイオイ・・・・・・)。

実は観劇後は、さちぎくさんのお誘いで3人で写真展「市川亀治郎“飛”」もハシゴをして観に行くというカメカメ企画の日にしている。そちらも続けて書く予定。『僕は亀治郎でした。』は本屋を巡るが在庫なしの店ばかり。ようやく5カ所目の新宿ルミネ1ブックファーストにてGET!

冒頭の写真は、今回の公演に合わせてロビーで配布されたNHKの番組宣伝チラシ。表には8/23夜のNHK総合のドキュメンタリー「新・猿之助誕生」をカラーで、裏には文字だけだったが9/9のEテレの襲名披露公演録画のオンエアのお知らせがあった。次の幕間に行ったらもう白黒コピーに置き換わっていた。とにかくなんでもすぐにはけてしまうのにびっくりのさよなら公演だった。

12/08/19 「大感謝祭!亀治郎の会 さよなら公演」(2)「檜垣」の老女もよかった

2012-08-23 23:59:18 | 観劇
「大感謝祭!亀治郎の会 さよなら公演」(1)「栴檀女道行」ほかについては先にアップ。

○澤瀉十種の内 清元「檜垣(ひがき)」藤原道山 特別参加
関守の檜垣の老女 実は老女の亡魂=猿之助
四位の少将=門之助 小野小町=笑野
初見なので、ストーリーをネット検索して関係のありそうなページを調べて推測してみた。
Wikipediaの「檜垣嫗」=平安時代中期の女性歌人だがその正体は詳らかでないという。
コトバンクの「四位の少将とは」=小野小町と共に出てくるということは深草少将で決まり!
ということで、檜垣嫗に水を汲むように頼んだのが深草少将で、亡くなった後も少将に執心して姿を現し、小野小町をいじめるというストーリーで創作した作品だと推測。
小野小町に抜擢された笑野は藤間紫の「檜垣」でも小町をしているとのこと。綺麗で可憐でよかった。今年の稚魚の会ではA班の「太十」の十次郎を演じるようで楽しみだ。

「黒塚」の老女とまた違って、老いらくの恋の妄執ぶりがけっこうストレートに出ている。少将に積極的にしなだれかかのだが、顔の造作が大きい門之助が本当に嫌がる表情に笑えてしまう。自分がいるのだからお前は去れと小町を追いやり、笑野が困り果てる様も可笑しい。檜垣という名にちなんでか、宮中の女が持つような檜の扇の所作がある。

やがて現身ではなく亡霊と気づかれると髑髏で小町に打ちかかるなど凶暴化する。しかしながらあくまでも亡霊であり、通力を発揮して暴れるまではいかない。小町の母の形見の持仏の厨子を開いて黄金の尊像をさしかけるだけで、へなへなと力を失ってしまう。
ふらふらと花道の方に彷徨し、後見が扇を交換したと思ったら、スッポンでの引っ込みで頭の上にかざした扇がバラバラになって残るという演出がラストを印象深くした。花道の外側の脇ブロックの席で観ていたのが、すぐにスタッフが回収に来て花横の方も一本いただき~はできなかった模様(笑)

「黒塚」のような派手さはないが、わかりやすかったし楽しめてよかった。ご一緒したさちぎくさんによると、個人の会で舞踊3本立てを「義太夫」「清元」「長唄」と全部変えるのはそれぞれの演奏家をお願いしないといけないので大変なことなのだとか!延寿太夫は次の「連獅子」で共演の尾上右近の父であり、父子で今回の「亀治郎の会」に共演しているということに、意義深さを感じてしまった。

「連獅子」については、(3)で書くことにする。

12/08/19 「大感謝祭!亀治郎の会 さよなら公演」(1)満員御礼と筋書完売!(追記あり)

2012-08-23 00:59:57 | 観劇

当日の朝またまたやってしまった。先の「黒塚」の記事アップをしていたら、時間感覚が飛んでしまい、家を出るのが遅くなってしまって最初の演目に20分遅刻してしまった。その自業自得もあるだろうが、最初の幕間に筋書を買いに行ったら、完売となっていて増刷決定とのことで予約受付をするという!(ご一緒したけろちゃんさんは開演前にしっかりGETされていた)。玉三郎の「鬼揃紅葉狩」が出た歌舞伎座の筋書を千穐楽夜の部で完売の憂き目にあったことを思い出す。し、しかし翌20日まで公演があるのに凄すぎる~。
もうお一人のさちぎくさんが開演前に買われた8/3発売のフォトブック『祝! 四代目市川猿之助襲名記念 僕は、亀治郎でした。』(今公演限定の特製ポストカード付)を買って帰ることにしてそちらに回ったが、なんとそちらも完売!!

過去の「亀治郎の会」の筋書も直筆サイン入りで販売していて、「かめじろう」「えんのすけ」と両方が並んでいた。在庫一掃的勢いだった。さらに、「亀博」や襲名披露公演で売っていた写真立てに入った舞台写真に直筆サインが入った大小2枚組セット(5万円とかのお値段の高いもの)も終演時には数少なくなっていて、国立大劇場を満員御礼にし、想定を上回って筋書や本が売れているのを目の当たりにして、ファンの増加の勢いや贔屓度がさらにヒートアップしていることをひしひしと感じてしまった。
冒頭の写真は今公演のチラシが受付の台に貼り付けられているのを撮影したもの。置いてあったチラシもすっかりなくなってしまい、筋書もチラシも手元にない状態でブログを書かなければならなくなってしまった(^^ゞ

【大感謝祭!亀治郎の会 さよなら公演】
「歌舞伎美人」より「大感謝祭!亀治郎の会 さよなら公演」のお知らせ記事
○義太夫「栴檀女道行(せんだんじょみちゆき)」原作:近松門左衛門、作:市川猿翁
和藤内の妻小睦=亀治郎
栴檀皇女=米吉 侍大将安大人=亀鶴
ネット検索でみつけた「市川笑野後援会ブログ」で市川笑野舞踊会で上演した時の記事はこちら(笑野は次の「檜垣」の小野小町)
2010年11月に国立劇場で「国性爺合戦」の通し上演を観た(團十郎が和藤内、藤十郎が錦祥女)。その時の亀鶴の栴檀皇女が実に綺麗だったのを思い出す。栴檀皇女が、大明国滅亡の危機を日本にいる家臣に知らせ、その家臣夫婦と子の和藤内が明朝復活のために大活躍。和藤内の妻小睦も夫を助けようと栴檀皇女とともに大明国に渡るので「道行」。その二人がいる舞台へ侍大将安大人が家来とともに花道から登場する前に間に合った。それからの立ち回りは、小睦が夢に見た和藤内の合戦の模様を語るところらしい。

「国性爺合戦」でも明国の兵は「シャー」と言いながら打ちかかっていたし、和藤内が従えた兵たちの総髪の月代を剃り落とさせる場面も思い出した。カッコいい亀鶴の安大人が青い月代姿にされた姿が実に笑わせる。栴檀皇女の米吉はふっくらとして可愛かった(父の歌六が澤瀉屋公演に長く出演していた関係からの出演だろう)。
小睦は男装をしていて、弁天小僧のような鬘で肩脱ぎになって戦う。立ち回り中の亀ちゃんは明兵たちの情けない姿に気味がいいと笑う表情の表情も余裕たっぷりに見える。
特に最後の花道の引っ込みが面白かった。小睦は男装の女丈夫で立ち回りの後なので、本格的な六法を踏みかかる。途中で気がついて恥じ入る様子が可愛い。こういう表情の豊かさも贔屓には堪らない。最後は女らしくしゃなりしゃなりと引っ込んでいくのだ。(引っ込み部分を追記)

途中からだったけれど十二分に楽しめた。
以下、(2)に続く。
さて、今日23日は19:30からNHKの特番「ドキュメンタリー 新・猿之助誕生」なので、録画予約して出かけます!

(9/3追記)
竹本葵太夫の「萬覚帳」の「亀治郎の会 大団円」の記事に「栴檀女道行」のご苦労への言及があり、文楽座との関係等もよくわかった。8/19はNHKの録画も入っていたので、どこかでオンエアがあると思うのであらためてしっかりと見せていただこうと、決意を固めた次第。

12/07/28 澤瀉屋の襲名披露公演前楽夜の部(3)「黒塚」は期待に違わず!(補訂あり)

2012-08-19 23:59:02 | 観劇

新猿之助が大好きな「黒塚」を襲名披露演目にしたということで、七月大歌舞伎の一番の楽しみに観た。三代目の「黒塚」は観ていないが、2010年1月に右近が岩手をつとめた舞台を観て記事アップしている。
【猿翁十種の内 黒塚】長唄囃子連中
あらすじと今回の配役を公式サイトより引用。
「芒の生い茂る奥州安達原。諸国を行脚する阿闍梨祐慶ら一行は、岩手という老女に一夜の宿を求めます。生きる望みを失っていた岩手ですが、祐慶の言葉に救われ、一行に閨の内を見てはならないと固く禁じて、山へ薪を取りに行きます。しかし、祐慶の供をする強力が閨を覗き見て、岩手が実は安達原の鬼女であることが知れます。裏切られたことを知った岩手は、鬼女の本性を顕し...。
 昭和14年に二代目猿之助(初代猿翁)が初演し、後に猿翁十種のひとつとなった人気の高い舞踊劇。猿之助が初役で勤める老女岩手実は安達原鬼女にご期待下さい。」
老女岩手実は安達原鬼女=亀治郎改め猿之助
阿闍梨祐慶=團十郎 強力太郎吾=猿弥
山伏大和坊=門之助 山伏讃岐坊=右近

「黒塚」は舞台装置がまずいい。安達原の一つ家も能の作り物のような小さな藁屋の造作で、後半の鬼女と化した岩手が潜む小塚の作り物と対照をなしていると思えた。(創作能「紅天女」の記事の写真で後ろに見えるのが作り物)
その一つ家に向かって阿闍梨祐慶たちが一夜の宿を求めると、簾が上がって新猿之助の老女岩手が姿を現す。問答の中で宿を貸すことになり、祐慶が目をとめた糸車を回して見せながら糸繰り歌に乗せて観の上を語る。低い音程で歌うのも切々として胸に響く。

観劇仲間のさちぎくさんの長唄の先生の東音(東京音楽学校、今の芸大出身者の会とのこと)の西垣和彦さんがこの日は出演されていて、いいお声が聞こえた。右列席からはお姿が見えなかったが、7月にお誘いいただいた「如葉会」の演奏会でしっかりお声を聴いているのですぐにわかった。長唄も琴も混じる曲のため特に高い音程なのだそうで大変なのだそうだ。そして聞き取る私の能力も低いので、新猿之助が大好きだというこの曲の歌詞が聞きとれないのでじれったくて仕方がない(なんとか詞章を手に入れたいものだ)。仕方がないと割り切ってBGMとして聞き、神経は観る方に集中する。

私はけっこう衣装のデザインが気になる方で、双眼鏡で頑張ってよくチェックする。今回のグレーの地に落ち着いた色々の刺繍の着物が美しかった。水草の澤瀉のデザインも入っていたと思う。
第二景の芒の原の装置も素敵で、傾斜のある中を下手上方から芒をかきわけて老女岩手が舞台中央に降りてきて、薪を下ろして月の光の中で祐慶の言葉を噛みしめる。罪多い自分でも救われるという希望に満たされて童心に帰ったように身体から喜びがあふれて跳ねる。上手上方に大きな三日月が空にかかり、月光による自分の影と遊ぶようでもあり、3階席からは照明にくっきりと浮かび上がる影と戯れる新猿之助の姿がよく見えて嬉しかった。(舞台写真は自分の影と遊ぶ姿を上方から撮ったものをしっかりGET!)

強力太郎吾の配役発表が遅かったのは、段四郎での検討がされていたからと聞いたが、猿弥でよかったと思う。岩手に覗くなと禁じられた閨を覗いて本性をいち早く知り、我先に逃げ出した太郎吾は強力(荷物持ちということなのだが(^^ゞ)とは正反対の弱腰男。帰宅前の岩手と遭遇して腰を抜かして事の次第を見抜かれ、ほうほうの態で花道を逃げていくが、逃げる所作が難しい。この作品は初代猿翁がロシア公演で見聞きして取り入れたロシアンダンスの影響が随所にみられるというが、花道での所作はまるでコサックダンスのような座った姿勢で足を交互に前に繰り出すような動きもあり、踊りのうまい役者が元気でないと無理だろう。そういえば、前回は猿弥の予定が休演で代役を寿猿がつとめていたのだった。

怒りを爆発させた岩手は鬼女に変化し、能ものの物の怪よろしく舞台中央の小塚に潜んでいる。作り物風の小塚が二つに割れて鬼女として登場。後シテは白塗りの顔に隈取をすることが多いが、顔の下半分は砥の粉の赤っぽい肌色になっている。これは安達原鬼女=鬼婆だから人を食っているという本性を表しているらしい。

門之助、右近の山伏大和坊を従えた祐慶に調伏される立ち回りをするが、その上で花道での仏倒れをするのが右列からだと脇からよく見えたが、身体がしなやかで綺麗で迫力があった。その後は反撃する力も失せ、小塚のあった場所に戻って徐々に弱って力尽きる。
その後の祐慶たちの合掌する姿は、現世では生き直せなかった岩手の魂を成仏させているように思え、哀れな岩手に御仏の救いあれという余韻を噛みしめた。
新猿之助の岩手はもっと磨かれていくだろう。それを見守っていきたいものだ。

冒頭の写真は演舞場の入り口の絵看板。先月は「ヤマトタケル」の昇天の絵があったところに「黒塚」があった。
7/28澤瀉屋の襲名披露公演前楽夜の部
(1)「将軍江戸を去る」「楼門五三桐」
(2)少人数だが饒舌だった「口上」

12/07/28 澤瀉屋の襲名披露公演前楽夜の部(2)少人数だが饒舌だった「口上」

2012-08-19 01:14:00 | 観劇

【二代目市川猿翁 四代目市川猿之助 九代目市川中車襲名披露 五代目市川團子初舞台 口上】
六月の澤瀉屋一門勢揃いの口上に比べ、七月の口上は5人と少人数だったが内容は濃かった。
冒頭は新橋演舞場の入り口に掲げられた襲名披露の4人の口上姿の写真看板だが、猿翁は登場せず、市川宗家の團十郎、海老蔵で5人。猿翁は同じ夜の部に襲名披露演目の「楼門五三桐」があるのでこちらに出なくてもよいようになっている。

口上の口火を切るお役をなんというのかと思っていたら、渡辺保氏の劇評に「引き合わせ」とあった。ネット検索してさらに調べたら、襲名する者を観客に引き合わせる役目ということからきているらしい。六月の引き合わせは藤十郎、七月は團十郎ということになる。上方と江戸の歌舞伎役者の二大名跡にお願いしたわけだ。これはさすがなのである。

一番印象に残ったのは、新猿之助の口上で先祖は毛利藩の蒔絵師で身上をつぶして役者になったということだった。そのDNAで新猿之助は書画ともに能筆なんだと思い当った。そして喜熨斗亀治郎の代に九代目團十郎に引き立ててもらったというくだりで、今回も当代團十郎の引立てが大きかったということにつなげているのかと感心した。

そこを確認したくて「猿之助 先祖 蒔絵師」でネット検索したところ、SwingingFujisanさんが初日の口上の内容を詳しくアップしてくださっている記事がすぐに見つかった。前楽のこの日も大体似たような内容だった。

とにかく、團十郎は饒舌に澤瀉屋の代々との関係を語り、團子ちゃんも娘ぼたんのところに弟子入りしてお稽古を積んできたので、今回の襲名は他人事とは思えないと熱く語っていた。
これは中車が息子を日本舞踊を市川宗家に習わせているという話が早くから聞こえていたので、知らない話ではなかったが、ここまで入れ込んでもらえるようになっていたというのはものすごいことだ。新猿之助、中車ともに実に人脈づくりがうまいとつくづく感心した。

海老蔵も妹思いの兄であるらしいし、その妹に弟子入りした團子ちゃんも可愛がってくれるだろう。香川照之と映画(海老蔵主演の「出口のない海」)で共演した時に、彼から歌舞伎界への想いを聞いていたということで、それを実現させるために力を貸してくれたのではないかと思われる。
市川宗家の弟子筋である澤瀉屋が宗家の成田屋とうまく組んでいけば、歌舞伎界の中でバラバラでいるよりもよい座組みで公演ができるというものだ。
ロンドンやパリ公演での共演も、三代目猿之助から早くに「四の切」「伊達の十役」を継承していたこともここにつながってきている。

とくに團十郎が熱く饒舌に語り、そのハイテンションの中で5人がしゃべる口上は熱が入り、予定時間より10分以上伸びていたようで、上演時間の予定表とかなりずれた進行になっていて驚いた。
けれども、これからも成田屋、澤瀉屋が組んだ面白い舞台が観られることが期待できると思えた口上だった。

7/28澤瀉屋の襲名披露公演前楽夜の部(1)「将軍江戸を去る」「楼門五三桐」

12/07/28 澤瀉屋の襲名披露公演前楽夜の部(1)「将軍江戸を去る」「楼門五三桐」

2012-08-18 23:49:03 | 観劇

明日は「大感謝祭!亀治郎の会 さよなら公演」昼の部観劇予定。そして今は「NHK第44回思い出のメロディー」で亀ちゃん=やっぱりまだカメちゃんとしか呼べない(笑)が楽しそうに司会をしているのを私も楽しんでいる。
澤瀉屋の襲名披露公演の七月大歌舞伎前楽夜の部の感想を続けて書いてみよう。まずは四代目猿之助の出ていない演目2本から!

【将軍江戸を去る】作:真山青果 演出:真山美保、織田紘二
「将軍江戸を去る」は2010年10月の吉右衛門主演の国立劇場公演の記事をアップしているが、今回は「江戸薩摩屋敷」はなし。
今回の配役は以下の通り。
徳川慶喜=團十郎 山岡鉄太郎=中車
間宮金八郎=猿弥 吉崎角之助=月乃助
天野八郎=右近  高橋伊勢守=海老蔵

第一幕 江戸薩摩屋敷
第一場の「上野の彰義隊」の場面。上野寛永寺の大慈院に慶喜が蟄居しているのを彰義隊が守っている。猿弥、月乃助、右近が揃って徳川将軍家への忠義一筋の彰義隊を演じる芝居が実によかった。単に思慮の浅い血気にはやった若者という以上の深い心情が滲み出ていた。特に右近の天野は百姓出身でありながら将軍家への忠義心篤くリーダーになっている男ということで新撰組の土方も彷彿とさせた。将軍の名誉のために命を投げ出す覚悟の男たちの群像を描き出すこの場面の芝居だけでこれだけ引きつけられたのは初めてだ。

その思いの対象となる徳川慶喜の團十郎がよかった。尊皇の水戸家出身ながら最後の将軍となり、大政奉還したというのに薩長に朝敵呼ばわりされる屈辱に身をもむ苦悩が舞台いっぱいに広がった。台詞は調子に乗ってうたってしまってるなぁというところがあったが、それもまぁ気にならないくらいの大きな存在感に惚れ惚れした。

側近の伊勢守を海老蔵が抑えた演技で好演。自分が不在の折に大慈院を訪れた主戦派に心を動かされてしまった慶喜。その翻意を必死に促しても届かない苦悩が滲むようで見直した。

その慶喜の心を動かす鉄太郎の中車の芝居がまたよい。大きな團十郎の胸を借りてどーんとぶつかっていく感じで、襲名披露公演にふさわしい。歌舞伎の公演は25日間の長丁場ということで、映像中心でやってきた中車の喉はまだまだ鍛えないといけないという感じのつぶれ方をしていたが、豊かな感情あふれる台詞がいい。
水戸様の尊皇は幽霊尊皇だという鉄太郎の命をかけた諫言に挑発され、大刀を手にした慶喜との対峙の場面も気迫がぶつかりあう芝居になって息がつまるようだった。薩長に対する怒りにとらわれた慶喜に、光圀以来の水戸家の尊皇は太平の世のものであり今の時局の中でとるべき真の勤皇をとるべきだと、涙ながらに語る鉄太郎の長台詞も聞きごたえたっぷり。中車の持ち役になるだろうことを確信。

千住の大橋で将軍が江戸を去る場を見送ろうとする人々にも澤瀉屋の一門の役者が揃う。走り出た鉄太郎に慶喜が「勤皇の大義は決して忘れぬ」と声をかけて泣かせる。将軍が江戸を去ることで徳川の時代が終る。その決意をした男とさせた男のドラマを堪能!

【楼門五三桐】
今回は猿之助改め猿翁の襲名披露演目ということで、石川耕士の補綴が入って一門が揃う筋立てとなった。冒頭に真柴久吉の臣下ということで彌十郎、門之助、右近、猿弥、月乃助、弘太郎が花道に登場。主の五右衛門探索という台詞が入る。
そこで浅葱幕が落とされるとお馴染みの南禅寺の山門。楼上の中央にどっかりと海老蔵の五右衛門が構えている。ここで五右衛門の「絶景かな絶景かな~」の名台詞なのだが、高橋伊勢守の時と打って変わって台詞がひどい。ご本人は気分よく調子に乗っているつもりだが、聞いている方はずっこける。七代目幸四郎も台詞はうまくなかったというので、そのDNAが今の成田屋父子には強く受け継がれてしまったのだろうと思うが、時代物は様式を踏まえた台詞が命だ。変な我流でよしとしないようにお願いしたい。

せり上がって真柴久吉の猿之助改め猿翁の登場。「石川や浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種はつきまじ」もしっかり聞こえた。五右衛門の小柄を柄杓で受けとめて「巡礼にご報謝」も極まった。
ここで左枝利家の段四郎と先ほどの6人、侍女3人=笑也、笑三郎、春猿が登場し、一門が揃って絵面に極まる。

一度幕が閉まってもここはカーテンコールがあるとわかっているので、客席は当然の大拍手。幕が上がるとスーパー歌舞伎風にカーテンコールだ。三代目猿之助の芸の一部を継承している海老蔵も出てきてがっちり握手する。
「歌舞伎美人」の記事やブロガーさんたちの初日レポで明らかになっている、黒衣が頭巾をとって中車も揃う。初日には明らかに黒衣が動かしていたという腕もこの日はご自分で動かしていたように見えた。役者には舞台が一番のクスリということがわかる。
この舞台の写真が『演劇界』8月号の表紙を飾っていて胸を打たれた。

しかしながら、もうひとつ違和感がどうしても残った。山門の上の五右衛門が大股を開いて白い下がり(褌)が丸見えなのはどうにも品がない。自宅で過去の筋書の舞台写真をチェックしたら、衣装は2通りあって、三代目猿之助の五右衛門は馬簾つきの派手な衣装。吉右衛門の五右衛門は今回の海老蔵と同様のシンプルな衣装だったが、違いは足元に置かれた赤い大きな煙草盆だった。それが下がりの前にあるので剥き出しになっていないのだった。演出が違うということもあるのだろうが、ここはもう少し見栄えを工夫してもらいたいものだ。
              
冒頭の写真は公演のチラシ画像より。

12/08/11 江の島散策(3)稚児ヶ淵と岩屋まで踏破!

2012-08-17 23:59:50 | おでかけ、旅行

奥津宮の拝殿天井に描かれた「八方睨みの亀」も観た。龍神信仰とも習合して、竜宮のイメージから弁天のお使いは「亀」とされることもあるようだ。(2)に続いてのご紹介になるサイトの「亀~カメ(4)弁天の亀」にも紹介されている。今年はどうも「亀」に深い縁があると苦笑(^^ゞ

そこからどんどん行くと、江の島を遠くから見て目立つ展望灯台もあったが、そこはスルー。島の奥側にある稚児ヶ淵まで行ってしまって大丈夫なのかと危惧しつつ、一行6人は勢いづいて歩いていく。稚児ヶ淵の近くには、波の浸食でできた天然の岩屋もあるらしいので、そこもついでに行ってしまえ!

冒頭の写真が稚児ヶ淵の岩棚。江の島は隆起が繰り返したことででき、今のような岩棚ができたのは関東大震災の時とのこと。名前の由来の稚児の白菊が投身した頃にはもっと違った眺めだったのだろう。
「悠歩悠遊」さんの「稚児が淵」「江の島岩屋」の紹介ページ
建長寺の自休と相承院の稚児白菊の場合は、歌舞伎の「桜姫東文章」の清玄と白菊のような両想いの心中ではなかったらしい。

岩棚に降りている親子連れやカップルも見かけたが、ちょっと余裕なしということで、「岩屋」へ直行。入洞するには500円かかるが、せっかくここまで来たのだからしっかり入ってきた。中には行燈のような電灯がかなりの本数で立っていたが、入り口で一人一人に手燭を持たせてくれるので、奥の方の暗いところも自分で気のすむように照らせるのがちょっと嬉しい。
江の島信仰発祥の地ということで、見学というよりも参拝ということになるのだろうし、そういう雰囲気が出てよい。

藤沢市観光協会のサイト「藤沢市・湘南江の島」の「江の島岩屋」のコーナーはこちら
第一岩屋と第二岩屋があり、中に入っていくにつれて湿った空気がひんやりとして心地良くなる。古くから外から持ち込まれた石像が各所にあったり、所縁の絵や写真などのパネル等もあり、飽きさせないようになっている。江の島の弁天信仰の発祥地とされる場所には石の祠もあった。弘法大師や日蓮上人というような高僧や武士などが参籠した時のことが伝説に残っている。

中でも私の印象に残ったのは、北条氏の家紋「三つ鱗」の由来の説明。北条時政が江の島岩屋に参籠し、満願の日に緋の袴をはいた女房が現われて北条氏興隆の神託を告げ、その後龍の姿になって姿を消した。その後に残された3枚の鱗を持ち帰って家紋としたという。そして江島神社の神紋にも「三つ鱗」が使われている。なるほど、散策の各所でみかけたわけだ!
「okadoのブログ」さんの「北条時政の竜神伝説」の記事が詳しい。

下の写真は、岩屋側から海を見たところ。ここにベンチが置いてあって眺めを見ながら一休みできる。

岩本院でスイーツを楽しむには午後5時までに戻らなくてはならない。この岩屋の休憩ポイントで4時20分くらいだったので、戻りはかなり急いだ。途中にいかにも休憩したくなるようなお店がたくさんあり、お誘いのお声もたくさんかかったが、「岩本院」「岩本院」と言い続けて我慢、我慢。

もとの3社を通る道ではなく、海が見える下り道を急ぎ、賑やかな参道に戻ってくると、ベタなお土産屋さんに娘がひっかかる。「とにかく岩本院が5時までだから急いでるの」と一蹴して駆けつけて、5時ジャストくらいに到着。・・・・・・無情にもカフェタイムの看板は引っ込められていた(T-T)

それからお土産屋さんのぞきを解禁したら、「江ノ電サブレ」と「しらすせんべい」を買わされた(^^ゞ
スイーツのお店に何か所かトライしたが、生演奏が煩かったり、閉店が6時ですからとやんわりと断られ、スイーツ難民と化して江ノ電で鎌倉へ。
鎌倉では7時閉店といくつかの店に断られ続け、結局は駅前の不二家レストランになった。しっかり夕食とスイーツとコーヒーお替り自由でおしゃべりしつくしたことは言うまでもない。

稚児ヶ淵までの遊覧船と岩本院のカフェはリベンジ企画を待とう。春くらいがいいかなぁ。幹事様、よろしく!!
(1)小田急片瀬江ノ島駅、しらす丼、帰りは江ノ電
(2)江島神社の三女神と弁天像2体