ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

06/09/26 秀山祭九月大歌舞伎夜の部③「鬼揃紅葉狩」

2006-09-30 23:58:10 | 観劇
3.「鬼揃紅葉狩(おにぞろいもみじがり)」
舞踊劇「紅葉狩」も今回が初見。今回は鬼揃ということで侍女たちも鬼になって揃うので「鬼揃」と付くという。
あらすじと配役は以下の通り。
信濃路の戸隠山で平維茂が従者とともに紅葉を愛でていると、同様に紅葉狩に来たと思われる身分の高そうな美しい姫と侍女たちの一行に遭遇する。姫は更科の前と名乗って酒宴に誘う。維茂たちは姫の舞いを見るうちに眠りこけてしまう。姫たちは揃って姿を消してしまう。そこに男山八幡の使いの者たちが現れて主従を目覚めさせ、妖かしの者たちを霊験あらたかな刀で封じ込めるように告げる。
姫たちが本性の戸隠山の鬼女たちの姿で現れ、一行に襲いかかり立ち廻りとなる。刀の通力で鬼女たちを押し返して舞台上で絵面引っ張りの見得となって幕。
更科の前 実は戸隠山の鬼女=染五郎  平維茂=信二郎
従者雪郎太=松江  同 月郎吾=種太郎
男山八幡の末社=廣太郎  同=廣松  同=隼人
侍女たち=高麗蔵、吉弥、宗之助、吉之助

舞台も松羽目物のような形だが正面は松と紅葉が描かれていた。右に竹本、左が常盤津がそれぞれに分かれてかけあいになるのもよかった。いつもは姿をみせない右の二階で大薩摩の演奏も加わったりして豪華。振付も勘十郎と相談しながらつくったというし、曲も若手によって新しい工夫が加えられたりしていて、染五郎を中心に若手のエネルギーが爆発したような舞台だった。

染五郎が赤姫の常盤衣姿で花道に現れると客席にはため息がもれる。『夢の仲蔵』初演の劇中劇の道成寺以来の女方姿だが、あらためて美しさに見惚れる。ところが第一声が女方の声が出ずにかすれ声。ニューハーフのお姫様のようだ。五月の演舞場も秀山祭も「染五郎強化月間」的な八面六臂の活躍で、今月もこの「紅葉狩」の二役を入れると五役という大活躍。さすがに朝一番の松王丸からお姫様までは声の幅がもたなかったのだろうなあと思った。あまり頑張りすぎると勘三郎のように女方の時に綺麗な声が出なくなってしまうので大事にして欲しいものである。

前半の姫様一行の場面でも時々鋭い目付きの場面があって姿とのギャップを楽しめる。信二郎・松江・種太郎の主従も凛々しく美しく、高麗蔵以下の侍女たちもきりっと美しい。後に鬼女になるのだから優しい感じにしてはらしくない。
能の演目が下敷になっているらしいが、間狂言にあたる男山八幡の使いの者たちの場面でジュニアたちが頑張っていた。廣太郎くんから初舞台から間もない玉太郎くんまで可愛く頼もしいのである。こういうところが芸の継承の場として見せつけられる。
後半の主従と鬼女たちとの立ち廻りも3人対5人の動かし方が実に美しい動画のよう。明るく華やかに決まって、秀山祭最後の打ち出しとして実に立派だったと思う。
今回が秀山祭のスタート公演。吉右衛門が幸四郎とともにベテラン芸を磨き上げ、若手にその姿を見せていくことこそ播磨屋の芸の継承の姿なのかもしれないと勝手に思いを馳せたのだった。

写真は歌舞伎座正面の秀山祭の名前の入った垂れ幕の画像。
関連の感想記事はこちらですm(_ _)m
9/18秀山祭九月大歌舞伎昼の部①「車引」「業平小町」「文屋」
9/18秀山祭九月大歌舞伎昼の部②「引窓」
9/18秀山祭九月大歌舞伎昼の部③「寺子屋」
9/26秀山祭九月大歌舞伎夜の部①「菊畑」
9/26秀山祭九月大歌舞伎夜の部②「籠釣瓶」

06/09/26 秀山祭九月大歌舞伎夜の部②播磨屋の「籠釣瓶」

2006-09-28 23:59:18 | 観劇
2.『籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)』
「籠釣瓶」は昨年の勘三郎襲名公演で初めて観たが、吉右衛門の次郎左衛門も観たかったので今回一番の楽しみにしていた。
昨年の勘三郎襲名公演「籠釣瓶」の感想はこちら
今回の配役は以下の通り。
佐野次郎左衛門=吉右衛門  八ツ橋=福助 
立花屋長兵衛=幸四郎  立花屋女房おきつ=東蔵
下男治六=歌昇  繁山栄之丞=梅玉
九重=芝雀  七越=高麗蔵  釣鐘権八=芦燕

まずは「八ッ橋の笑み」に注目。うーん、福助の八ッ橋の笑みはとても合格を出すことができない。コワ~イ。これが魅力的にできるようにならないと歌右衛門は遠い。襲名公演の豪華な花魁道中と比べると今回は人数がちょっと寂しい気もしたが、通常の公演はいつも今回くらいかもしれないので贅沢を言わないことにする。

福助の八ッ橋は間夫の梅玉ともども貧しい武家育ちで同じような境遇の中で思い合っている仲という感じがある。美しく情は深いが思慮は深くなく優柔不断。玉三郎の八ッ橋はどうしても思慮深い感じがしてしまう(勝手にイメージをつくっているのかもしれないが)。だから後の場面の芝居は、苦悩する場面などもとてもいい。「暗闇の丑松」の薄幸のお米の芝居を経ているからかもしれない。梅玉の栄之丞は飄々としているが、福助の八ッ橋なら惚れそうな感じがする。バランスがよいのだと思う。
幸四郎・東蔵の立花屋夫婦もどっしりとしていていい。芝雀の九重は地味だが情感がにじみ出ていて味わい深い。高麗蔵の七越、宗之助の初菊はPARCO歌舞伎で注目度が上がっているつぶらなお目目コンビで今回もよし。歌昇の治六もずんぐりむっくりの姿が愛嬌たっぷり。愛想づかしの場面では主人思いの温かい人柄がにじんでいて好感がもてた。

さて、吉右衛門の次郎左衛門はまことに抑制がきいていた。容貌の醜さからとにかく商売一筋で財をなしてはいるもののあくまでも謙虚な人物だったのに、花魁に惚れこんで人生を狂わせる。勘三郎の場合は醜男ではあるが愛嬌があり、八ッ橋も憎からず思っているのではないかという印象が強かった。吉右衛門の場合はとにかく地味で色事に不慣れなため、遊女の表面的な社交辞令的な愛想のよさを自分はそこそこ思われていると勘違いをしてしまう鈍い男。八ッ橋への気遣い、愛想づかしをされてはじめて自分の無粋さ、ひとり勝手に舞い上がっていたことに気づく。その惨めな姿を満座にさらされた絶望感がものすごかった。「おいらん、そりゃああんまり袖なかろうぜ...」からのくだりの哀れさに胸がしめつけられた。そこで殺意が芽ばえた風な表情も一瞬見せるが、気を取り直して帰っていくという感じがした。
最後の殺し場。ネクラっぽいニンの吉右衛門の遺恨を明かす迫力は凄かった。心はすでに地獄に落ちていて、身の回りを整理して八ッ橋の元に現れた次郎左衛門は八ッ橋を連れて本格的に地獄に行くことを決意していた!という印象を持った。
当初は八ッ橋だけを斬るつもりだったが、妖刀籠釣瓶は一度抜いたら持つ人を支配する。下女も斬ったあとで「籠釣瓶は切れるなあ」の科白の場面、吉右衛門の左右の目は焦点を結んでいなかった。
吉右衛門の「籠釣瓶」も凄いものだと納得。まさに勘三郎と双璧だと思った。慎重派の播磨屋もようやく秀山祭と演舞場の五月公演という毎年の責任公演をはっきりと掲げたようなので、これからの切磋琢磨に期待が高まっている。

写真は歌舞伎座2階のロビーに展示されていた初代のゆかりの品の化粧台の蒔絵の「揚羽の蝶」部分のアップ画像。
関連の感想記事はこちらですm(_ _)m
9/18秀山祭九月大歌舞伎昼の部①「車引」「業平小町」「文屋」
9/18秀山祭九月大歌舞伎昼の部②「引窓」
9/18秀山祭九月大歌舞伎昼の部③「寺子屋」
秀山祭九月大歌舞伎夜の部①「菊畑」
9/26秀山祭九月大歌舞伎夜の部③「鬼揃紅葉狩」

06/09/26 秀山祭九月大歌舞伎夜の部①「菊畑」

2006-09-27 23:59:00 | 観劇

秀山祭夜の部は千穐楽で観劇。雨が降っていたので写真の歌舞伎座の千穐楽垂れ幕も濡れている。幕開けは季節的にもぴったりと評判の「菊畑」。筋書の表紙も菊でいっぱいの錦絵。

1.『鬼一法眼三略巻(きいちほうげんさんりゃくのまき)』「菊畑」
時代浄瑠璃『鬼一法眼三略巻』の三段目。四段目の「一条大蔵譚」は勘三郎襲名披露公演で観たが、「菊畑」は初見。タイトルの鬼一は源義朝の家臣だった吉岡三兄弟の長兄で、鬼次郎・鬼三太という弟たちが小さい時に別れて平家側に与している。後の『菅原伝授手習鑑』の三つ子の設定の下敷きになっているのだという。
『鬼一法眼三略巻』人物関係図がわかるサイトのご紹介

「菊畑」の配役とあらすじは以下の通り。
智恵内 実は鬼三太=幸四郎  虎蔵 実は牛若丸=染五郎
吉岡鬼一法眼=左團次  皆鶴姫=芝雀  笠原湛海=歌六
あさぎ幕が切って落とされると観賞用の鉢作りの菊が並んでいる。兵法学者吉岡鬼一法眼の館の庭。鬼三太は奴の智恵内と偽り、鬼一館の奉公人になりすまし、庭掃除の後で髭を抜いている。他の奴から掃除の仕方で難癖をつけられるがあっという間にやっつけてしまう。病気療養中の鬼一が菊を愛でにやってきて庭掃除に手抜きありと智恵内を叱る。智恵内は意を明かして説明して感心される。
そこにもう一人の奴の虎蔵が供をしていた鬼一の娘皆鶴姫から先に帰って伝言をするように言われて戻ってくる。平清盛が鬼一が秘蔵する兵法の虎の巻を差し出させるために笠原湛海を使者にたてたと言う。鬼一は奴の虎蔵が牛若丸、智恵内が鬼三太だと見破っていて試そうとする。虎蔵が鬼一の命に背いて最後まで姫の供をしなかったということで智恵内に自分に替わって杖で折檻するように言う。どうしても主を打ち据えられない智恵内。皆鶴姫が戻ってきて許しを乞うのでその場はおさまるが、姫に横恋慕する湛海がやってきて鬼一ともども奥に入る。
ふたりになって牛若丸は鬼三太を叱っていると皆鶴姫がやってきて虎蔵に寄せる想いを明かす。受け入れないと二人の素性を知っていて虎の巻も想いと一緒に受け取って欲しいと言い、口封じに斬ろうとすると身を投げ出す姫。姫の想いに打たれた牛若丸は姫の命を助け、虎の巻を受け取るために奥へ入っていく、そこで幕。

まず繻子奴姿の鬼三太の幸四郎に見惚れる。江戸歌舞伎版での奴の返事「ねーい、ねい」もいい声だ。鬼一法眼の左團次も敵役風の白髪頭で出てきながら菊をめでる風流さ、弟思いの心情や父親としての情愛なども見せるところがとてもいい感じ。これまで観た左團次で一番好きかもしれない。
皆鶴姫の芝雀は本当に赤姫が似合うところ、父譲りだと思う。歌六の湛海が恋慕するのも無理はないと思わせる。雀右衛門が最小限のお役で出るだけになってから大きな役が回ってくるようになっているのは配役のバランスなのだと思うが、最近の芝雀はいつも予想以上の好演なので注目度がどんどん上がってしまっている。

そして、なんといっても若衆姿の染五郎が麗しい。この人は線の細い二枚目役がやはり一番魅力的。特に若衆姿と声には衆道的な色気を感じて好き(10月の松竹座の衆道物も染五郎に重点を置いた配役だから立役なんだろうけれど、本当は愛之助と逆の配役の方がいいように思う)。幸四郎との主従の見得も絵のように決まり、その場面の舞台写真が欲しいと幕間にすぐに走ったけれど、それはなかった。千穐楽夜の部だけに舞台写真コーナーはだいぶ歯抜け状態。元々なかったのかもしれない。主従の高い声と低い声とでの科白のかけあい部分も聞いていて心地よい。

菊畑の前での最後の絵面引っ張りの見得は本当に錦絵のように美しい。歌舞伎のこういうところが元美術部の私のツボでもあるのだった。
関連の感想記事はこちらですm(_ _)m
昨年の勘三郎襲名公演「一条大蔵譚」
9/18秀山祭九月大歌舞伎昼の部①「車引」「業平小町」「文屋」
9/18秀山祭九月大歌舞伎昼の部②「引窓」
9/18秀山祭九月大歌舞伎昼の部③「寺子屋」
9/26秀山祭九月大歌舞伎夜の部②「籠釣瓶」
9/26秀山祭九月大歌舞伎夜の部③「鬼揃紅葉狩」

06/09/18 秀山祭九月大歌舞伎昼の部③兄弟共演の「寺子屋」

2006-09-26 02:11:27 | 観劇
4.『菅原伝授手習鑑』「寺子屋」
「寺子屋」は今回が初見。これまでに「道明寺」「車引」「賀の祝」を観ているので登場人物の気持ちがわかりやすかったと思う。また今回は昼の部の冒頭に「車引」があったのもなんとなくイメージがつながったのもよかった。通し上演でなくてもこういう上演もなかなか面白い。
配役は以下の通り。
松王丸:幸四郎  武部源蔵:吉右衛門
春藤玄蕃:段四郎  延くり与太郎:松江
小太郎:宗生  菅秀才:中村佳奈
園生の前:福助  戸浪:魁春  千代:芝翫

あらすじは以下の通り。
流罪になった菅丞相の家臣武部源蔵は、妻の戸浪と寺子屋を営んでいる。敵の藤原時平に源蔵が主人の子菅秀才を匿っていることが知れ、呼び出されてその首を出すよう申し渡される。おって首実検に菅秀才の顔を知る松王丸と春藤玄蕃が差し向けられることになり、源蔵は菅秀才を守るために寺子のうちの誰を身替りにしようと道々思案しながら帰りつく。
師を出迎えた子らの顔に「いずれを見てもやまが育ち」と万策つきたと途方にくれる。そこに気品あふれるひとりの子どもが姿を見せ、今日寺入りしたと挨拶する。心を決めた源蔵は戸浪に策を打ち明けて同意を得る。
そこについに松王丸と春藤玄蕃がやってきて寺子たちをそれぞれの親に渡しながら顔を改め、残る一人が菅秀才であろうからその首を差し出せと迫る。覚悟を決めた源蔵は奥の部屋で子どもの首を打ち、松王丸による首実検の末に菅秀才だと確かめられる。玄蕃は首を持って引き上げていき、松王丸は病気療養のためとこれを最後に舎人を辞す。
見破られなかったと安堵する源蔵夫婦のところに身替りに首を打った子の母千代が戻ってくる。源蔵は口封じに斬ろうとするが「わが子が役に立ったか」という言葉に驚く。そこに再び松王丸が姿を現し、実は身替りになった子は自分たちの子の小太郎だと言う。三つ子の他の兄弟たちと違って敵方に奉公してしまった松王丸は、わが子を犠牲にすることで菅丞相への恩義を果たしたのだった。
「わが子が役に立ったか」ことを喜ぶ言葉を口にしながらも親としての悲しみをほとばしらせる松王丸。二組の夫婦はつらい思いで小太郎の野辺送りをする、というところで幕。

初代吉右衛門はともに当たり役とした二役を幸四郎が松王、吉右衛門が源蔵として共演するという今回の公演。幸四郎・吉右衛門兄弟が十数年ぶりにがっぷり組んでの舞台だけに期待は高まっていたが、その期待にたがわぬものだった。
大体、話の筋的には冒頭から源蔵が教え子の誰を身替り首にしようかと思案しているし、妻も驚きながらもすぐに割り切るというあたりにあらためて忠義第一の凄い話だと思いながら観ていた。それに菅秀才という名前もすごい。天才秀才という時の秀才なんだろうけれど、名前に使うというのはこの作者も思い切っているとあきれながら感心。
そういう冷めた理性が吉右衛門の忠義心あふれる源蔵にどんどん吹き飛んでいく。理性を吹き飛ばすためには芝居がいいことが絶対条件なのだが、今回も物語の時代の価値観を前提に観ることができるように引き込まれていく。これがまた歌舞伎の面白いところ。
病鉢巻姿で登場する幸四郎の松王丸がまことに立派。時代物ではききとりにくい台詞回しが今回はずいぶんききとれるし、さすがに秀山祭で気合が入っているなと感心する。吉右衛門へのいい意味でのライバル心が発揮されているのかもしれない。
後半の源蔵は台詞が少ないが、松王との睨み合い、身替りがばれたら切りかかろうという気合の込め方が抑えた中に緊張感が漂う感じでとてもいい感じだった。これも兄弟共演の醍醐味かもしれない。

魁春の戸浪は「井伊大老」でのコンビ以来、よい組合せだと思う。一方、芝翫の千代は幼い小太郎の母というにはちょっと薹が立ちすぎの印象を持ってしまった。福助の方がよかったんじゃないかな。そして芝翫が園生の前とか。勝手に配役を入れ替えて妄想。
宗生くんの小太郎がよい。出番は菅秀才より少ないが、ここでしっかりしたいい子だという印象をきちんと残せないと身替りの哀れさがきちんと出ない。いい子役の仕事をしている。

初めての「寺子屋」、しっかり楽しんだ。この兄弟の反対の配役の共演でもう一度観てみたいと思った。
幸四郎・吉右衛門兄弟の共演、まことによい。雰囲気も合っているし(ちょっと暗めだけどよい感じ)、息も合っている!今回のような共演を観てしまうと、毎年の秀山祭で共演していただかなくては誰も満足できなくなってしまったんじゃないかと思う。私はそれを切望する。

写真は、松竹の公式サイトより今公演のチラシ画像。
関連の感想記事はこちらですm(_ _)m
9/18秀山祭九月大歌舞伎昼の部①「車引」「業平小町」「文屋」
9/18秀山祭九月大歌舞伎昼の部②「引窓」
3/26三月歌舞伎座昼の部「道明寺」
9/26秀山祭九月大歌舞伎夜の部①「菊畑」
9/26秀山祭九月大歌舞伎夜の部②「籠釣瓶」
9/26秀山祭九月大歌舞伎夜の部③「鬼揃紅葉狩」

さて、いよいよ26日は夜の部観劇の予定。「籠釣瓶」だ~。

06/09/24 本日5万アクセスの御礼m(_ _)m

2006-09-24 22:06:02 | つれづれなるままに
本日5万アクセスを突破しました。4万アクセスを7/22に越してから2ヶ月でした。皆様、ありがとうございます。これからもよろしくお願い申し上げます。

さて、このブログのタイトルの下に「宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます」と大きく書いてある。ここのところ、宝塚はあまり観ないし、ミュージカルは観ていてもなかなか感想のアップが滞っている。看板に偽りアリといえなくもない。
すっかり歌舞伎や文楽など伝統芸能づいているこの頃である。精神的にあまり元気いっぱいではない状態の中では、歌舞伎や文楽などのテンポが神経には優しい感じがする。まあ、その時その時の状態によって観劇傾向は変化するものなんだなというのも面白い発見。

これからもミュージカルは観たいものは観ていくべくチケットはとってある。他のものも含めて歌舞伎以外のチケットを確保してあるのは以下の通り。
『オレステス』『ペテン師と詐欺師』『マリー・アントワネット』『ロープ』『スウィーニー・トッド』.....
あとなんだっけかな。
気力体力の状態にもよってボチボチといろいろ書いていこうと思っているので、皆様、よろしくお願い申し上げまする~。

そのごほうびでもないけれど.....
たまたまダイエーの創業祭の広告の品になっていたティファールの2個目を買ってきた。今度は平たい形のフライパン。底が厚いので熱のまわり方が優しい気がする。
そこで今まで使ってきたフライパンをティファールが入っていた箱に入れてベランダのエアコンの後ろに置く。防災の日のTVでやっていたのだが、隣の家のベランダに避難する時に仕切り壁を破るのに厚手の鍋がいいとのこと。そう書いた紙も貼っておいた。

追記
その翌日、職場の送別会で予想以上に美味しいものをいただくことができた。渋谷マークシティ内にあるエクセルホテル東急の25階にある日本料理「旬彩」の秋会席。地上100mの夜景を楽しみながら歓談しつつ美味しいお食事。お別れは寂しいけれど、元気な赤ちゃんの誕生を祈りたい。
写真は今晩の秋会席の美しい盛り付け(ケーキではない)。眺望を説明するイラストが卓上にあったので料理の向こうに置いて撮影。あまりうまく写ってないけれど雰囲気だけご想像くださいm(_ _)m
自分で勝手にお祝いということにもしておこう。

06/09/22 文楽チケットとりたさに「あぜくら会」に入会申し込み!

2006-09-23 20:32:16 | 観劇
今月は国立劇場開場40周年記念公演の文楽の通し狂言「仮名手本忠臣蔵」に三部とも通って観た。9/16に第一部・二部、9/21に第三部と二回に分けて観た。

昨年9月の文楽公演で初観劇して以来、2月、5月と一日公演を全部ではないが観るようにしてきたのだが、今回初めて全部観た。「仮名手本忠臣蔵」は歌舞伎でもまだ観たことがないので、寝ないために文楽では初めてイヤホンガイドも使用。今月はイヤホンガイドの会社にかなり貢いでしまった。おかげで途中で少し意識が遠のいたところはあったが、大体は観ることができた。
それよりも休日の朝10時30分開演が私にはきつくて冒頭5分ほど遅れたが、まあ歌舞伎の大序の時のような静止した状態から動き出すというのはないだろうと思っているのでまあいいか状態だった(もしもあったら痛恨の極み(T-T))。ただし周りの方にはご迷惑だっただろうことは恐縮m(_ _)m
三部通してみての感想。史実を踏まえながらもフィクションとしてうまくつくられた物語だいうことに感心した~。芝居小屋が不入りになったら「忠臣蔵」を出せというのもよくわかった。
次は12月だが公演日が少ないのでなかなかチケットをとるのが大変ということを聞き、「あぜくら会」への入会を決意。12月は「義経千本桜」知盛のあたりは全く観たことがないのでこれははずせない。夜の社会人の鑑賞教室も是非行ってみたい。9/21に書類をもらってきて翌日には投函。これで12月のチケットとりには間に合うと思うのだが?!

う、う、これで伝統芸能の会員に「歌舞伎会」「前進座友の会」「あぜくら会」の3本に入ってしまった。どこかで節約しなくては~。

となって、「四季の会」の継続を見送ることを決意。会員でもS席しか割引はないし、1万円も出して早くに前売りチケットをとる段階でキャストが確定してないというところがどうしても納得いかなくなってしまった。最近会報の『ラ・アルプ』は開封もしないまま積んであるし、そろそろ潮時だろう。またしっかり観たくなった頃に入りなおすことにしよう。

「国立劇場あぜくら会」のご案内はこちら
写真は「日本芸術文化振興会」の公式サイトより「あぜくら会」のチラシ画像。

06/09/18 秀山祭九月大歌舞伎昼の部②播磨屋の「引窓」に泣く

2006-09-19 00:25:08 | 観劇
3.『双蝶々曲輪日記』「引窓」(ふたつちょうちょうくるわにっき・ひきまど)
「引窓」は今回が2回目だが、6月大歌舞伎で「角力場」を観ていたので今回の「引窓」は登場人物の気持ちがとてもよくわかった。
6月の「双蝶々曲輪日記・角力場」の感想はこちら
あらすじは以下の通り。
八幡村の郷代官をしていた南方十次兵衛の後妻のお幸(吉之丞)は、先妻の息子の与兵衛(吉右衛門)とその女房のお早(芝雀)と暮らしている。今日は与兵衛がお上に呼び出されている。そこに濡髪長五郎(富十郎)が実母のお幸をたずねてやってくる。長五郎は恩人のために人を殺してしまい暇乞いに訪れたのだ。お早は遊女だった頃に長五郎とは顔なじみ。お幸とお早は事情を知ってとりあえず2階に匿う。
そこに与平が帰宅。亡父の後継の十次兵衛を名乗って郷代官もつとめることをさし許され、羽織と大小の刀を与えられたとの報告に母も女房も大喜び。ところが初仕事として長五郎を敵とねらう武士を助けて捕縛することだった。探索の分担を武士が昼間で与兵衛は夜と取り決める。お幸は手配書の絵姿を自分の永代供養を寺に頼むために貯めてきたお金で買い取りたいと申し出る。そこで事情を察した与兵衛は濡髪を逃がすことを決意。夜になると河内への抜け道もさりげなく教えて出かけていく。
長五郎は母の義理の息子の手柄にせよと捕縛を願うが、お幸やお早の説得に人相を変えるための前髪の剃り落しにも応じる。目立つ高頬のほくろも与兵衛が投げた路銀の包みの傷でわからなくなるが、あらためて長五郎は母が義理の息子のためになることをすることが人の道と説き、母も従い引窓の縄で捕縛し与兵衛を待つ。
夜中に帰宅した与兵衛は縄を切って引窓を開け、差し込んだ仲秋の名月の光を夜明けの光と言い含め、「放生会(ほうじょうえ)」でもあるからと解き放つ。長五郎は三人の気持ちを受けて落ち延びていく。

吉之丞のお幸は義理の息子も慈しみ敬われている中で義を通す気持ちを実の息子への愛情との間の板挟みで苦しみながら「人の道」として義を通すことを選ぶ。その苦悩が枯れた演技の中ににじむ。しかしながら声量がないのか、三階の私の席には届かないこともあったのがちょっと残念。
芝雀のお早は好演。ふとした時に遊女言葉がポロポロもれてしまって姑に注意されるのだが、元遊女の色気がこぼれるのが可愛い。与兵衛がやきもちを妬く場面が無理からぬことだと思わせる。姑のお幸の気持ちに寄り添って一生懸命になる気持ちの高まりも大熱演。双眼鏡で大きく開いた背中に汗がびっしり、うつむくたびに汗か涙かがポタポタ着物に落ちるのも見え、その熱演に胸が打たれる。
富十郎の長五郎は口跡もよく、気持ちがよいくらいにどっしりとしている。敵とねらう二人の武士の歌昇と信二郎もよい。
さて吉右衛門。十字兵衛として武士然と振舞うところと元の与兵衛に切り替わる場面が何度もあるが、その切り替えがまことに自然で軽妙。そして思い入れをして決意をする場面などが絶妙。目を閉じて息をつめていてふっと目を開いて次の動きに移るところなどの間の取り方が堪らない。お幸やお早との呼吸もぴったりで、一気に感情の高まりに観ている方も一緒に引きずり込まれる。

泣いた。今回の吉右衛門の「引窓」では気持ちよく泣けた。初見の菊五郎の「引窓」では、話が十分わかっていなかったのかもしれないが泣かなかった。かなりせつなかったがほのぼのとした気分が支配していたような気がする。吉右衛門と菊五郎の持ち味の違いなのかもしれない。こういう違いを味わうのも歌舞伎というものを観る楽しみなんだろうと思える。
写真は、今月のイヤホンガイドのしおりより吉右衛門の十字兵衛。
関連の感想記事はこちらですm(_ _)m
9/18秀山祭九月大歌舞伎昼の部①「車引」「業平小町」「文屋」
9/18秀山祭九月大歌舞伎昼の部③「寺子屋」
9/26秀山祭九月大歌舞伎夜の部①「菊畑」
9/26秀山祭九月大歌舞伎夜の部②「籠釣瓶」
9/26秀山祭九月大歌舞伎夜の部③「鬼揃紅葉狩」
追記
長五郎を解き放つ時に「放生会」というのがもう一つのポイントだ。旧暦の8/15なので仲秋の名月とも重なると千穐楽で入手した筋書に説明があり、さらに納得した次第。
「放生会」についてのウィキペディアはこちら

06/09/18 秀山祭九月大歌舞伎昼の部①「車引」「業平小町」「文屋」

2006-09-18 18:51:34 | 観劇
9月の歌舞伎座は初代中村吉右衛門生誕百二十年を記念して初代の俳号から秀山祭と銘打った公演。毎年9月の開催も決まったようでスタートの今公演、期待が盛り上がっていていそいそと出かける。順不同だが即日感想アップ開始!

1.『菅原伝授手習鑑』「車引(くるまびき)」
松王丸 染五郎 梅王丸 松緑 桜丸 亀治郎 杉王丸 種太郎
金棒引藤内 錦吾 藤原時平公 段四郎
「車引」は昨年の勘三郎襲名披露公演で海老蔵、勘太郎、七之助の三つ子で観たのが最初。今回は初代吉右衛門の曾孫である染五郎を松王丸にしての幕開けでなかなかよかった。
両花道にしないで桜丸は上手から登場。編笠をとった時の亀治郎の桜丸、予想以上に綺麗!特に手指の美しさにハッとする。指は長く先に行くほど細くなっていて、見得の時に揃えて反らしての形の美しさ(それをバッチリ写した舞台写真をしっかり買った)。大河ドラマ出演でしばらく歌舞伎には出ないのでしばらくの見納め。
梅王丸の松緑はビジュアル的には実に立派。相変わらず聞き取れないところがあるのは残念。杉王丸の種太郎も立派だった。
染五郎の松王丸も予想以上の線の太さに出だしから安心。海老蔵の剥き出すような目の見得と比べると物足りないが、とても綺麗な松王丸。若手の中ではバランスのよい実力を実につけていることを感じさせる。
段四郎の藤原時平公は神通力をもつような大敵には残念ながら見えなかった。しかし大歌舞伎のこういう演目で亀治郎と父子共演の機会を観ることができたのは私としてはなんだか嬉しかった。いつも息子をよろしくと口上の度に親馬鹿ぶりを見せている段四郎がさぞ嬉しいだろうなあと思ってしまうからだ。こちらの澤潟屋父子も応援したい。

初めて観た「車引」の感想はこちら

2.『六歌仙容彩(ろっかせんすがたのいろどり)』
この連作の舞踊はどれも初見。小野小町をめぐる二人の男が登場する舞踊2本。舞台の奥に3つの御簾があって真ん中が小野小町のいる部屋で上手に長唄、下手に清元で2本で交替する。
①「業平小町」
小野小町(雀右衛門)が在原業平(梅玉)が言い寄るのをふってしまうという内容。長唄にのってお雛様のような衣装で動きは少ないながらも動く絵巻のようで実に優美。梅玉は雀右衛門との年齢のバランスもいい。時蔵と連舞した時もそう思ったのだが、梅玉は舞踊でお内裏様のような役柄の場合、おっとりとした感じが実にハマるのだと思う。雀右衛門は舞台に姿を見せてくれるだけで有難い。初の秀山祭を寿いでくれる。

②「文屋」
色好みの文屋康秀(染五郎)が小野小町を忍んで行こうとするが、それを邪魔する官女たちと戯れ踊るという内容。「業平小町」からするとぐっとくだけた舞踊で、こちらは江戸文化の爛熟期に生まれた清元。『六歌仙容彩』自体、平安の六歌仙が江戸の現世に登場したらという趣向の舞踊なのだが、こちらはその味わいが濃厚。
立役の脇役が官女たちに扮していて文屋をいじめてからかうという感じだが、染五郎は困った顔も魅力的だし、かわす動きも軽やか。実に楽しく観ることができた。

写真は今公演のポスターより初代吉右衛門部分のアップ画像。
関連の感想記事はこちらですm(_ _)m
秀山祭九月大歌舞伎昼の部②「引窓」
9/18秀山祭九月大歌舞伎昼の部③「寺子屋」
9/26秀山祭九月大歌舞伎夜の部①「菊畑」
9/26秀山祭九月大歌舞伎夜の部②「籠釣瓶」
9/26秀山祭九月大歌舞伎夜の部③「鬼揃紅葉狩」

06/09/17 十代最後の誕生日

2006-09-17 23:32:50 | つれづれなるままに
私のじゃないです。娘の誕生日です(笑)
昨日の土曜日に私が出かけてしまい、一人で通院に挑戦ということにしていたのだが起きられずに行けなかった。ちょっと鬱が強くなってしまっていて、今日の午後4時からのバイトもなかなか出かけようとしない。私も喘息でつらいし、お見舞いにいかなくてよくなって家でごろごろしていた。
そこでバイトの前に一緒にバースデイケーキを買うことにして職場に送っていくことにした。どうしても用意ができずに1時間遅れでいくことにして送っていく。

台風が近づいていて夕方に雨が降り出した。ケーキと一緒にシュークリームも買ってイートインで一緒に食べていると制服のブラウスを洗濯したものを忘れたという。仕事休みたいとダダをこねるので私が奪取でとりに戻る。さらに30分遅れることにした。電話連絡は私が代行。

なかなか大変。でも一応きちんと夜10時まで働いて戻ってきた。ケーキ食べます~。

写真は今日の四角いホールケーキ。1/4ずつ2回に分けて食べる予定。

06/09/12 妹の手術成功

2006-09-16 23:54:07 | 医療・介護・福祉など

9/12に一番下の妹が副甲状腺の摘出手術をした。娘の入院の時にずいぶんと助けられた妹だ。9/11に入院、翌日に手術。とにかく手術してみて癌でないことを確認し、4つあるもののうち見つからなかった1個を除き摘出。正常な時はゴマ粒~米粒大だというのだから見つけるのは大変だろう。一番大きなものは親指の先くらいになっていたという。成功の知らせをきいて安堵した。

若い頃から腎臓が悪くなって27歳から週3回の人工透析が欠かせない。幸い理解のある伴侶を得たのだが子どもを持つことはできなかった。だから3人の姪っ子たちを可愛がってくれている。
今回の病気も透析患者特有の病気のようで、カルシウムの代謝を司っている器官なのだが、肥大してしまって本人が首に異常があると訴えて全摘することになったのだ。骨密度もかなり低くなっているし、血管壁へのカルシウム付着はすすんでいるという。
人工透析の技術も進化を続けているので、昔は透析を始めて20年が寿命と言われていたのがだいぶ長生きできるようになってきている。しかしながらやはり技術の限界はあって、元の腎臓のようにきちんと排泄しきれない老廃物が身体のあちこちに蓄積されてしまっていろいろな異常を引き起こすのだ。だからあと何年生きられるかと常に考えながら今自分にできることを一生懸命やって暮らしている。2匹目の犬を買う時もこれが最後の犬になると覚悟して買ったという。そういう話をきくとせつないが、私としては妹にとにかく充実した日々を長く過ごしてほしいとばかりを祈っているのだ。

名古屋にいる上の妹が2泊3日できてくれて世話をしてくれた。残暑厳しい名古屋からきて涼しいこちらとの気温差の大きさに風邪を引いてまいったと帰った後で言っていた。今回の入院に際して直接私ができたことは何もなかった。母がかなり動揺して病院までの行き方がわからないと言っていたので、インターネットで調べた病院の地図などを持って実家に行ったりして妹への負担を減らすことだけだった。それを使って母が2回、父が1回見舞いに行くことができた。それで少しは役にたっただろうか。
明日、私は見舞いに行く予定だったが、退院日になってしまった。退院直後に家に行くと負担が大きそうなので、名古屋の妹が自宅療養の手伝いにくる時に顔を見せにいくことになった。頼りにならない姉だが、家族中から「お姉ちゃんはちゃんと仕事に行って」という厳命。自分と娘の面倒だけしっかりみないといけないのだ。
三人姉妹でよかったと子どものころはあまり思わなかったが、今は有難さが身にしみている。