ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

11/05/22 明治座花形歌舞伎(3)「蝶の道行」「封印切」

2011-05-31 23:57:51 | 観劇

昼の部は一人で観たので、幕間は明治座ビルをぐるっと回ってみた。隣に明治座アネックスビルというのもあり、食堂部門を別会社にして力を入れているのもうかがえた。
後半の「蝶の道行」「封印切」と続く。

【けいせい倭荘子 蝶の道行】
2009年6月の歌舞伎座(梅玉×福助)の感想はこちら。あらすじ等はそちらへ。
初見は2005年9月歌舞伎座で、助国は染五郎で小槇が孝太郎だった。今回も助国が染五郎で小槇は七之助。真っ暗な中に蛍光で彩られた大きな雄蝶と雌蝶が舞台中央を舞い飛ぶ開幕は同じで、変なレーザー光線のような照明の演出はなくなっていて落ち着いた感じ。
蝶が蛹から孵化して飛び立つように、蝶は人間の体から霊魂が抜け出たものの化身だという。そういう演出を使った舞台をいくつか観てきたので、今回はそのイメージで観ることができた。
染五郎も七之助も細表で陰のある表情が美しく、細身の身体が舞う様はふわりふわりとした蝶の連れ舞そのもの。3回観た中で今回が一番見応えがあった。
日本国語大辞典第二版オフィシャルサイトの「蝶」の項

【『恋飛脚大和往来』「封印切」】
「恋飛脚大和往来」は、近松門左衛門作の「冥途の飛脚」を増補改作した作品とのこと。(「冥途の飛脚」は2008年2月に文楽で観劇)。上方歌舞伎の代表的な演目で、成駒屋型と松嶋屋型の演じ方が少しずつ違うのが面白い。
2005年6月の歌舞伎座「封印切」「新口村」=松嶋屋型の感想
2007年10月の歌舞伎座「封印切」「新口村」=成駒屋型の感想
今回の主な配役は以下の通り。
亀屋忠兵衛=勘太郎 傾城梅川=七之助
井筒屋おえん=吉弥 槌屋治右衛門=亀蔵
丹波屋八右衛門=染五郎

2階の左列1列目真ん中の通路脇席からは花道を歩くところが近くに見えて、勘太郎の登場や、七三で独りでしゃべって喜ぶところもニヤニヤしながら見てしまう。梅川とおえんの畳算を誰を待つのか、「オレか、あ、間違えた、ワシか」と言っていたが、これは本当に間違えたのかしら(笑)

吉弥はいかにも花街の女将らしくどっしりとしながら色気もあるのがいい。さらに上方歌舞伎の役者は吉弥ばかりだが、今回はお江戸の役者も実によく頑張っている。
2005年に忠兵衛で見た染五郎が今回は八右衛門で、二枚目だが性格が悪すぎて「ゲジゲジのはっつぁん」と廓で総スカンを食っているボンボンを憎々しげに演じているのがコミカルでいい。その悪ノリに挑発されて頭に血が上る忠兵衛を勘太郎が実に一生懸命やっている。上方言葉もそんなにおかしくないし、早口になってもしっかり聞きとれるのがいい。
小判が本物かを金火鉢に金包みを当てて音を聞かせるという八右衛門の挑発から逃げられず、ついには封印が切れてしまい、残りは意地で切ってしまうという成駒屋型の「封印切」!その愚かしさ、哀しさが染五郎×勘太郎の丁々発止からたち上る。遊女をめぐって二人の若者が熱くなり、ついには身を滅ぼす悲劇を若いエネルギーがぶつかりあう芝居として見せてくれる。

それでいて、封印を切ってしまっての啖呵の場面は、しっかりきっぱりと極めてくれるのが勘太郎。これには参った。父の勘三郎よりも時代物の立ち役でも見どころがあると思っているが、勘太郎の面長な顔から初代播磨屋につながるDNAを感じるせいだろう。初代の父は上方出身の歌六であり、上方歌舞伎役者の血も流れているしと思ってしまう。最近、子息にも恵まれて、さらに精進ぶりに拍車がかかっている感じの勘太郎に好感度大である。

切った封印は御用金と忠兵衛から聞いて狼狽しつつ、「一緒に死んでくれ」と言われて覚悟を固める梅川。苦界を抜けて愛する男と添い遂げるための決断だが、心中流行りのご時世だったろうし、梅川の方はすぐに心が決まったと見える。

身請けの手続きもすんで、先に梅川に番所に行かせ、おえんに後事を頼んでからの忠兵衛の一人の引っ込み。いつもの席ならすぐに見えなくなるのだが、今回の席では恐ろしいことをしてしまった興奮から、身体の芯が抜けてしまって膝がガクガクとしてまともに歩いていけないのに、独り言をいいながら身を奮い立たせ、生まれ在所に向かおうとする姿を揚幕近くまで観ることができた。ここの芝居も勘太郎、必死の感じが伝わってきた。

梅川に嫌味にふるまう年増の仲居で小山三が出ると、ぐっと歌舞伎味が増す。子どもの時から手塩にかけて世話をした中村屋のぼっちゃん兄弟の舞台に元気に出ている姿に、観ている方も感無量。少しでも長くお姿を舞台で見せて欲しいと願う。

5/21夜の部(1)染五郎×七之助の「牡丹燈籠」
5/22昼の部(2)亀治郎の「四の切」

11/05/22 明治座花形歌舞伎(2)亀治郎の「四の切」はバージョンアップ!

2011-05-30 23:59:51 | 観劇

冒頭の写真は明治座入り口前に並んだ花形歌舞伎の役者名の幟旗。16年ぶりの歌舞伎ということで賑々しい。ちょっと待てよ。2007年8月に観た芝居の時の幟旗の写真と比べてみよう。おおっ、従兄弟の香川照之と同じ位置に亀治郎の旗が立っているではないか!なかなか感無量だ。


さて、亀治郎の「四の切」は、昨年8月は国立劇場大劇場での「第八回亀治郎の会」で初見。先月、亀治郎のトーク付き観劇企画に行って、聞いたこと。6月の新国立の「雨」の稽古が大変なので、明治座への出演は断ったが、会社からどうしても昼の序幕だけでも出て欲しいと強く請われたという。だから「「四の切」なのだろうし、他の演目には亀治郎は出ないのだ。

【『義経千本桜』「川連法眼館」】
通称「四の切」(四段目の切だけれど省略しての読み方は「しのきり」と確認)
今回の主な配役は以下の通り。
佐藤忠信/忠信実は源九郎狐=亀治郎
源九郎判官義経=染五郎 静御前=門之助
駿河次郎=亀鶴 亀井六郎=弘太郎
川連法眼=寿猿 妻飛鳥=吉弥
なるほど、門之助、寿猿、弘太郎と猿之助一門で脇を固めてあるのかと今更ながら納得の配役。
チケット手配のタイミングがちょっと遅く、ねらった3等席はすぐに売り切れ。昼も夜も2階の左列1列目という席での観劇となったが、「四の切」は実に嬉しい席となった。
昼は特に真ん中の通路脇だったので、生締姿の佐藤忠信で登場する亀治郎を揚幕から出てまもないところでジッと見下ろすことができた。花道を歩くところを近くで観ることができるというのは滅多にないので嬉しい。竹本の葵太夫も正面に見える。
舞台もいつもの3階席より格段に近く、下手に控える佐藤忠信の糸に乗った人形のような動きをして極まるところもじっくり堪能。昨年はあまりいいと思えなかった染五郎の義経がずいぶんとよくなった。台詞も聞きとれるようになったし、小忌衣姿も様になっている。門之助の静御前は思ったよりも上品で安心(年上に見えてしまうバランスなのだが(^^ゞ)。

亀鶴と弘太郎の駿河・亀井もよく、詮議を受けるため佐藤忠信が二人に引かれて上手に入っていくところも絵になっていた。

黒い階からの狐忠信の出から、すっかりと引き込まれて観てしまう。亀治郎の狐忠信はいかにも人間離れしてみえるところがいい。門之助の静御前は理知的で、その詮議を受けていても心は鼓にぴったりと寄り添っていて上の空の様子の忠信はいかにも狐だ。

カンの声も苦しそうなこともなく、狐言葉も何を言っているかちゃんと聞きとれるので、狐の独白の場面に哀れが漂う。何百歳にもなってはいても、親を慕う気持ちに支配され付きしたがっているうちはまだまだ親離れしていない子どもだと思う。亀治郎の狐忠信は、小柄で声も綺麗に高く出て、動きも敏捷で、子狐の可愛らしさがあふれている。その可愛い子狐が我を忘れるくらいに親を慕い、別れを嘆く風情が切なくて胸が締め付けられる。

肉親の情に恵まれない義経が子狐の思いにほだされて、親子が一緒にいられるように法皇から下賜された鼓をやろうという思いになるのももっともで、その嬉しさに子狐忠信はまたまた我を忘れて欣喜雀躍する。
鎌倉方についた荒法師たちの襲撃計画をやっと思い出し、通力で逆に誘い出してやっつけるという場面も楽しい。「化かされ」の荒法師たちを糸に乗って操る場面も軽快。これまでも上手の桜の木陰で操るところが長いと思っていたが、やっと今回の席で身代わりだったとわかった。宙乗りのために必要なもの装着する時間の確保かとようやくガッテンした。

鼓をもって、大喜びをしながらの宙乗り。昨年の亀治郎の会では拍手まで起きてしまったようだが、今回はそんなこともなかった。通力で虚空に飛び上がり、全身で喜びながら鼓を打ち、その親の声にまた喜びを炸裂させながら、古巣に去っていく飛翔!
目の前に喜びで顔をくしゃくしゃにしながら全身のばね力を全開にして跳ね飛ぶ亀治郎の狐忠信が通っていく!!明治座の3階席は天井が高く鳥屋は客席をつぶすことのない小さなもの。そこに花吹雪の中を消えていった。
昨年からのバージョンアップぶりに感心し、着実に澤瀉屋の役役を自分のものにしている亀治郎に魅了された一幕だった。ヤラレタ~。

5/21夜の部(1)染五郎×七之助の「牡丹燈籠」

11/05/21 明治座花形歌舞伎(1)染五郎×七之助の「牡丹燈籠」

2011-05-29 19:39:52 | 観劇

明治座花形歌舞伎については、5/21夜の部観劇前に人形町散策オフ会の記事をアップ。続けて感想も書いていこう。
「牡丹燈籠」は2007年10月の歌舞伎座で仁左衛門×玉三郎で初見。翌年の7月にはすずめ二人会の「怪談 牡丹燈籠」を谷中の全生庵まで観に行っている。
今回は染五郎×七之助が新三郎とお露とも二役で出るのでそのあたりの芝居の組み立て方の違いも楽しみだった。

【通し狂言 怪談 牡丹燈籠】
  大川の船の場より幸手堤の場まで
圓朝の原作をきちんと踏まえていたのは花組芝居の「怪談牡丹燈籠」だが、今回も大西信行本による上演のようだ(新七本の「怪異談牡丹灯籠」は未見)。あらすじは2007年の記事に詳しい。
今回の主な配役は以下の通り。
伴蔵/萩原新三郎=染五郎 お峰/お露=七之助
乳母お米=萬次郎 船頭/三遊亭円朝=勘太郎
宮野辺源次郎=亀鶴 お国=吉弥
酌婦お絹=宗之助 女中お竹/酌婦お梅=新悟
馬子久蔵=亀蔵  飯島平左衛門=門之助

七之助のお露は2007年にも見ているが、華奢な細面が恋煩いで細っていく生前の様子と幽霊になってからの凄みに生きる。萬次郎のお米は特異な声とたくみな台詞がこれまた生きて印象的。
染五郎の新三郎も細面が白塗りに合う。砥の粉の顔色の伴蔵との早替りも大変そうだが、この二役は本人も楽しそう。髑髏と抱き合う身代わりの白い顔がふっくらしていたのにはちょっと笑えた。
新三郎の孫だなに住んでいる時の七之助のお峰と染五郎の伴蔵のコンビもよい。七之助は声の使い分けもよく、おかみさん声の台詞もきちんと聞きとれる。戸棚に入っている間も早替りに使われて幽霊のお露として伴蔵の前に現れるなど、若手コンビの早替りを楽しめる今回の舞台はエンタメ度が高い。

藤十郎一門に入った亀鶴の源次郎と吉弥のお国の関西歌舞伎コンビも息が合っている。旗本の部屋住みの亀鶴の優男ぶりがけっこうよい。平左衛門殺害後、飯島家を二人で逃げ出し、歩けなくなった源次郎にお国が実を尽くすのも無理がないと思わせる。

関口屋の旦那になってからの染五郎はもう少し貫録があるといいとも思うが、これは仕方がない。七之助の女将がつけている帯を双眼鏡でのぞくと玉三郎がつけていた帯と同じ撫子柄なのに気がついた。これは玉三郎から贈られたのではないかと推測。今回の二人は仁左衛門と玉三郎に教えを受けての舞台なのだろうと思う。

狂言回し役の圓朝の勘太郎は、三津五郎と比べるまでもない。噺家としての軽妙さはまだまだ出せない感じ。
さて、今回の圧巻は幸手堤の場面。本水で雨を降らせ、その中での「お峰殺し」は2月の「女殺油地獄」を彷彿とする。逃げるお峰の解けた帯が長く伸び、滑る地面から帯を踏みしめて伴蔵はお峰に迫る。今回の伴蔵はお峰に止めを刺した後、抱きしめて号泣したりしない。下手の橋の上から亡骸を蹴こんでしまうのだ!
そのお峰はすぐに幽霊として姿を見せ、「かさね」よろしくの「連理引き」で伴蔵を引き寄せる。そして伴蔵は川の流れの中に引きずり込まれるが、そのスローモーションのような動きに目は釘づけ。お峰の細い腕が伴蔵の足にからみつき、必死に抗う伴蔵を無理やりに死出の世界に連れていってしまう、この妄執。実にエロティックでコワイ場面となった。若手二人のコンビでこそできる舞台だったといえよう。

お露とお峰の二人の女は妄執で男を憑り殺し、お国は自分の殺した霊に追い込まれて狂った源次郎の刃にともにかかって死ぬ。3組の男女は愛憎の上にともに死んでいく。この怪談噺は限りなく官能的な物語でもあるのだとあらためて思えた。

11/05/23 きつねうどんから始まった「日清どん兵衛」の駅ナカ店!+他

2011-05-27 23:59:53 | つれづれなるままに

今週は珍しく3回も渋谷に行く用事があった。月曜日に本部で春の健康診断、水曜日はシアターコクーンで「たいこどんどん」観劇、木曜日は職場の先輩がネパールでJICAのボランティア支援の仕事をされていて、年一回の帰国の際の報告会だった。

月曜日の午前中に健康診断を終え、四ツ谷の職場に戻る際に、JR渋谷駅の山手線のホームに変な店を発見!「日清どん兵衛」のキャンペーンの駅ナカ店として出ていた。
地域限定の商品も食べられるらしく、今週のおすすめは「東北限定芋煮込み味」と出ていたのでフラフラと入店してしまった。どん兵衛にお湯を入れて食べるだけなら200円、駅のコンビニ「NEW DAYS」扱いの110円おにぎりとのセットで300円ということだったので、セットを食べてランチにしてしまうことに決定。
昼時だというのにガラガラに空いていて、お湯を入れて砂時計を渡されて5分間待つ間に冒頭の写真や下のような撮影までできてしまった。

5月はGWの後に9回の観劇という過密スケジュールをこなしているためか、食欲も落ちているので、これくらいで十分だった(^^ゞ
駅ナカで5分間待たされるのはけっこうイライラするもので、その待ち時間をしのぐために「どん兵衛」開発へのこだわりを盛り込んだ宣伝漫画冊子があったのに後から気がついた。面白く読みながら食べたが、やっぱりリピートはする気にならないなぁ(笑)
平日は冒頭の写真に写っている緑色の小さなタオルハンカチにぬいぐるみ(狐がキャッチフレーズの「品質いのち。」という鉢巻をしている)と同じキャラクターがプリントされているものがもらえる。

3/25に「福島原発事故、これからどう考えるか」という記事で私の脱原発についての考え方を書いたが、そこでご紹介させていただいた小出裕章先生のこの事故に関する情報発信を一覧できるようにまとめた非公式ブログをマイミクさんに教えていただいたので、こちらでご紹介しておきたい。
「小出裕章(京大助教)非公式まとめ」
狐にばかされるのはよいが、原発推進派にばかされないようにしたいものだ。

自然エネルギーへのシフトには工夫が必要だと思う。メーカーには発電装置の技術革新をすすめてもらうことは大前提。公の施設には太陽光発電をつけることも率先してやってもらいながら、民間でも積極的になるような政策をとってもらいたい。
ドイツでは個人宅で太陽光発電した電力を割高に買い取ってくれるシステムがあるという(発電した分は全部売って、自分で使う分は買うくらいの好条件)。これくらいすれば、設置の時の補助金よりも効果的だろう。そのために発電会社と送電会社も分ける等々も踏み込んでやっていただきたい。

(6/2追記)
当初タイトルに「狐うどん」と書いていたが、「きつねうどん」が正しいので訂正。
Wikipediaの「きつね(麺類)」の項をみるとやはり、東洋水産のまるちゃんより日清のどん兵衛の方の発売が早いようだ。

11/05/21 明治座花形歌舞伎観劇前に人形町散策オフ会

2011-05-22 23:54:06 | 観劇

人形町の明治座は2007年8月に藤山直美と香川照之共演の「妻をめとらば-晶子と鉄幹-」を観て、けっこう気に入った劇場。藤山直美はけっこう好きなので、翌年の8月には母のリクエストで中村梅雀との共演の「元禄めおと合戦~光琳と多代~」も観に行った。その明治座で16年ぶりに歌舞伎公演がかかった。明治座五月花形歌舞伎だ。夜の部を21日、昼の部を22日と通う変則スケジュール(笑)

21日の夜の部観劇前に人形町散策オフ会。玲小姐さん企画に大阪から遠征されたかずりんさんと長野県からSさんも初参加。共通の話題はNHK大河ドラマというメンバーが4人揃った。

甘酒横丁の老舗の豆腐料理「双葉」人形町本店のランチからスタート。1階は店舗で回り込んで2階の入り口からお食事処に入る。私は800円の双葉ランチを注文。揚げ出し豆腐も美味しかったけれど、やっぱり関東風に甘じょっぱく煮つけたがんもどきが美味しかったせいで丼のご飯は多いなと思いながら完食。タハハ(^^ゞ

幸四郎主演の「黄金の日々」の話で盛り上がった。その幸四郎の歌舞伎を観ようと歌舞伎座さよなら公演から歌舞伎デビューをされたSさんは、明治座ではなく演舞場夜の部・昼の部の遠征だったことがわかり、先に観劇済みの私の話がお役に立ったようだ。

人形町三丁目交差点近くの「玄冶店跡」に行き、春日八郎の「お富さん」を思わず口ずさんでしまった。そういえば、七之助のお富さんも観たっけなぁ。

「大観音寺」の傍にあった町内会の力でつくった井戸への地元の方の思い入れをお聞きしてしまったし、粋な黒塀をめぐらしたお店がそのお寺の周囲にあって風情も楽しんだ。見越しの松はなかったけれど。

「水天宮」にも今回初めてお参り。「水天宮利生深川」に出てくるような碇の奉納絵馬もしっかり見つけた。今年3月に観た筆屋幸兵衛の幸四郎はけっこうよかったっけ。

いよいよ観劇前にスイーツをば!甘酒横丁に戻って「森乃園」。ここは私がおすすめした店。ほうじ茶の香りを周囲に漂わせているのが抗しがたい。しっかりとほうじ茶パフェとところてんの入ったセットを注文(冒頭の写真)。ところてんには三杯酢でも黒蜜でも選べるが、私はついつい関西風が懐かしく、黒蜜で食べてしまった。煎茶がついているが、お店は温かいほうじ茶を出してくれてお代わりができる。同じお店が同じ横丁にカラオケ茶屋も出している。

その後、明治座と新橋演舞場に分かれていった。また、散策とおしゃべりの企画がリクエストされたのはいうまでもない。玲小姐さん、よろしく(^_^)/

11/05/14 新橋演舞場歌舞伎(2)吉右衛門の「籠釣瓶」因果応報の大悲劇

2011-05-18 23:58:15 | 観劇

いわゆる「籠釣瓶」は、その名の妖刀をもつことになった佐野次郎左衛門の因果の物語とは知っていたが、発端より大詰までを見ることができる今回の公演は見逃せない。明治時代から上演の絶えていた場面を百有余年ぶりに復活するということで、昼の部の「天下茶屋」で天保年間以来の悪の二役早替りとともに今月の演目のこだわりに注目だ。

【籠釣瓶花街酔醒】作:三世河竹新七 補綴:松岡 亮
発端 戸田川原お清殺しの場より
  大詰 立花屋大屋根捕物の場まで
「吉原仲之町見染の場」より前のあらすじは、Wikipediaの「籠釣瓶花街酔醒」の項で参照いただきたい。
「歌舞伎美人」サイトのみどころで「次郎左衛門も・・・・・・痘痕の醜い顔に生まれつきます」というのは間違っているようだ。父の悪行から16年という台詞もあり、生まれつきの痘痕面というのは辻褄が合わない。

今回の主な配役は以下の通り。
佐野次郎左衛門=吉右衛門 下男治六=歌昇
都築武助=歌六 佐野次郎兵衛=段四郎 お清=歌江
高松安之進妻おとし=秀太郎 娘お千代/初菊=壱太郎
盲の文次=錦之助 腹太弥七=松江 土竜の石松=米吉
禿山の松蔵=種太郎 赤目の卯左吉=種之助
立花屋お駒=芝翫
立花屋長兵衛=東蔵 立花屋おきつ=魁春
八ツ橋=福助 九重=芝雀 七越=高麗蔵
絹商人丈助=桂三 絹商人丹兵衛=由次郎
繁山栄之丞=梅玉 釣鐘権八=彌十郎
                                    遊女だったのを次郎兵衛に請け出され幸せになれたと思ったら、瘡病(梅毒)発症で捨てられて乞食にまでなってしまったと身をもんで嘆く長台詞の場面。ベテラン脇役(歌右衛門の弟子)の歌江のお清が登場しただけで、今回の舞台を観に来た甲斐があったと思った。次郎兵衛は言い訳の上で手持ちの金で話をつけようとするが、婿入り先に押しかけて恨みを晴らすと逆上して殺される。その幽霊のような手に漂う恨みの深さに、この祟りは物凄いことになりそうと納得してしまう。段四郎とのツーショットを当然買いだ!!

妖刀「籠釣瓶」の因縁譚もじっくりだ。次郎左衛門が帰宅途中の森の中でうたた寝をしている間の悪夢として前場がつながり、そこを盲の文次たちに追いはぎにあいそうになる。悪い仲間を萬屋・播磨屋で揃えているのが楽しい。歌六の都築武助が助けて次郎左衛門宅に寄宿することになるのだが、その次郎左衛門の家が田圃の中にポツンとあるのが私のイメージとかのなり違っていた(街道筋でちゃんとした商家を構えている)。豪農が小作の副業の産物の絹を仕入れて江戸で商っていたということなのだろうとイメージを修正(^^ゞ
佐野の家では武助の指南で男はみんな剣術を稽古。下女までが真似をするというチャリ場も入る。後の「吉原百人斬り」につながる。
武助の病(労咳だろう)いよいよ重く、下男治六が評判のよい医者を呼びにいく間に武助の主筋の母娘(上方歌舞伎コンビ)が登場。壱太郎のお千代が写真で見た若い頃の藤十郎にそっくりで驚いた。声も綺麗で注目すべき若女形がまた一人増えてしまった!

用心棒が瀕死ということで盲の文次たちが強盗に入るが、次郎左衛門主従は撃退してしまうくらいの剣術の腕前になっている。そこによく切れて「籠釣瓶」と呼ばれる村正の名刀が武助から御礼に渡される。これってお清の祟りでこの運命が呼び寄せられてる?ここまでを見せてもらうと、ただの愛憎劇ではない、けっこう怖い因果応報の話だよなぁとよくわかる。

いよいよ「吉原仲之町見染の場」。立花屋の主人が出てくるところを女将お駒にして芝翫が出ていたが、あまりに台詞に力が入っていないので心配になる。芝翫はここだけで、女将の場面は若女将として魁春が引き継いでいたが、休演しても支障がないようになっているのだろうか?
福助の八ツ橋の笑みは花道に入る前で、笑う口元はほどがよく、安心した。吉右衛門のひと目惚れも放心からすぐに心浮き立つ様子を見せる。下男治六いわく「おっぽれた」旦那様状態か!絹商人仲間に一生懸命に全盛を見せびらかす場面も実によかった。ここも舞台写真を一枚GET。先月の「浮舟」の匂宮もそうだったが、恋に翻弄されてつっぱしる男の稚気あふれる色気が実にいい。これも肩の力が抜けてきた昨今の吉右衛門の芸の境地なのではないかと惚れ惚れする。

昼の部では忠義の家来だった彌十郎が性悪の権八で、八ツ橋の間夫の繁山栄之丞を調子よく焚き付ける。梅玉の栄之丞は今回初めてシュッとしたいい男に見えた。いい男に見えないと太夫職を張る八ツ橋の間夫にふさわしくない。
八ツ橋の身の回りをみる新造の芝のぶ、おさきの芝喜松、成駒屋の弟子が周囲を固めているし、今回の福助の八ツ橋が実によかった。愁いに寄せた眉根が美しく不幸な運命に流されている女の姿になっている。縁切り場の芝居も抑制が効き、次郎左衛門の愁嘆の吉右衛門の台詞をきちんと受ける芝居もよかった。申し訳ない気持ちいっぱいに部屋を出るまで息を詰めてみてしまった。

さらに、九重の芝雀が八ツ橋と次郎左衛門を思いやる芝居がよく、今回はひとつの場面がここに加わってさらに不幸な物語を際立たせた。年の瀬に九重が八ツ橋に次郎左衛門にきちんと詫びるようにすすめる場面だ。数字も一つ上の姉のような九重の情の深さ、それを素直に受け入れる八ツ橋という女のこれから後の運命を、知って観ているだけに実に切ない場面となる。

この場面を加えて、八ツ橋が素直に謝る気持ちになっているところに次郎左衛門がやってきる。機嫌よく二人にしてもらったところで、態度は豹変、「籠釣瓶」が抜かれてバッサリなのだ。おさきも斬った次郎左衛門の「籠釣瓶は切れるなぁ」の表情の狂気は今回さらにハイテンション!
続く大立ち回りは屋根の上。「盟三五大切」のように丸窓の障子を破って次郎左衛門が出て、捕まえようとする若い衆を次から次に斬っていく。「伊勢音頭」のように様式的に大勢を斬るのではなく、斬られて屋根から落ちるところも見せ場にしている。権八はここでしっかり殺されるので八ツ橋を死に追い込んだ結末はついて溜飲は下がる。
お馬鹿な間夫の栄之丞は八ツ橋の敵を討つと意気込むが、捕り手の梯子に囲まれた狂気の次郎左衛門と屋根の上で極まって幕。吉右衛門の最後の最後までの狂気に満ちた表情が、冒頭に殺されたお清の祟りの報い、因果応報の大悲劇の幕切れにふさわしかった。

【あやめ浴衣】長唄舞踊
元禄風の装束で前髪の美しい錦之助と前髪の珍しい歌昇が唐輪髷の芝雀と3人で明るく踊って打ち出しとなる。ご一緒したさちぎくさんによると、本来は浴衣の宣伝の内容の歌詞で、浴衣を着て夏らしい舞踊なのだそうだが、新暦と旧暦の時期のずれもあり、あやめという初夏の花で暗い因果の物語の気を変えるために入れた短いものだと推測。ハイ、明るくなりました!

5/8新橋演舞場歌舞伎(1)幸四郎の二役で「敵討天下茶屋聚」

11/05/08 新橋演舞場歌舞伎(1)幸四郎の二役で「敵討天下茶屋聚」

2011-05-16 23:59:13 | 観劇
昨年に続き「團菊祭」は大阪松竹座での開催となり、新橋演舞場五月大歌舞伎公演は幸四郎・吉右衛門兄弟の座頭公演。それぞれの特別チラシ・ポスターもつくって気合が入っているようだ。
冒頭の写真は昼の部の「敵討天下茶屋聚」で二役をつとめる幸四郎の安達元右衛門の扮装。狂言の下敷きとなったのは慶長14年の>「天下茶屋の仇討」(Wikipediaの項はこちら)。
5/8に観たが、予想よりも面白かった。
【敵討天下茶屋聚(かたきうちてんがぢゃやむら)】作:奈河亀輔 補綴:今井豊茂
あらすじと主な配役を公式サイトより引用、加筆。
西国の大名浮田家の忠臣早瀬玄蕃頭(段四郎)は、お家横領を企む家老岡船岸之頭(桂三)や東間三郎右衛門(幸四郎)の計略を察知し岸之頭を切腹に追い込むが、東間に闇討ちされて、重宝の色紙まで奪われてしまう。
玄蕃頭の子、伊織(梅玉)と源次郎(錦之介)の兄弟は、父の敵討のため行方をくらました東間を追って大坂の四天王寺へやってくる。供をしてきた家来の安達元右衛門(幸四郎)が東間の策略によって酒を強いられて禁酒の誓いを破り、泥酔して暴れ回ったので、伊織は元右衛門を勘当し、元右衛門の弟弥助(彌十郎)も兄弟の縁を切る。伊織の妻である染の井(魁春)と源次郎の許嫁葉末(高麗蔵)も同行していたが、葉末はここで行方不明となってしまう。
流浪の末、東寺近くの貸座敷で暮らすようになった伊織兄弟と弥助。そこへ東間方に寝返った元右衛門が按摩として上り込む。元右衛門は弥助に旧悪を詫びて金をめぐんでもらうが、色紙を買い戻すために染の井が身を売った聞いた様子を戸棚のうちで聞き、夜中にしのびこんで50両を奪い、弥助を殺害。帰宅した伊織の足を切りつけて逃げ去る。
その後、伊織兄弟は福島天神の森で貧窮の日々を過ごしてた。源次郎が留守のところへ元右衛門と東間が現われ、なぶり殺しにされる伊織。戻ってきた源次郎も襲われて川に投げ込まれるが、人形屋幸右衛門(吉右衛門)に助けられた。源次郎の敵討ちを助けることを約束した幸右衛門は、かどわかされていた葉末を助け、染の井を請け出し、東間一味の所在もつきとめた。幸右衛門ととも助力してくれる京屋萬助(歌昇)の手引きを受け、源次郎は染の井、葉末とともに元右衛門と東間を討ち、見事本懐を遂げるのだった。
その他の主な出演者は以下の通り。
奴腕助=錦吾、片桐造酒頭=歌六、坂田庄三郎=友右衛門、田楽師松阿=廣太郎、田楽師竹阿=廣松

公式サイトのみどころによると、「安達元右衛門は四世大谷友右衛門が工夫を凝らし、以後、多くの名優が演じ、練り上げられた役どころです。今回は、悪党ながら愛橋のある安達元右衛門と、悪の首領である東間三郎右衛門の魅力的な悪の二役を松本幸四郎が初役で勤めます。この二役を一人の俳優が演じるのは天保年間以来となる注目の舞台をご覧下さい」とのこと。
なるほど、当代の友右衛門とその子息がきちんと配役に組み入れられているのは、四世に敬意を表してのことだろう。

幸四郎が早替りで二役をつとめる舞台は、2003年11月に国立劇場で「天衣紛上野初花」の通しで河内山と直次郎を演じたのを観ている。二役を替わるのは、まぁ話題作りのためだろうという感じだった。ところが、今回の安達元右衛門と東間三郎右衛門の二役は全く違った。

幸四郎はミュージカルやストレートプレイでの舞台経験が長く、その分歌舞伎出演の積み上げが少ない分、どうしても歌舞伎ではニンにある役かそうでない役かで見応えが全く違ってしまうように思う。
三郎右衛門はニンにある役。仁木弾正で当たりをとった五代目幸四郎に敬意を表した黒子をつけてつとめていたが、実に不気味で立派だった。それを活かすように早瀬玄蕃頭を暗殺する場面で段四郎と、歌六の片桐造酒頭と二人で黒の着流し姿で笠をとって極まる場面も実に絵になっていた。

しかしながらこの芝居は座頭が元右衛門を演じることが多いようで、先代の勘三郎や二代目松緑はよかったらしい。幸四郎の元右衛門は、これまで「盲長屋」の道玄などを積み上げてきたのが生きたなぁ、頑張っているなぁとは思って感心したが、小悪党を一生懸命やっている感は否めない。この役だけでは主役としての存在感が不足だったかもしれない。
主の大事の時にありあわさずの大失態といえば、忠臣蔵の勘平は女でしくじり、こちらの元右衛門は酒でしくじる。心機一転のところを敵側に策略とはいえ酒を飲まされてまたしくじった。可哀想なヤツと思ってみていると、金に目がくらんでの盗みと弟殺しと転落。最後に善人でしたというモドリもなく、どうしようもないヤツままで敵討ちで殺されてしまうのだから、それを魅力的に演じなければならないというのはどうしてどうして難しい役だ。
幸四郎が二役をやるのは大変ではあるが、実はよかったように思う。三郎右衛門の大悪人と元右衛門の小悪党、この対照を一人二役で際立たせることで相乗効果が生まれ、これでこそ座頭役者としての存在感をきっちり示すことができたと思う。

さて、敵討ちをする側の兄弟の梅玉、錦之介がこれまたよかった。錦之介の前髪姿は実に美しいし、梅玉の伊織が弟を思う場面、返り討ちにあって無念に死んでいくところもせつない。この兄弟のコンビが今回の舞台のもう一方の要に思えた。高麗像の許嫁がきりっとした姿でニンにも合い、義姉の魁春ともども最後の仇討の場面も武家の女の白装束姿が舞台を引き締めていた。
源次郎の敵討ちを助ける幸右衛門に吉右衛門がつきあい、敵討ちの手引きの場面は京屋萬助にバトンタッチしたのは歌昇の出番をつくるためだろう。本筋と関係ないところで役者の出番を作り出してしまうのは歌舞伎の融通無碍なところだとまたまた感心(笑)

元右衛門が先に討ち取られ、早替り(身代わりの役者は仰向けに倒れながら顔がよく見えないように上げているのが大変そう)。替わった後の三郎右衛門との立ち回り。最後に敵味方が舞台に並んで手を付き、座頭が「昼の部の狂言はこれぎり~」となるのは、歌舞伎らしい幕切れ。「お疲れさん!」とばかりに、明るく打ち出される。
昼の部が予想以上に面白く、得をした気分で満足、満足。

5/15に観た夜の部の感想を続けて書く予定。             

11/05/11 小曽根真プロデュース「井上ひさしに捧ぐ」で落涙(T-T)

2011-05-13 23:59:14 | 観劇

井上ひさしが亡くなって1年。4/9が命日。私の父の命日が4/10と大切な人を失った日が続く。小曽根真プロデュースで「井上ひさしに捧ぐ」という追悼コンサートが企画され、その5/11は東北大震災からちょうど2カ月という日になってしまった。
文楽公演を観た国立小劇場から半蔵門線でかけつける。Bunkamuraオーチャードホールはマシュー・ボーンの「白鳥の湖」をアダム・クーパー主演で観て以来だ。
Bunkamuraのサイトからこの企画の項はこちら
以下、上記よりほぼ引用。
「小曽根真は2009年10月に上演された井上ひさし氏の舞台「組曲虐殺」の音楽・演奏を担当し、第17回読売演劇大賞、最優秀スタッフ賞を受賞するなど、生前の井上氏とは深い繋がりがありました。
第一部では小曽根真を中心に、井上氏主宰のこまつ座ゆかりの俳優たちとともに、音楽面から井上氏の功績を振り返ります。また第二部では井上氏の委嘱により小曽根真が作曲し、2003年山形県国民文化祭にて初演されたピアノ協奏曲「もがみ」をオーケストラとともにお届けします。」

第一部は、井上ひさし作品に登場する音楽を、ジャズトリオ=小曽根真(ピアノ)・中村健吾(ベース)・高橋信之助(ドラムス)の演奏で、こまつ座ゆかりの俳優(井上芳雄・大竹しのぶ・神野三鈴・木場勝己・辻萬長・剣幸)が歌うという肩のこらないもの。
さらに、客席にいるゆかりの俳優に呼びかけて急遽舞台に上がってもらって一緒に歌わせるという予想以上の楽しさに会場は沸きに沸いた。植本潤、山崎一、久保酎吉が巻き込まれていた。
ただ、井上ひさしと長くコンビを組んだ宇野誠一郎作曲の作品「ひょっこりひょうたん島」のコーナーで泣けた。今回の大津波で被災した岩手県大槌町の大槌湾の湾内にある蓬莱島がひょうたん島のモデルとされているのだが、島も津波をかぶって灯台が流されてしまったという。このコーナーで被災地支援カンパとメッセージを幕間にロビーで受け付けると案内があり、その島の被災前の写真をバックに客席も一緒に歌ってくださいということになった。ところが、その前にひとつお知らせということで「作曲された宇野さんが4/26に亡くなった」ということを聞かされた。そうなると目頭が熱くなってまともに歌えなくなってしまう。小曽根さんにバトンタッチされる前は長く宇野さんの音楽で楽しませてもらったんだもの。井上さんに続いて宇野さんもかと、私は合掌しながらの合唱になってしまった。「こまつ座の音楽」というCDを以前の観劇時に買っているので、それを聞いて追悼させていただくつもりだ。

冒頭のジャズ演奏の「マック・ザ・ナイフ」は井上さんが愛したクルト・ワイルの作品。2つの舞台の音楽の作曲を小曽根真が担当したので、その「組曲 虐殺」「日本人のへそ」(今年の再演版)からの歌が続く。

小林多喜二を主演した井上芳雄が歌わない「豊多摩の低い月」を井上さんが好きだったというエピソードで芳雄くんがヤキモチ発言も飛出したり、石原さとみが歌ったのを大竹しのぶが「さとみちゃんよりずいぶんふけててごめんなさい」とおどけたり、共演者どうしの仲のよさがにじむトークとハーモニーが心地よかった。やはり歌は井上芳雄(さすがに東宝ミュージカルのプリンス)と剣幸(さすがに宝塚元トップ)が飛びぬけて聞かせた。
さらに生きることへのエールがこもったものが選曲されていたようで、満足した第一部終了。

少々気が重い第二部のピアノ協奏曲「もがみ」。小曽根真の弾き振り予定は変更になってジョシュア・タンの指揮で東京フィルハーモニー交響楽団の演奏。ピアノコンチェルトというと最近では「のだめカンタービレ」劇場版のTVオンエアで聞いたくらいで普段なじみがない。
ところが冒頭に民謡「最上川舟歌」の三味線と独唱が始まってびっくり!民謡を習っていた父がよく唄うのを聞いていたのだ。冒頭の「エーエンヤラエーエンヤラエー、エーエー、エンヤラエット、ヨイコラマカセ、エンヤコラマカセ」という節は頭にしみついてしまっている。その後の歌詞は方言がきつくて耳からだけだと内容がよくわからなかったものだ。今回も同様だが、父の唄う表情が浮かんできて、またまた落涙。

その後で3楽章までのオーケストラ演奏だったが、ジャズのビッグバンド的な演奏になるところもあったし、舟歌の冒頭の旋律が出てきたりして、なるほどなぁと思って聞いていた。

演奏後にこの曲に関わるエピソードも紹介された。小曽根さんが井上さんから舟歌を聞かされて、「これをもとにピアノコンチェルトをつくってください」と頼まれ、ビッグバンドには書けるけれどフルオーケストラには書けないと断ると「3年あるから大丈夫です」とのダメ押しで引き受けさせられてしまい、すぐにオーケストレーションの本を買って勉強して作ったという。今回は女声合唱がついたが、国立音大でジャズを教え始めたので学生さんたちに出演してもらって3演目にして初めて実現したとのこと。

最後に第一部の俳優陣が登場(大竹しのぶは次の舞台の稽古へ)。「組曲 虐殺」から「胸の映写機」がオーケストラをバックに歌われた。贅沢な企画を堪能させてもらって幸せだなぁと思えた。冒頭の写真は、今回のコンサートでも舞台の上方に掲げられた井上さんの笑顔の写真の画像。

Bunkamuraは今年長く改修工事が入るのでオーチャードホールも大きく変わるようだ。3階席などに階段だけしか行けないのはなんとかしてほしいなぁ。感謝しつつも、お願いである(^^ゞ

最後に、井上ひさし関連の記事をいくつかリンクしておきたい。
昨年4月の追悼記事
月刊『文藝春秋』の昨年7月号に掲載された井上ひさし「絶筆ノート」の言葉に関しての記事

11/04/15 劇団若獅子公演(2)「保名」、「殺陣田村」、亀治郎アフタートークで落涙(T-T)

2011-05-07 23:59:23 | 観劇

冒頭の写真は公演のプログラムの表紙。スカイツリーが手前の浅草寺とともにある写真というのが浅草公会堂での公演にふさわしい。
(1)「一本刀土俵入り」の感想はこちら
【保名】清元連中
「保名」は2005年3月に仁左衛門で、2006年5月に菊之助で観ている。
今回の亀治郎の「保名」は花道を使わず、本舞台の2枚の屏風の陰から登場。清元は二挺二枚と実にシンプルな舞台だった。続けて若獅子による殺陣「田村」でその屏風が使われていて、その流れを大事にしてあくまでも若獅子の舞台の中でのバランスを考えたのだろうと思えた。
安倍保名が許嫁に自害されて正気を失っているということが頭に入って観ることができるようになっているので、狂気の中での気分のアップダウンや、小袖がその姫に見える幻の様子などが見てとれるようになってきた。またシンプルな舞台装置の中で亀治郎のメリハリのきいた踊りに集中して見ることができて、一番イメージが広がったような気がする。
地方公演は清元も録音になるけれど、音作りにはこだわったとアフタートークでお聞きした。5月は自身が狐になるので、狐つながりだなぁとチラッと連想。歌舞伎というのは人間でない存在との物語が楽しめるのもよい。

【殺陣田村】(澤田正二郎立案 監修:田中林輔)
「保名」で使った屏風を活かして「殺陣田村」へ。紋付袴姿で立ち回りの型を演じるもの。構成は、
[手取り 白扇]-謡曲“田村”- →[薙刀]-鼓- →[居合い抜き]-尺八- →[二刀流]-琴と謡曲“田村”-。
[居合い抜き]だけシテが水野善之だったが、あとのシテは笠原章。若手がツレとなって斬りかかるのをシテが受けての立ち回りとなるが、構えや立ち居振る舞いが美しい。「様式美」の世界だった。「殺陣」という言葉も新国劇から生まれたという。
後半の歌舞伎舞踊と新国劇の財産の「殺陣」のコラボは調和がとれていて、前半の芝居ともども堪能できて大満足だった。

【カーテンコール】
最後に出演者が次々と登場。カーテンコールだけでなく、代表の笠原章から挨拶があった。震災後の状況をふまえ、この公演をそのままやってよいものか、亀治郎に相談したという。「一人でもお客さんがいらっしゃるなら是非やりましょう」という言葉に決意を固めての全国公演実施に踏み切ったとのこと。亀治郎からもそれを受けてのトークもあり、客席もそれを支持する熱い拍手で湧く。東京公演の初日はいいムードでスタート。
しかしながら、ロビーでも感じたが、さすがに新国劇の流れを受けた観客層のようで、年配の男性が目立っていた。それも硬派という感じ。亀治郎が客演したので若めの女性客が来ているという気がした。そうそう私でも若めに入ります(^^ゞ

【亀治郎アフタートーク】
よみうりカルチャーのトーク付き企画で、以前さちぎくさんが菊之助に質問をして阿古屋をつとめられる三曲の修練を積まれているという回答をもらったという話を聞いていたので、今回はせっかくなので私が質問をさせていただこうと思っていて、司会者が始まる前に希望者に挙手をさせたので、しっかりと手を挙げておいた。
トークの概要は、亀治郎が劇団若獅子と共演するようになった経過や、「一本刀土俵入り」の新国劇の演出の面白さ、歌舞伎にもそれが取り入れられたというような話、お蔦を演じる時の芝翫から教えられたこと(親切であっても親身になっていないから再会時にすぐに思い出せない)や着物を着崩す方法等。あらかたプログラムに書いてあったのを幕間に読んでしまっていた内容だったので、頭の大半は質問の組み立てに使わせてもらった。

私Q:(概要)
有難うございます。実は何年か前に蜷川さんと彩の国さいたま芸術劇場でトークをされた時も聞きに行っています。亀治郎さんはいろいろな世界の方たちと一緒にお仕事をされて活躍されているので目が離せません。昨年初めて「亀治郎の会」に行き、プログラムにインタビューされても半分ホントで半分嘘で、本当のことは会のプログラムやサイトの登録会員向けのコーナーでしか話さないと書かれていたので、ここで本当のことをしゃべってもらえるのでしょうか?!
TVで亀治郎さんのお部屋が映った時に梅原猛さんが書かれたパネルが飾ってあるのを見ました。梅原さんは、震災復興の会議に菅首相の指名で委員になられて復興に向けての考え方をしっかり主張されていました。亀治郎さんは梅原さんとも深くおつきあいされているし、先ほどのカーテンコールでのお話にもありましたが、震災をどう感じ、どうしていったらいいと思っていらっしゃいますか?役者のお仲間に何年に世界は滅亡するとか煙に巻いていらしゃるようですが、滅亡は冗談だと思いますが、お考えをお聞かせください。
それと亀治郎さんの芸の継承、精進との関係もお願いします。(というようなこと)

亀A:(真面目に大展開してくださった。大幅に私なりにまとめてしまったので文責は私です)
マヤ暦からの2012年人類滅亡説が当たったようなものだと思う。まさかそれが日本にくるとは思っていなかった。今回犠牲になった方々は本当にお気の毒だが、皆さんやすらかなお顔をされていたと聞いているのできっと天国にいらっしゃると思う。その犠牲を無にしてはいけない。
また原爆も広島・長崎と日本に落とされ、原発の大事故も日本で起きたが、これは日本人に与えられた宿命で、原爆が落とされても復興したし、日本人には原子力からもっと他の自然エネルギーに転換していくための技術力を発揮する使命があるのではないかと思う。(この原爆と原発事故の受け止め方は全く私と同じだったので共感で目頭が熱くなり落涙(T-T))
特に信じている神様とかはいないが、神的なものは存在すると思う。そしてその神はいいとか悪いとかの判断はしない。信じてすがれば助けてくれるとか天罰をくだすとかいうこともない。自分が一生懸命やっていると力をくれるなぁと思えることはある。そういう時に感謝する存在。
幕末ものとかのドラマに出演する機会があって感じたことは、西洋とアジアのかけはしになれるのは日本だということ。日本人としてやれることはたくさんある。
福島原発に近いからと首都圏から逃げ出しても仕方がない。普通に生活することが大事だ。TVなどの情報をそのまま信じてはいけない。電力会社の情報は嘘が多いし、TVに出ている学者は政府に都合の悪い人は出られなくなる。インターネットなどでも自分でどれが正しい情報か自分の頭で判断しなくてはいけない。
舞台などもただ照明を暗くしたりしても意味がないし、他でやれることがたくさんある。何がやれるかを考えながら、やっていくだけ。

関連した他の方のQ:(概要)
困った時の神頼みとかは何かされないのでしょうか?
亀A:(概要)
神様は困った時に頼むようなものではないです。なんというか、自分の良心のようなものです。
他に、フランス公演でのフランス語の口上が素晴らしかったが、どのように準備されたのかという質問もあって、丁寧に答えていた。

まさに贔屓になってよかったという確信をもつような機会となった。友人にこの話をしたら「やっぱり貴女がいいなと思う必然があったんだよ」と賛同してくれた。
ハイ、ますます応援していきたい気持ちが強くなりました!!

11/04/15 亀治郎客演で劇団若獅子公演デビュー(1)「一本刀土俵入り」

2011-05-06 23:59:48 | 観劇

「一本刀土俵入り」は何回か観たような気がするが、自分でブログ内検索してみて一度も記事アップできていないことを確認。2008年の新橋演舞場五月大歌舞伎公演で観て、実にいい芝居だなぁと思っていたが、この月は結局「東海道四谷怪談」の感想しか書けていない(^^ゞ吉右衛門の駒形茂兵衛は柄が大きいだけで大成できない相撲取りのへなちょこぶりがキュート、後半の渡世人になったところも颯爽として実にカッコよかった。芝雀のお蔦も情の深い女にみえ、この作品でのコンビも気に入ったものだ。
あらすじは、goo映画の「一本刀土俵入」(1957)の作品情報が詳しい。

長谷川伸の人情芝居はけっこう好きなので、劇団若獅子陽春公演に亀治郎がお蔦で出るとわかってすぐに観る気十分になった。さちぎくさんによみうりカルチャーのトークショー付き企画をお誘いいただき、15日(金)に年休をとって浅草公会堂での初日公演を観劇。
【一本刀土俵入】(作:長谷川伸、演出:田中林輔)
出演は、笠原章 市川亀治郎(特別出演) 南篠瑞江 横澤祐一 真砂皓太 細川智 中條響子 他
笠原章は、2008年4月の亀治郎主演の日生劇場公演「風林火山-晴信燃ゆ-」で父の信虎役(前年の大河ドラマの時は仲代達矢)だったのを観て新国劇出身の方だけに堂々としたものだと記憶している。そもそもは猿之助がスーパー歌舞伎に出演依頼をした時からのご縁だという。
笠原章の駒形茂兵衛の前半はとても人のいい感じのもっさり感がよく、亀治郎のお蔦が芯の強い女でポンポンとものを言うのと相性がよい。はっきり言って亀治郎のお蔦が主役のように見えるバランスだったが、これはこれでよいのだと思う。
好きな辰三郎の子どもを産んで子守りに見てもらいながら酌婦を続けているお蔦。辰三郎は出奔してしまい自暴自棄になって手酌で飲んで酔っ払っているのだ。安孫子屋の二階の手すりにもたれて斜め後ろの姿をみせる亀治郎のお蔦には、孤独と闘う女のあだっぽさに満ちていて思わず溜息が出る。うなじから細い顎、切れ上がったまなじり、ポンポンと緩急自在の言葉が飛び出る唇、とこれはヤクザの親分に岡惚れされるのも無理はないと思えた。

茂兵衛の話に心を動かされ、郷里の越中八尾の小原節を三味線をとって歌う気になり、実に聞かせてくれる。歌の巧さに客席が湧く。無一文の茂兵衛に巾着に簪まで添えて「きっと横綱になっておくれ」と励まし、感謝しながら花道を去っていく茂兵衛に「よっ、こまがた~」とかける声の調子のよさに快感が走る。これだ、これだよ、私が観たいお蔦はさ!という感じだ。

10年後、やくざになってしまった茂兵衛が利根川の船大工に取手の安孫子屋のお蔦の消息をたずねるくだりも秀逸。劇団若獅子の役者たちの底力をみせてもらった。
ほそぼそと飴を売りながら大きくなった娘お君と二人で暮らすお蔦はいいお母さんになっている。そこに辰三郎がイカサマ博打で手に入れた金をもってやってきて親子三人一緒に暮らす気になったと言う。しかしながら捕まれば殺されるかもしれず、金をおいて逃げようとするところに茂兵衛がたずねあててくる。お君が歌う小原節で確信をもった茂兵衛が名乗り、恩返しのお金を渡そうとするが、お蔦には覚えがない。
辰三郎を追ってやくざたちが暴れこむところを茂兵衛がなぎはらう。親分の儀十も素人角力上りで、茂兵衛とがっぷり四つに組み、頭突きで倒す姿にお蔦が思い出す。この演出も新国劇のもので、それが今は歌舞伎でも取り入れられているとのこと。茂兵衛の鬘は月代が伸びた「毟り」なのが歌舞伎とは違うらしい。そのあたりはプログラムの座談会のページに詳しかった。
亀治郎のお蔦の「思い出したっ」の声も気持ちよく、すっきりと恩返しができた茂兵衛の最後の長台詞が心にしみる。
「お蔦さん、十年前に櫛簪、巾着ぐるみ意見を貰った姐さんに、これがせめて見て貰う駒形茂兵衛の、しがねぇ姿の土俵入りでござんす」

笠原章の駒形茂兵衛は後半もカッコイイという感じではないが、やくざとはいえ、素人をいじめることはしない侠気の人の感じは十分で、10年来の恩返しをしたい思いをようやくかなえた安堵感と人生の哀感にみちた人間味のある姿に好感がもてた。

やっぱり「一本刀土俵入り」って好きな芝居だなぁ(^^ゞ
冒頭の写真は、今回公演のチラシ画像。