道元ものと言えば、ヤフオクで絶版本をGETして読んだ上で観たのに感想がなんともまとまらず感想未アップの
「道元の冒険」。
昨年の平成中村座近くに特設の「浅草奥山風景」の中村屋の店でチラシを手に入れて楽しみにしていた勘太郎主演の映画「禅 ZEN」でリベンジをはかる。
cinemacafe.netの「禅 ZEN」のページはこちら
以下、そのページよりあらすじを引用。
「750年前の乱世の鎌倉時代。困窮する人々や戦で滅ぼされた怨霊におびえる時の権力者の苦悩を、自らも一つになって受け止めていった孤高の人、道元禅師。既成仏教に疑問を抱き、大宋国にわたって正師と真実の教えに巡り合った道元は、日本に戻り、様々な出会いと別れの中で、時の権力に心の太刀で立ち向かい、万人を救済する真の教えを説いていく…。道元禅師の清冽な生涯を通して描く感動の歴史ロマン。原作は、大谷哲夫の『永平の風 道元の生涯』。」
【スタッフ】
原作・製作総指揮:大谷哲夫 監督・脚本:高橋伴明
音楽:宇崎竜童/中西長谷雄
【キャスト】
道元=中村勘太郎、母・伊子=高橋惠子、北条時頼=藤原竜也、波多野義重=勝村政信、源公暁/寂円=テイ龍進、懐奘=村上淳、義介=安居剣一郎、俊了=高良健吾、老典座=笹野高史、如浄=鄭天庸、浙翁=西村雅彦、おりん=内田有紀、おりんの夫=哀川翔、比叡山の僧兵・公仁=菅田俊、他
8歳の時に死に臨む母が道元に人が逃れられない苦しみから抜ける道を見つけて欲しいと頼む場面から道元の求道の一生が始まる。その母・伊子に高橋惠子という贅沢なキャスティングだが、監督のオツレアイだし納得。道元の子役も勘太郎と目のあたりがよく似ていた。
宋の国に渡って出会う中国の僧たちとの中国語会話の場面に感心した。如浄役は中国人俳優だし、寂円役は日中英のトリリンガルということで、勘太郎は本格的に中国語会話を勉強したそうだ。
正師・如浄と巡りあうきっかけをつくった老典座の笹野高史がいい味を出している。道元は源公暁と幼馴染で寂円が瓜二つという設定は実話かどうか知らないが、テイ龍進が地味ではあるがなかなかの存在感を出していた(その寂円が如浄の死後に道元に師事するために日本にやってきたのは史実)。
如浄の元で大悟する場面のCGは笑えてしまうし、その意味がよくわからなかったが、その辺は見ていくうちにわかってくるから大丈夫。
日本に戻って禅の道場を開くが、叡山の僧兵たちが自分たちを否定する道元たちを根こそぎにしようと建仁寺も京都の母方の所領の地に開いた寺も次々に襲撃。
道元に帰依した六波羅探題の波多野義重の所領の越前に後の永平寺になる道場を開くことになるのだ。ここでもなぁるほどと納得。波多野役の勝村政信の隻眼姿がカッコよかった。
その波多野の頼みで執権・北条時頼が滅ぼした政敵たちの怨霊の幻に苦しんでいるのを救って欲しいと頼まれる。懐奘に嗣書を与えて後継指名。生きて帰れない覚悟を固めて鎌倉に赴く。寂円の方がともに如浄の弟子だったのにと思うが、日本においてはやはり日本人の弟子が継がないと続いていかないと判断したのかと思った。「正法眼蔵隋聞記」の筆録も懐奘だしと納得。
藤原竜也は狂気にとらわれた若き執権を大熱演。首と一緒に飛び回る胡蝶たちは死んだ人間の魂の象徴(昨年の前進座の「累~」で知った)。そのCGはまぁ許容範囲(^^ゞ教え諭しながら狂気の刃の下で座禅を組む道元と寂円の姿に時頼も座禅を始め、帰依する。救われた感謝のために大寺院を建立するので開祖になって欲しいという時頼の鎌倉在留要請を断り、道元は永平寺に戻る。藤原竜也はその辺りの一回り大きな人間になった人物を感じさせてはくれなかった。ま、友情出演だしこんなもんでもいいか(笑)
実際に時頼に菩薩戒を授けて6年後、道元は座禅中に入滅。弟子たちは涙をこらえて座禅を続ける。
一方、実在していないおりんとのエピソード。内田有紀が大熱演で見直した。足が悪いと働かずにおりんに身体を売らせるヒモの夫を哀川翔がハマリ役でみせる。小さい頃に命を救ってくれた道元に再会し、自暴自棄の生き方から道元の人柄と教えに生きる力を徐々に得て、ついに夫から自由になる女の生き様を逞しく見せてくれた。尼僧になって子どもたちを導いて暮らしていく。強い意志を漲らせたり、温かく子どもを見つめる大きな眼が魅力的だ。
そのおりんを愛してしまい、典座の修行を続けられなくなる俊了も哀れ。在野で病人の世話をするという生き方で更正しているので安心した。
人は自らのうちに仏(仏性)をもっているのに、いろいろな欲や執着心でそれが見えないのだという。それらをうち払って自らの仏を見出すための修行が座禅ということのようだ。結跏趺坐した上に結ぶ両手の形はその中に仏を入れるための空間なのだという。その形は座禅をする人が一番いいと思う形でいいらしい。
「道元禅」に全く馴染みがない者でもすっと入れる映画になっていたのもよかったと思う。
勘太郎は特に二枚目でもないが、剃髪頭もすがすがしく、眼力も強く、背筋もピンと伸び、しっかり台詞に力がこもり、実に僧として大成していく主人公を立派に演じてくれた。これは見に来た甲斐があったというもの。
ぎりぎりの時間に行ったら後方は一席しかなくてあせったが、なんとか後ろの方で見ることができた。この来客数の多さは恋愛発覚報道や直前のTVの中村屋特番のせいかもしれないと推測。その番組自体は見逃してしまったのが残念。このシネコンでいつも観る映画よりも中高年の観客が多かった。この世代に「禅」への関心が高いからかもしれない
写真は宣伝用の画像より。