08/07/31 歌舞伎座千穐楽でミニミニオフ会


歌舞伎座七月大歌舞伎の夜の部。名古屋からいらっしゃって昼夜通しでご覧になるhitomiさん玲小姐さん六条亭さんをご紹介。ブログでつながるお仲間のネットワークが広がるのは嬉しいものだ。
今月の夜の部は玉三郎の泉鏡花ワールドの2本立て。幕間が45分と異例の長さだし、せっかくなので玲小姐さんに地下食堂「花道」の予約をお願いし、hitomiさんと3人でお食事。写真は私の天ざるそば。
以前はそばの食堂が別にあったのに、こちらにまとめられ、予約のみになってしまっている。こちらの食堂の利用も初めてだった私。緊縮財政、かつ食べるのが遅い私には幕間の食事はコンビニおにぎりをぱくつくくらいしかできないのだ。昨年の「俳優祭」の模擬店では足を踏み入れているのだが(^^ゞ

少しでも早く食べられるように冷たいそばにして、温かいそば湯とほうじ茶を飲みながらおしゃべり。今月の楽しみどころもいろいろ出たが、お二人がそれぞれ学生時代に日本史を専攻されていたということもわかって盛り上がる。私は専攻は違うが日本史で受験したくらいだから、お話の内容の概要がわかるのが嬉しい。
皆様、楽しい時間を有難うございましたm(_ _)m
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08/07/26 歌舞伎座昼の部②竹本のみの「吉野山」


通し上演の時は「道行初音旅」となるこの場面、歌舞伎では竹本と清元での上演となるが、今回は竹本のみになると話題になっていた。作品の原点の人形浄瑠璃での演出の精神を大事にする玉三郎ならではの舞台づくり。今回の公演の独自両面チラシの片面の「義経千本桜」は「吉野山」での写真だ。座頭のこだわりがわかるというものだ。
そういえば、今年2月に観た国立劇場文楽第3部の「義経千本桜」がまるまる今回の構成と同じだったことを思い出す。こちらとも比較できるぞ!
昨年3月歌舞伎座「道行初音旅」の記事はこちら
【義経千本桜】「吉野山」
今回のあらすじを公式サイトよりほぼ引用。
「義経主従は西国へ向かうのを断念し、吉野山の川連法眼のもとへ向かった。これを知った静御前(玉三郎)は、忠信と共に吉野山へ向かうが、忠信の姿が見えなくなる。しかし静御前が初音の鼓を打ち鳴らすと、忠信(海老蔵)はいずこともなく姿を現す。
やがて忠信と静御前は、義経から賜った鎧と初音の鼓を取り出し、八島の合戦の様子を物語り、旅の憂さを晴らすと、さらに山中へと分け入って行くのだった。」

満開の吉野山の桜の書割が広がる舞台の右手に5梃5枚の賑やかな竹本連中。そして「妹背山婦女庭訓」の《吉野川》の装置が下手にあり、水車が回っている!そして上手の書割が開くと奥からの山道に静御前の玉三郎が赤い旅衣で立っている。下手の青と上手の赤が桜色に満ちた舞台にくっきりと浮かび上がる。これだ、これこそ玉三郎のこだわりの舞台だと興奮してしまう。
静御前の赤い旅衣へのこだわりは次の「川連法眼館」の静の台詞からも推測できる。目前の忠信は同行していた忠信と着ていた小袖と違うから同一人物ではないというそれである。忠信の衣裳を云々するのに自分はいつ薄い色の衣から赤い衣に着替えたのさと突っ込みを入れていた私にはとても納得のできることだ。
ただし「鳥居前」「川連法眼館」の赤の衣裳とは違う模様。あちこちに格子状になった流線模様に花が散らされているという控えめなデザイン。これがいかにも旅衣という感じがして玉三郎のセンスのよさにまた心を動かされる。

行方不明の忠信が鼓の音にひかれて登場。この場面の海老蔵の狐忠信、本当に惚れ惚れするくらいのいい男!さらに車鬢の頭でいつもの髪型よりも遥かに荒事風。主従ながらも道行らしく男雛女雛で極まるという歌舞伎風の入れ事なし。竹本に乗った戦物語のところが見ごたえ十分。文楽で見ておおーっと思った二人の扇投げ→キャッチも歌舞伎座でも見ることができたのは予想外だった。逸見藤太たちとの立ち回りがなくても充実していてちっとも眠くならない!
竹本での上演は海老蔵の荒事の魅力も活用する効果ありだ。舞台装置から何から玉三郎の座頭としてのこだわりが貫徹しているのを強く感じた。

筋書に入った舞台写真も吉野川が入るようにふたりが極まったところが「義経千本桜」の扉写真になっている。まさに絵面に極まっての幕となったが、大興奮の「吉野山」だった。満足満足~。
            
7/26昼の部①「鳥居前」
7/26昼の部③「四の切」
追記
①狐の人形が静御前の仕度を何気なく手伝うという演出あり。弘太郎が人形遣いを頑張っていた。静は狐の存在は次の場面で気がつくのでこの場面では気づいていない設定。観客だけにアピールしているのだ。こういうのも面白かった。
②当初、竹本を5梃5枚と書いていたが、4梃4枚でした。六条亭さまにご指摘いただき、感謝ですm(_ _)m玉三郎のところを語るのは愛太夫で、次の「川連法眼館」も上手の御簾内も続けて語った。玉三郎の信頼が厚いことがわかるが、聞き取りやすくて私もお気に入り。
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08/07/26 歌舞伎座昼の部①「義経千本桜 鳥居前」


七月大歌舞伎昼の部は「義経千本桜」の海老蔵の狐忠信関連の通し上演。昨年3月に昼夜の通し上演を観ていて、比較もできるので大いに楽しみにしていた。千穐楽夜の部観劇を目前に簡単に書いていこう
昨年3月の「序幕 鳥居前」の記事はこちら
【義経千本桜】「鳥居前」
今回の主な配役は以下の通り。
佐藤忠信実は源九郎狐=海老蔵
源義経=段治郎 静御前=春猿
武蔵坊弁慶=権十郎 早見藤太=市蔵

幕開けに段治郎の義経の声が響くのが実にいい。舞台の真ん中に亀井・片岡・伊勢・駿河を従えてすっくと立っている姿も実に見栄えがする。よくぞここまでという感慨が湧く。

春猿の静御前は美しい・・・・が、くねくねしすぎ。台詞回しもふらふらしすぎ。静御前は元々白拍子=遊女だし、義経の愛妾なのだから、いくら置いていかれそうで死にたくなるほどの動揺の場面とはいえ、そういう立場の女であることをはずしてはいけないのではないか。これじゃ、おぼこ娘の静ちゃんという感じだ。時代物での大役抜擢の荷が勝ちすぎたかもしれない。

この場面の武蔵坊弁慶の拵えは道化っぽい。権十郎だとすぐに気づかなかったが手堅かった。市蔵の藤太も半道敵の感じを手堅く出していた。一昨年はここは笹目忠太だったので、次の「吉野山」に藤太が出る出ないで変えてしまう歌舞伎の融通無碍なところがいい。役名だけでなく台詞も違うらしい(なんとなくしかわからなかったが(^^ゞ)。
静御前が藤太の手に落ちるところを海老蔵の狐忠信が登場して救うのだが、この登場が実によかった。菱皮の鬘に火焔隈、馬簾付き四天に仁王襷をしめて荒事の拵え。お江戸ではやんややんやと受けそうなスーパーヒーローの登場という感じ。火焔隈にはさらに白い狐面によくあるような黒のラインが点々と切れ目を入れていて、実に狐に見えた。まさにスーパーお狐さまだ。筋書の舞台写真よりも売店の舞台写真よりも点々の離れ具合がより誇張されていて顔の拵えも工夫を重ねているんだなぁと感心。

この役は昨年の菊五郎よりも、今回の海老蔵の方が荒事の魅力が引き立って感じ取れた。初役だというがニンに合っていて立派な忠信だ。それにしても藤太の台詞に「その源氏車(四天に模様あり!)は忠信だな」というのがあったが、そういう説明も入れないとこの演出になってすぐの頃(昔昔)もこれが忠信だと観客もわからなかったんだろう。そもそもこの場面、伏見稲荷の鳥居前だというのが作者の着想の良さ。あれもこれも面白い。
今回つくづく「鳥居前」は歌舞伎の典型的な役柄を並べて楽しむ一幕でもあったのだろうということを、今回あらためて納得して観ることができた。

写真は歌舞伎座前の絵看板のケースのところ。七月らしく笹に長方形の短冊状のものがいろいろな色で舞っている。毎年そうなのかもしれないが今回初めて気づいて嬉しかった。
「吉野山」「川連法眼館」と続けて書く予定。
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08/07/29 やはりシステム更新とセキュリティソフトの喧嘩!


光ファイバー使用料をマンション一括契約で管理費の中で選択の余地なくとられる我が家。そのプロバイダはUさん。
不具合の際は、マンション一括契約専用のフリーダイヤルが設けられているが、これがまたつながらない。

さらに我が家の固定電話はダイヤル回線なので音声ガイドによる番号入力をしても「プッシュ信号を読み取れませんでした。オペレーターにおつなぎします」となる。日曜日はオンフックで電話をかけていてオペレーターさんが出てくるまで約10分。状況を説明するとテクニカルセンターの方にかけて欲しいと言われ、ダイヤル回線なので番号入力を読み取ってもらえないというと、携帯電話でかけてくださいとのこと。

時間がとれないので、月曜日に午前半休。受付時間の10時に携帯でかけるが、「ただ今混みあっておりますのでもう少々お待ちください」と音楽の合間に案内が続く。30分もたったら携帯が熱くなってきてびっくりして頭にきてきた!

固定電話から代表のフリーダイヤルにかけて事情を説明。11時までに折り返して欲しいと希望を述べたが「お約束できません」「月曜日は混んでいる」という。仕事を午前中しか休みをとっていないのだからと言ったら、帰宅後のご希望時間か明日の朝一番でテクニカルセンターから電話させるということだった。
そして翌日火曜日。約束の9時を30分回ってもかかってこない。また代表のフリーダイヤルに電話。35分頃ようやくかかってきて、担当者の指示のように画面を操作して確認作業をすすめる。やっぱり時間がかかる。結局、フレックスのコアタイムには間に合わず、また午前半休(T-T)

結論。やはりシステム更新に際してセキュリティソフトとの相性が悪くてそういう障害が起きているとのこと!
アンチウィルスソフトとファイアウォールソフトを無効にするとネットにアクセスできるし、メールの受信もできる。これはセキュリティソフトの会社に設定等をどうしたらよいかを問い合わせてくださいということだった。
大手のソフトの方がマイクロソフト側が相性を配慮しているのではないかと質問したが、ノートンやウィルスバスターのような大手会社のソフトでも同様の障害が起きているということだった。

娘のPCは同じシャープのメビウスなのだが、最初に入っている短期間無料のセキュリティソフトが違っていた。私の方は全部アンインストールしてフリーソフトをダウンロードできたのだが、娘の方はどうしてもウィルスバスターがアンインストールできず、結局お金を出してウィルスバスターを入れて使っている。

無料のフリーソフトは2本ともけっこう使い勝手がよかったのだが、どうにも問い合わせ体制が頼りなく思えてきた。娘に調べてもらったら、娘が使っているウィルスバスター(というか私の名義で契約しているんだけど!)で3台のPCがカバーできるとわかった。今の2本をアンインストールしてウィルスバスターに切り替えようかという気になってきた。
ウィルスバスターのサイトで電話相談窓口を探してみたら、シリアルナンバーとパスワードでログインした人だけ番号を見られるようになっていた。それも混雑の時間帯のめやすの一覧表つき。そしてフリーダイヤルではなくナビダイヤルで有料!!やっぱりお客さんを増やせば増やすほど、問い合わせが増えて、それをどう制限するかで知恵を絞っているんだなぁと感心。
娘にアンチウィルスソフトとファイアウォールの機能の両方ともウィルスバスターでカバーしているのか質問したら、そこまでわからないよ~と言う。おいおい~。

帰宅後、PCを立ち上げてファイアウォールだけ停めてもネットにつながった。それで今、これを書いている。
ウィルスバスターに切り替えても不具合が出ないというわけではない。そうなったらまた、電話相談地獄か!!

NTTにもプッシュ回線への切替え依頼の電話もした。そういえば妹が引っ越しているのでマイライン登録の番号を変更もしてもらおうっと。しかし、考えが甘かった。私がかけたNTT東日本ではプッシュ回線への切替えは受けられるが、市外電話はNTTコミュニケーションズという別会社なのでそちらのフリーダイヤルへと言われてしまった。
さらに、プッシュ回線の使用料は無料だがに切替え工事手数料が2100円かかり、電話側の切替え操作が必要な機種は自分で切替え作業をしないと発信できなくなりますよと言われてしまった。取扱説明書で確認の上で申し込まれた方がいいとのアドバイスをしてくれたが、世の中の会社側の合理化のために一方的に消費者側に要求してくる事項(=音声ガイドシステムもその一つと思っているが!)の多いことにげんなりしてしまった。

気を取り直さないと次に進めない(T-T)(T-T)




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08/07/27 ネットが本格的につながらない…

(T-T)
7/10にも書いたように「システムの復元」という操作で騙しだまし使ってきたが、本格的にネットにつながらなくなってしまった。自分なりに調べながら色いろやってみたが、どうにも駄目↓。プロバイダに問合せながらの復旧作業をやる予定。
写真は「道元の冒険」を見て帰る途中、赤羽駅のホームから見た雨上がりの夕方の空。稲光が横に走っていたが、それはシャッターチャンスなし!
さあ、早く再開できるよう、頑張ろう!!
今回も携帯からのアップでしたm(_ _)m
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08/07/25 蜷川幸雄の原点へのこだわり


「わが魂は輝く水なり」のプログラム。ツンドク状態から掘り出して、しっかり読む。
【インタビュー 蜷川幸雄 『わが魂は輝く水なり』について想う】より抜粋
「自分が演劇人としてスタートした時のことを、埋没させず、つねに喚起しないと危ないということを強く感じているんだと思う。そのための一方に清水があり、もう一方に井上ひさしさんの初期の戯曲があるんです。井上さんの当時の作品は、新劇に対する憎悪のような激しい闘争心と、溢れんばかりの言葉の洪水で、今ある演劇を否定したいという想いが、ものすごいんですよ。こういう人たちの作品に取り組むことで、意図的にもう一度初期の自分に戻って、闘争心を燃やしながら戯曲と向かい合ったり、演劇を通して世の中と対峙しよう、としているみたいなんだよ、どうも。こんな風に理屈は付けてるけど、半分は本能的な選択なんだよね。そうやって自分を掻き立てて、普通の老人の終わりにしたくないと意識しているんだと思う。」
【蜷川幸雄と清水邦夫の絆】(寄稿:演劇評論家 扇田昭彦)より抜粋
「それは同時に、蜷川が清水と手を携えて失踪を続けた1960年代から70年代半ばにかけての闘争と騒乱の時代を、今も決して忘れまいとしていることでもある。」
「文中の『森の国』を若者たちの前衛的な小劇場運動(蜷川と清水はこの運動の担い手だった)と解釈し、(後略)」

蜷川幸雄が小劇場から商業演劇に転進して話題になった頃、高校生だった私はなぜ話題になるのかわけもわからなかった。とにかく話題になっている帝劇の「三文オペラ」や日生劇場で「オイディプス王」を宝塚観劇の合間に観たが、何が面白いのかよくわからなかった。
それから観劇をしない時期を経て、娘を産んでから観劇を再開。意地になって蜷川の舞台を観たが、彼の原点をはっきりとは把握してこなかった。
なるほど、蜷川幸雄の常に挑発的なスタイルのスタンスの原点はここにあったのだ!

井上ひさしの初期の戯曲の上演を立て続けにしている理由もこれでわかった。27日にシアターコクーンで「道元の冒険」を観るが、ヤフオクで絶版の文庫本を手に入れて2回読んだ。内容はかなり過激だし、猥雑だし、音楽に乗った言葉の大洪水!
道元の評伝劇にはなっているが、体制派の比叡山の天台宗と対立する様子や人々を救うための方法を求めていくリーダーの狂気に近い苦悩等など、「わが魂は輝く水なり」の木曾義仲軍のリーダーの狂気に重なってくる。この純粋性の素晴らしさと危うさ・・・・・・。連続してこの世界をたたみかけてくる蜷川幸雄の問題意識が刺激的だ。

NHK教育TVの「劇場への招待」で「青砥稿花紅彩画~白浪五人男」も観ながら、蜷川幸雄の舞台に想いを馳せる。こうして古典の作品から前衛的作品まで網羅して観ていくことが面白くて仕方がない。
人間とその社会というのは素晴らしく愚かしく哀しく面白い。
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08/07/21 市から介護認定員さんが来た


父が亡くなってから母が急速に弱っている。右の膝も悪化して家でもいろいろと不自由になってきているし、脳梗塞のおそれのある症状が何回も現われている。
一人暮らしになっての不安も増し、娘たちがこの間すすめてきた介護認定をとって自宅の改造などいろいろなサービスを受ける気にようやくなってきた。
その気になっているうちに、妹2が高齢者地域支援センターに連れていって一緒に相談。市役所からの介護認定員さんにきてもらうように申請。

今日の午後、予定通り来てもらい、妹2がかけつけて同席。
娘の婿さんたちが取り付けてくれた階段の手すりがあるので、なんとか2階に行けること。お風呂は浴槽が深くて恐いのでまたいで入れず、お風呂屋さんに行っていること。一階にあるトイレは和式なので入れずに困っていること、等々、一生懸命話したらしい。
若い認定員さんで一生懸命聞き取ってくれたということだが、こちらが訴えても認定の項目では重視されていなかったり、日常生活でもよほど困らない限り、なかなかマークが入らないようになっているようだ。

2階で面談を終えて、妹だけで一階でお見送りをするということで、面談の第二段階へ。ここ一年くらい気になっていたが、父が亡くなって加速的におかしくなっている状態を娘3人で確認していたが、痴呆の初期段階に入っているということも合わせて聞き取ってもらった。脳梗塞の関係で定期的にMRIをとっているが、脳の萎縮は始まっていて年相応だからと言われていたらしい。そのことも含めてきちんと伝えようと娘たちは作戦を練っていた。

さて審査の結果は一ヵ月後くらいになるとのこと。要介護レベルになるか要支援レベルになるか、とにかくどこかで認定がとれて、家族以外の手にかかるということに慣れていってほしいと思っている。

父の死亡後の手続きの共有ノートを作って、お互いに確認できるようにしてきたが、今後は母の介護の共有ノートも作るつもり。

こんなことを長電話しているから、ちっとも観劇記事がすすまない。5月に観た「わが魂は輝く水なり」が途中になっている。明日、仕上がるといいなぁ。
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08/07/20 市営霊園「思い出の里」へ


私の実家は分家で墓もないし、転勤族の妹2一家が将来どこで永住するかを定めていないので、その見通しがつく頃に正式な墓を決めればいいのではないかという提案をし、母も反論しつつ、とにかくゆっくり考えようと説得。さいたま市営霊園「思い出の里」の一時預けの納骨堂を申し込んでおき、順番を待っていたら、7月初めに連絡があった。3連休で予定していた百日祭と連続して納骨もできるというタイミングのよさ!
さいたま市営霊園「思い出の里」の公式サイトはこちら
私が実家行き、母と妹1夫婦の車で、妹2夫婦が自宅から車で向かい、午後1時に霊園事務所に集合。とにかく広い霊園で越谷方向から向かうと入り口が奥になる。木々がたくさんあって桜の時期は花見の場所にもいいという話を聞いていたが、これはそうだろうと納得。
手続き後すぐに納骨堂に案内されて、最後のお参り。この1週間、母はお別れが寂しいとよく泣いていたのだそうだが、ここでも泣いてしまう。

慰めながら、こちらで最後の分譲予定のある立体屋内墓地を見学。1・2階はすでの終了し、3階部分の基礎工事をしているとのこと。ここ数年の間に募集があるとお聞きしていたので、この施設が気に入れば募集を待つことにしたかった。
立体屋内墓地の施設は入り口からほど近くて見学も簡単。屋内といっても横の壁はないので風は吹き渡るので気持ちがいい。2階3階へはエレベーターもある。今風の墓石には○○家というのではなく、「絆」「夢」「眠」とかもあり、「Love Forever」というのもあった。母は黒っぽい石で「愛」と刻みたいということだが、まぁそれは抽選であたってからの話だ。
「ここはせいせいして気持ちがいいところで気に入った」と言い、外よりも屋内がいいということで、一発で気に入ってくれてホッとした。これでゆっくり募集を待とうということになった。

近くのファミレス「夢庵」で食事をして、実家に向かう。遺骨を乗せていた祭壇を片付け、母の父母と一緒に仏壇に納める。仏教も神道も気にせずに一緒に拝めるようにし、ようやく落ち着いた!!

さて、今日は母の77歳の誕生日だ。お祝いのケーキと夕食の買い物へ。急ぎ用意をして2日間のお疲れ様会と誕生祝い会。妹1夫婦のお土産の頂き物の高級牛肉を焼いての食事に母は満悦至極。前日の豆腐コース会食と大違いだ(^^ゞ
妹1一家が明日の朝早くに帰ってしまうのが寂しいと嘆くが、その次の日は妹2が来て、市からの介護認定員さんの訪問に立ち会ってくれるからと慰める。一人暮らしを続ける以上、娘たちが連携でサポートはしていくけれど、寂しがりの母にも強くなってもらわないといけない。
これもまた人生。

写真は今日から父の居場所となったところを「思い出の里」の公式サイトより。
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08/07/19 父の百日祭→六義園散策へ


4/10に亡くなった父の百日祭を7月の3連休ですることにし、娘たちやそのツレアイの仕事の調整もして土曜日の19日で神社を予約。お墓もまだないし、実家に来ていただくことも難しいので、葬儀で来ていただいた駒込の住吉神社の方に8人で伺うことにしたのだ。
名古屋からの妹1夫婦が前日から実家に泊まりこんで母を連れてきて、妹2夫婦と私の家族3人で駒込駅に集合。午後3時から約30分で終了。神社と行っても鳥居も何もない事務所のようなところだったが、結婚式や葬儀などに神官が出張をすることを中心にしている末社のようだ。母親が鳥居がないところでは有り難味がないとかごねていたのを説得したのだ。特にどこの神社の氏子ということにもなっていない、本家が神道だから分家の我が家も神道でというレベルのことなので、これで十分というものだ。

夕ご飯を会食ということにしていて、予約時間までずいぶんとあるので、駒込駅からほど近い「六義園」を散策する予定をたてた。そのことを伝えた時、「六義園は結婚前にお父さんとよく行った場所だよ」と母が言い出していた。歴史小説が好きだった父は一緒に散策しながら、いろいろと所縁の話をしてくれたらしい。母は歴史にあまり興味がなかったが「この人は勉強家だなぁ」と思いながら聞いていたらしい。この結婚に母はあまり乗り気でなかったのに上司をはじめ周囲が強くすすめるので押し切られたらしい(笑)それなのにこんなに仲がいい夫婦になるのだからわからないものだ。

「六義園」の公式サイトはこちら
膝の痛い母と娘でタクシーで向かい、他のメンバーは歩いて向かった。入ってすぐの休憩所で冷たい物を飲み、散策へ。ちょっとだけしか歩かないつもりだったのに、天気もよくてあまりの気持ちよさに結局一周してしまった。亡くなる前に父と昔行った六義園にもう一度行ってみようねという話もしていたらしい。約50年ぶりに歩いたら木々が昔よりも太く立派になっているという。池には大きな鯉もいたが、それよりも亀がたくさんいて鯉のエサを横取りしていた。

しかし、喜んで歩いているのでついつい一周したのがまずかった。駅までの道で母が音を上げてしまい、予定していた地下鉄南北線に乗らずにタクシーで店まで向かった。予約した店は私が常連になっている四ツ谷のお豆腐料理の「米長」。2台に分乗して行ったが、先に出発した母と私たちが乗ったタクシーの運転手が大はずれ。遠回りして到着も後になってしまい、タクシーに乗っているだけで母は身体が痛いとぐずり出して機嫌が悪くなった。
ようやく着いて会食となったが、母は豆腐が好きではなかったのであまり食べない。母が好きな刺身や鮨は娘3人ともあまり好きではなく、鰻は妹2がダメ。母が大好きな肉料理ではさすがに憚られる。野菜嫌いは知っていたが、豆腐がこんなに好きじゃないって知らなかったのでまいった。おまかせコースにしていたが、ボリュームがありすぎるだろうと一人前減らして注文していて正解だった。
マスターが気を遣ってくれて小皿で取り分けられない料理は8つの器で出してくれたり、土曜日の夜はエリア的にお客さんが少ないと聞いていたが、この日は貸切状態で、のびのびと会食できたのだが、母は難しすぎる~。

なんとか会食も終えて、3派に別れて家路を急いだ。
翌日は市営霊園への納骨でまた参集する。
写真は 「六義園」公式サイトよりの写真。
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08/07/17 姜尚中の本を読む


私は日本史で私立大学文系を受験したのだが、近現代史は出題範囲外ということで、大学に入ってから歴史のサークルに参加してから勉強。特に台湾や朝鮮半島を植民地にし、満州に傀儡政権をつくりといういわゆるアジアにおける日本の不幸な歴史をきちんと学んだ後は、自分たちが生きる社会が違ってみえたものだ。
中学校の同級生のお父さんのお葬式に学級委員として参列した時、「実は私は日本人じゃないの」と告白されて驚いた。「そんなの関係ないよ」って答えたけれど、それ以来、朝鮮半島から在日になった方たちのことはずっと気にしてきた。それが日本の近現代史を勉強するとわかってきたのだ。

朴独裁政権による圧政、KCIAによる金大中誘拐事件やら恐ろしい国だった韓国がどんどん変わっていき、今では民主国家になっている。一方、北朝鮮の独裁政権の迷走はどんどんひどくなっていて、それに対する不安感から日本もどんどんキナ臭い国になっている昨今である。
そんな中で昨年12/13の夜、新宿サザンシアターで姜尚中×小森陽一トークショー&サイン会「2008年、日本はどうすべきか」に行こうと友人に誘われた。同じ会場でこまつ座の「円生と志ん生」を観に行った時に壁に貼ってあったポスターの下だった。姜尚中はテレビの討論番組などで落ち着いたいいお声で理路整然と話をする姿に好感を持っていたので、即OKして行ってきた。トークショーは面白かった。サイン会ではお二人の手はあったかかったし、姜氏はカッコよかった(ミーハーで恐縮m(_ _)m)。
その時にお二人にサインしてもらって買ってきたのにツンドク状態で放置(^^ゞ通勤の往復で読む本がなくなってきて先月あたりにようやく読み、こういう勉強ももっとしないといけないなどと思っていた。
角川ワンテーマ21『戦後日本は戦争をしてきた』(姜尚中・小森陽一)
そして、新宿ルミネの中にある青山ブックセンターにチェーホフの戯曲「かもめ」を買いに行った時、目にとまって買ってしまったのがこの本だ。
姜尚中の『在日』(集英社文庫)
以下、ウェブでの紹介の文章を引用。
1950年、朝鮮戦争が始まった年にわたしは生まれた。なぜ父母の国は分断されたのか。なぜ自分たちは「みすぼらしい」のか。「在日」と「祖国」、ふたつの問題を内奥に抱えながら青年期を迎えたわたしは、日本名「永野鉄男」を捨て「姜尚中」を名乗る決意をした。在日二世として生きてきた半生を振り返り、歴史が強いた苛酷な人生を歩んだ在日一世への想いを綴った初の自伝。文庫化にあたり大幅に加筆。

こんなに紆余曲折の人生を経てきた方だとは知らなかった。大学院でマックス・ウェーバーを専攻し、恩師のすすめでドイツに留学。そこで激動のヨーロッパを体感され、日本で非常勤講師をしながら指紋押捺問題で埼玉県で初めて拒否を表明して人前に出ることが多くなったのだという(同じ埼玉県じゃないの!)。そこで初めて連帯してくれる日本の市民たちと接点ができ、意見を表明する機会が増え・・・・・・。若い頃は吃音に悩むという時期もあったとのことで、その恐怖と闘いながらという話であり、本当に大きく揺れながら生きてこられての今があるんだなぁと納得した。
その指紋押捺問題の取組みの中で支えてくれた牧師さんを尊敬し、洗礼を受けた縁がつながって国際基督教大学の助教授になり、在日で初の東大教授へという転身。
私もこの間、賀川豊彦に興味を持ち、著作「死線を越えて」「一粒の麦」を読んで、行動するクリスチャンの素晴らしさに注目していただけに、今回もまた瞠目させられた。

リベラルな人々ともっとつながっていきたいと思っている私には、大変刺激になる2冊であった。それぞれ新書、文庫というところがお手軽に過ぎるかもしれないが、分厚い本にはなかなか手が出ないし、気軽にいろいろと吸収できるのは大事なことだと思うので、いいことにしよう。
後者の文庫本は手に入りやすいと思うので、特におすすめしたい!

写真は昨年12月のトークショー&サイン会での写真。左が姜氏、右が小森氏。
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